第73話 ☆fourteenthvisitor 気ままな退屈吟遊詩人(2)
実りなき草原。
「ふむ。ここか」
『魔王ジューゴの店』とヒューマンの言語で記された扉を見て、エミールは一人呟く。
たまたま大規模な冒険者の遠征があり、それの一団が魔王ジューゴの店を利用するということで、そこに混ぜてもらったため、道中は特に何の苦労もなかった。
もっとも、たとえ一人だったとしても、中層程度までなら、ダンジョンもそこに出現するモンスターもエミールにとって障害とはならないのだが、楽ができる時にはそうするにこしたことはない。
遠征団に続き、扉の中へと入る。
隘路を抜け、一つ部屋を過ぎると商店に出た。
かすかに闇の魔法の気配を感じる少女が店番をしている。
(確かに見たことない品揃えではあるが、私には無意味だ)
ざっと商店を見て回るが、あまり興味を引くものはなかった。
魔法使いのエミールに武器は必要ないし、大抵の道具は魔法で代用できる。
食料品の類は、ヒューマンや獣人向けに作られているだろうから、エミールの口に合わないだろう。
「少女よ。少々尋ねたいことがあるのだが」
エミールはカウンターで頬杖をついてこちらを眺めていた少女に話しかける。
「なに?」
「この店に何か文化的に価値の高いものはあるか? 食欲とか、性欲とか、そういった低次元の欲望を満たすものではなく」
「文化ねえ……よくわからないけど、酒場の奥にある方の店にいけばいいんじゃない。貴族がくるぐらいだから、少なくともここよりは文化的だと思うけど」
少女が素っ気なくエミールの右手を指した。
「ふむ。そうか。では、そこに行ってみるとしよう」
「そう。事前に、酒場にいる店員に声をかけてね。チェックがあるから」
「承知した」
エミールは頷いて、少女の示した方向に歩んでいく。
エミールが同伴させてもらった遠征団が酒盛りをはじめ、すでに場は喧噪で満ちていた。
(姦しいのは苦手だ)
エミールの鋭敏な聴覚は、否応なしにヒューマンならば気にならない程度の雑音まで聞き分けてしまう。
管理のされていない無秩序な言語の飽和は、エミールにとっては不快の種だった。
「この奥にある店に行きたいのだが。許可は貴様に得ればいいのか?」
カウンターにいたヒューマンの女に問う。
「ああ。……とりあえず外見は問題ないようだが、金はあるのか?」
女が遠慮なしに尋ねてくる。
さほど驚くことはない。
命短き者の世界では、金銭がもっとも大切だということを、エミールは旅の経験から学んでいた。
「――皆、今日は世話になった。礼として私が一杯おごるから、楽しんでくれ」
エミールは唐突に振り返って叫ぶ。
「うぇーい!」
「イケメンのエルフさんにかんぱーい」
酔っぱらった遠征団から歓声が上がる。
「これで問題ないか?」
エミールは、カウンターに金貨を数枚置いて問う。
金には困っていなかった。
町々で演奏するだけで十分に旅費は足りていたし、貴族の邸宅に呼ばれて数曲演奏すれば、その何倍もの報酬が手に入る。珍しいエルフの吟遊詩人であるということで、エミールを宴に呼ぶと貴族として箔がつくというのだ。
エミール自身は馬鹿らしいと思うが、どうやらそれが命短き者どもの社会というものらしい。
「ああ。……つきあたりの階段を降りろ」
女が顎をしゃくった方にエミールはまた歩いていく。
階段を降りる前から、エミールの耳に音楽が聞こえてくる。
(おもしろい……。しかし、音楽としてはいささか感情的過ぎるな。いかにも命短き者の音楽だ)
少人数による演奏だが、角笛にも似た音を奏でている者が、時折音を外すのだ。
もちろん、この音楽の趣旨が正確さよりも即興性や臨場感を重視するものではないとエミールは察していたが、単純に好みではない。
旅は行き当たりばったりなエミールだったが、音楽に関しては完璧主義なのだ。
「いらっしゃいませ」
ヒューマンの給仕が礼をしてエミールを出迎える。
「この店ではどんなものを取り扱っている?」
エミールは経験的に身に着けた、命短き者たちが喜ぶような友好的な笑みを浮かべて問う。
「主にお召し物や、お食事を提供させて頂いております」
給仕は無表情に答えた。
(ほう。よく教育されている)
エミールは感心した。
命短き女の中にはエミールが笑いかけただけで懸想してくるような浮薄な者も少なくないのだが、このヒューマンの女は、全くエミールに対して何の感情も抱いていないのがわかったからだ。
自らを律することができるだけの分別がある者は、命短き者であっても、エミールは敬意を払う。
「では、食事を。私はエルフだから肉や魚は食べられないのだが、何かいいのはあるか?」
着飾ることなどには微塵も興味がない。食事も、エミールはヒューマンなどに比べれば圧倒的に少ない量で事足りるのだが、店に入った以上は、何かは頼まなければならないだろう。
それに、この高級店ならばもしかしたらエミールの度肝を抜いてくれるような何かと出会えるかもしれない。そんな淡い期待もあった。
「ならば、『ワショク』はいかがでしょう。肉抜きの光神教徒の方用のメニューとして重宝されているものですが、お客様の好みとも合致していると存じます」
「ではそれで」
「お飲み物の方はいかがいたしましょうか」
「君に任せる。料理にふさわしいものを選んでくれ」
「かしこまりました。ではこちらにどうぞ」
給仕の女に案内されてテーブル席につく。
しばらく待っていると、やがて料理が運ばれてきた。
「ワショクとお飲み物の『サケ』でございます」
「そうか」
「ごゆっくりどうぞ」
給仕がそう言って礼をして、また元の場所に控えて客を待ち受ける。
(ふむ。見慣れない料理だな。確かに肉の臭いはしないが……)
濁った茶色のスープと、柔らかそうな白い直方体、そしてクルメを炊いたものの三種類がある。
とりあえずスープをスプーンで掬って口にする。
(……ぐっ。塩辛い)
エミールはすぐにスプーンを置いた。
やはりヒューマンか獣人用の味の調整だ。
繊細なエミールの舌には合わず、とても飲めたものではないが、別に腹を立てはしなかった。
まあよくあることだ。
命短き者の貴族の宴会に出た時などは、フルーツの類しか口にできないことも日常茶飯事である。
(次は、クルメだな)
フォークで白い粒をすくって口に含む。
(ほう。このようなクルメもあるのだな)
今までエミールが食べてきたパサパサとしたクルメと違い、粘性があり甘味もフルーツのように強い。
(次はこの直方体だ。匂いからすればおそらく豆を使ってるはずなのだが……)
フォークで崩して口に含む。
予想通りの濃い豆の味が口いっぱいに広がった。
(今までの中では一番美味い……が、衝撃というほどではないな)
エルフの里にも似たような味の料理はある。『ソルブ』という豆の旨味を地の魔法で凝縮したものだが、命短き者の拙い魔法でこれを再現したいうのならば、その努力は称賛に値する。今まで訪れた国では、このレベルすら出会うことはなかったのだから。
(最後は『サケ』か)
手のひらサイズの寸胴の器に、円柱状の入れ物から液体を注ぐ。
器に口をつけた。
(命短き者も中々やるものだ)
喉を通り過ぎていく雑味のないクリアな辛味に、エミールはうなる。
しかし、これもやはりエルフが全力を傾けて作ったネクタールやパナシアに比べれば、まだまだと言わざるを得ない。
(とはいえ、このような店で手軽に飲める酒としては最上級には違いない)
エルフの里でも上質なネクタールは、命短き者の時間単位で十年に一度の祭りの際にしか飲めない神酒である。それに匹敵するとは言わないまでも、これほどのクオリティの酒を安定して供給するに至るには、相当な努力が必要だっただろう。
そう意味ではこの酒の生産者には、褒めてやらなくてはならない。
(中々良い食事だった。だが、私の決意を変えるほどではないな)
今まで諸国を旅したなかでは、一番レベルの高い料理だったかもしれない。
命短き者たちの貴族が足繁く通うというのもうなずける。
しかしそれでも、エミールがこれ以上命短き者どもの世界を旅しようと思えるほどには、興味を惹かれるものではなかった。
(このくらいが命短き者の文化的限界なのだろうか)
エルフと他の知的生命体では、土台命の長さが違いすぎるのだ。文化のレベルの違うのは当然なのかもしれない。
「あら、あなた、エミールではありませんの」
失意のまま俯いたエミールに、店の奥からやってきたヒューマンの貴人が声をかけてくる。
ヒューマンは成長が早い。前会った時とはだいぶ姿形が変わっていたが、その顔には見覚えがあった。確か名前は――。
「ああ。ローザ。久しぶりだな。君の主催する宴に参加したのは、確か三年くらい前だったか?」
エミールは立ち上がり、軽く頭を下げる。
「五年前ですわ」
「そうだったか。失礼」
エミールは曖昧に笑った。
エミールにとって、一年や二年の違いは、ヒューマンの感覚でいう所の一日二日の違いしかない。そんな細かいところまでいちいち気にしてはいられないのだ。
「それで、エミールは今日はまたなんでこちらの店にいらっしゃいましたの?」
「ああ。とある街でこの店の噂を聞いてな。興味深く思い、試しに来てみたのだ」
「そうですの。それでいかがでした? お店の方は」
「正直、期待外れだった」
エミールは正直に答えた。
「あら、それは困りましたわね」
ローザが眉を顰める。
「どうして貴様が困る? ここは魔王の店だろう?」
「ええ。ですが私もこの店のプロデュースに関わっておりますから、高名な吟遊詩人のエミールに店の悪評を歌にされでもすれば一大事ですわ。店の客足がにぶるだけではなく、ひいては私の名誉にも関わりますもの」
「そうか。だが気にすることはない。私の期待が大きすぎただけで、ヒューマンのレベルとしては十分に質の高い店だ」
「そうはいきませんわ。私は常に上を目指しておりますもの。具体的にどのようなところがお気に召さなかったんですの?」
ローザが真剣な表情で問うてくる。
「単なる好みの問題だ。料理はヒューマン用だから私には濃すぎる。店に流れる音楽は感情的すぎる。それだけの話だ」
エミールは肩をすくめて言った。
「料理の方は今日エミールが予約なしに、急にいらしたから用意できるものには限りがありますけど、少なくとも音楽はまだまだ別の曲もありますわよ。せっかくですからそちらも聞いてらしたら?」
「ほう。そうなのか。やはりそれもあのマジックアイテムで流すのか?」
エミールは、音楽の発生源となっている物体を一瞥する。
それは入口近く側の受付のテーブルの上に置かれている、直方体の箱であった。
「ええ。魔法の円盤を入れ替えると曲も切り替わるんですの。もしよろしければ、私がエミールの好きそうな曲を見繕いますわ」
「それはおもしろい。是非聞かせてみせてくれ」
エミールは再び席に腰を落ち着けて言う。
せっかくここまで来たのだから、体験できるものは全て体験しつくそう。エルフの里に一度帰ってしまえば、もう外に出ることもないだろうから。
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