第70話 ☆thirteenthvisitor 節約は化金石(2)
「それでは皆さん。お食事も済んだことですし、そろそろショッピングの時間に致しませんこと?」
いつの間にか姿を消していたローザが、色直しをして登場した。
着ている服も髪型も装飾品も一新されており、今はキャナールが見たことのないような前あき型の服を着ている。色は夕焼けを思わせる深い紅だ。
(しまった。買い物が始まる前に逃げる時期を逸した)
キャナールは備え付けのナプキンで唇を拭いながら冷や汗を流す。
食事がおいしくてついつい長居してしまった。
いや、気づいていたとしても、キャナールたちだけでダンジョンを抜け出すのは恐ろしいし、どのみち結末は変わらなかったかもしれない。
「まあ!」
「なんとお美しいのでしょう!」
「素敵ですわ! なんというお召し物ですの!?」
「『キモノ』と申しますの。さすがに王宮の社交場に着ていくには斬新すぎるかもしれませんけれど」
ローザは貴婦人たちの問いに謙遜してそう答えたが、異国の服といえども、みすぼらしい雰囲気は全くない。
王女を跳び越えて、女王になったかのような落ち着いた威厳をまとっている。
「『キモノ』。素敵な響きですわね」
「本当にお美しいですわね」
「まあ、まあ、まあ」
貴婦人たちが黄色い声を上げ、主から命令を下されたパペットのように、「まあ」と「素敵」と「お美しい」をひたすら繰り返すモンスターになる。
一方、その貴婦人を連れてきた男性陣は、途端に言葉少なになった。
当然である。
キャナールのような吝嗇でなくとも、あのような異国の高級品を買わされるとなれば、一体いくらになるか予想もつかない。値段の基準がないから、天井がいくらになるか予想もつかないのだ。
(ここまで来たからには何か買わぬ訳にはいかぬしな)
キャナールたちはローザの紹介でこの店に来ている。
ということは、ここで買わなければ、『ローザのセンスが気に食わない』と周りに宣言するも同然になるからだ。
「よろしければ、皆様、奥の個室で色々な服を試着されませんこと? 『キモノ』も、この前の晩餐会でお目にかけたドレスも、色々な服が揃っておりますわよ」
ローザが服を見せびらかすようにその場で一回転して言った。
「まあ! 是非」
「着てみたいですわ!」
「私も!」
貴婦人たちが目を輝かせて言う。
「では、殿方は、申し訳ありませんが、しばらく期待してお待ちくださいね。あなた方の伴侶を、今までの何倍も素敵にしてお返し致しますから」
ローザはそう言い残すと、丁寧に一礼してから、貴婦人たちを引き連れて、奥の部屋へと姿を消した。
(まあ、妻に任せておけば問題あるまい)
そこらへんは
高過ぎず、なおかつ最低限の面子を保てるような品を選んでくるだろう。
一時間そこらだろうか。
男たちが気もそぞろに中身のない会話を繰り返している所に、ローザが戻ってくる。
「お待たせしましたわ。さあ、皆様。それぞれのステディーに美しくなったお姿を披露して差し上げて」
ローザを声を合図にして、奥からぞろぞろと貴婦人たちが出てくる。
ドレスを着ている者もいれば、キモノを来ている者もあり、それぞれの思い思いの装いで身を飾っている。
「あなた。お待たせしました」
いつの間にか隣に来ていた妻がキャナールの袖を引く。
(まあせいぜい髪飾りを買ったくらいであろう)
「うむ。随分と時間がかかった――」
そう思って横に視線を遣ったキャナールは絶句する。
「お、おまえ。その格好は、一体どういうことだ!」
キャナールはキモノを身に纏った妻の耳元で、声を荒らげる。
「店の者にコーディネートして貰ったのです。どうですか?」
妻はキャナールの叱責を意に介することなく微笑む。
キモノは深海にも似た濃い目のブルー。飴茶色のかんざしで髪をまとめ、首元には大粒の白い宝石が輝いている。
ドレスと違い、老いがかえって魅力に見えるような服であった。
「……せめて、どれか一つにしなさい」
美しいとは思う。しかし、それを買うとなれば話は別だ。
「あらあら。あなた。メイドには豪華な婚礼衣装を仕立ててやったのに、妻の私はパーティ用の装い一つ買ってくださらないとおっしゃるのですか」
「……ふう。知っていたのか。ここのところお前が不機嫌だったのはそのせいか」
キャナールは納得したように頷く。
妻には知らせないように事を運んだつもりだったが、不器用なキャナールでは所詮限界があったようだ。
「そうです。確かに私は子どもも産めない至らない妻ですけど、だからと言ってメイドに手を出す人がありますか。別れたいなら直接そうおっしゃってくださればいいではありませんか」
妻が今にも舌を噛みそうな真剣な表情でキャナールを見つめてくる。
「はあ。なにをいらぬ誤解をしている。確かに私はメイドのジョアンナに婚礼衣装を作ってやったが、あれは、ジョアンナがどこで見つけてきたのか、下級の貴族の下に嫁ぐことになってな。ジョアンナは平民出身故、そのままだと気後れするから釣り合いのとれる衣装が欲しいとせがまれて、仕方なく作ってやったのだ」
キャナールは大きくため息をついて言った。
ジョアンナとキャナールは、二回り以上も年が離れている。
たまにちょっかいをかけることがあっても、それは娘をからかう父親のような気安さからであって、決して情欲に基づくものなのではない。
「どうしてあなたがそこまでしてやる必要があるのですか?」
妻が訝し気に問うてくる。
「なんでも、あやつの髪と血は希少らしく、子だからに効く良い薬の原料になると魔術師に言われてな。その礼だ。説明すればおまえがまた気に病むと思って、黙っていたのだ」
婚礼前の乙女に髪を切れというのだから、それ相応の礼はしてやらねばかわいそうだし、貴族としての面子も立たない。やむを得なかったのだ。
「あなた……。まさか、まだ、諦めておられなかったのですか? 私たちの子を成すことを」
妻がぽかんと大口を開けて言った。
「何を言う。おまえ、ずっと子が欲しいと言うておったではないか」
キャナールは憮然として言う。
「もちろん、私も最初の十年くらいは何とか子どもができないかとあれこれ気に病みましたが、さすがにこの年になれば現実が見えてきますわよ。最近はなんであなたは養子をとられないのか、不思議に思っておりましたわ」
妻はあっけらかんとそう言い放った。
「それならばもっと早く言ってくれれば良いものを。それならば、何のために私は――」
人から
キャナールはそう言いかけて、俯いて口を
高価な薬から眉唾の祈祷まで、色々金をかけてきたが、妻に相談しなかったのはキャナールの落ち度である。
これ以上あれこれ言っても仕方ない。
「あなた……。申し訳ありません。あなたの優しさも分からず、あまつさえ浮気を疑うなんて、本当に私が愚かでした。服はお店の方に返品して参ります」
「いや、買うがいい」
目に涙を溜めて深々と頭を下げ踵を返そうとする妻の肩を、キャナールが掴んで引き留める。
「よろしいのですか?」
妻が目を見張って言った。
「たまにはな。養子を取るなら、今までのように倹約することもあるまい」
キャナールは肩の荷がおりたようなくつろいだ気分で微笑む。
確かに子どもは産めないかもしれないが、妻はよく気のつくいい女だ。
キャナールの不器用な部分をよく補ってくれていると思う。今更、現在の妻と別れて新しいのを迎えたとして、彼女以上の人間は望めないだろう。
「それでは、せっかくですから、あなたもキモノをお召しになったらいかがですか。値段も思ったよりは高くありませんから」
妻はそう言って、会計の記された紙片を見せてくる。
なるほど。確かに、口が裂けても安いとは言えない値段だが、見た目から受ける印象よりはずっと安い。
「ふむ……。おまえが言うならそうしてみるか」
キャナールが頷く。
「きっとあなたに似合いますわ。痩せてないとみっともなく見えるタイツとかと違って、キモノはある程度恰幅が良い男性の方が様になるそうですから」
妻が、求婚したあの日のような無邪気な顔で笑う。
「それは良いな」
キャナールの腹は出るし、妻の皺は増える。
こうやって二人で老いていくのだろう。
今朝屋敷を出る時には考えるだけで憂鬱だったその事実が心地よく思えるのは、この店のおかげだろうか、それとも妻のおかげだろうか。
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