第69話 ☆ thirteenthvisitor 節約は化金石(1)

 インベア国の大通りを幾台もの馬車が行く。


 その先頭を走る馬車の中にいる高貴な者の中でも頂点に近い者のために、幾人もの騎士が駆り出され、警備にあたっていた。


 都の大半を占める高貴ならざる者たちは、そんな大通りの片隅で、皆頭を下げながら、ひっそりと馬車を盗み見て、野次馬根性を満たすことに躍起になっている。


「さすが、第二王女のローザ様の御車はご立派だったな」


「ああ。だが、他はゴブリンの背比べだな。こんだけ派手にやっといてお忍びのつもりなのか、家紋も隠してやがるし、どれに誰が乗っているかわかりゃしない」


「そんなことないぞ。ほらみろ。あれに乗ってるのはドケチのキャナールだ」


「なんで分かる? あの馬車だって見た目は他のと変わらないじゃないか」


「よく見ろ。あの馬車の軸の方の右側が削れてるだろ。あれ、事故車なんだよ。俺この前、貴族の馬車の追突事故を見たんだ。馬車の中身は外に飛び出して死んだけど、馬車自体はちょっと手直しすりゃ使えないこともない感じだったからな」


「それってつい数日前の事故だろ? 死体の葬式もまだだろうによく乗る気になるなあ。事故の犠牲者がゴーストになって出てくるぞ」


 民衆の他愛無いさざめきは、車輪の音にかき消されて、馬車の中までは聞こえない。


 それでも、小太りの中年貴族、キャナール=アナス=エンテは、不機嫌だった。


「おい、おまえ。分かっているな。これからどんな店に行くかは知らぬが、ローザ様の誘いである以上、我らが断ることはできなかったのは仕方ない。しかし、いずれにしろ長居はせず、会食だけ済ませたら、適当に理由をつけてさっさと帰るのだ。長居すれば、絶対なにがしかを買わなくてはいけないことになるからな」


 キャナールは自慢のちょび髭を撫でつけながら、今日何度目になるか分からない忠告を、彼の妻になげかける。


 店の場所はついてからのお楽しみということで、キャナールたちには知らされていない。


 しかし、第二王女が勧めるほどの店であるからには、かなり値の張る商品を扱っているに違いないのだ。


「わかっておりますわよ。本当にケチくさい方ですわね」


 キャナールの妻がうんざりしたようにため息をつく。


「ならいいが……」


 そう言ったきり、キャナールは黙り込む。


 妻と結婚して十数年。昔は子犬のように従順で愛らしかった妻も、すっかり変わって経るハウンドのようになってしまった。


 特に最近は、こうしてろくに口も利かない始末だ。


 ああ。なぜ、わざわざ貴重な金と時間をショッピングなどに使わなくてはいけないのだろう。同じ馬車を使うなら、近郊の森に狩りにいく方が、捕らえた獣が夕食にのぼるだけ幾分かマシだ。


 もっといえば、外になど出たくない。


 出れば余計な金を使うことになる。


 それよりも、自分の屋敷でメイドのジョアンナにちょっかいをかけていた方が、ずっと安上がりで楽しいというのに。


 やがて、馬車が動きを止め、キャナールは物思いから覚める。


「――おっ。着いたのか」


「そのようですわね」


「ふむ。都の外に出るのかと思ったら、存外近かった――な!?」


 馬車の外に出たキャナールは、目の前の光景に絶句する。


 そこにあったのは、国の管理下にあるダンジョンへと続く関所だった。


「ま、まさか、この先に行くのか? ダンジョンに?」


 血生臭く、市民権さえ持たないような下賤の冒険者のたまり場。そこは貴族であるキャナールにとってはもっとも縁遠い場所のはずだった。


 しかし、キャナールを導く第二王女とそれを警護するミスリラ騎士団は、躊躇なく関所を抜けていく。


「あら。こういうのも変わった趣向でおもしろいではありませんか。さすがはローザ様ですわ」


 萎縮するキャナールとは裏腹に、妻はずんずん先に進んでいく。


 こう堂々と振る舞われてはキャナールも退く訳にはいかず、渋々後ろに続かざるを得なかった。


 薄暗いダンジョンを行くキャナールたちの回りを、松明と剣を持った従者たちが警護する。


「わくわくしますわね。まるで子どもの頃に戻って、竜退治のおままごとでもしているかのような」


「そうか?」


 妻は声を弾ませたが、キャナールにはいまいちピンとこない。


 キャナールの子どもの頃の趣味といえば、屋敷の庭中をほじくり回して小銭を探すことだった。幼い頃から外交的だった妻とは違うのだ。


 やがて、一行は立ち止まる。


 先にあるのは、いかにも怪しげな両開きの扉。


 ミスリラ騎士団の一人がそれを押し開き、ローザが中に堂々とした足取りで入っていく。


 身分の順に、キャナールたちも扉の奥へと足を踏み入れた。


「いらっしゃいませ」


 容姿端麗な侍従が、綺麗な角度でお辞儀をする。


「ごきげんよう」


「ごきげんよう」


 本来、侍従ごときに貴族が挨拶をすることなどはありえないのだが、キャナールと妻は一度立ち止まってから、深々と頭を下げて挨拶をした。


 他の貴族も、同じように侍従に挨拶をしていく。


「パルマ様、しばらくお姿を見かけないと思いましたら、こちらにおられたましたのね」


「うむ。腹心のパルマ様を置くということは、ローザ様はかなりこの店に力を入れておられるのだな」


 キャナールは妻と小声で囁き合う。


 色々複雑な政治的事情があって今は侍従に身をやつしているとはいえ、パルマは本来、キャナールたち程度の身分の貴族がぞんざいな口を聞いていい相手ではなかった。世が世なら、王位をついでいてもおかしくない御方なのだ。


 そのままぞろぞろと階段降りていく。


 宮廷音楽にも似た、格式高い音色が漏れ聞こえ、徐々にその音量を増していった。


「まあ! 素敵」


 突如、目に飛び込んできた光景に、妻が歓声を上げた。


(ほう。確かにこれは……中々、良い)


 キャナールは頷く。


 ベースは出不精のキャナールでも見たことがあるような、ポピュラーな貴族のサロンである。


 しかし、内装や家具などはキャナールが見たことないような異国情緒があるものだった。不思議なのは、異国情緒があるのに、同時に懐かしさや親近感もあるということだ。それが、本来、生きとし生ける者の敵である魔王の司るダンジョンにいるという背徳感と相まって、特殊な精神的高揚をもたらすのだ。


 一言でまとめるなら、それは、遊び心と上品さを両立した優雅な空間だった。


 さすがは王宮でも最もハイセンスと言われるローザが勧めるだけある。


 キャナールにも、ようやく妻の言ってた『わくわく』が理解できた気がした。


 貴族たちが常識的に身に着けている礼法に従って上席と末席を判断し、キャナールたちはそれにふさわしい席につく。


 六人~八人くらいの集団に分かれて円卓を囲む形となった。


「まずはお食事に致しましょう!」


 ローザが手を叩くと、パルマが一人の給仕の少女を従えてやってきて、四角い箱を配り始めた。


(『ケガレ』か)


 キャナールは配膳をする褐色の少女を一瞥する。


 ケガレは『禍つモノ』の末裔として忌み嫌われている種族だったが、ダンジョンにいる分には違和感はなく、むしろ雰囲気作りに一役買っているようにさえ思えた。


 箱の中からそこはかとなく食欲をさそう香りが漏れてくる。中には料理が入っているのだろう。


 これは素直に楽しみだ。


 何より、タダであるというのがいい。


 会食に関わる費用全てはローザ持ちだから。


「飲み物はそれぞれお好きなものを頼んでくださいまし」


 次いで飲み物の名前が羅列された紙が配られる。


「ダンジョンにある魔王風情の店にしては、随分と種類が多いな。見慣れない酒もたくさんある」


 王侯貴族の晩餐会に招かれても、これだけの種類の酒を備えていることは少ない。


「ええ。ローザ様が投資していらっしゃるのでしょう。必要なものには出し惜しみなさらない剛毅な御方ですから」


 妻が嫌味っぽく言った。


 吝嗇なキャナールをあてこすっているのだろう。


「ああ、君、この果実酒を頼む。妻にも同じものを」


 キャナールは何も聞かなかったようなふりをしつつ、メニュー表の値段を見て、高過ぎず低すぎない酒をケガレの少女に注文した。


 キャナールの心情としてはどうせタダなのだから一番高い酒を味わってみたかったが、自分より高貴な貴族たちより高い値段の酒を頼む訳にもいかない。


「かしこまり、ました」


 少女が一礼してはけていく。


 やがて、酒が全員に行き渡ると会食が始まった。


 重厚な箱の蓋を開く。


 肉と野菜と主食がバランスよく配置されており、彩りも鮮やかで食欲をそそられる。


(パンがないかと思えば、主食はクルメか。いかにも新しいもの好きの第二王女らしい)


 宝石のように輝く白い粒を見て思う。


 インベア国は基本的に粉食であるが、最近の領土拡大で、征服地から徐々に粒食の文化も流入していると聞いている。


 キャナールはフォークを握り、まず馴染みのある肉に手をつけた。


(うまい うまいぞ! なんだこれは!)


 舌の上で油がほどけていく。


 肉は噛むというよりも、舌で『溶かす』かのような柔らかさであり、今までキャナールが食べてきたような靴底のような硬い肉とは雲泥の差だ。


 キャナールは次いで、グラスに入った赤い果実酒を口に運んだ。


 ほのかな酸味と深い苦みが、さらに料理を味わい豊かなものにしてくれる。


(これは、意外と来て正解だったかもしれん)


 派手な金使いはしないキャナールだったが、唯一美食の贅沢だけは他の貴族と同じように嗜んでいた。


 領地が主な産品が農作物なので、自然とそうなったのだ。


 屋敷を出た時の期待値に比べればはるかに良いものが提供されたので、憂鬱だったキャナールの気持ちも幾分晴れた。


 他の貴族たちも皆一様に驚いたような顔をしている。


 中には貴族の作法も忘れて早食いにはしる者までいた。


 キャナールたちから三つくらいのテーブルを挟んだ先にいるローザの周りも、大いに盛り上がっている。


「素晴らしいお味ですわね。このお肉。一体どこでとれたものですの?」


「それは私の方が知りたいですわ。何度聞いても、店主が企業秘密だと言って教えてくれませんの」


 ローザが肩をすくめて答える。


「それも当然かもしれませんわね。こんなおいしいお肉が獲れる場所がわかってしまえば、そこらへん一帯から、二つ脚も四つ脚も、肉の獲れる獣は全て絶滅してしまうかもしれませんもの」


 淑女の一人のくだらにジョークに、周りが上品に笑う。


「ですわね。ローザ様、改めて本日はお招き頂いてありがとうございます」


「皆さんにご満足頂けたようでなによりですわ。本日は私の方で料理を決めさせて頂きましたけど、このお店は事前に頼んでおけば大抵のものは用意してくれますわよ」


「まあ、本当ですの。ねえあなた。あの子の成人のお祝い、ここでしませんこと?」


「うむ。そうだな。ローザ様の通われる店ならば間違いはあるまい」


(勝ち馬には乗らねばならぬが……ローザ派の者と縁戚を結ぼうにも、私には肝心の子がいない)


 謙遜と追従の渦巻く会話に聞き耳を立てながら、キャナールは俯く。


 キャナールの気持ちは再び、暗くなっていく。


 キャナールの家は、長年中立派を気取ってきたが、近年、イリス派とローズ派によるそれぞれの自派閥への貴族の取り込みは激しさを増したおり、遠からず対立が表面化するのは目に見えていた。


 その前に、現状優勢でありそうなローザ派に属しておきたいのだが、財産も領地も家柄もそこそこなキャナールの家は取り入るにあたって使える武器が少ない。ここは貴族としては王道の政略結婚でも使いたいところだが、子どもがいなければどうしようもなかった。


(養子をとるという手もあるが……妻が許さぬだろうしな)


 はるか遠い、妻に求婚したあの日の記憶を掘り起こす。


 水の精霊の神殿で、キャナールは妻に誓ったのだ。


 『お前の子以外はいらぬ』と。


「そういえば、キャナール殿のご領地は、ブディ酒が名産でしたな。いかがですか、ご自分の領地のものと比べて」


「そ、そうですな、うちのは白いブディ酒ですから、何とも申し上げられません。ブディ酒も白いのと赤いので色々使い道が違いまずから」


 対面していた貴族からいきなり話しかけられたキャナールは、しどろもどろに答えた。


 キャナールは社交術というやつがあまり得意ではない。


 キャナールは生来人見知りする方である。


 同じ貴族とはいえ、あまり仲の良くない人間とは何を話して良いか分からなかった。


「夫が申し上げたかったのは、白いブディ酒は肉ではなくて、魚の方が合うということです。確か、プーレ様のご領地にはご立派な湖がございましたよね? 今度お互いの名産品でももちよって食事会でもいかがですか?」


 妻が助け船を出すようにキャナールの言葉を継いだ。


「おお、それは素晴らしいですな。その際には、我が領地自慢のレインボーフィッシュを持参致しましょう。いかがかな、キャナール殿」


「ええ。是非」


 キャナールは頷く。


 おしゃべりな妻の横で頷き人形に徹している内に時間はすぎ、皆の食事が大方終わったところを見計らったように、デザートのケーキが出てきた。セットでかぐわしい香りのする茶も出てくる。


 それらの味も素晴らしかったが、それよりもキャナールが感心したのは、茶が注がれたカップの方だった。


「美しい器ですわね。まるで、ユニコーンのたてがみのような透き通った純白で」


「ああ。敢えて魔法を使っていないというところが良い」


 キャナールはカップの滑らかな感触を楽しみながら頷く。


 キャナールはシンプルな方が好みだった。


 最近の貴族社会は、服につけ、日用品につけ、華美に走り過ぎていたと思う。


 まだ保温や冷却の魔法が付与された器というならば機能性もあろうが、持つと潮騒の音が流れるコップだの、光の魔法で表面に家紋が描き出される皿だのに凝るのは、愚かだ。


 挙句の果てに、その機能を維持するために魔法使いに多額のメンテナンス費用を取られるのはもっと馬鹿らしい。


 そんなことを考えながら、キャナールは食後の一服を楽しんだ。

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