第67話 ☆twelfthvisitor バージンブルース(2)

 バジーナは光神様に挨拶代わりの祈りを捧げてから、長椅子の端にちょこんと腰かけて、足をプラプラさせながら、ページをめくる。


 舞台は、貴族の子女が通う、男子禁制のお嬢様学校、聖マグダラ学院。


 いや、学校というよりは、むしろバジーナが運営しているような修道院の方が近いイメージかもしれない。


 彼女たちが信奉する宗教も、光神教とは違うがよく似ている。


 大陸から生まれた光神教が、色々変節して遠くの島国に伝わったのだろうか。


(中々おもしろそうじゃない)


 バジーナは息を呑んで、更に文字を追っていく。


 主人公は、庶民出身の少女、ユリカ。ユリカは、成金の父親の見栄から、行きたくもない聖マグダラ学院に入れられる。しかし、ユリカはその出自故、疎ましがられ、周囲と馴染むことができず、また本人も望んで進学した訳ではないため、全ての物事に対してやる気がない。


(そういえば、私にもそんな時代があったわね)


 バジーナははるか昔の記憶を思い出し、遠い目をする。


 生まれながらに強大な魔力を有する精霊と人間のハーフは、微妙な立場に置かれた存在である。


 ある所では神の遣いのように崇め奉めたてられたかと思えば、またある所ではこの世にあってはならない忌み子として迫害される。


 旅芸人だったバジーナの母親は、そんな娘を持て余し、光神教の修道院の前に捨てた。


 仕方なく修道院で暮らすことになったバジーナだったが、当初はこの世の何もかもが信用できなくて、反抗的で怠惰な態度ばかり取っていたように思う。


(って、物思いにふけっている場合じゃないわね)


 バジーナは再び物語へと没入する。


 ただでさえ蔑視されやすい出自の上、なにかにつけてクラス的行事に非協力的で怠惰なユリカは、同級生から苛烈なイジメの標的にされる。


 ある日耐えきれなくなったユリカは人生を悲観し、身投げしようと学校の敷地内にある教会の尖塔に登るが――なんとそこには先客がいた。しかも、その人間は、マグダラ学院の事情に疎いユリカでもしっている、超有名人――生徒会長レンゲだったのだ。


 もし先にレンゲに自殺されてしまえば、警戒が厳しくなって自分が自殺できなくなる。そう考えたユリカはレンゲの自殺を止めに入り、彼女と取っ組み合いの喧嘩になる。


『家柄も、人望も、容姿も全部もってるあんたが、どうして自殺なんかするのよ!』


『分かっていらっしゃらいないわね。何でも持っているということは、何も持ってないということと同じですのよ』


『言葉遊びで誤魔化さないで! いらないんだったらあんたの持ってるもの、全部私に寄越しなさい!』


『いいわ。ならあなた、私のスールにおなりなさい。私の全て受け継がせてあげる』


(くすっ。ここはさすがに作り物のお話しって感じね。――でも、スールはいいものだわ)


 喜劇じみたやりとりに、バジーナは忍び笑いを漏らして思う。


 バジーナのスールは、先代の第五使徒である、獣人の女性だった。


 といっても、バジーナと彼女は、この物語のように運命的な出会いから義理の姉妹関係を結んだ訳ではなかった。


 魔法の才能に驕り、好き勝手に振る舞うバジーナを扱いきれなくなった教会が、彼女に教育役を押し付けたという現実的な理由から、強制的にスールを組まされたのである。


 彼女は強く、厳しく、そして、優しかった。


 内臓をぶちまけるような彼女の激しい一撃も、気絶したバジーナを抱き上げる彼女の陽だまりよりも熱いぬくもりも、全て身体が覚えている。


(ま、そんな展開をこのお話の中で見せられても困るけどね)


 レンゲと誰にも言えない秘密を共有し、彼女のスールになった生徒会に加わったその日からユリカの生活は一変する。今まで誰もスールにしなかったレンゲの突如に奇行に、ユリカは全校中の注目の的になり、いじめは止んだ。代わりにものすごいプレッシャーがユリカを襲うこととなるが、彼女は持ち前の負けん気で努力を重ね、学院の生徒にふさわしい振る舞いを身に着けて、学院に起こる様々な問題を解決していくことになる。


「あの、バジーナ様。ハーブティーを入れましたが、召し上がりますか?」


「ありがとう。そこに置いといて」


 バジーナはそう言ったものの、カップには手をつけることなく、読書を続けた。


 悔しいけれど、魔王の持ってきた本はおもしろかった。


 大げさに強調された幻劇と違い、繊細かつ濃密な心理描写は自然で違和感がなく、水が土に染み込むように自然とバジーナの心に染み込んでくる。


(む、む、む。ギリギリね。本当にギリギリをついてくるわね)


 軽いキスやハグのシーンはある。


 光神教の教え的には場合によっては発禁にしなくてはいけないような危うい描写だが、しかし、きちんと内容を読み込んだものなら、あくまで文章を書いた目的は、卑猥な性欲を喚起する目的ではなく、女性同士の精神的な愛情の交感を描いたものだと分かる塩梅になっている。


(これじゃあ魔王の思い通りだわ。……む、む、む。でも、やめられない!)


 魔王がこの作品を自分に勧めてきた意図が分かった。


 この作品を認めれば、魔王の『人によって卑猥と芸術の主観は異なる』という主張を許すことになる。これはそういった性質の物語だ。


 魔王のやり方は気に食わないが、バジーナは使徒である。


 自分の心に嘘はつけないし、ましてや魔王に嘘を言う訳にもいかない。


 バジーナはは無心で本を読み進めていく。


 一冊が二冊、二冊が三冊、三冊が四冊になり、四冊が五冊になる。


 数々の困難の果てに、ついに史上最高の生徒会長とまで言われたレンゲと同等の実力を身に着けたユリカは、在校生代表として、卒業式で送辞を送る大役を任される。その前日、これまでの礼を述べようと、レンゲの部屋を訪れるユリカだったが、そこに当のレンゲの姿はなく、荷物も空っぽになっている。


 残されているのはただ一通の手紙だけ。中身を読んだユリカは、そこで初めて、レンゲが不治の病を抱え、余命幾許いくばくもない身だったことを知る。


 あの教会の尖塔でレンゲが死のうとしていたのは、トップでいることのプレッシャーに耐え切れなくなったからなどという軟弱な理由ではなかったのだ。


 今まで築き上げた人脈でもって、なんとかレンゲが入院している病院をつきとめたユリカ。そこで、ユリカはレンゲが成功率の著しく低い手術に臨もうとしていることを知る。


(手術って何よ。――まあ、難しい儀式みたいなものかしら)


 バジーナは適当に読み換えて話を追った。


 くしくもレンゲの手術と、卒業式の日取りは重なっている。


 もう二度と会えないかもしれないレンゲに一目会いたいと思うユリカ。かといって、面会のために卒業式をすっぽかせば、ユリカは自身へのレンゲの信頼を裏切ることになる。


 迷った末にユリカが下した決断は――。


 バジーナは手に汗握りながらページをめくる。


 この巻はそこで話が終わっていた。


(どうするの!? ユリカ!)


 バジーナは結局、スールの死に目に会うことができなかった。


 もちろん、この話みたいにドラマチックな出来事はなかったが、獣人の寿命はヒューマンのそれよりも短く、精霊とのハーフであるバジーナと比べればさらに短く、別れがやってくるのは必然だった。


 彼女から第五使徒を引き継いだバジーナは当時忙しく、遠地に説教に赴いていた。遠地の教会で先代が風邪を引き、容態がおもわしくないとの報を受けたが、それでもバジーナは戻らず、主の使命を優先した。


 その時の決断を後悔はしてないが、今でも時折、もしあの時戻っていたら、先代は自分になんと声をかけてきたのだろうともやもやすることはある。


 この本をの続きを読めば、バジーナの胸のむかつきを解消する答えが載っているだろうか。


(早く続きを……)


 次巻を取ろうと伸ばしバジーナの手が空を切った。


「って! なんでここで終わりなのよ!」


 バジーナは思わず立ち上がって、そう叫んだ。


 魔王から受け取った巻はそこで途切れていた。


「ば、バジーナ様!?」


 ノーチェが目を丸くしてこちらを見る。


「ちょっと魔王のところ行ってくる!」


 そう言い残して教会を飛び出たバジーナは、魔王の下に走る。


「ちょっと魔王! 早く続きを出しなさいよ!」


 厚紙の台を叩いて、ぼーっと店番している魔王にそう催促する。


「ない。それで既刊は全部だ」


 魔王が欠伸一つ、無情な答えを返してくる。


「う、嘘でしょ? じゃあ続きはいつでるのよ! 今一番いいところなのに!」


「さあなー。俺は作者じゃないからわかんねえよ。でも、この作者は遅筆な傾向にあるからな。数年単位で待つしかないんじゃね?」


 魔王が意味ありげに口角を釣り上げてとぼける。


 まさか。


「あ、あんた。始めからわかっていて私に未完の作品を寄越したわね」


 バジーナは愕然として唇を噛みしめた。


 魔王にはめられた。


 わざと続きが気になるような作品をバジーナに渡したのは、きっと追及を先延ばしにするためだ。少なくとも『マグダラさまは知っている』が完結するまでは、バジーナが魔王に手を出せないようにする思惑があるに違いない。


 さすが魔王らしい奸智である。


「そう勘繰るなよ。俺は純粋に一番お前が楽しめそうな物語を提供しただけさ。で? 結局どうなんだよ。その作品は卑猥か? それとも芸術か?」


 魔王が結論を催促してくる。


「芸術よ! 間違いなくこれは芸術だわ!」


 バジーナはやけくそ気味に叫んだ。


「じゃあ、俺の商売は問題なしな。ってことでさっさとお帰りください」


 魔王がそう言って出口の方を指し示す。


「ま、待ちなさい。あんたこの感じだとまだ他にも色んな作品を隠し持ってるでしょ! さっさと出しなさいよ!」


「『満足したら、もう二度と口を出さない』って本を渡す前に約束したよな?」


 バジーナの催促に、魔王がうんざりしたように言った。


「むー。じゃあ、私が個人的に客としてこの店に来るわ! だから他のも見せて。それならいいでしょう!」


「それはいいけど、お前、個人的に使える金を持ってるのか? 客っていうからには、今度から本を見せるのにも金取るぞ」


 魔王が訝しげに言う。


 確かに痛いところを突いてくる。


 バジーナは清廉潔白を旨とする使徒なので、もちろん私有財産などないし、財政的な基盤も持っていない。


 ティリアに頼めば何とかなるかもしれないが、光神教徒全体が民力回復に努めてる今、こういった娯楽作品にまで財源を裂く余力はあまりないだろう。


 しかし、バジーナとしては大変な今だからこぞ、光神教徒たちにも娯楽が必要だと思うのだ。


 ならば――、あの方法を使うしかない。


「お金は私が自分で稼ぐわ! 『マグダラさまは知っている』を私の運営している修道院の娘たちに写本させて、貴族とか商人に売るの。そのお金で新しい本を見せてもらうわ」


 元々、修道院の仕事には、字の読める貴族や商人向けの宗教的な書物を写本が含まれている。


 本を複製することは比較的容易だろう。


「『マグダラさまは知っている』は門外不出だって言っただろう。勝手にパクるんじゃねえ」


 魔王が不快そうに顔を歪める。


「むー、じゃあ、メインの筋だけ同じにして、文化的なところは私たちの大陸でも理解しやすいように書き換えましょう。情報的に出したらまずいところは、あんたにチェックさせてあげるから」


 バジーナはそう提案した。


 どちらにしろ、あまり教養のないものには『マグダラさまは知っている』は文化的な差異が大きすぎて理解できないだろう。


 詩人とか講談師が話して、民衆にも楽しめるような物語にするには、多少手を加える必要がある。


「細かい条件次第だけど、まあ、それならいいか」


 魔王が頷く。


「約束よ! じゃあ、後のことはノーチェに言伝ことづてさせるわ!」


 バジーナはそう言い残して、教会へと戻っていく。


(久しぶりに先代から貰った手紙でも読み返してみるかなあ)


 バジーナは読書でこった身体をほぐすように大きく伸びをしながら、そんなことを思う。


 光神教徒は建前として、死を憂わない。


 敬虔な信徒の死は、光神様の司る天国へと召される祝福であり、悲しむことではないからだ。


 死者は葬送の魔法によって魂の器たる身体ごと天に送るので、旧教のような物理的な意味での墓も存在しない。記憶すべき偉人はただ教会史に、名前と功績が刻まれるのみである。


 しかし、今日くらいは、彼女のために心の時間を割きたかった。

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