第66話 ☆twelfthvisitor バージンブルース(1)

「私は光神教第五使徒のバジーナよ! 今から、抜き打ちの『色欲』の大罪度チェックをするから、神妙にしなさい!」


 バジーナはそう言って、魔王ジューゴに神槍を突きつけた。


 いかにも好色そうな顔をした男だ。


 というより、バジーナには男のほとんどが好色そうに見えるのだ。


 色欲というのは、その性質上、男の方が犯しやすい罪であるから、警戒するのは当然である。


「ああ? チェックってなにすんだよ」


 魔王が気怠そうに頭を掻く。


「まずはあんたが周りの婦女子に不埒なことをしてないかを確かめるわ! もし違反してたら、即刻虚勢よ! 虚勢!」


「ふーん。別に俺にはやましいことはないから好きにしろよ。で、どうやってやるんだ? 女の従業員一人一人全裸に引ん剝いて処女検査でもするか?」


 魔王がからかうように言う。


「そんなことしないわよ! 全くこれだから男は、不埒な発想ばかりして! いやらしい! 私には純潔の使徒として、光神様から生きとし生ける者の貞操を証明する魔法の行使を許されてるんだから! それを使うの!」


「魔法でねえ。じゃあ早速やってみせてくれよ」


「もちろんそうするわ! ノーチェ! まずはあなたからよ! 光神教徒の清廉さを見せつけてやりなさい!」


「はい。かしこまりました」


 ノーチェが祈るように手を合わせて瞳を閉じる。


「いくわよ! ジャッジメントリーリエ!」


 バジーナは槍の穂先で空中に魔法陣を描いた。


 白く光り輝くその円陣がノーチェの身体を包み込むと同時に、バジーナは自身の頭皮にじんわりとした熱量を感じる。


「いかがでしょうか?」


「合格よ! まがうことなき純白だわ!」


 バジーナは三つ編みにした髪の一束を掴み、その色を見て、満足げに頷く。


 バジーナの桃色の髪は、今や白く変色していた。


「ふう。そうですか。安心しました」


「ノーチェ! えらいわよ! さすがは私の弟子ね!」


 バジーナはノーチェに抱き付いて、その頭を撫でる。


 ちょっと前まで、バジーナの半分ほどしかなかった赤子が随分と立派に成長したものだ。


 柔らかい胸の感触に、バジーナは母親のような感慨と幼子のような安心を覚えていた。


「要するにあんたの髪の色が白だったらセーフってことか。じゃあアウトだったら黒になるのか?」


 魔王がぞんざいな口調で尋ねてくる。


「そういうことよ! さあ、魔王、覚悟はできたかしら。悔い改めるなら今のうちよ!」


「いいから、さっさとやれ」


 魔王が早口で急かす。


「いい度胸じゃない! いくわよ! ジャッジメントリーリエ!」


 バジーナの詠唱に、再び現れた円陣が魔王の身体を覆う。


「……バジーナ様、これは、どちらでしょう」


 ノーチェが困惑したように呟いた。


「そうね……」


 バジーナは髪の色を確認してから腕組みして考え込む。


 白とも黒ともいえない、微妙な色であった。灰色か、クリーム色か、人によって意見が変わりそうな配色である。


 光神教徒なら、間違いなく不信心のそしりを免れないだろうが、非信徒の成人男性のヒューマンを基準にかんがえると、これでもマシな方といえるかもしれない。


(今までの私だったら、躊躇なく罰を与えてたんだけど、最近、『終末の予型』で光神様からお叱りを受けたばっかりだし……)


 バジーナは厳格な男女の交わりの遮断と徹底的な戒律の遵守こそ御心に適うと思っていたのだが、どうやら厳しすぎたらしい。


 ここで極端な行動に出るのはよくないだろう。


「とりあえず処刑は勘弁しておいてあげるわ! でも、純白じゃないってことは少なくともあんたには改めるべきことがあるってことよ! ティリアから報告を受けているわ! 魔王ジューゴ! あんた、卑猥な幻劇が見られるマジックアイテムとか書物とかを提供して、冒険者たちの色欲を煽ってるらしわね!」


 バジーナは魔王を咎めて言った。


「卑猥っていうのはティリアの主観だろ。俺が提供してるのはいずれも、人間のこらえきれない劣情の罪深さを描いた、立派な芸術作品だと思っているんだが?」


 魔王は反省の色もなく、平然とそう嘯く。


「そんなの詭弁よ! 他人の色欲を無用に喚起するようなものが、まともな作品であるはずがないわ。ねえ、ノーチェもそう思うわよね」


 バジーナはノーチェの腕にすがりついて同意を求める。


「すみません。私はその幻劇を観たことがないので何とも申しかねます。『危うきに近寄るべからず』と昔、バジーナ様に教わりましたので」


 ノーチェが申し訳なさそうに視線を伏せて言った。


 確かに、昔そう教えたのはバジーナ自身だ。ノーチェを咎めることはできない。


「そ、そうだったわね。とにかく、人によって解釈が違うものでも、罪を犯させる可能性のある物は予防策として撤去すべきだわ!」


 バジーナは魔王に向き直って叫んだ。


「もはや論理もへったくれもねーな。じゃあ、聞くけど、お前が今、そのノーチェとべたべたしてるのは卑猥じゃないのか?」


「は? な、なに言ってるの? 私たちは同性なのよ? これは親愛の情を示す友情のスキンシップなんだから! 卑猥な訳ないでしょう!」


 魔王の言いがかりじみた詰問に、バジーナはノーチェの腰に抱き付きながら即座に言い返す。


「でも、女の子同士がべたべたしてる光景に興奮する人間もいるんだが? 他人の色情を煽るのが罪だって言うんなら、お前のその振る舞いも、時に罪になるんじゃないのか?」


「うっ。そ、それは……」


 魔王の能弁に気圧され、バジーナは思わず口ごもる。


 光神様にお叱りを受けれるまでは、いつも一方的に人を裁く側だったので、こういった議論は得意ではないのだ。


 裁判を通じて論戦に慣れているティリアがいれば、見事に魔王に言い返してくれたのだろうが。


「っていうか、お前清純気取ってるけど、もしかして異性愛に興味ないだけで、同性愛的な性欲はあるんじゃないのか。つまり、レズ――」


「そ、そんな訳ないでしょ? い、言うに事欠いてそんな失礼な言葉よく私に吐けたわね! 私は精霊と人間のハーフなのよ? 精霊と人間のハーフは異種交配の特殊な存在だから、一代限りで、子孫を残すことはできないの。つまり、私は生まれながらに性欲からは隔絶した存在であり、だからこそ純潔の使徒として選ばれた訳。そんな私がどうして、性愛の、しかもその中でもレアケースな同性愛に手を出すっていうの。下衆の勘繰りはやめてちょうだい!」


 純潔の使徒の根幹を揺るがすような疑惑をかけられたバジーナは、必死に反駁する。


 世俗の人々のように跡継ぎを残すこともできず、永遠に幼子の姿のままいる宿命を背負わされたバジーナにとって、教会で育ち、大きくなった子どもたちは、娘であり、時に母でもある。


 普通の家庭が与えられるような愛情を、精霊という特殊な親を持つバジーナは与えられなかった。


 それ故に、家族的な触れ合いを求めて時に過剰なスキンシップをとってしまうこともあるかもしれないが、そこに性欲は一切介在してないのだ。


「ふーん。どうでもいいけど、急に饒舌になったな。お前」


 バジーナがひねり出した言葉を魔王が鼻で笑う。


「う、うう……。ノーチェ! 魔王がいじめる! 何とか言ってやって!」


 バジーナはノーチェの胴体にだっこをせがむ幼児のようにしがみついて、助けを求めた。


 ノーチェは元々バジーナの運営する修道院にいたから、バジーナの気持ちもよくわかっているはずだし、同時にティリアの下で修業もしているので、弁も立つはずだ。


「ええっと……、そうですね。では、こうしたらいかがでしょう。魔王が本当に卑猥目的じゃなくて、芸術を称揚することを目的に種々の作品を頒布しているのなら、きっとバジーナ様が満足されるような作品も用意できるはずです。もし、バジーナ様が満足できず、魔王が卑猥目的の低俗な作品しか用意できないのであれば、彼の芸術目的での作品の頒布という証言の真実性は危うくなります」


 ノーチェが一瞬考えてから、そう提案を口にする。


「いい考えだわ! さすがは私の見込んだ子ね!」


 バジーナはノーチェの胸に頬をこすりつけて称賛する。


「なにか? つまり、俺にそこのチンチクリンの気に入る観賞用の作品を提供しろってか?」


 魔王が眉を顰めて問う。


「そうよ! もしあんたに後ろ暗いところがないっていうんだったら、受けて立ちなさいよ!」


 バジーナはノーチェに抱き付いたまま、魔王の方をキッと睨みつける。


「はあ。いいだろう。その代わり満足したら、もうこの件では二度と口出ししてくんなよ」


 魔王が肩をすくめて頷く。


「約束するわ! でも、覚悟しておきなさい! 私は検閲のために何百冊もの本を読んできたんだから! 合格ラインは厳しいわよ!」


 バジーナはノーチェの身体から離れ、魔王の顔を昂然と見上げる。


「はいはい。んじゃちょっと待っててなー」


 魔王が軽い調子で言って、奥に引っ込んでいく。


 性欲にまみれた男の、しかも魔王が選んだような作品が、使徒の自分を満足させられるはずがない。


 バジーナはそう高を括る。


 やがて、戻って来た魔王の手には数冊の本があった。


「これだ」


 魔王がバジーナに本を手渡して言う。


「『マグダラ様は知っている』。これが題名ね?」


 表紙には教会のようなところで跪いて祈るかわいらしい少女と、その少女を愛おしげに見つめる別の年嵩の少女の姿が描かれていた。


 その絵を見た瞬間、バジーナの胸の奥に、むずむずと疼くような感覚が走った。


 こそばゆいような何ともいえない感覚だ。


「そうだ。これは本当は門外不出の秘伝書なんだけど、お前がお偉い使徒様だというから、特別に見せてやるんだからな。満足する、しないに関わらず、内容は口外しないと約束してくれ。それから、俺の故郷は、お前らの国から遥か遠い、ダンジョンでも繋がれてない周囲から隔絶された辺境の島国なんだ。だから、お前たちとはかなり文化的な差異がある。そこらへんは考慮して読んでくれよな」


 魔王が真面目くさった顔で仰々しい物言いをしてくる。


「わかったわ」


 バジーナは納得して頷いた。


 表紙の絵に、バジーナの知っている教会に比べてどことなく違和感があるのはそのせいか。


「では、バジーナ様。教会においでになりますか? ここでは落ち着いて読書に勤しめないかと存じますが」


「そうね。移動しましょう」


 ノーチェの提案に頷いて、バジーナはきびきびとした足取りで神の家へと移動した。

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