第56話 ☆tenthvisitor 七人の使徒(4)
「ティリア様! 全ての信徒に食事が行き渡りました! 聖都中が喜びで満ち溢れています!」
聖堂に戻ってきたシセロが、喜色を浮かべた顔でティリアに告げる。
「そうか。では、そろそろ私たちも光神様のお恵みを頂くとしよう。シセロ。あちこち走らせてすまないが、他の使徒たちを集めてきてくれ」
自分たちの空腹は後回しにして、信徒たちへの奉仕に勤しんでいたティリアは、聖堂に溢れる菓子を籠に集める手を休め、ようやく一息をつく。
「かしこまりました! あ、そうでした。ティリア様に御届け物が届いております! ダンジョンにティリア様が創られた教会からの使者が、先ほど聖都に到着しまして」
シセロが紐で肩にかけていた青い箱を、ティリアに差し出す。
「その箱、見たことがあるな。……まさか、差出人は魔王ジューゴからか?」
ティリアは受け取って青い箱を開く。中にはさらに白い紙の箱が入っており、その中には、初めて魔王ジューゴのダンジョンを訪れた時に見た菓子が入っていた。
確かケーキとかいう名前だったが、今回ものはあの時よりも種類が多い。
「いえ、ノーチェさんからティリア様への戦勝のお祝いだそうです。これをダンジョンの教会に捧げたのは、確かに魔王ジューゴだそうですが」
さきほど、ティリアは使徒にのみ許された魔法を使って、この度の顛末を聖都以外の各地の教会にも報告したので、それがまずノーチェに伝わり、彼女を経由して魔王ジューゴにも伝えられたのだろう。
「そうか。私は賄賂は受け取らないぞ。魔王から買い取った捧げ物を主に捧げたからと言って、彼らと慣れ合うつもりがある訳ではない。癒着が生まれれば、メリダ派のように堕落する原因となる」
ティリアはきっぱりとそう答えた。
これから教会を動かす立場になるティリアに、様々なものが取り入ってこようとするだろう。
警戒しなければならない。
「しかし、ノーチェさんの話だと、一応、教会に無償で寄進されたものだそうですので。ノーチェさんは正式に、供物として受理されてしまったようですし」
シセロは困ったように呟く。
純粋なノーチェのことだ。おそらく、政治的配慮もなしに、魔王の口車にのって供物を受け取ってしまったのだろう。
『奇跡に感動した。俺も光神様にささやかな捧げ物をしたい』
『あなたもやっと光神様の偉大さが分かりましたか!』
そんな二人の会話が目に浮かぶようだった。
「ふむ。ならば受け取るほかないか……。しかし、どうしたものだろう。今日の神への供物はもう捧げてしまったし、民に配るには数があまりも足りない。高級な菓子のようだが、あまり長持ちするものでもなさそうだ。どう処理すれば公平だろうか」
「で、あるならば、ティリア様がお召し上がりになったらいかがでしょうか」
シセロが他意のない調子で呟く。
「なぜだ?」
「生きとし生ける者は、成し遂げた仕事にふさわしい報いを受けるべきであるというのが、主の教えです。ならば、今この聖都にいる中で、一番、主に大して骨を折られた人物が、この捧げ物を食べるのがふさわしいと思われます」
「うむ……。シセロの言葉は確かに筋が通っているが……」
確かに、シセロの言葉に論理的には矛盾はないし、謙遜したとしても、今回の『終末の予型』を指揮したのがティリアであることは否定できない事実だ。
ティリアはケーキを前に、唾を呑み込む。
「あら! それでは、これは私のものですわね」
突如、後ろひょいっと差し入れられた手が、ティリアの前からケーキを奪い去る。
「……生きていたか。ローザ。主の怒りに滅ぼされたかと思ったが」
ティリアは振り返り、横目でその強奪者を見つめた。
『世俗の腕』の中の一人、いや、代表者とでも言うべきその女が、左手の袖で鼻から垂れる血を拭い、右手で持ったケーキを大口で豪快に喰らっていた。
ローザの、先ほどまで気絶していたとは思えないその貪欲なふるまいに、ティリアは閉口する。
「ふふふ、そう簡単に死んでたまるものですか! 危うい賭けでしたが、私は勝ちましたわ! 『終末の予型』を生き延び、なおかつ奇跡の体験者となったんですもの! ばっちり箔がついて、これで私の王宮での立場もベビードラゴン昇りですわ! おーほっほっほ」
ローザは勝ち誇ったように高笑いする。
「……主の前だ。慎め。それ以前に、今のお前の振る舞いは、一国の王女としてもふさわしくないぞ」
ティリアはたしなめる。
「構いはしませんわ。どうせ私以外の『世俗の腕』の方々は死んだか、まだ気を失っているのですから問題ないでしょう。彼らが目覚めたら、また、きっかりきっちりと王女にふさわしい私に戻って差し上げますわ!」
ローザは傲岸不遜にそう言い放つ。
「ローザ様、どういうおつもりですか。確かにあなた様は高貴な御方ではありますが、ティリア様を差し置いて供物を食していいほどの功績はないのでは?」
見かねたようにシセロが口を挟む。
「なにを申しておりますの? 私の協力なしに、この度の『終末の予型』が成功したと思って? あなた方がメリダ派に知られずに事が運べたのは、私が情報工作に努めたおかげですのよ」
「なんと申されても、実際に命を賭けられたのはティリア様です」
「もー、シセロさんは私のメイドのパルマ並に口うるさい御方ですわね。なら、半分差し上げますわ」
ローザが食べかけのケーキをティリアに差し出してくる。
「いや、結構だ。魔王からの供物など欲しければくれてやろう。私は、他の信徒たちと同じ物を食べ、主の福音の喜びを分かち合う方がいい」
ティリアはそう言って首を振る。
ローザが勝手にケーキを食べてくれたおかげで賄賂を受け取らずに済んだのだ。かえって感謝したいくらいである。
「やせ我慢はよろしくなくってよ。食べられる時に、一番おいしい物を食べるべきですわ。機会は逃さずとらえなくては」
「……貴様は、魔王ジューゴと同じようなことを言う」
「そうですの。その魔王とは気が合いそうですわね。んんー! それにしても本当に美味しいですわね! これ! 何というお菓子ですの?」
ローザは菓子を食べきると、鼻を抜けるような甘い声で問う。
「白々しいことを言うな。本当は知ってるんだろう。ノーチェの話では、奴はエヴリア商会の所属したそうだ。商会の大出資者の一人である貴様が、あれほどの裕福な人間の存在を知らぬはずがない」
ティリアはローザに疑惑の目を向ける。
「嘘ではありませんわよ。商会にどれだけたくさんの人間が所属していると思っておりますの。いちいち木っ端魔王の事情まで把握してる訳ないでしょう」
ローザが心外だとばかりに唇を尖らせる。
「本当か? あれほどのマジックアイテムや商品を惜しげもなく客に提供できる人間となるとかなり限られてくると思うが」
あの魔王は、少なくても、市井ではあまり見かけないような品ばかり扱っていた。貴族か、大商人か、そうでなければ別の大陸の人間だとしか思えないのだが。
「……そこまでおっしゃられると、なんだか、俄然、その魔王に興味がわいて参りましたわ。どうせ汗臭い冒険者向けの低俗な品ばかりを扱っている店だと思って、大して気にしておりませんでしたけど、このような高級品も提供できるとなると話は変わってきますわね」
ローザはそう言って、クリームのついた指を舐める。
「……やっぱり知ってるんじゃないか。神の家で嘘をついたな。貴様」
ティリアは拳を握りしめる。
語るに落ちるとはこのことだ。
「おほほほ、失言でしたわ。実は、少し前におもしろい商品を扱う魔王がいるという話を小耳にはさんで、私も商会経由でいくつか取り寄せてみたのですけれど、やたら味の濃いだけの菓子やら、金属の箱に入った変な臭いのする魚やら、庶民の馬鹿舌は騙せても、王女の私にとっては微妙なものばかりだってので、すっかり興味をなくしていたんですの。ですから、このお菓子のことを知らなかったのは本当ですのよ。悪しからず」
ローザはそう言って、誤魔化すように笑う。
「……もういい。貴様の口から真実が出ることなど、私はもはや期待していない。主がお前を滅ぼすかと思っていたが、生き延びたということは、貴様をなにかしら世界にとって良い影響がある存在であると、光神様が判断されたのだろう。せいぜい、その御心を裏切らないように励め」
ティリアの目線からすれば、ローザはいくつもの大罪を犯しているのであるが、それでも他の権力者に比べればマシだから、彼女を『世俗の腕』を説得する交渉の窓口として選んだのも事実だ。
この世の不義は、今日、明日で正せるような簡単なものじゃない。
地道に努力していくしかないのだろう。
「承知しておりますとも。とりあえず、あなたがダンジョンに創った教会にお参りして、私の信仰心を証明させて頂きますわ」
ローザは淑女然とした微笑みを浮かべ、祈りの仕草をする。
「そんなこと言って、本当は魔王の店を冷やかすのが本題だろう」
「ひどいことをおっしゃりますのね。公平の使徒ともあろうあなたが、先入観で判断するのはよろしくありませんわ」
ローザは儚げにそう言って、瞳を潤ませる。
嘘泣きくらい、この女にとっては息をするように簡単なことだ。
「積み重ねがある。今までの貴様の行いに鑑みて公平に判断すると、そういう結論に達せざるを得ないのだ」
ティリアはきっぱりと言う。
裁きに偏見は許されないが、かといって過去の行いが全く勘案されない訳でもない。
それが真の公平だ。
「これは手厳しいですわね。ともかく、政治的にも、個人の興味としても、今後、魔王ジューゴの店は重要な拠点になりそう予感がしますわ。これは一度、訪れてみる必要がありそうですわね」
ローザは肩をすくめ、一転、たくらむような含みのある笑みを浮かべて言った。
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