第55話 ☆ tenthvisitor 七人の使徒(3)
とても目を開けていることができない超越的な神の威光に、ティリアは瞳を閉じる。
ゴーン! ゴーン! ゴーン! ゴーン! ゴーン! ゴーン! ゴーン!
七つの鐘が鳴り響く間、光はその勢いを衰えさせることなく膨張を続け、ティリアの網膜を焦がす。
強烈な嘔吐感に襲われ、ふらつきながらも、何とかティリアは直立したまま、祈りの姿勢を堅持し続けた。
やがて、鐘が止み、光が収束する。
静かに目を開いたティリアの瞳に映ったものは――
(暗雲は、晴れた)
澄み渡る蒼穹だった。
先ほどまで空を覆っていた雲は見る影もなく、今は、全ての命を育む陽光が穏やかにティリアたちを温めている。
「あらあら、結局、立っていられたのは、ティリアちゃんと私だけだったみたいね」
ティリアが視線を下げると、そこではアモーナが何とも言えないはにかみの表情を浮かべていた。
「ふむ――」
ティリアは居並ぶ使徒を見渡す。
アモーナの言う通り、儀式の開始前のようなきちんとした姿勢を保っているのは、ティリアとアモーナの二人だけだった。
比較的ダメージの少ないのは、シセロとレゾンとテムペーで、彼らは床に膝をつき、額から脂汗を流している。
「ははは、さすがは主の神罰です。生半可ではないですね」
シセロはそう言いながらも、どこかすっきりした様子で笑う。
「お前たちには、罰を受ける心当たりはあるのか?」
ティリアは今後の裁きの参考にするために、そう問いかける。
「自分の罪は明らかです。もっと早くメリダ派の不正を正すべきであったのに、それをしなかったことの責を問われたのです。自分は使徒という重責にありながら、表面的な治安を守るという小義にかまけ、民の心を守るという大義をないがしろにしていたのです。その罪を思えば、主がこの程度の罰で赦してくださったのは、まこと寛大というべきでしょう」
シセロはそう言って、自戒するように俯く。
「……シセロに同じである。今でも個人としては完全な節制を実現したと自負しているが、使徒ならば、世界の均衡についても想いを馳せるべきであった。秤がメリダ派に大きく傾いているのを知りながら、慎みの名の下に行動を起こさなかった愚を、主が厭われた」
レゾンは相変わらずの呟くような小声で、ぽつぽつと反省を口にする。
「ボクもおそらくそういうことだろうね。寛大を言い訳にして民の苦しみを前にして動かなかったことを、主は怠惰と見做されたのだろう。その点、アモーナとティリアはさすがだね」
テムペーがティリアたちを称賛するように手を叩く。
「いや、そんなことはない。私も今まで味わったことのないような吐き気に襲われて、立っているのがやっとだった。生きとし生ける者は皆、罪人なのだ」
心当たりはいくらでもある。
今までやってきた無数の裁きの中に誤りがあったのかもしれないし、もしかしたら、最初に魔王ジューゴの店に踏み込んだ時に、話を聞く前に先制攻撃を仕掛けた――そんな些細な手続き上のミスを見咎められたのかもしれない。
結局のところ、誤りを犯さずに生きることができる者などいないのだ。
それが分かっただけでも、ティリアにとって、『終末の予型』を受けたことの成果としては十分だった。
「私もー。かなり苦しかったですよー。主の神罰にはー、ヒールもキュアも効き目はありませんからねー」
アモーレは涼しい顔でそう白状する。
魂を直接傷つける光神様の一撃は、小手先の回復魔法で癒せるものではないのだ。
だからこその神罰である。
「そうですね。我らは皆未熟者です。……とはいえ、やはり程度の差はありますね」
シセロが、彼よりも被害の大きい二人を見遣って言う。
「ううううう! 気持ち悪いいいいい! 頭痛いいいいい! どうしてえええええ! 私は純潔を破ったことも、部下に破らせたこともないのにいいいいいいいいいい。なんでえええええ」
バジーナは頭を抱えて床を転げ回る。
「うーむ。逆にバジーナの場合は厳しすぎたのではないか。バジーナの教会では親族であっても男との面会を禁止していただろ。あそこまでいくと正直行き過ぎだと思うぞ」
「だ、だってえ! 教会の子で、『弟』が会いにきたとかいって、男と面会していた嘘つきがいたんだもおおおん! 仕方ないよおおお!」
「それは個別で対処すべき事案であって、全体を一律に締め付けるべき案件ではないのではないか」
「私もー。そう思いますー。色欲は罪ですけどー、あまり行き過ぎたらー、生きとし生ける者が先細りで滅びてしまいますよー。愛を大切にー」
ティリアの意見に、アモーナが賛同する。
「ううううー! そっかあああああ! ごめんなさあああいいいい! 光神様ああああ!」
バジーナが悔悟の念と共に、慟哭する。
ティリアはバジーナを哀れに思ったが、今はそれよりも悲惨な状況になっている者がいた。
「くそがっ。くそがっ。くそがあああああああああ!」
ボルカノは吐しゃ物をまき散らし、床をのたうち回る。戦闘では一度でも傷がついたことがないという伝説を持つその身体には、『
何よりも一目で分かる神罰の証は、彼の自慢だった黒い体毛の一部が剥げ、また別の一部がまだらな白に変わっていることだった。
「貴様は……言うまでもないか」
「ボルカノくんはー。明らかにー、殺しすぎですよー」
ティリアはアモーナと共に嘆息する。
「くそがっ! くそがっ! くそがっ! もう戦争はごめんだ! あれだけ汗を流してこんな罰を受けたんじゃあ、あまりにも割に合わねえ! これからは俺はダンジョンでモンスターを殺しまくる! あいつらなら、いちいち罪を犯してるかどうかなんて気にしなくていいからなああああああああ!」
ボルカノは唸るような咆哮と共に、そう宣言する。
「それは軍事権を放棄するという解釈でいいのか?」
「ああ! 俺はただひたすら神の敵と戦いたいだけだ! 別に殺すのが異教徒じゃなくてもいい! 兵士どもは、ティリアやシセロにくれてやる!」
ボルカノは息も絶え絶えに叫ぶ。
(主よ。御心の深い配慮に尽きせぬ感謝を捧げます)
ティリアの『終末の予型』を成功させた後の懸念の一つは、使徒同士の権力争いだったが、一番もめごとを起こしそうなボルカノが、その最大の権利を放棄してくれた。
これで新しい教会の運営は、円滑に進むだろう。
そして、もう一つの懸念は――。
ティリアはそこで視線を、さらに遠くに移す。
聖堂にいたメリダ派のほとんどは黒い灰燼に帰し、生き残った者も五体が無事な者はほとんどいなかった。
『世俗の腕』が被った被害は様々だったが、もっともマシな者でも、意識を有している者はいない。
いくらボルカノが罪深いといっても、やはり使徒は使徒。受けた罰はマシな方なのだ。
だが、それでも黒い中にも稀に白いカラスが生まれることがあるように、たとえメリダ派であっても全てが悪という訳ではない。
閑散とした円卓の中で、唯一意識を保っているその人物に、ティリアはゆっくりと近づいていく。
「もし、メリダ派の中で残る者がいるなら、あなただと思っていた。『記録者』ルハームよ」
年若い――といってもティリアよりはずっと年上のその青年のエルフは、何事もなかったかのように円卓に腰を落ち着けて、膨大な文字を記憶できるマジックアイテムの金属板に、ひたすらに何かを書きつけている。
「……そもそも、私はメリダ派ではない。奴らが勝手に私をそうみなしただけだ」
ルハームは金属板から顔を上げないまま、無感情な声で答えた。
「しかし、あなたはメリダ派におもねる教会史を編纂していたはずだが?」
「ふん。こんなもの。――アナラグマ!」
ルハームは呪文を唱え、杖で金属板を叩く。
すると、それまで板を埋めていた文字が瞬く間に組み代わり、全く別の意味を成す文章を変化する。
「偽装か」
「ああ。私は真実の記録以外つけない。メリダ派の悪行も、偽善も、全てあますことなくここに記してある」
「で、あるならば、なぜもっと早く、その記録でもって、メリダ派を告発しなかった?」
「ああ。だから、それが私の罪だ」
「そうか。悪いが、ルハームには生き残ったメリダ派のとりまとめに協力して貰うぞ。現状、メリダ派の立場ある人物は全て塵に帰り、中立的に関与できる人物があなたしかいない」
『終末の予型』を生き延びたメリダ派は、比較的罪の浅い者たちであるが、それでも不正の詮議をしない訳にはいかない。その時に、ティリアたちとメリダ派を仲立ちしてくれる者が必要だ。
「知っている。先ほど、主の見せる幻影の中で、私が散らばった麦を一つの束にするために労苦する姿を見た。それが私の罰だ」
ルハームは静かに頷いた。
「そうか……。ならば、もう何も言うまい。励んでくれ」
「ああ。だが、私は貴様の言う仕事の他に、記録もまだ続けるぞ。いや、そうせざるを得ないのだ。たとえ誰かに見せることがなくても、私は書かずにはいられない。ある種の呪いだな」
ルハームはそう言って、自嘲気味に笑う。
「……好きにしろ。だが、そんな暇はないと思うがな。一刻も早く、メリダ派が不正に蓄財した隠し財産を見つけ出さなければ、民たちは今日、明日にでも飢えて死んでしまう」
ティリアは眉をひそめた。
長年に渡るメリダ派たちの放埓で、教会の蔵は底をついている。
このままでは信徒たちは冬を待たずして、滅びの道を歩むだろう。
「――その心配はないだろう」
ルハームはそこで初めて顔を上げ、杖で祭壇を指した。
「ティリアちゃんー。大変ですー!」
「なんと! 供物が!」
「これは――さすがのボクも驚いたね」
使徒たちの呼びかけに、ティリアは振り向く。
祭壇に捧げた菓子が、光り輝いていた。
一つが二つになり、二つが四つになり、四つが八つになり、やがて祭壇を溢れる。
それでも、供物の増殖は止まらず、円卓を下り降り、加速度的に聖堂を満たしていく。
「『求めよ。されば与えられん』 ああ! 主よ! 感謝します!」
瞳に溢れる熱い液体を、もはやティリアは抑えることができなかった。
感情のおもむくまま、慈悲深き光神に祈りを捧げる。
「紛れもない奇跡だな。私の知る限りでは、実に1300年ぶりだ」
ルハームは淡々とそう言うと、足下に転がってきた菓子の一つを口に含んだ。
「シセロ! 警備の者を総動員して、都中の信徒を集めろ!」
ティリアは手の甲で目を拭い、叫ぶ。
「はい! こんなに心躍る任務は生まれて初めてです!」
シセロが声と足取りを
「アモーナ! バジーナ! 私たちは配下の者を率いて、配膳の準備だ!」
「かしこまりましたー」
「もちろんよ! ご飯! ご飯! ご飯!」
アモーナとバジーナが、シセロの後を追って行く。
「ボルカノとレゾンは警備についてくれ! 騒ぎに乗じてメリダ派に雇われた傭兵共が暴れ出すかもしれない」
「だからてめえが仕切――ちっ。今日くらいは従ってやるか」
ボルカノが舌打ち一つ起き上がり、気まずそうに頭を掻く。
「……承知した」
レゾンが音もなく消えた。
「私の見知らぬ菓子だが、甘く、小気味いい食感だ。美味い。この菓子を持ってきたのは貴様だったな。これは、何と言う? 記録するためには味だけではなく、名を知らなければならぬ」
ルハームが、茶色い菓子を摘まんでティリアに問う。
「私も持ってきた全ての菓子の名前を把握している訳ではないが、幸いそれは印象に残っている。魔王の言葉で、『ホット・カット』と言うそうだ」
「やはり、知らぬ単語だ。意味は?」
ルハームが金属板に書きつけながら、質問を重ねてくる。
「――『勝利の後のささやかな安息』」
ティリアはそう答えて、意味深に笑う。
「本当か?」
ルハームが、珍しく目を見開き、驚きを露わにした。
「使徒の私が、聖堂で嘘をつくと思うか?」
「……あまりにも、出来すぎた話だな。このまま記せば、創作を疑われそうなほどに」
ルハームが書く手を止め、ぽつりと呟く。
「それでも、真実を記すのが、『記録者』ルハームだ」
ティリアはそれだけ言い残し、アモーナたちの後を追う。
風が吹く。
甘い香りの祝福が聖都中に広がっていくのを、ティリアはただ、乾きつつある頬に感じていた。
*
『こうして、使徒たちはその菓子を聖都の信徒に与えた。
全ての人が食べて、満腹した。
残った菓子を集めると、千と二十三の籠がいっぱいになった。
神の僕たちは、受難の日々が終わったことを心から喜び、使徒たちの義挙と、主のくだされた奇跡に大いに感謝して、その日を聖別した。
これが今も続く、『ホット・カットの祝日』の起源である。』
フォイユ・セーメ・ルハーム 著
『歴代使徒言行録 37:8』
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