第54話 ☆tenthvisitor 七人の使徒(2)

 公会議の当日は、生憎の曇天だった。


 鉛色の空は暗く、重く、まるで人々の心を体現しているかのように陰鬱である。


 しかし、そんな俗世の汚れとは無関係に、聖都は今日もその神聖な威容を保っていた。


 全世界の光神教徒の信仰の中心であり、教会の頂点に位置する聖堂を戴く聖地。


 聖都全体を覆う白亜の大地は、作物を植えれば病害虫に損なわれることなく育み、その土を食せばあらゆる病を癒し、モンスターなど一歩足を踏み入れた瞬間に灰燼に帰してしまうほどの神聖な力を有している。


 それはいわば、光神様の生きとし生ける者への永遠の祝福の証明。


 聖なる大地をもってしても唯一拭い去れない毒があるとすれば、それは生きとし生ける者の心に巣食う罪業くらいのものだろう。


「ティリア様! 住民の避難完了致しました! 自分の配下の者の内、信頼できる者を警備に当てております」


 シセロが片膝をついて報告する。


「これでー、メリダ派が都の人たちを襲うような暴挙に出ようとしてもー。安心ですねー」


 アモーナがほっと胸を撫で降ろす。


「ああ。では行こう」


 ティリアは皆にそう声をかけつつ、自らの装備を最終確認する。


 鎧に鉄球、そして、腰には魔王ジューゴから買い取った菓子の入ったズダ袋が結わいつけられている。


 人気のない大通りには、七人の使徒をはじめとして、ティリアの部下や、バジーナの率いる『純潔乙女団』など、少数精鋭が揃っていた。


「ちっ。てめえが仕切んじゃねえ!」


「不潔! 不潔! 不潔は浄化よー!」


「ま、気負わずにいこう」


「……」


 この都の全ての道は、聖堂へと続いている。


 大通りもその御多分に漏れず、まっすぐに歩を進めると、やがて、それは姿を現した。


 陽光がなくともきらめく神の家。


 初めて布教に行った先で、聖堂のことを知らぬ者たちに説明する時には、『透明な水晶の宮殿』などと形容することもあるが、それは正確ではない。


 その実聖堂は、建物を構成する全てが光の宝玉でできた、途方もない奇跡の力の体現なのである。


 限りなく透き通った聖堂では、誰もその身を隠すことはできない。


 だから後ろ暗い者は心を隠すのだ。


 言葉で自らを偽って。


「ティリア様。武器をお預かり致します」


 聖堂へと続く階段の前を塞ぐ、検問のメリダ派の兵士が剣を交えて、ティリアたちの行く手を阻む。


「断る」


 ティリアは即座に応答する。


「なっ……しかし、戒律ですから」


 兵士は目を見開き、何とか自分を諫めるように言葉をつづけた。


「それは光神様の御言葉ではない。『終末の予型』を主に乞うには、神器が必要だ。故に貴様に『裁きの鉄球』を渡すことはできない」


「なにっ――『終末の予型』ですと」


「ティリア! 貴様! 聖堂を血で汚すつもりか!」


 兵士たちの化けの皮はすぐに剥がれた。


 ティリアたちに剣を向け、声を荒らげる。


 真の信仰を持たず、金で雇われた兵士などこの程度のものだ。


「お前たちが抗わず、私たちを祭壇に向かわせるならば、血は流れない。そもそも、人に武器を放棄することを要求しながら、自らは剣を抜くその矛盾について、貴様たちは考えたことはないのか。悔い改めよ。信仰の薄い者たちよ」


 ティリアは、それでもなお、彼らに機会を与えた。


 武力の行使の前に、裁きがある。


 裁きの前には、諭しの言葉がある。


 それがティリアの信念だ。


「黙れ! 我らは神の代行者に武力の行使を認められている!」


「出会え! 出会え! 使徒たちが乱心した!」


 詰め所から、次から次に武装した兵士たちがわいてきて、あっという間にティリアたちを取り囲んだ。


「聞いてくれ! 神の僕たちよ! 自分たちはこれから『終末の予型』を仰ぐ! 誠の世を求める者は武器を捨て、自分の言葉に従え!」


 シセロが懇願するように叫ぶ。


 兵士の内の半数が動きを止めた。


 メリダ派に直接的に金銭的な恩恵を被っていない末端の兵士たちは、全てシセロの人柄に心服しているのだ。


「おうおう! いくらか見知った顔があるなあ! ごちゃごちゃ細かいことは言わねえ。オレがこれから三つ数えた後、武器を持っていやがる奴は全員敵だ! 問答無用で殺す!」


 さらに半数が剣を捨てた。


 信仰を持たない者でも、ボルカノの強さと恐怖は知っている。


 それでも残った残りの四分の一は――、もしティリアたちが勝利を収めれば、どちみち命を失うほどの罪を犯したと自覚している者たちだ。


「後は任せたぞ」


 ティリアは直属の配下の者たちを振り返り言う。


「はっ! 我ら一同! 命にかえましても、敵を通しません!」


 頼れる部下たちが、一糸乱れぬ隊列でティリアの背後を固めた。


「みんなも! 不潔な背信者たちに負けちゃだめよ! 純潔魂見せなさい!」


「「「「はい! お姉さま!」」」」


 『純潔乙女団』も加勢に加わり、敵と対峙する。


「死ね!」


「神の敵め!」


 行く手を阻む二人の兵士が、ティリアに斬りかかってくる。


「それが貴様たちの答えか」


 避ける必要すらなく、ティリアは鉄球を突き出した。


「ぷばあ!」


「たばあ!」


 二人はそのまま兵士を吹き飛ばして、昏倒する。


 これでも威力は落としたのだ。


 ティリアとしては、彼らの身体ことばらばらにすることも造作もないが、神の裁きの前にティリアが彼らの命を奪うべきではないと思ったのである。


 聖堂前を守る兵士たちが階段を駆け下りてくるが、ティリアの歩みを止める程度の妨害もできず、階段から転げ落ちていった。


「おい! ティリア! 獲物を独り占めにするんじゃねえ!」


 ボルカノがティリアを睨みつけて、舌打ちしてくる。


「聖堂の中に入れば、嫌でも貴様と敵を分かち合うことになる」


 ティリアはボルカノと視線を合わせず答える。


 777段ある聖堂へのきざはしを、ティリアたちは一歩一歩踏みしめて、その頂上に辿り着く。


 騒ぎに気付いた聖堂の中のメリダ派が、慌てて腰を上げる。彼らは魔法を放ち、聖堂へと続く扉を封印しようとしてきた。


「自分が扉を開きます!」


「ボクもお手伝いしよう」


 シセロとテムペーが扉へと駆けていく。


「全てを包む『赦しの天使』よ。使徒テムペーは求む。願わくばの者の頑迷をほぐし、幼子の無垢へと立ち戻らせんことを」


「至純なる『忠義の天使』よ。使徒シセロが求む。今、主に誓いし誠を、この剣に捧げん。汝、これを真とするならば、我が一振りに加護を与えよ」


 テムペーの祈りが扉にかかった魔法を緩め、シセロの誠の剣撃が縛めを打ち破る。


 音もなく静かに、扉は開け放たれた。


 目指す祭壇は、大広間の中央に突出している主の他は何者も座ることが許されない玉座。


 しかしそこに辿り着くには、十重とえ二十重はたえに取り巻く円卓と、そこに魚の糞のようにひっついた不信人者たちを踏み越えていかなければならない。


「杖をおさめよ! 私たちが望むのは、『終末の予型』である。汝らの血ではない!」


 ティリアはあらん限りの声で叫んだ。


「世迷言を言うな! 地上は我らの手で滞りなく収められている! 主の手を煩わすまでもない! シャイニーレイン!」


「『偉大なる主を試してはならない!』との御言葉を忘れたか! 神聖なる聖堂から出ていけ! ――ルインボール!」


「背教者め! 神罰を受けよ! バニッシュメントライト」


 有象無象の罵声と共に、ティリアたちに降り注ぐ、無数の魔法。


「あらあらー。おイタはいけませんよー。――シャインシルード」


 アモーナは笑顔のままに詠唱した。


 背教者たちが何千・何万も重ねた魔法は、アモーナただ一人が作り出した光の壁に全て阻まれ、力を失う。


 光の魔法の威力は、信仰の強さに比例する。


 信仰の薄い者たちがいくら数を重ねようと、アモーナの厚い愛のカーテンの前には、ただ無力なのだ。


 この程度は、アモーナにとっては、天使に加護を願う必要すらもない児戯なのである。


「やっとオレの出番だなああああああああ! おい! ゴミ掃除の時間だああああああああ!」


 ボルカノが喜々として叫び、右手に斧を、左手に棍棒を持って駆け出す。


「あまり殺すな。聖堂を血で汚したくない」


 ティリアは鉄球でメリダ派たちの脚を砕き、行動不能にさせつつ前進する。


「はっ。てめえはそこでいい子ちゃんしてな! ティリア! 凄絶なる『正義の天使』よ! ――使徒ボルカノが、偉大なる主に勇気を示す! 願わくば、神敵を屠る力を我に与えよ!」


 天使の加護を受けたボルカノの身体が、無数に分裂する。


 体中に巻き付けた武器をあますことなく使い切り、ボルカノは聖堂中を疾駆した。


 ユニコーンをも超える彼の素早さに、贅沢でなまったメリダ派たちの身体がついていけるはずもなく、血の嵐がそこら中で巻き起こる。


「あらあら。ヒール。あらあらー。キュア」


 ボルカノの足跡を追うように、アモーナはついてまわり、彼に即死させられることを免れたメリダ派の神学者たちの傷を次々に治していく。


「てめっ。アモーナ! なに敵を治してやがる! 裏切りか!?」


「裁くのはー。主であってー、ボルカノくんじゃないんですよー。戦場ならいざしらずー、主のいます聖堂でー、あなたが主にのみ許された殺しの権限を代理していいはずがないですー」


 ボルカノの睨みを、アモーナは意に介さず治療を続ける。


「へっ! 主の裁きに遭えば、肉体も魂も滅ぼされる! それにくらべりゃオレが奪うのは肉体だけだ。そう考えりゃ、これは慈悲って奴よ!」


 ボルカノもそう嘯いて、アモーナを無視して殺戮を続けた。


「主はこうおっしゃっているわ。『もし、あなたの右目があなたをつまづかせるなら、切り落としてしまいなさい』と。つまり、不潔なアレは――潰しちゃえ!」


 一方のバジーナも、ボルカノほどではないが、自慢のレイピアを駆使して、次々と神官たちを戦闘不能に追い込んでいく。


 彼女の攻撃を喰らった神官たちは、股間を抑えて床を転げ回った。


「くそう! 調子に乗るなよ! 異端者め!」


「そうだ! ここにおるのは我らメリダ派だけではない!」


「そうだ。諸外国から参られた各国の要人方もおられるのだ!」


「その通りです! さあ、今こそお立ちなさいませ! ローザ様!」


「あら? 私ですの?」


 メリダ派からすがるような視線を向けられたのは、円卓のうちでも祭壇に一番近い上座を与えられた、一人の女――ローザだった。


 年の頃は、ティリアと同じくらい。皆が慎み深く白い衣装を身に着ける中、ローザだけは天使をかたどった薄桃色の刺繍が入ったドレスを着ている。


 傲慢なメリダ派が敬語を使っているということから察せなくても、ローザのみが許されているこの特権的な衣装を見れば、誰もが彼女が貴族の家柄にあることを理解するだろう。


 ローザは、この争乱にも関わらず平然と着席を続け、メリダ派の呼びかけに、何も知らぬふりをして首を傾げている。


「そうです! 大陸最強と謳われたミスリラ騎士団の威光でもって、背教者どもを排除するのです!」


 メリダ派の神学者たちが、ローザの近くに侍る騎士たちを指して言う。


「あいにくですけど、お断り致します。無学な女に過ぎない私めには、あなた方のどちらの行いが正しいかなんて判断がつきませんもの。私は、善良な一般信徒として、ただ光神様の御意志に従うまでですわ。ですわよね。皆さん?」


 女の問いかけに、聖堂に集っていた神職者ではない権力者、いわゆる『俗世の腕』と呼ばれる者たちが一斉に頷いた。


 もちろん、ローザたちが振る舞い通りの敬虔な信徒という訳ではない。


 ティリアが事前に根回しをして、敵方につかないように説得しておいたから、彼女たちは中立を決め込んでいるのだ。


「諦めろ。貴様たちに選択肢はない。静かに主の裁きを受けるのだ」


 ついに円卓の最上段――祭壇の手前にまでたどり着いたティリアは淡々と宣告する。


 他の使徒たちも、それぞれが道を切り開き、真っ直ぐに祭壇へと向かってくる。


「もっ、もうだめだ!」


「くっ! なぜ誰も使徒どもの反逆の計画に気が付かなかったかと思えば――我ら

 を裏切ったか! インベア王国め!」


「今はそんなことを言ってる場合ではない! ボルカノが来るぞ!」


「ええい! どけ! 邪魔だ!」


 敗北を悟り、もはや規律も品性も失ったメリダ派の者たちが、お互いの足を踏みつけ合いながら、一斉に聖堂の出口を目指して逃走を始める。


「……足音を慎め。ここは主の家である。……バインダスオール」


 そんな彼らの浅ましい動きは、使徒レゾンの詠唱で一瞬にして硬直した。


「か、身体がうごかない!」


「ち、違う! 私はメリダ派ではない! ただ、脅されていただけだ!」


「く、悔い改める! 悔い改めるから、どうか『終末の予型』だけは――」


「……言葉を慎め。光神様の御前である。……サイレント オブ ワイズ」


 そして、見苦しい言い訳を繰る背教者たちの口は塞がれ、聖堂にふさわしい静寂が辺りを支配する。


「では。始めよう。『終末の予型』を!」


 ティリアは叫ぶ。


 他の使徒たちが深く頷いた。


 感情を制御する訓練を受けているティリアですら、興奮を抑えきれない。


「「「「「「「ホサナ。ホサナ。偉大なる我らが主よ。在りて在る御方。始まりと終わりを統べる神。あまねく世界を照らし、深き闇の底から我らを導く救い主よ。今、ここに集いし七人は、敬虔なる汝が僕なり。今、いと高き方の御前に伏し、主がもたらす来たるべき終わりについて想う」」」」」」」


 ティリアたちは声を重ねて讃美歌を朗唱する。


 響きは聖堂を反響し、祈りを無窮の空へと導いていく。


「第一使徒のアモーナは問いかけますー。私たちの愛が、あまねく生きとし生ける者を包み込んでいるかを」


「第二使徒のシセロは伺います。自分たちの誠の歩みが、主の道を真っ直ぐに整えているかを」


「第三使徒のティリアは尋ねます。私たちの裁きが、御心の平等を明らかにしているかを」


「第四使徒のボルカノが聞く。オレたちの勇気が、神の威光借りるにふさわしいものかを」


「第五使徒のバジーナが問いかけます。私たちの操が、光神様のお与えくださる清浄に見合うほどに純潔かと」


「第六使徒のレゾンは戒めの軽重を図る。我ら、節なりや」


「第七使徒のテムペーは求めます。主がボクたちを赦してくださるように、ボクたちもまた他者に寛容であったかを」


 七人の使徒全てが宣誓を終え、ティリアは腰にぶら下げたズダ袋を開き、中身を取り出した。


 そのまま一歩進み出ると、魔王から買い取った菓子の包装を破き、甘く香る中身を神聖な祭壇へと置く。


「これが私たち七人の使徒の願いです。今、ささやかな捧げ物をもって、主に『終末の予型』をこいねがいます。この捧げ物は、私が魔王ジューゴより入手したものです。魔王は御心から一番遠い存在ですが、故にこそ、私、ティリアは偉大なる光神様の無辺の慈悲が、暗く汚れた迷宮の最下層にでさえも及ぶことを信じ、敢えてこの供物を選別するものです。もし、この捧げ物について罪があるならば、それは私一人の罪です。もし、祝福があるなら、それは全ての生きとし生けるも者の誉れです」


 ティリアは主への説明を終えるとまた一歩引き下がる。


 使徒たちはお互いの顔を見合わせると、それぞれの神器を掲げ、祭壇の中央で重ね合わせた。


「ピウス」


「ヤシャル」


「マカンタ」


「クロガ」


「グラン」


「アンブル」


「アファンブル」


「「「「「「「主よ! 我らに永遠なる光の裁きを!」」」」」」」


 ティリアは、他の使徒たちと声を合わせて祈りを捧げる。


 刹那、眩い光が祭壇からほとばしり、聖堂全体を満たした。

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