第47話 ☆ninth visitor 我が闘争

(ついにこの時が来たわね)


 宮園真那は沸き上がる興奮を押さえつけるように、毛むくじゃらになった自身の右手を開閉して、その感触を確かめる。


「お互い配置についたな。試合前に何か言うことはあるか?」


 真那にこの身体を与えてくれた魔王が、いつもの飄々としてとぼけたような声で問うた。


「さあ! 覚悟しろ! ケダモノよ! このヤクトの祈りの剣が、光神様の名の下に貴様を屠る!」


 男が剣を抜き放ち、周囲にアピールするように叫んだ。


 言葉というものは、人間がその脆弱な肉体を糊塗するために編み出した技術である。


 獣はその強さ故に、言葉は持たない。


「グルル」


 だから、真那はただその犬歯を剥き出してにして嗤う。


 その尖った耳はヤクトと名乗った暑苦しい男の息遣いを聞き分け、鼻は汗臭さを上回る勢いで充満する殺気の臭いまでを嗅ぎ取る。


(いいわ。この感じ。格闘ゲームじゃ味わえない高揚感)


 憑依したワーウルフの肉体が人間のそれよりもずっと生物として優れていることを、真那は肌で感じていた。


 ゲームが満足させてくれるのは、所詮聴覚と視覚だけ。だけど、今のこの身体は、五感の全てで、自分の欲求へ奉仕してくれる。


 その欲求とはつまり――闘争だ。


 生物には、本能的に闘争への欲求が組み込まれている。


 それは性欲よりも深く、食欲よりも根源的だ。


 生き残らなければ繁殖以前に未来がない。食べる以前に食べる場所がない。


(昔のルールはシンプルだったのにね)


 人間はなまじ知恵があるばっかりに、その闘争を欺瞞する方法を色々試行錯誤して、社会を構築してきた。暴力による支配は法と倫理にすり替え、殺し合いは偏差値に還元されて純粋さを失った。


 それを悪だとは思わない。


 欺瞞あってこその人間。嘘があってこその種の繁栄。


 ただ、たまにはただの名無しの「ケダモノ」に戻る瞬間があってもいい。


 真那はそう信じているだけだ。 


「よしっ。――それじゃあ、始め!」


 魔王がどこからか持ってきた鈴を鳴らす。


「さあ! かかってこい!」


 最初の脳筋っぽい演説から受ける印象に反して、ヤクトは慎重だった。


 一歩引いて盾と剣を構え、こちらの一挙手一投足を窺っている。


(全く。男らしくそっちから来なさいよ)


 真那は口の中に勝手に湧いてくる唾を床に吐き出しつつ、ヤクトを見つめ戦力の彼我を観察する。


(向こうには鎧と兜がある。対してこっちは裸)


 相手がこっちに攻撃してくる時は全身が的なのに、こっちが攻撃する時には露出している部分しか狙えない。短期戦でも不利だし、長期戦でも守るポイントが少なければ、その分敵は集中力の消耗も少ない。


(武器のリーチも向こうの方が長い。この点でもこっちが不利)


 ワーウルフには30cmを越える鋭い爪という武器がある。


 さすがモンスターだけあって、腕は長いから、それと合わせればこっちは一メートル30センチくらいのリーチがあることになるが、それで、やっと敵の全長130cmのロングソードと同じくらいの長さだ。


 相手の腕の長さを加えれば、やっぱり勝てない。


(戦闘経験でもこちらが不利。本当、不利づくしね)


 格闘ゲームなら歴戦であるとはいっても、さすがにそれが実戦に役立つと考えるほど、真那の脳みそはお花畑ではなった。


(こっちが唯一勝っている点といえば、身体能力くらいか)


 腕力や脚力を始めとする筋力は、モンスターである自分の方がすぐれている。


 特に瞬発力がすごいという点が、持久力を重視した肉体の構造になっている人間との大きな違いだろう。


 逆にいえば、長期戦になれば、ワーウルフの筋肉が熱暴走を起こし、不利になるということでもあるのだが。


(全体とては不利。と、なれば、隙を見つけて一撃でしとめるしかないわね。向こうはプライドが高いから、周りから煽られれば絶対討って出るはず――それと、念のためにもう一個作戦を仕込んどくか)


 真那は脳内で作戦を組み立てると、その場でじっと待った。


 格ゲーと違って、時間制限はない。


 客からすればつまらない動きだろうが、真那としては勝利が最優先だ。


「どうした! 臆したか! 卑怯者め!」


「ガアア!」


 真那としては別に敵の罵倒には微塵も腹が立たなかったが、敢えて怒った振りをして、両腕を上げて吠え、威嚇して見せる。


 モンスターの『設定』では、ワーウルフは直情的な生き物であるという設定になっているから、そのテンプレに従ったのだ。


 真那とヤクトは少し距離を縮め、お互い距離を取ったまま、時計回りにグルグルとリングの周りを回った。


「つまんねーぞ! おい!」


「早く殺し合えー!」


 真那の予想通り、客からのヤジが飛んできた。


 誰かがつまみのピスタチオの殻が、水晶の壁に当たって床に落ちる。


「そうか。いいだろう。来ないならこちらから行くぞ!」


 ヤクトがしびれを切らしたように叫んだ。


 そのまま構えを上げ、剣先を真那に向けてくる。


(そうそう。それでいいのよ。さてこの構えから予想される敵の太刀筋は――)


「ルインボール!」


 真那が脳内で対策を練り始めたその瞬間、ヤクトが叫んだ。


 真那は反射的に頭を下げる。


 頭上を卵くらいの大きさの光球が通過するのが、視界の端に映った。


(魔法!? 熱っ!)


 かわしたと思ったのに、右太ももに鋭い痛みが走った。


 慌てて周りを見渡す。


(ちょっ。そんなのあり!?)


 真那は目を見開く。


 なんと真那の肉の一部を抉った光球は、威力を減衰させながらも、スーパーボールみたいに壁を反射して、リング中を駆け巡っているのだ。


「残念だったな! 水晶は光の魔法と相性が良いのだ。このままならばお前は近づくこともできずに蜂の巣になるぞ!」


(なるほど。地の利も相手にあるって訳ね)


 真那は深呼吸して心を落ち着ける。


「いいぞ!」


「血だ! もっと血を見せろや!」


 客の冒険者たちが興奮して口笛を吹く。


「魔王よ! 観念してお前の眷属を降伏させたらどうだ!」


「そんなことする訳ないだろ。せっかく試合が盛り上がってきたのによ!」


 魔王が囃し立てるように言い返す。


 客たちがさらに興奮して、テーブルを叩いた。


(そうよ。充悟くん! さすがは私の彼氏!)


 真那はあくまで冷静に、興奮をたぎらせる。


 まだ勝ち目はあるのだ。


 ここで試合を止めてもらっては困る。


 意味もなく腕を振り回し、目を血走らせ、興奮したワーウルフの単純で直情的な『普通』の行動をトーレースする。


 そう。中に『宮園真那』が入っていることを相手に知られないために。


「さあ! 踊れ! 魔物よ! 神の威光に穿たれるがいい! ルインボール! ルインボール! ルインボール!」


 ヤクトは調子に乗って、バンバン魔法を連発してくる。


(待ちガイルって訳ね。この野郎! 最低! 絶対に恋人にしたくないタイプNO1の戦い方だわ。――でも、こういう卑怯者をPSで倒すのって、最高に燃えるのよね!)


 真那はリングの中を駆けずり回る。


(私はね! 弾幕ゲーも得意よ!)


 床を跳ね、壁を蹴り、天井で宙返りをする。


 敵の魔法の全てを、真那は強化された視力と勘とセンスでかわした。


「中々やる! 魔王はいい個体を用意したようだな。だが、それも時間の問題だ。ワーウルフの敏捷性はそう長くは持たない!」


 ヤクトは勝利を疑わない声で叫ぶ。


 敵の言うことは正しい。


 ヤクトはワーウルフの生態を知ったうえで攻撃を仕掛けてきているのだ。


(だから――、一気に決めるわ!)


 敵は気づいているのだろうか。


 ルインボールは、真那だけではなく、ヤクト自身の行動も制限していることに。


(1、2、3、4――今!)


 跳ね返った魔法の軌道が、ちょうどヤクトの前後左右に重なり合う。


 瞬間、真那はヤクトの真上の天井へと、一気に跳んだ。


 脚のバネを限界まで曲げて、天井を蹴る。


「賭けに出たか! だが、そのような直線軌道の攻撃など――!」


 そう叫んで、剣を上に突き上げるヤクト。


(脱毛処理ってめんどくさいわよ――ね!)


 瞬間、真那は自身の爪で、強引に身体の剛毛をこそげ落とし、それをそのままヤクトの顔面に投げつける。


「くっ!」


 思わず目を瞑ったヤクトに、真那は襲い掛かる。


 ガン!


 バン!


(ちっ!)


 殴って、蹴った。


 攻撃は確かに当たったが、初撃はヤクトの盾をはじき落とし、二撃目は兜を叩いてはね飛ばすだけに終わる。


「シャインシールド!」


 それでもダメージはあったらしく、頭に一撃を喰らって朦朧としたまま、ヤクトが叫ぶ。


 瞬間、半径二メートルほどの半円の壁が、ヤクトを覆う。


(熱っ! チート過ぎでしょ! 今までは舐めプだったって訳!?)


 身体を焼く極熱に、真那は一瞬で壁の外に離脱した。


 皮膚が焼きただれている。


 後数秒そこにいたなら、真那は血を噴き出して絶命していただろう。


「うおおおおおおお! このまま壁で圧殺してやる!」


 まだ頭がふらついているのか、ヤクトはやみくもに剣を振り回しながら、こっちに突進してきた。


(後一撃で殺せそうだけど、こっちが向こうにつく前にやられちゃいそうね)


 壁に背をつけ、満身創痍の自身の肉体を見渡し、真那は思考する。


 その目に、足下に転がっている盾が飛び込んできた。


 後、数十センチに迫る壁を真正面から見据えながら、真那は盾を拾い上げ、右腕に装着する。


「死ねええええええええ!」


 刹那、真那はその鋭利な爪で自身の右腕を斬り落とし、左腕でそれを拾い上げる。


 痛みは無かった。


 闘争の悦びが、全てを凌駕する。


「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」


 ケダモノらしい野獣の咆哮と共に、真那は全ての力をこめて、左腕をぶん回す。


 ガン!


 野獣の瞬発力と、腕二本分の長さの遠心力が詰まった盾の一撃がヤクトの側頭部を捉えた。


「がはっ!」


 言葉にならない言葉を漏らして、ヤクトが昏倒する。

 

 その胸へと、溶けた真那の右腕が降り注ぐ。


 水晶の壁の外で、女が白い旗をゆっくりと掲げた。


「挑戦者ヤクト、棄権! よって、勝者ワーウルフ!」


『うおおおおおおおおおおおおおおおおお!』


 魔王が決着を告げ、勝者を称える歓声が真那を包み込む。


(やっぱり! 戦いって最高おおおおおおおおおおおお!)


 右腕から血をドバドバ流しながら、真那は再び興奮と共に歓喜の雄たけびをあげるのだった。

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