第38話 ☆ seventh visitor 天国に酒はない
ソルが数奇な道程を経て、バーテンダーとやらになってから、三日が経った。
土壁でできたカウンターの内側でジョッキを洗うソルを尻目に、テーブル席についた冒険者たちは、思い思いの談笑にふけっている。
「がはははははは! おい! 店員――」
「なんだ?」
獣人の客が哄笑しながら手を挙げた瞬間にはもう、ソルは反応していた。
オーダー用のメモ帳を片手に、モンスターに襲い掛かる時のような足さばきで、相手の死角から、一瞬で肉薄する。
接客の基本はスピーディーな対応だと、魔王から与えられた本に書いてあった。
スピードなら自信がある。
少なくとも、そんじょそこらの鍛えてない町娘には負けはしない。
「うおっ!」
獣人は驚いたように椅子を揺らし、ひっくり返りそうになった。
「どうした? さっさと要求を言え」
出来る限りの笑顔を浮かべ、ソルは獣人に問う。
「いえ、その……、これのおかわりを、ください」
獣人は若干酔いが冷めたような口調で、手元のジョッキを指さす。
「わかった」
ソルは頷いてジョッキを回収すると、とぼとぼとカウンターに戻る。
またやってしまった。
ソルとしては他意なく一生懸命に接客しているつもりなのだが、どうも多くの人間にとって、ソルの態度は威圧的で恐怖感を与えるものに映るらしい。
これまでモンスターや賊などを相手にしてきた経験から、無意識的に殺気を放つような言動を取るのが習慣になっているのだ。
そのせいか、ソルはまだ、バーテンダーを始めてから、チップをまだ一枚も貰えていない。
(中々上手くいかないものだな)
ソルは心の中で嘆息した。
キィー。
扉が開いて、また新たな客が訪れる。
その姿に、ソルは目を瞬いた。
ドワーフの老女である。
小柄な身に不釣合いなバックパックを背負い、死と隣り合わせのダンジョンにありながら、その格好は軽装そのものだった。
擦り切れた穴だらけのオーバーオールが彼女の一張羅であり、それ以外の衣類を身につけてはいない。上半身の内、かなりの部分が露出していた。
それだけでも十分に奇矯な外見だが、なにより目を引くのは――
(子連れ……だと?)
彼女が、胸に幼子を抱いていることだ。
子守り帯でしっかりと老女の胸に結わい付けられた、毛糸の帽子を被った赤子が、首をひねり無垢な瞳でソルを見つめた。
「見ろよ! あれ、『四つ足のバロ』じゃねえか!」
客の一人が、嘲弄するように叫んだ。
「今日もゴミ拾いは上手くいったかあ!?」
また別の客がからかう。
「しけてるね! あんたらもっとぼんぼん素材を捨ててくれなきゃ『屑屋』の商売はあがったりだよ!」
(ふむ……。『屑屋』か。聞いたことがある)
屑屋とは、ダンジョンにおける鼻つまみ者である。
自身では戦闘は一切せず、他のパーティの後をつけ、彼らが荷物の重量制限などから持ち切れず捨てていったモンスターの素材を拾い集め、生計を立てる職業である。
当然、自らの命を賭けてモンスターと戦う者たちからすれば心地よい存在ではないため、この老女のような存在は侮られるのが常だった。
「おい! バロ! いつものあれ見せてくれよ! あれ!」
酔客が手を叩き、そう催促する。
「ただじゃないよ! 見たけりゃ酒の一杯でもおごりな!」
バロと呼ばれた老女は、そう叫んで酔客に指を立てる。
「しゃあねえな! おい、みんなで酒でもおごってやろうぜ!」
「ほらよ!」
「なにが始まるんだ?」
「まあいいからみとけって!」
一人の男の呼びかけに、客たちが次々とバロに向かって小銭を投げつける。
「それじゃあ、あんたら! 目ぇ見開いて見るんだよ! ほっ! ほっ! ほっ!」
バロが身体を揺する。
「すげーな。ババアの垂れ乳にあんな使い方があるとは」
「いいぞ! もっとやれ!」
男たちが口笛を吹いて囃し立てる。
(痛ましい……)
ソルはそれ以上見ていられず、顔を背けた。
下賤な男どもが好きそうな、安居酒屋にありがちな、くだらなくて下品な宴会芸だ。
一芝居終えると、バロは臆面もなく、四つん這いで地面に落ちた小銭を拾い集め始めた。
(なるほどそれで『四つ足のバロ』か)
屑屋として、這いつくばって他人からのおこぼれを拾い集める生き様に加え、おそらくは、まだ立って歩けない赤子を連れて歩いていることを揶揄した、ダブルミーニングでもあるのだろう。
「おい、あんた。これで飲める酒はあるかい?」
やがて全てを拾い集めたバロは、ソルの方に近づいてくると、カウンターに小銭を叩きつけて問うた。
「一番安い酒ならば、一杯は出せる」
ソルは呟いた。
小銭の合計は、最安かつ一番人気の『泥ゴロー』、ちょうど一杯分だった。
魔王がどこからか買ってきた酒で、仕事のために一応、ソルも味見はしたが、美味くはないが強い酒だ。
一応、ソル自身は、魔王の持ってきた本で、酒同士を混ぜ合わせて別の酒を作る、『カクテル』とやらの合成方法もいくつか覚えてはいるのだが、冒険者の多くが求めるのは『安くて酔える酒』なので、披露する機会はあまりなかった。
「そうかい。なら、酒の量は半分にしてくれていいから、残りの金で何かこの子が食べるものを見繕ってくれないかね」
バロがそう言って、ぐずり始めた赤子をあやしながら席につく。
「少し待ってろ」
ソルは、カウンターの下の厚紙の箱を漁る。
酒の肴は高いものから安いものまで各種用意されてるが、バロの出せそうな現金の余裕を考えると、高いものを出すのは無理だ。
となると、一番安いダガシカテゴリの何かがいいだろう。
しかし、見たところまだまともに歯が生えそろってなさそうだし、そうなると出せるものは限られてくる。
『かば焼きくん次郎』はどう考えても硬すぎる。
『酢イカのさっちゃん』は、柔らかいが、刺激が強すぎて赤子に食べさせようとすれば間違い泣く。
……。
……。
おっ。
『卵ボウル』これならばいいだろう。
前に味見した時は、甘くて子どもが好きそうな味だったし、口の中で溶け、歯がなくても食べられるはずだ。
「これだ」
五連に分けられた小袋の内の一つを切り離し、袋を開けてバロに差し出す。
「どれどれ――。美味いじゃないか! これなら坊に食べさせても大丈夫そうだねえ」
バロが毒味するように卵ボウルの一つを口に含み、あかぎれたしわくちゃの顔をほころばせた。
すぐさま卵ボウルをつまみ、胸に抱いた赤子にそれを与える。
「美味いかい? そうかい。よかったねえ」
バロは『うーあー』と意味をなさない言葉を漏らす赤子に、猫なで声でそう語りかけた。
「酒だ」
円筒形の背の低いコップに、半分くらい泥ゴローを注いで出す。
「少なくないかい?」
バロが恨みがましい目でこちらを見てくる。
「仕様だ。少ないが、強いぞ」
「そうかい」
バロは気のない返事をして、酒をちびちびやり始める。
それきり、沈黙。
男たちのさざめきを遠くに聞きながら、ソルはただ、警備の任務についていたあの頃のように、姿勢も正しく佇立するだけ。
「ちょっとあんた」
「何だ?」
「ムッツリ黙ってないで、ちょっとは気の利いたシャレの一つも言ったらどうだい」
「無理だ」
「なんでだい?」
「今この瞬間にも、私の命は消えてなくなるかもしれない状況なのだ。とてもそんな気分にはなれない」
魔王が今、商会相手に交渉に出向いているというが、どうなるかなんてわかったものじゃない。
ソルの身の安全などはあくまでついでであり、主な交渉の目的が、ダンジョンの安全保障に関する事柄だということはわかりきっていた。
「なに言ってんだい。そんなの私らだって同じだよ。ここをどこだと思ってんだい。天下御免のダンジョンの中だよ」
「……それもそうだな。冒険者は世界で一番危険な職業だ」
「そういうことさ。わかったなら、なんか喋りな」
バロはしつこくそう催促した。
「ふむ。そこまで聞きたいというなら――あれは、私が剣を握ってから、三年目の春のことだ――」
ぽつぽつと、ソルはこれまでの人生を語り始めた。
人に歴史あり、という。
ソルも騎士団に所属していたからには、それなりに血湧き肉躍る冒険譚の一つや二つもないではないが、全般としてはただの恨み節になってしまった。
あるいは、それは現実味を帯びてきた死を目の前にした、いるかも分からない冥府の神への、告解の代わりだったのかもしれない。
「辛気臭い話だねえ。酒場でする話かい。それ」
ソルの話が家族のくだりまでくると、バロはそう言って話を遮った。
「ふっ、そうだな。しかし、私の人生などそんなものだ。……もういいだろう。私のことはいいから、次はお前のことを聞かせてくれ」
ソルは口の端を歪めて、そう促す。
自分のことを話したくなければ、相手に話をさせるしかない。
それがソルの身につけた精一杯の社交術だった。
「あたしかい? そうさねえ。私の不幸は、何の因果か、生まれながらに火の神様に嫌われちまったことから始まるのさ。ドワーフのくせに、ミスリルどころか、銅の一つも打てやしない。鉱山を掘りゃ、出てくるのはくず石ばかり。器量は悪いから嫁の貰い手もないくせに、酒は倍飲むとあっちゃあ、嫌われるのが道理ってもんさ――」
バロの話もまた、幸せな物語ではなかった。
それはそうだ。
冒険者になるような人間は、大抵なにかしらの挫折を抱えている。
それでも、バロの話は陰鬱ではなかった。
つまるところそれが、話の上手さということなのだろう。
ソルは時折相槌を挟みながら、静かにバロの言葉に耳を傾けた。
「――で、あげく、王様の酒甕を勢いでからっぽにしちまったから、必死こいて逃げて、めでたく冒険者稼業の仲間入りって訳さ」
バロはそこで言葉を区切ると、話の終了を告げるようにテーブルを叩く。
「……一つ質問してもいいか?」
「なんだい?」
「お前の今までの話にその赤ん坊が一切出てこなかったのだが……」
バロの人生に、恋という文字はない。その生涯は、酒と恥辱と貧しさだけで彩られていた。
「ああ。そりゃそうさね。この子を拾ったのは、つい数年前のことだからねえ」
「拾った? ということは、血はつながっていないのか?」
「なんだい。気が付いてなかったのかい? ほら」
そう言ってバロは、赤子の帽子を脱がせる。
ひょこんと、ドワーフにしては長い、兎のような耳がとび出した。
「エルフの捨て子とは……珍しいな」
そもそも自分たちのテリトリー外に出るエルフは珍しいし、一般に繁殖力の低いエルフは少子のため、子どもを非常に大切にすることが多い。
「だろう。実はこの子もダンジョンでの拾いものなのさ。あたしが出会った時には、この子の親はモンスターに食われて骨だけになってたんだよ。それでも、母親はどうしても子どもだけは助けたかったんだろうねえ。加護の魔法のおかげですやすやと眠ってたんだ」
「……立派だな。お前は」
素直にソルはバロを称えた。
ソルは思う。
人から侮られ、泥をすすり、垢にまみれてもなお、知性ある生き物としての情愛を失わなかったならば、その生き様は『誇り高い』と呼ぶにふさわしいものなのではないかと。
少なくとも、腹の足しにもならない『貴族』という虚名を看板を守るために、自分を捨てた両親よりはずっと――。
「よしとくれよ。あたしは『屑屋』だよ。金にならないものは拾わないさ。この子は貴重なエルフなんだからね。じゃなきゃそのまま見殺しにしてたさ」
バロはそう嘯いたが、おそらくそれはただの照れ隠しだろう。
本当に金が欲しいだけなら、わざわざダンジョンになんか連れて来ずに、さっさと赤子を奴隷商人にでも売り払ってしまえばいい。
なのにそうしないのは、きっとバロはこの世に生きた証を残したいと思っているのではないだろうか。
ソルは直感的にそう思った。
「……とにかく、この子は運を持っている。死と隣り合わせのダンジョンで、善意の他人に出会える確率は、そう高くはない」
ソルは感慨深げに赤子を見つめた。
「そうは言うけどねえ。強運なのはあんたも同じじゃないのかい?」
「なに?」
「普通、魔王に負けたら、殺されるのが当たり前だよ。それなのに、あんたはまだ生きてる。これが強運じゃなくてなんだっていうんだい」
「くくく、そうだな。確かにそうだ」
ソルは心から笑った。
結局のところ考え方次第だったのだ。
自分は死にかけているのではなく、まだ生きている。
名誉を失ったのではなく、新たな誇りを見つけた。
そう思えばいい。
「それじゃあ、いくよ。あたしゃここに泊まっていく金はないし、もっと稼がなきゃね」
バロはそう言って、残った酒を一気に呷る。
「そうか。気を付けてな」
「それだけは得意さ。――あと、これはチップだ。とっておきな」
そう言って立ち上がったバロは、オーバーオールのポケットから鐚銭を一枚取り出し、ソルへと差し出してくる。
「しかし、チップとは良いサービスを提供した時の臨時収入だと聞いている。今日の私にそれを受け取る資格があるとは、到底思えない」
ソルは静かに首を横に振った。
「サービスなら、してくれたよ」
「何をだ」
「あたしの話を馬鹿にせずに最後まで聞いてくれたじゃないか」
バロはあっけらかんとそう言うと、人好きのする笑みを浮かべた。
今なら、彼女の芸を見たがった男たちの気持ちが、少しだけ分かる。
彼らはバロを侮っていたが、それだけじゃない。
彼らは侮りながら愛してもいた。
その二つの感情は、きっと矛盾しない。
「そんなことでいいのか?」
「いいのさ。結局、酒場にくる客はみんな、結局のところ自分の話を聞いて欲しがってる、寂しがりやなんだからね」
バロは悟ったような声で言う。
「そういうものか。勉強になった。……そういうことなら、ありがたく頂こう」
「あーうー」
ソルがバロへと伸ばした右手の人差し指を、不意に赤子が握る。
(ああ……。全てを
その小さな温もりが、無条件にソルの生を祝福していた。
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