第37話 交渉

 そこはとある国の山奥だった。


 薬草とインクの匂いの漂う、質素な小屋。


 そこがグリシナの住まいだった。


 パペットに憑依した俺は、木製のテーブルの長辺の位置に用意された椅子に腰かけ、対面した相手を観察する。


 髭を生やし、細い目をした身長160cmほどの小男。


 向こうも、人を食ったような笑みを浮かべてこちらを見つめていた。


 魔王か、その代理人か、その素性は分からない。『鑑定』のスキルが使えないからだ。


 もちろん、これは事前に俺の方から頼んでおいたことで、仲介人のグリシナを通じて、この交渉の場では、『お互いにスキルでけしかけ合うのはやめましょうね』という約束になっていた。


「では、はじめましょうか。――といっても、私はあなたたちが力づくでことに及ばないように監視するだけだから、交渉は勝手にやってちょうだいね」


 俺から見て左斜め――テーブルの短辺にある席についたグリシナは厳かにそう言うと、すまし顔で彼女自身が入れたハーブティーをすすった。


 場を沈黙が支配する。


「じゃあ、まずは自己紹介な。俺は魔王ジューゴ。あんたは?」


 黙ってても何も始まらないので、俺はそう口火を切った。


「エヴリア商会のマルスと申します。以後お見知りおきを」


 マルスがそう言って目礼する。


「へえ。それで、マルス。単刀直入に聞くけど、あんたらはどうして俺のダンジョンを襲った訳?」


「そこに冒険者がいれば、誅殺するのが魔王の使命ですから」


 マルスがとぼける。


「いやそういうのはいいから。襲撃の規模と形態からいって、あんたらが本気じゃないのは分かってる。素直に目的を教えてくれ」


 俺はうんざりしたように肩をすくめて言う。


「なに、大したことではございません。少々、警告して差し上げただけです」


「警告?」


「私たちは皆、等しく真の魔王の僕なのですから。和を乱すような行動を取られるのはよろしくないと、新米のあなたに教えて差し上げたかったのです」


 マルスは慇懃な口調で言った。


「だからごたくはいいって。要するに俺ばっかりが儲けてむかつくってことだろ? でも、ダンジョンで商売してる魔王ってそんなに多くないって聞いてるぞ? だったらそんなに迷惑かけてないよな? むしろ、普通の魔王が餌にしてる冒険者には手を出さずに放流してるんだから、感謝して欲しいくらいだ」


「ええ。確かに魔王に関しては、基本的にはおっしゃる通りです。さりとて、ダンジョンで商売している同朋もゼロだという訳ではございません。加えて、ダンジョンで生計を立てている人間は魔王だけではない訳でして……。 例えば、ダンジョンの外で食料を売っている者もいれば、それを運ぶ者もおります」


 要は俺がそいつらの仕事を奪ってると言いたいのか。


「それは分からなくもないが……。確かに食料とか、簡単な武器は売ってるけど、そうはいっても、俺の店の規模なんてダンジョン全体に比べればたかがしれてるだろうが。あんたらが目の敵にするような存在じゃない」


「……毒麦の芽は早めに摘み取るのが賢明というものです」


「回りくどいなあ。要するに俺が普通の『麦』に――あんたらに利益を与える存在になればいいんだろ?」


 マルスの言わんとすることを察して、俺は問うた。


「ご明察です。我らは『商会』。利益の追求を否定するものではございません。しかし、独り占めは良くない」


「で? 結局あんたは俺にどうして欲しい訳?」


「ジューゴ殿におかれましては、是非、我らの商会に入って頂きたい。さすれば、共存共栄、明るい未来を共に享受できましょう」


 マルスはそう偽善じみた言葉を口にする。


「やっと本題か。で、その商会に入るとどういう権利と義務が生じるんだ?」


 どちらにしろ、俺に先行する『魔王』がたくさんいる世界観である以上、独力でやっていくのは難しい。


 いずれは、どこかに所属しなければいけないのだから、条件しだいでは入ってやってもいい。


 俺はそう考えていた。


「我らの仲間は地上の世界にも、ダンジョンにもたくさんおりますから、まずなにより売るにも買うにも商売がやりやすくなります。そして、仲間のダンジョンが襲われた際には共同してこれに当たります。新米の魔王であるジューゴ殿には特に有用でしょう。義務は、基本的には権利の裏返しですな。会員同士では割引価格で商品を融通し、時に友軍に戦力の供出を求められることもございましょう。さらに、会員には『十分の一税』の義務があり、あがりの10%を商会に収めて頂きます」


 普通だ。


 新米の俺に戦力として期待をしてるとも思えないから、結局商会は俺の商品が欲しいってことだろうなあ。


「ふーん。大体わかったけど、割引価格ってどれくらいだ?」


「商品にもよりますが、基本的には卸値ですな。無茶なことは申しません。ダンジョンで客に販売しておる価格の七割程度を目安に考えてもらえればよろしい」


 元々かなりぼったくってるから、それでも余裕で利益は出るな。


「なるほど。仮に俺が協力するとしても、どんな商品にしろ、何百個、何千個も用意しろっていうのは無理だぞ。俺のとこは零細だからな」


「結構です。実のところを申しますと、ジューゴ殿の商品に興味を持っておられるのは、さる高貴な御方でしてな。今回の件には、その御方の指示が大きく関わっておるのです」


 バックを匂わせて、脅し込みでマルスが情報を開示してくる。


 ともかく、欲しがってる人間は少数だから数はいらないってことか。


「仕入れ先とかは開示できないからな?」


「魔王で身元を探られることを良しとする者などおりません。お互いの素性は知らぬ方が賢明です。商会としては、提供できる商品のバリエーションが増えればよいのです。どんなお客様の要望にもお応えするのが商売人というもの。でしょう?」


 マルスは同調を求めるようにそう言って、小首を傾げる。


「よし。大体わかった。だけど、俺はダンジョンの外にまで商売の手を広げるつもりはないから、正直商売面でのメリットは薄いんだよね。商品の仕入れも今のところ自給自足で間に合ってるし。防衛ネットワークみたいなのには参加したいけど……、今のまま参加しても、正直、義務の方が重くて俺としては損だ。商品をあんたらに融通するばっかりになるだろうからな」


 商会のネットワークは便利そうだったが、それにどっぷりと使って、異世界側とずぶずぶになるのにはちょっと心理的抵抗があった。


 俺の生活基盤はあくまでも地球なので、異世界とは一定の距離感が欲しいという思いがある。


「……何をお望みか?」


 マルスが目を細め、探るような目つきになる。


「別に大したことじゃないよ。義務と権利を対等にしたいだけだ。その仕入れのネットワークとかの権利は放棄するから、代わりに商会に収める10%税金は負けて欲しい」


「いかほどで」


「2%にしてくれ」


「ご無体な。世界一の大店でもそんな特権は認められませんぞ。ましてや、ジューゴ殿は駆け出しの商売人。がんばっても、8%がせいぜいといったところです」


 マルスは大げさに顔をしかめた。


「ええー? それはないだろ。だって、商売のネットワークっていう最大のメリットを放棄してるんだぞ? せめて4%くらいにならない?」


「……ふう。はっきり申し上げましょう。6%。前例を考えてみてもそれ以上はまかりませんし、私にまける権限もございません。この条件が呑めないならば、交渉は決裂です」


 マルスはため息一つ、きっぱりとそう言い切った。


 まあ、防衛の保険と考えれば安いものか。


「わかったよ。じゃあ、あんたの顔を立てて、6パーセントでいいから、おまけにあんたらが尖兵に使った女騎士――ソルって言ったけ。あいつを俺にくれ。使い捨てにしようとしてたぐらいなんだから、あいつは商会にとって大して重要な存在じゃないんだろ?」


 さらっと要求を差し挟む。


 俺的にはソルは結構重大な交渉案件だったが、早めに提示すると足下を見られそうだったので、ギリギリまで持ち出さなかったし、興味あるそぶりも見せなかったのだ。


「その程度ならば、お安い御用です」


 マルスが頷く。


「交渉はまとまったかしら?」


 頃合いを見計らって、グリシナが声をかけてくる。


「ああ」


「はい」


 俺とマルスはそれぞれグリシナの方に身体を向け、そう返事をした。


「穏便に済んでよかったわ。それでは、早速、契約書を作りましょう」


 グリシナが笑顔で手を叩くと、テーブルの上に重厚な金属板が出現した。


 普通の契約には羊皮紙を使うが、特に重要なやつにはこれを使うらしい。


 こうして俺はマルスと共に板に契約を刻みこみ、ソルを手に入れたのだった。


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