第32話 ☆ sixth visitor 浮世の沙汰
メナス川の氾濫。
魔法の才能の欠如。
ドラゴンとの遭遇。
世の中には、自らの力では
今、ソル=レナス=テルグムが感じているのは、そういった類の理不尽だった。
その手にあるのは慣れ親しんだ騎士の誇りたるロングソードではなく、傭兵風情が使うような不粋なハルバード。
十数歩先には、何の変哲もないダンジョンの入り口の扉が、ぽつんと存在している。
「へへへ。いよいよでさあな」
隣にいる乞食じみた風体の小男はそう言うと、短弓の弦を指で弾き、耳障りな音を立てる。
「ああ」
ソルはただ頷く。
「それにしても、騎士様はどうしてこんな汚れ仕事に駆り出されるはめになったんですかい?」
「――名誉のためだ」
「へえ。そうですか。あっしはですね、とある店のブツをくすねたところを運悪く見つかっちまいましてね。しかもさらに泣けることにそのケツもちが魔王の商会同盟だって言うじゃありませんか。危うく縛り首ってところを、ここの魔王を殺せば無罪放免っていうんで否応なしでさあ」
笑う小男の歯抜けの口元が、隣の戦士が手にした松明の灯りにぼんやりと照らされる。
「……」
ソルは名前も知らないその小男の繰り言を無視した。
緊張を隠すためなのかもしれないが、聞いてもいないのにペラペラしゃべり出す、このような下賤で軽薄な輩が、ソルは嫌いだった。
そしてなにより、このような男と同じような立場に堕してしまった我が身の哀れを呪った。
ソル自身は、この小男のように何か不法を犯した訳ではない。博打に手を染めた訳でも、決闘に負けた訳でも、人妻と密通した訳でもない。
ただ、生まれたのが五番目だった。それだけの理由で貧乏くじを引かされたのだ。
(一族の爵位のため、ね)
全身を覆う鉄の鎧。
ソルはずしりと重い兜のフェイスガードを降ろして、自嘲気味に笑う。
高貴なる者であり続けるためには金がいる。
そのことは、ソルとて重々承知している。
しかしそれでも、あと数年早く生まれていれば、もしくは下の弟のように魔法の才があったなら、はたまた両親の金策の仕方がもう少し上手かったなら――ありえたかもしれない様々な可能性を想わずにはいられない。
(いや、まだ、諦めるのは早い)
確かに状況は危機的だ。
敵はあの『純潔のシャテル』。
味方は自分と同じく金の代償に集められた有象無象。
魔術的契約に縛られ逃げることは叶わず、後ろでは、商会の魔法使いどもが絶えず見張っている。
しかし、それでも、なお、活路はあるのだ。
この先にいる、魔王を殺す。
それだけで未来は開ける。
そうだ。
いくら魔王とはいえ、敵はまだ新米。
しがない貧乏貴族のみそっかすから身を立てようと、人生をかけて修得した武技の全てをぶつければ、何とかなるかもしれない。
しかも、ソルは腐っても貴族。
騎士としての戦闘経験を買われ、今回の襲撃のリーダーに選ばれている。
つまり、隣の不愉快な小男も、醜悪な怪物どもも、その全員の命を使い倒せる立場にいる。
たとえ、奴らの血にまみれたとしても、最後に自分一人が立っていさえすればいい。
そう思えば、いくらか気持ちも楽だ。
(皮肉なものだな)
貴族故に堕ち、貴族故に上げられる。
これだから、浮世はままならない。
(この戦に勝ったら、いっそのこと家を出て本当の冒険者にでもなるか)
「行くぞ! ゴブリンども! 突っ込め!」
全てのしがらみから解き放たれた、自由な我が身を夢想して、ソルは号令する。
ソルを契約に縛り付けたどこぞの商会の魔王から代理に付与された権限でもって、まずは最も命の安いモンスターを露払いに使う。
ギャアアアアアアアア!
ゴブリンたちが奇声を上げ、統率もなく扉へと殺到する。
集団の圧力に負け、扉が押し開かれた。
「グギャア」
次の瞬間、ソルがスリットの入った視界で捉えたのは、耳元まで裂けた口で笑うコボルトの姿と――
バアン!
目も眩むよな紅い閃光だった。
本能的に身を伏せたソルは、轟音に鼓膜を震わせながら、刹那に思考する。
(エクスプロージョン!? ――いや、今はシャテルのアンチディスペルのせいで魔法は使えないはず。そもそもエクスプロージョンにしては爆発の規模が小さい。――ならば、一体何だというのだ?)
鎧のおかげで他の者よりはダメージが少なかったソルは、機敏に立ち上がり、状況の把握に努める。
突っ込んだゴブリンの内、五体がミンチになり死亡。
二体が手足の一部を欠損し、戦闘不能状態になっている。
残る三体も、身体の至る所に裂傷を作っていた。
一方、一瞬視界に入った敵のコボルトも、身体を四散させて事切れている。
(自爆? コボルトが?)
自爆するモンスター自体は、さほど珍しい存在ではない。
ソル自身も騎士だった時代は、地上で繁殖した破裂岩や膨れ針鼠などの、自爆系モンスターを何匹か討伐したことがある。
しかし、それらはいずれも、ダンジョンでいえば中層に出てくるようなレベルのモンスターだった。
もし、卑しいモンスターの中でも特に低級な、しかし繁殖力は高く数だけは多いゴブリンやコボルトが、これだけの威力の自爆を使ってくるとなれば、それは世界にとって脅威と言うほかない。
「また来やすぜ!」
ソルと同じく地に伏せていた小男が叫ぶ。
見れば新たなコボルトがこちらに突撃してくるところだった。
その右脇には、鉄だろうか。
材質はともかく、金属製の管を束ねた物を挟んでいる。
左手にも何か持っているようなのだが、小さすぎて松明の灯りだけでは詳細を判別できない。
しかし、大体予測はつく。
(なるほど。マジックアイテムか)
それならば合点がいく。
詠唱が必要な魔法とは異なる原理で発動するマジックアイテムの中でも優れた品は、アンチディスペルが発動された環境下でも使える物があると聞く。
しかし、それは相当な高級品だったはずで、もし相手の魔王がそれを所持していたとしても、コボルトごときに軽々しく持たせて良い代物ではないはずなのだが……。
いや、今はこれ以上あれこれ考えている暇はない。
「わかっているならさっさと動け」
ソルは小男の尻を蹴り上げて、行動を促す。
「わかってやすって!」
小男は一瞬、こちらを反抗的な目で一瞥した後、半立ちになり、弓を構え、撃つ。
その狙いはとても正確とは言い難いものだったが、お互いに逃げ場のない一本道ということもあり、一応はコボルトの脚に命中した。
「グエエエエエエエ!」
傷を負ったコボルトは地面に膝を折りながらも、小脇にしていた金属のパイプをなにやらいじくり始める。
「スライム! 二体とも! 行け!」
「ですが、騎士様! スライムといやあ炎に弱いことで有名じゃないですか。そんなやつらをエクスプロージョンに晒しちまっていいんですかい!?」
「よく見ろ! 無能が! 死んだゴブリンは全て、炎ではなく、爆発の結果飛散した金属片にやられている。あのエクスプロージョンもどき、音は強烈だが、炎の威力自体は大したことはない!」
観察力の足りない小男を、ソルは怒鳴りつける。
そうこうしているうちにも、二体スライムはにゅるにゅると形を変えてソルたちの間を縫って前方へと進み出ると、通路を完全に塞いだ。
直後に、再び爆音。
だが、今度はスライムの蓋のおかげで、耳を傷めるほどの激しさではない。
「どうだ!」
「おお!」
勝ち誇るソルに、皆が歓声を上げる。
予測は当たっていた。
スライムは死なず、その弾力ある身体に食い込んだなにがしかの金属片を、分泌液の酸で腐食させていく。
「行けるぞ! 進め!」
ソルはそう叫び、皆を鼓舞しながら、最前線のスライムを盾に、隘路を突き進む。
やがて、前方に見えてきたのは、道を塞ぐゴーレムの姿。
その陰から、三体のコボルトが飛び出す。
そのコボルトたちが一様に手にしているのは、短い杖に水筒をのっけたようなそんな不思議な形状の物体だった。
見た目としては、確実に金属ではない、かといって、木や石というのにも違和感がある。
そんな微妙な質感だ。見た目がどうであれ、それが危険なことは一目でわかる。
なぜならその杖の先端には、針金が括りつけられ、反対側には明らかに火種と分かる、赤い炎が灯っているのだから。
「全員! 下がれ!」
ソルが叫ぶ。
しかし、全ては遅かった。
ソルの命令が他の愚物の耳に届くよりも早く、コボルトの手にした異形の杖が火を噴き出す。
ジュウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!
その勢いはさながらドラゴンのブレスのごとく、スライムの柔い身体を一瞬で蒸発させる。
むせかえるような異臭が、鼻をついた。
(またマジックアイテムか!?)
ソルは後ろに下がりながら歯噛みした。
中級の魔法使いのフレイムにも相当する威力。
このレベルのマジックアイテムを惜しみなく三つも投入してくるとは、ジューゴとかいう魔王は相当な財産家に違いない。
やつが商会から狙われたのも、おそらくそこらへんに原因があるのだろう。
ギャアアアアアア!
炎の槍を纏ったまま、コボルトが突撃してくる。
「ゴブリンどもは突っ込め! 矢を持っているものは放て!」
手負いのゴブリンたちが、まる焦げの肉壁となりコボルトを阻む。
クゲっ!
でたらめな狙いの矢は、それでも牽制の効果はあったようで、コボルトたちはそれ以上深追いしてこようとはせず、異形の杖から火を噴き出し続けながら、退却して行った。
貴重なマジックアイテムをソルたちに奪われるリスクを考えれば、賢明な判断だろう。
コボルトたちは、やがて立ちふさがるゴーレムの股の下に潜り、その背中に隠れる。
「ゴーレムですかい。ってこたあ、戦士様の出番ですな。あっしらの弓なんて効くわきゃあないんですから」
小男が嫌味っぽく言って、こちらを一瞥する。
「ふん。おい、貴様! 行け!」
ソルは顎をしゃくり、革の鎧とハルバードを装備した、戦士の一人に命令する。
「ちっ。偉そうに命令すんじゃねえ」
「不服か。ならば、魔王から与えられた『憑依』の権限で、貴様の身体を操り人形にしてやっても構わぬぞ」
ソルは尊大な口調で告げる。
下手に出ても、こういう輩はつけあがるばかりだとソルは知っていた。
「くそっ」
戦士がソルから顔をそらし、悪態をつきながら、ゴーレムへと向かっていく。
「木偶のぼうが! 当たるかよ」
戦士はゴーレムの鈍重な一撃を軽々と躱し、右脚の、人間でいうところの膝にあたる部分をハルバードの石突で突いていく。
(あの戦士、中々やる)
ゴーレムは図体が巨大で、威圧感のあるモンスターではあるが、冷静に対処することができれば、さほど脅威になるモンスターではない。
その巨大な自重を支える関節部は脆く、どんなに太くても、耐久力には限界がある。
特にこの隘路では、さらにゴーレムの可動域が狭まるとなれば、難易度はより下がる。
ソルがこの戦士をゴーレムと戦わせたのも、必ずしも保身ばかりが理由ではない。重装のソルよりも、軽装の戦士の方が、ゴーレムの攻撃を回避しやすいと考えたからだ。
(余裕か)
やがて、脚の一部にひびが入り、あと一撃も加えれば、ゴーレムが膝を屈するであろうという段になった刹那――
「ぐわああああああああああ!」
突如、戦士はハルバードを取り落とした。
「どうした! 何があった!」
「わからねえ! ただ! 手が熱くて!」
戦士が必死にゴーレムの攻撃をかわしながら、庇うように手を抱き込む。
「騎士様! 今一瞬、コボルトの奴が、ゴーレムの肩から姿を出しやがりましたぜ! あっしはしかとこの目で見やした!」
「またあいつらか!」
寡黙を旨とするソルも、さすがに叫ばざるを得なかった。
グギャギャギャ!
「ぐっ! くそっ!」
小男の言う通り、憎たらしいコボルトが、ちょこちょこゴーレムの合間から姿を見せる度、戦士が苦悶の声を上げている。
その手には、また水筒のような筒。
お馴染みのマジックアイテムという訳か。
「撃て! 撃て! 撃て! 援護射撃だ! コボルト共の好きにさせるな!」
敵の攻撃の仕組みもわからないまま、ソルは叫ぶ。
慌てて小男をはじめとする弓持ちたちが矢を放つ。
しかし、まるでかくれんぼのように身を隠したり出したりするコボルトたちに翻弄され、攻撃はかすりもしない。
いや、それどころか――
「うわっ。目があああああああ! あっしの目がああああああ!」
小男が苦悶の叫び声を上げて、両目を押さえながら、地面を転げ回る。
(攻撃の予備動作がなさすぎる! なんだこれは!)
弓のように弦を引く訳でもなければ、剣のように振りかぶる訳でもなく、本当にコボルトが顔を出した瞬間と同時に敵の攻撃はやってくる。
位置関係的に直線軌道の飛び道具を使ってきていることは分かるが、物理的な実体はない。
こんな技をどう躱せというのか。
ブチュ。
嫌な音がする。
謎の攻撃を繰り出すコボルトから、再び視線を移した先にいる戦士は――潰れていた。
ルブロムの実のような、赤い汁をまき散らして。
ダァン!
ダァン!
ダァン!
ゴーレムの股の下を抜け、コボルトたちが殺到する。
躊躇なく爆散する魔王の眷属共に巻き込まれ、三名の弓兵たちが息絶えた。
これで残された戦力は、ソル自身と、明かり代わりの雑兵一人。
(もはや、正攻法は不可能、か。ならば――)
「松明を消せ」
静かな声で、ソルは呟いた。
「はっ? あんた何言ってんだ?」
「いいから消せ!」
「あんた! イカレちまったのか!? 付き合いきれねえ!」
「愚か者めが」
踵を返して逃げ出そうとする雑兵の背に、ソルは躊躇なくハルバードを突き刺す。
「グガっ」
さあ、これで即席の盾ができた。
松明を足で踏み消す。
そして、ダンジョンは闇で満たされた。
こちらも見えないが、奴らも狙いを定められないはずだ。
(昏きより生まれ、昏きへと還る――か)
いつぞやの葬式で聞いた一節をふと思い出しながら、ソルはもはや誰のかわからない手近な肉片を掴み、前方へと投げる。
闇雲に反応したゴーレムが、地を叩く音。
ソルは走った。
何もかも、ろくに見えない。それでもソルは、漠然とした輪郭だけを頼りに、馬跳びの要領でゴーレムを跳び越える。
(やはり、そうか)
この単純な構造のダンジョンや、隘路にゴーレムを配置するなどの軽挙な行動から見て、魔王が十分な準備の下にソルたちを迎え撃った訳ではないことは明らかだった。
いくら敵が未知のマジックアイテムを所持していても、奇襲の効果はなかった訳ではないのだ。
グギャア!
炎が噴き出す。
それでもソルは構わず、ハルバードを前に突き出して、前進を続ける。
死体が焼ける。
鎧は溶ける。
それでも中身は無事だ。
炎が途切れる。
敵が臆したのか、ソルが蹴散らしたのか、そんなことはどうでもいい。
ただ、騎士として、倒れるならば前のめりに死にたかった。
二体目のゴーレムの気配。
死体を遠心力で左隅に放り投げる。
ゴーレムが動く。
ソルも動く。
タイミングは勘。
それでも、運はソルに味方した。
ゴーレムと平行にすれ違う。
何かにぶつかった。
壁だ。
手探りで探す。
道を見つける。
正しい道かどうか。
それもまた些末なことだ。
また走る。
再びゴーレムがいる。
投げるものがない。
だから、今度は兜を生贄に捧げた。
股下に滑り込む。
髪を踏まれた。
立ち上がる。
額に激痛が走った。
熱い。
熱い。
熱い!
だが、まだ生きている。
生きているから痛みを感じるのだ。
「はあ。はあ。はあ」
息は切れるが、だんだんと闇にも目が慣れてきた。
その証拠に、目の前に扉があることははっきりと見えている。
ソルの気分は高揚していた。
このまま全てが上手くいく。
そんな根拠のない自信を抱く。
この先に魔王が待ち構えている都合のいいイメージを思い浮かべ、ソルはありったけの力でハルバードを振り回した。
不格好ながらも実用的なその斧は、木の扉を見事破砕する。
体当たりするようにその奥の空間に踏み込んだソルは、未来のために大きく息を吸い込み――そのまま意識を失った。
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