第28話 インスタント

 期末試験から終業式までの間に設けられた微妙な期間。


 本来なら、補講や追試などのために充てられるそれだったが、どちらにも関係のない俺にとってはもう実質夏休みと変わらない。


 今日もダンジョンの設備を充実させるあれやこれやを滑車で降ろし、俺は自分の店へと向かう。


「ご主人様……お帰りなさい」


 店番をしていたシフレが、俺の方に駆け寄ってきて一礼した。


「どうだ。調子は。何か変わったことはあったか?」


「ちょうど、大賢者の……グリシナさんが、いらっしゃっています」


 俺のあいさつ代わりの問いかけに、シフレが『皆さんご存じの』的なトーンで答えた。


 異世界では有名人なのかもしれないが、もちろん、俺には誰の事だか分かるはずがない。


「そうか」


 しかし、彼女たちの主人である手前、自分から『グリシナって誰』と問いかけるのも威厳に欠けるので、俺はただもっともらしく頷いてみせた。


 まあ、どっちにしろ鑑定してみれば大体の情報は手に入るし。


「ご主人様。それは、何ですか?」


 シフレが俺の持っている手提げ袋を指して問う。


「カセットコンロ――簡易な調理器具だ。ノーチェの奴が、炊き出し用の道具を用意しろとうるさかったからな。用意するついでに、うちでも簡単な軽食を提供するサービスを始めようと思って」


 ノーチェには今まで、廃棄食品のコンビニの飯を適当に買い取らせていたのだが、段々来訪する信者数が増えたので、それだけでは必要な食事の量を供給できなくなってきた。しかも、やれこの日は戒律で肉はダメだとか、この料理では味が贅沢すぎるとか、注文が多すぎて超めんどくさい。


 だったら、いっそのこと材料と調理器具を与えて自分で作らせた方が早いと考えたのだ。


 コンロと土鍋さえあれば、パンでもスープでも大抵のものは作れる訳だし。


「なにを、提供されるのですか? ……あの、お姉ちゃんも私も、あまり凝った料理は、作れない、ので」


「そこらへんは客の反応を見て決めようと思っているが、とりあえず、調理の手間は心配しなくていい。簡単だから」


 軽食といっても、人員不足の今、しばらくは手間のかかるガチな料理をさせるつもりはない。簡単に作れるレトルト食品がメニューの中心となるだろう。


「そうなの、ですか?」


「ああ。とりあえず、俺が今日の昼飯にいくつか作ってみるから。そのやり方を見てればわかる」


「……楽しみです」


 シフレを引き連れて店先に戻る。


「おう。ダーリン、戻ったか! 聞いてくれ、このババアがわらわのことを純潔じゃ、純潔じゃ言うていじめるのじゃ。ダーリンから説明してやってくれ、あの愛を育んだ熱い夜のことを!」


 シャテルがタコみたいに唇を突き出して、俺の首元に抱き付いてくる。


「何が熱い夜だ。ただの食糧補給だろうが。さんざん俺の生気を吸い取りやがって」


 俺はシャテルを引きはがしながら反論する。


 あれは契約であって、愛ではない。断じて。


「まあそう言うなダーリン。わらわが男性から生気を吸い取ったのはそなたが初めてなのじゃから、嘘ではあるまい?」


「ダーリン、ね。ということはあなたが魔王ジューゴという訳ね」


 名前を呼ばれた俺は、声のした方に視線を投じる。その先には、いかにもそれっぽいローブ姿の老婆が、床に腰かけていた。


 早速、『鑑定』を使ってみる。


 ・セルバ・グリシナ・・・ヒューマンの女性。火・風・水・土、四元素全ての魔法を使いこなす大賢者であり――


 ブツン!


「っつ」


 突如、情報が途中で切れ、イヤホンジャックを突然抜かれたような不快感が俺を襲う。


「大人の女性の秘密を暴こうとするものではないわよ。魔王さん」


 グリシナは、若い頃の美貌を思わせる穏やかな微笑を俺に向けてくる。しかし、その目の奥には、尋常でない殺気が宿っていた。


 俺の背筋に寒気が走った。


 (なんだこいつやべえ。)


 やっぱり大賢者ともなると、魔王のスキルにも抵抗できるんだな。


「……よりよいサービスを提供する目的で、俺が店に出る時は全ての顧客のデータを一応、調べるようにしている」


 隠せないと思った俺は、開き直って白状する。


「そうなの。商売熱心で結構なことだけれど、一応、許可は取った方がいいわよ」


 グリシナは、納得したように頷く。


 そんなに怒ってはいないようだ。


「なんじゃ! まさかジューゴ! グリシナに『鑑定』を仕掛けたのか!? 命知らずじゃのう! ババアの全盛期だったならば、とうの昔にその身体は塵に変わっておるぞ!」


 シャテルがおもしろいものでも見たように笑い転げる。


「人聞きが悪いわ。ただ身にかかる火の粉を振り払ってきただけなのよ」


 老婆がはにかむ。


「とにかく、そこからどいてくれ。飯を作るスペースが必要だから」


 俺はぞんざいに二人を追い払い、商品を端に寄せた。


 ババアとロリババアの会話などに一ミリも興味はない。


「ほう。ジューゴ。お主、料理なぞできたのか」


 シャテルが100均で買ったポケット将棋をしまいながら目を丸くする。


「まあ、料理ってほどのもんじゃないけどな」


 オールレトルト食品の飯はさすがに料理とはいえない。


 とはいっても全く自炊ができないという訳でもない。今日も、実は軽いデザートを作ってクーラーボックスにぶち込んできてある。


 俺はダンボールの棚にカセットコンロを二口置くと、その上に深めの土鍋をのせた。


 蓋を開け、ポリタンクに入れた水を鍋に注ぎ込んだ。


 スイッチをひねり、着火する。



 チチチチチ、ボッ。



「わっ、火が付きました。すごい、です」


 シフレが俺の背中に隠れながら、おっかなびっくりカセットコンロを覗く。


「……そうか? 魔法があるんだからこれくらい普通だろ?」


「確かに、貴族なら火の精霊を封じ込めた魔法石のかまどくらいは持っているものだけれど、そんな当たり前みたいに言い切れるなんて、魔王さんは随分お金持ちのようね?」


 グリシナが探るような目つきで俺を見る。


「――そうかもな」


 俺は適当に話を合わせながら、鍋にサ○ウのご飯やら、カレーやら牛丼やら、レトルト食品を適当にぶちこむ。


 客の間では、俺はどっかの貴族か大商人のボンボンということになっているらしいし、特に否定する理由もない。


「でも、この品からは不思議なことに精霊の気配を全く感じないのだけれど」


「そこは、商売上の秘密だから」


 俺はぴしゃりと言って、更なる追及を拒絶する。


 グリシナはもしかしたら、俺がこの世界の人間でないことに気がついているかもしれない。


 そう思わせるほどの雰囲気が、このババアにはある。


 だからといって、わざわざ俺の方から話してやるつもりもないが。


「そうよね。ごめんなさい。……ところで、そのお食事に私もご相伴に与らせて頂くことは可能かしら?」


 グリシナが控えめにそう問うてくる。


 腹が減っているというよりは、どんな食事が出てくるのか興味津々といった感じだ。


「金を払ってくれるならいいぞ。ついでにモニターとして感想を聞かせてくれ」


「おいくらかしら?」


「ん」


 首を傾げるグリシナに、俺は値段表の張り紙を指さした。


「あらあら。魔王だというのに、随分と良心的なのね」


 グリシナが感心したように目を丸くする。


「今はお試し期間だから。モニター料金も含めてのサービスだ」


 ぶっきらぼうに答える。


 もうちょっとふっかけても払いそうな感じだったが、ここは我慢しておく。


 グリシナはこの世界ではかなり有名な人物のようだし、心証を良くしておいて損はないだろう。


「そうなの。なら、ちゃんと味わって食べないといけないわね」


「大丈夫か? 多分、ジューゴの出す料理の味は濃いぞ? 味のない薬草ばかり食っておるお主が、いきなりそんなものを食べたら、びっくりして心臓が止まるのではないか?」


 シャテルがグリシナをからかうように言った。


「少なくとも、精液の味しか分からないあなたよりはまともに賞味できると思うわよ」


 グリシナが涼しい顔で言い返す。


「失礼な! わらわはそんじょそこらのサキュバスと違って、ちゃんと味覚も備わっておるわ! 主と晩餐を共にできるようにな!」


 シャテルは栄養にこそならないものの、一応普通の食事もできるらしい。事実、たまに俺が持ってきたものの中から、興味あるものだけをつまみ食いすることもあった。


 まあ、シャテルにとっての食事は、人間でいうところの、飲酒や喫煙に近い嗜好の範疇なのだろう。


「――じゃ、シフレ。ぼちぼち、トカレとノーチェの奴を呼んできてくれ」


 喧嘩しているのかじゃれあっているのか分からない二人を尻目に、俺はそう命令を下す。


「わかりました。ご主人様」


 シフレが頷いて、とことこと駆けていった。

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