第27話 ☆ fourth visitor 不惑ならずとも(2)

 二本の朽木に囲まれた木陰に、唐突にその扉はあった。


 草原でもマグマでも海の中でも、周囲との調和を気にしない無機質な扉。


 『魔王ジューゴ』と記された張り紙を確認して、グリシナはその扉をくぐった。


「いらっしゃい……ませ」


 出迎えたのは、シャテルでも、男のヒューマンでもなかった。


 かすかに魔の力を感じ取れる少女が、店の奥からこちらに視線を投げかけ呟く。


 しかし、その声は、宿泊客たちの談笑の声にかき消されるほど小さかった。


 グリシナが魔法の使えない普通の老人だったならば、間違いなく聞き取れていないだろう。


 ともかく、まだできて間もないというのに、このダンジョンは結構繁盛しているらしい。


 少女の下まで進む。


 一歩先に行く度に、宿泊客たちの笑い声はしぼんでいき、やがて室内は彼らの息を呑む音が聞こえそうなほどの静寂に満たされる。


「『純潔のシャテル』はいるかしら」


「あの……どういった、ご用件でしょうか?」


「ああ、ごめんなさい。シャテルとは昔の知り合いだから、ちょっと顔を見せにきたのよ。『グリシナが来た』って言ってもらえれば大丈夫だから」


「……少々、お待ちください」


 少女が店の奥に引っ込む。


 やがて奥から姿を現したのは、気怠そうな顔をしたサキュバスだった。


 所詮は人の身であるグリシナと違い、衰えを知らぬシャテルの容姿は幼い少女のまま時を止めている。


「久しぶりね。シャテル」


「一体何の用じゃ、グリシナ。ちゃんとお主たちとの契約は守っておるぞ。ティリアから聞き及んでおるじゃろう」


 シャテルが警戒心を露わにこちらを睨みつけてくる。


 それも当然だ。


 シャテルとグリシナは、いわば敵同士といっていい間柄なのだから。


「そんなに邪険にしなくてもいいじゃない。今日の私はただの客として来ただけなのよ」


「はん。白々しいわ! その死に損ないの老いぼれの身で、今更ダンジョンの深層を踏破しようという訳でもあるまいに」


 ぶっきらぼうに吐き捨てる。


 その口の悪さが、今のグリシナには心地よかった。


 いまや、自分と対等に会話してくれる存在は、たとえ魔物であっても貴重な存在だったから。


「あらあら、なら敬老の精神で、もう少し私に優しくしてくれてもいいじゃない」


「わらわに敬老の精神を求めるとは、本当に耄碌したか? 子供がいれば喰らい、老人がいれば犯すのが魔族の流儀じゃ。人と魔は相容れぬ。お主が、魔王にならぬ限りはの」


 シャテルの双眸が深い闇に染まる。


 それははっきりとした拒絶の証だった。


「……そう残念だわ。やっぱり、私はもう、何者にもなれないのかしら。冒険者にもあなたのお友達にも」


「冗談を抜かすな。魔族の前に屍あり、人の前に歴史あり。わらわが主に従い人を殺しに殺し、魔将となった事実も、お主が幾多の魔物の命と引き換えに賢者と呼ばれる存在になった事実も、どちらもゆるがせにはできぬ。あまつさえ、わらわとそなたは、共に愛する存在を奪い去った者同士ぞ」


 どこか悲しみを帯びた口調で、シャテルは淡々と事実を告げる。


「そうね。本当にシャテルの言う通りだわ――なら、あなたの言う通り、死にぞこないの私にできることは一つしかないわね」


「ほう?」


「私と、果し合いをしてもらえないかしら。あの時の決着をつけたいの」


 グリシナは決然と言い、杖を構える。


 危険を察知した宿泊客たちが、手早く荷物をまとめ、先を争うように少女に出立の手続きを申し出た。


「……本気で言うておるのか? ――お主の方が不利なのじゃぞ?」


 知っている。


 ここ数年でぐっと老いたグリシナに比べ、シャテルは人間を殺して新しくその力を増すことは禁じられたとはいえ、その力は全盛期のそれを維持しているのだから。


「ええ。だからこそ、あなたにとっても悪くない話でしょう。あなたが私に勝てば、あの契約は破棄されるのだから。もはや、あなたは何の呪いに怯えることもなく、再び人を殺し回れるようになるわ」


「――ふむ。よかろう」


 シャテルは神妙な面持ちで頷いた。


「本当? 勝負を受けてくれるのね?」


 グリシナは救いを求めるような表情でシャテルに確認する。


 やはり、シャテルもまた、死に場所を求めていたのだろうか。


「ああ、決着をつけよう。ただし――、これでな!」


 シャテルは重々しい頷きから一転、悪戯っぽい表情で笑うと、店の商品棚の下から手の平サイズの板を取り出した。その上には、東のシーヌ語にも似た象形文字が刻まれた駒が並んでいる。


(私に分からない言葉がまだこの世界にあったの)


 世を憂いていても、グリシナの賢者としての知的好奇心は、衰えていなかった。


「――お主が死に急ぐのは勝手じゃがな。こう見えて、わらわは結構、今の生活が気に入っておるのじゃ。お主との契約という枷があった方が、わらわの方から手を出せない分、人間共も安心じゃろうからの。だから、馬鹿馬鹿しい殺し合いに付き合ってやるつもりはない」


 シャテルがグリシナの心を見透かしたように言う。


「そう。……変わったのね。あなたは」


 グリシナは羨ましい思いでシャテルを見遣った。


 人生も終わりに差し掛かって、過去を振り返ってばかりいる自分と違って、終わりなき生をこの魔物は、きちんと一区切りをつけて前に進んでいるらしい。


「ふふん。やっぱりわかってしまったか! さすがは、腐っても賢者じゃの。そうじゃ、男の生気を吸ったわらわはもはや『純潔のシャテル』ではないのじゃ! これでもはや小童共に『万年処女』などと蔑まれることもない! これからは『淫婦シャテル』と呼ぶが良いぞ!」


 シャテルが自慢げにその肢体を見せつけてくる。


 無邪気にはしゃぐその様子はまさに、外見通りの幼子のようで、グリシナは毒気を抜かれてしまう。


 シャテルが、グリシナたちが殺したあの魔王の第一の寵臣だった理由が、グリシナにも少しわかった気がした。


「そういう意味で言った訳じゃないのだけれど。いいわ。……ルールを教えてちょうだい」


 グリシナは構えていた杖を降ろし、そう促す。


「そうかそうか。遊び方は簡単じゃ。基本的には、『ヌールザラーム』と同じじゃからの。グリシナほどの賢者ならば当然知っておろう」


「ええ。もちろん」


 『ヌールザラーム』は『光と闇』といった意味を持つ、ボードゲームだ。


 その成立は古く、一説ではダンジョン誕生と同時期にまで遡ると聞いている。


 プレイヤーは、白の『地上の者たち』と、黒の『魔王とその眷属』に分かれ、どちらかが相手のリーダーを屠るまでひたすらに戦い合う。


 駒は生ある者の一生を模して作られる以上、一度殺されてしまえばそれでおしまいで、従っていかに弱い駒で強い駒を取るいわゆる『駒得』を重ねることが勝利への常道だ。


 お互いに許し合うこともなくただ相手にダメージを与えるためだけに、殺戮を繰り返すその様は、シャテルとグリシナの決戦を再現するにはおあつらえ向きの状況だといえた。


「なら話が早い。『人間』が『フ』、『獣人』が『キョーシャ』、『妖精』が『ケーマ』、『ドワーフ』が『ギン』、『エルフ』がキン、そして、『わらわ魔将』が『ヒシャ』、『お主賢者』が『カク』、そして、わらわで言うところの魔王、お主でいうところの皇帝が『ギョク』。どうじゃ、簡単じゃろう? それから、駒の動かし方じゃが――」


 シャテルが駒を一つ一つ並べながら、解説していく。


 なるほど。駒の数や、盤の広さに多少の違いはあるが、基本的には同じような構成になっているらしい。むしろ、種族ごとの特殊能力が設定されていないだけ、遊戯が簡略化されてるといえた。


「結局、私たちは殺し合う運命なのね」


 グリシナが俯き、皮肉めいた調子で独り言を漏らす。


「――そうそう! 言い忘れておった。この『ショーギ』はな。基本的にはヌールザラームと同じルールじゃが、一か所だけ違う点があるのじゃ」


 シャテルはグリシナのぼやきには反応せず、わざとらしく手を叩いた。


「違う点?」


 グリシナが顔を上げる。


「……ショーギの駒は、『死なぬ』のじゃ、『ギョク』を除いてな」


 シャテルはそう言って、意味深な笑みを浮かべる。


 グリシナに何かを伝えようとしている表情だった。


「どういうことかしら?」


 意を汲み取れないグリシナは、首を傾げる。


 まさか、倒した駒がアンデッド化するとでも言うのだろうか。


 いや、でも、魔族が持ち出してきたゲームだし、ありえないことはないかもしれない。


「このゲームの駒はな。一度やられると、あっさり敵に投降して今度はその先兵となる。どうじゃ。しぶとかろう?」


 埒もない妄想をするグリシナを、シャテルがどこか慈愛に満ちた眼差しで射抜いた。




                 *




 シャテルが、厚い紙でできた棚の上にあった商品を端に寄せて、やや強引にスペースを作り、その上にショーギの対局板をのせる。


 店の隅っこで、地べたに腰かけたグリシナは、シャテルと向き合った。


 シャテルの先攻で対局が始まる。


 最初は少し戸惑ったグリシナだったが、やがてショーギという遊戯に馴染んだ。


 多少ルールが変わろうとも基本的な駒を取る技術や、展開は何となく共通しているからだ。


 シャテルの指し筋は、かつて戦った時と同じく、情熱的で苛烈だった。


 目標を定めたら、全ての駒を使って迷いなく攻めてくる。少し気を抜けばやられてしまいそうなその激しさに、グリシナはしばし全ての憂いを忘れて盤面に集中した。


「ほほほほ、どうした。このままだと、後、三手で『詰み世界の終わり』なのじゃ。わらわは、『ツメショーギ』で勉強したからな。ふふふふ」


 シャテルが気を良くして顎をそらす。


 事実、シャテルの駒はグリシナのそれよりも充実し、今や『地上の者たち』の軍勢は、風前の灯のように思えた。


「あらあら。三手も頂いていいのかしら。それじゃあ、私の勝ちのようね」


 偶然にも勝敗を決したのは『カク賢者』だった。


 何十手も前から潜むように盤の隅にいたそれが、奇襲的に『ギョク』に襲いかかる。


 実は、攻め込まれたように見せていたのは偽装であり、全てはシャテルの駒を誘導するためであった。


「ああああああああああああ!」


 シャテルは愕然とした声で叫び、盤面へ鼻がくっつきそうな距離で顔を近づける。


「最初の立ち上がりが遅れてしまったから、まともに戦ったら勝てないと思って、奇策に走ったのだけれど、上手くいってよかったわ」


 グリシナは人差し指と親指で摘み上げた『ギョク』を見つめて微笑む。


 これほど純粋な勝負をしたのは、何十年ぶりのことであっただろうか。


 血も、後悔も、因縁もなく、ただ素直にその勝利を喜べる戦いを。


「ち、違う! これは、この盤がまるで小人族用のようにちゃちで細々しているのが悪いのじゃ! じゃから、こんな単純な見落としを……。くそ、ジューゴがケチらずにもう少し良い盤を買ってきてくれればこんなことには――」


 シャテルは子供のようなたわいない言い訳をしながら、身体を震わせる。


「とても楽しかったわ。でも――『ギョク』を失って、ただ取り残された『ヒシャあなた』と『カク』は、もうこれ以上、動くこともできないのね」


 主役を失った盤面を見て、グリシナの思考は現実へと引き戻される。


 創造主の盾になることもできず一人残されたシャテルも、若者たちの未来を救えずに老いさらばえたグリシナも、共に『ギョク』を守れずに、生きながらえた駒と同じだ。死ぬべき者が生き、生きるべきものが死んだその先に、待つその後の人生の指針を『ショーギ』は教えてくれはしない。


「……グリシナよ。そなたは賢者故に、考えることが仕事なのかもしれぬが、思索が必ずしも幸せをもたらすとは限らぬぞ。あれこれ悩むのは、ショーギの中だけで十分じゃ」


 一瞬真剣な表情に戻ったシャテルが、ぽつりと呟いた。


 シャテルは、時間を遡るように、駒を双方が動かした通りに元に戻し、それから、確かめるように駒を進めた。


 先ほどとは異なった手順で。


 新たに盤面に繰り広げられた展開では、グリシナが『ギョク』を取る一手前に、シャテルが『ツミ』を成し遂げていた。


「あなた――、まさかわざと私に負けて……」


 グリシナより何百年も長く生きて、数多のモンスターを指揮し老獪な冒険者を退けてきたシャテルだ。


 やろうと思えば、もっと巧緻に長けた攻め方もできたに違いない。


 それでも敢えてあんな無茶苦茶な攻め方をしてきたのは、きっともう一度グリシナに人生の喜びを思い出させるためなのではなかろうか。


「さて! わらわが負けてしもうた以上は契約を破棄する訳にはいかぬの。――それで、お主が勝った時のことを決めてなかったが、それは不平等というものじゃな。故に、汝が望むことをわらわができる範囲で叶えてやろう」


 シャテルはグリシナの言葉など聞こえなかったように、尊大な口調でそう宣言する。


「そうね。――私はまたここに来ても、いいのかしら」


 初めて想い人に告白する乙女のような内気さで、淡い望みを口にする。


「……先にも言うた通り、わらわはお主の敵で、お主はわらは敵じゃ。それは揺るがぬ」


 シャテルははっきりとそう断言する。


「そうよね。ごめんなさい」


 グリシナは寂しげに笑って、杖を掴み、それを支えに立ち上がった。


「――最近読んだ、『マンガ』という書物の受け売りなのじゃがな。世の中には、『強敵』と書いて、『友』と読ませる関係があるそうじゃ。わらわたちも、あるいはそういうものになら、なれるかもしれぬの」


 シャテルは、彼女自身も確信できていないように視線を泳がせながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「――その書物も、言葉も、聞いたことがないわ。でも、素敵な響きね」


 敵と味方だった過去は変えられないけれど、その間にある第三の関係なら新たに築くことができるかもしれない。


 そのことに気が付いた時、グリシナの心が、ふと軽くなった気がした。


「じゃろう? この店には、まだまだそなたの知らないおもしろいものがたくさんあるぞ。くたばるまでに極められるかな? 『大賢者グリシナ』よ」


 シャテルがその挑戦的な瞳で、グリシナを見つめる。


「極めてみせるわ。『純潔のシャテル』」


 グリシナはその視線に応えるように、彼女の人生の詰まった光り輝く栄光の杖をシャテルに突き付ける。


 今ならはっきりと分かる。


 シャテルの創造主たる魔王が彼女へ本当に求めたことは、安っぽい身体の純潔などではなかったのだと。


「じゃから、わらわはもう、『純潔』じゃないと言うておろうが! いくらババアとはいえ、物忘れが激しすぎるぞ!」


 シャテルは頬を膨らませ、眉を逆立てる。


「いいえ。それでも、あなたはやっぱり、『純潔のシャテル』よ。それ以上にふさわしい二つ名はないわ」


 グリシナは自信満々にそう断言し、悪戯っぽく笑いかける。


 その世界で一番汚れのない心を持った魔物に。



==============あとがき===============

 いつも拙作を拝読くださり、まことにありがとうございます。

 年配キャラしか出てきませんが、個人的にはお気に入りのエピソードです。

 もし作者の他にも気に入って頂ける方がいらっしゃいましたら、★やお気に入り登録などで評価頂けるとありがたいです。

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