第26話 ☆ fourth visitor 不惑ならずとも(1)
『実りなき草原』は、冒険者の資質を計る試金石だと言われている。
大した素材は得られないが、遮蔽物が少なく、視界が開けているために警戒はしやすいので、突発的なアクシデントには見舞われる可能性は低い。
モンスターのレベルもそこそこで、経験を積むにも、手堅く稼ぐにもうってつけの場所だ。
それ故にこのダンジョンを訪れる者の数は多く、いつでも老若男女の冒険者が入り乱れ、不毛の草原を彩っている。
手練れの冒険者にとっては安全な通過点であり、未来あるルーキーにとっての現実的な目標であり、身の程を知った冒険者にとっての終着駅でもある。
つまるところ、『実りなき草原』はそんな場所であった。
そして、ここにもまた、人生の終盤にさしかかった老婆が一人。
彼女――グリシナにとっての『実りなき草原』は、一言でいうならば、『庭』だった。
年季を感じさせる深緑色のローブを羽織り、頭にはこげ茶のマジカルハットという地味な装いの中、ただ無数の宝石に飾られた彼女と杖と、顔の深く刻まれた皺だけが、その人生の労苦を物語っている。
そんなグリシナは、今、飛んでいた。
俗にレビテーションと言われる高位魔法。
風と火、二つの元素を極めなければ用いることの叶わないそれを、足代わりに繰り出す彼女は、水晶の光を放つ天井ギリギリを涼しい顔で舞う。
翼あるモンスターたちの群れは彼女を見つけた途端に急速旋回し、地上を這う獣はその姿を恥じるように下草に身を隠す。
いかに知能の低いモンスターとはいえ、格の違いを知っているのだ。
そしてグリシナもまた、それを追わない。
もはや、人から『大賢者』の名を冠されるグリシナにとって、その程度のモンスターは興味をそそられる相手ではなかったし、第一線を退いた今となっては、今更無益な殺生をする理由もなかった。
なにより、今日はいつものあてのない散歩と違い、明確な目標がある。
「困ったわねえ。年を取ると目が悪くなっていけないわ」
グリシナは周囲を見回してこぼす。
全盛期のグリシナなら、この程度の広さのダンジョンならば、隅から隅まで見渡すことができたし、葉がすれの音から一角獣の瞬きの仕草まで峻別することができた。
しかし、いかに魔法で感覚を強化しようとも寄る年波には勝てない。
索敵範囲はあの頃の四分の一程度に落ち込んでいた。
仲間と共にダンジョンに潜っていた頃なら、あの愛らしい光神教の使徒の少女が『グリシナで目が悪いというなら、私も含めこの世の人間のほとんどは盲目ということになるぞ』などと、軽口を叩いてもくれたろうが、今や彼女も立派な大人だ。
「――誰かに道を尋ねるしかないかしら。あら」
二キロメートルほど先に見つけた人影に、グリシナは顔をしかめる。
明らかに使い古してない、おろしたての装備品を身に着けた、初心者じみた風体の一団が、ワイルドハウンドの群れに囲まれている。
獣人の戦士とエルフの弓使いと人間の魔法使いの、必要最低限な――長く潜るには心もとない構成。
その近くには、ポーションなどの材料になる『リラの実』のなる樹が生えていた。
「『実りなき草原』で、実りある樹が存在するその意味をどうして考えなかったの」
若者らしい無鉄砲さに、グリシナはため息をつく。
すなわちそれは、宝箱やレアモンスターと同じ、冒険者を引き寄せるための餌なのだ。
「仕方ないわね――」
瞬時にグリシナは冒険者の一団の上空に迫る。
「ストーンウォール! アイシクルエッジ!」
グリシナの間髪容れない詠唱で発生する、二つの魔法。
五メートルにも及ぶ土壁が冒険者の周りを覆い、鋭利な氷の刃が、的確に群れの中でも一際大きな一体を刺し貫く。
「餌にありつけずに残念だったわね。お行きなさい」
グリシナがそう促すでもなく、不意打ち的な襲撃を受けたモンスターたちが三々五々散っていく。
リーダーを中心に、群れで狩りをするのがワイルドハウンドの習性だ。
頭目を失えば、組織は簡単に瓦解する。
そんな所は、人間も同じかもしれない。
かつてグリシナたちの『群れ』のリーダーでだった『勇者』と呼ばれていた青年の顔が、ちらりとグリシナの頭をよぎった。
彼は死ぬべきでなかった。ここにいるルーキーたちと同じように、まだ未来ある若者だったというのに。
魔法を解くと、土くれの壁は形を失いガラガラと崩れ落ちる。
グリシナは悠然と地上に降り立った。
「怪我はないかしら?」
グリシナが微笑みかけると、やっと事態を理解したらしい冒険者がほっとしたように肩を落とした。
「助かったぜ。ばあさん」
「かたじけない」
戦士と弓使いが口々に礼を言う。
「……その煌めく四元素の宝石――もしや、あなた様は『大賢者グリシナ』様では?」
「そう呼ばれることもあるわね」
グリシナ自身はその称号を気に入ってはいなかったが、一々否定するも面倒で、曖昧に笑って受け入れるようになったのは何十年前のことだっただろう?
「まじかよ! 『虹変(こうへん)のグリシナ』って言えば、倒した魔王の数は優に三桁を超えるっていう大英雄じゃねえか!」
「その御名は、森深き我が里にも届いていたでござる」
「――まさかこのような場所で、全ての魔法使い憧れであるグリシナ様と出会えるとは、未熟な私めに、是非、何かご教示を!」
三人は、グリシナに尊敬の視線を向けてくる。
正体がばれてしまえば、こういう反応をされるのは分かり切っていた。
対等に付き合えるような人間は、もはや指折り数えるほどしかいない。
そのほとんどが、何かしらの要職についていて、頻繁に会えるような間柄ではなかった。
「そうね。私から言えることは、命は大切にしなさい、ということかしら」
「はあ……」
魔法使いの青年は、困ったように頭を掻いた。
この魔法使いが求めている助言が、そんなありきたりな忠告ではないことくらいは分かっていたけれど、それでも敢えてグリシナはそう答える。
別に自分の魔法を秘匿しておきたいとか、そういうせせこましい理由ではない。
今まで何人も弟子をとったけれど、グリシナが見込んだ人間の多くは逝ってしまった。ダンジョンで、戦争で、もしくは、実験で。
グリシナの下に学びに来るような才能溢れる若者は、皆、輝かしい栄光と引き換えに命を燃やし尽くしてしまう。
かといって、凡才に過ぎたる力を与えても、それはそれで欲にまみれて道を誤らせることにしかならなかった。
子もおらず、同じく生き残ったあの使徒の少女のように神に全てを捧げられるほどの信仰もないグリシナの人生には、頼るべき縁(よすが)がない。
結局、何も自分は世界に残すことができなかったのだ。
そう思うと、全てが空しかった。
「――グリシナさんよ。あんたほどのお方がどうしてこんな中途半端なダンジョンにいるんだ? 俺たちにとっては脅威でも、あんたにとっちゃ、ここにいる敵なんて練習にもなりはしないだろう?」
剣士が首を傾げる。
「そうそう。あなたたちに聞きたいことがあったのよ。ここらへんに『魔王ジューゴの店』と名付けられた店舗型のダンジョンがあると、友人から聞いたのだけれど、どこにあるか知っているかしら? 噂によれば、そこに『純潔のシャテル』がいるらしいのだけれど」
グリシナがそう言った瞬間、その場の空気が凍り付いた。
「……まさか、あの、『ガルカの悲劇』の清算を? 勇者アランと癒しの巫女ガレアの敵をとろうというのか?」
「十分にありうる話であるな」
「勇者と巫女の犠牲で魔王『鉄の女』は滅ぼされたとはいえ、シャテルは、グリシナ様が唯一討ち漏らした魔物だからな」
三人がひそひそ話を始める。
グリシナには聞こえていないつもりだろうが、さすがにこの距離で聞き取れないほど、グリシナの魔法は耄碌してはいない。
グリシナが引退するきっかけにもなった、あの魔王討伐の悲劇的結末は、もはや巷に流布している公然の事実だ。
「どうしたの? 知らないならいいのよ。気にしないで」
しかし、グリシナは老人らしい分別ある対応で、彼らの内緒話を聞こえなかったことにした。
「い、いいえ。知っておりますとも。何を隠そう、私たちはその魔王の店で一泊してきたのですから」
魔法使いが慌てたように首を振る。
「ああ。そうだぜ。なんなら助けてもらったお礼に俺たちが案内するよ!」
戦士が快くそう申し出てくれた。
「あら。本当? それは助かるわ」
そう言ってグリシナは相好を崩す。
「……狩るのでござるか?」
エルフの弓使いが神妙な表情でぽつりと呟いた。
「それも悪くないかもしれないわね」
グリシナは冗談とも本気ともとれるトーンで再び答えを濁す。
いや、濁すしかなかった。
あの時、やむにやまれず相互妥協的に休戦したサキュバスと会って、一体自分が何をしたいのかは、グリシナ本人にも分からないのだから。
ただ一つ彼女が自覚していること――それは、老人には安穏でも激動でも、死に場所が必要だという、ある種の直感的な欲求だった。
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