第17話 覗き

 ケーキの入った小箱をおっさん共に手渡した俺は、悠然とした足取りで、店番のポジションに戻る。


 無論、何の目的もなくそんなことをした訳じゃない。


 店で試験的に提供しようと思っていた、洋菓子店で買ったちょっとお高いケーキである。


 それを生贄にしてまでも、俺には確認したいことがあったのだ。


(よし。ティリアは確かに風呂に入ったな)


 男たちの浴室を守るような挙動からして間違いない。


 だとすれば、後はやることは一つである。


(覗くっ!)


 それしかない。


 捕まえてエッチなことができないんだから、せめて全裸くらいはみないとやっていられない。


 そんな謎な論理が俺を支配していた。


「シャテル。ちょっと店番頼むぞ。俺はスライムの水道管が上手く機能してるか『憑依』して確かめるから」


 俺はそんな大望を胸に、さりげなくそう言い残して、奥の倉庫スペースへと向かった。


 そして、すぐさまスライムにその意識を移す。


 まず感じたのはプールに身体を投げ出したかのような浮遊感。


 不定形のスライムの身体感覚は、人間の俺には何とも頼りない。


 次いで感じたのは熱気。


 散漫に立ち昇る湯気の先に潜む人肌の体温を、触手の先端がひしひしと感じとっていた。


 さらに感じたのは匂い。


 かぐわしい石鹸の芳香に混じって、スライムの感覚が『おいしそう』と認識するメスの匂いをスライムの身体が細胞いっぱいに吸収する。


 そして、ついにきました視覚。


 スライムになった俺は、全ての意識を、浴室へと通じる触手の先端に集中させそして――


(見えねえぞおおおおおおおおおおおくそがああああああああああああああああああああ!)


 憑依を解いて、人間の身体で床を転げ回る。


 スライムの視力は貧弱だった。


 いや、貧弱どころか形さえまともに認識できる機能を有していない。


 一番近い感覚でいうと、昔のドット絵のRPGみたいな、そんな平面的な映像にモザイク処理をかけたような、そんなゴミグラフィックだ。


「やってらんねえ」


 一気に冷めた俺は、むくっと起き上がり、何事もなかったかのようにそそくさと店番に戻る。


 スライムは、毒性を弱めたおかげでちょっと安めの80ルクスで作れたとはいえ、浴室を作るのには、結局壁とかトラップ用の穴とかで余計なコストがかかり、礼拝堂と併せて三百近いルクスを消費してしまったというのに……銭湯の番頭的な役得はなしかよ!


 これで、客足が増えなかったら、まじでぶちきれそう。


「魔王よ。中々に良い教会ができたぞ。礼を言おう」


 悶々とそんなことを考えていると、再び武装に身を包んだティリアたち一行がやってきた。


 その頬は、湯で温まったせいか、ほのかに紅潮している。


 こころなしか、ティリアの鉄球も輝きを増しているように見えた。


 ちくしょうめ。


「ケーキの味はどうだった?」


 もちろん、第一目的は覗きだが、あの贈り物には当然、友好や商品のテストという目的も兼ねていた。


 第一目的が失敗した以上、せめてもの挽回をしたい。


「私は口にしていないからわからぬ。捧げものとしたからな。おかげで、聖光神もお喜びのようであったぞ」


 ティリアは、嬉しそうにそう語ってくる。


 神様の味覚なんて知ってもどうしようもない。


 ただまあ、ティリアたちから最初あった時の喧嘩腰な雰囲気は失せているところを見ると、最低限、友好を図るという目的は達成されたのだろう。


「そうか。まあ、とにかく、無事に教会ができたならよかったよ。これで約束を果たしたわけだから、俺に敵意がないこと、ちゃんとみんなに伝えてくれよ」


「承知した。それで、ここの教会に我が信徒の中で誰を常駐させるかについてだが――」


 ティリアはそこで言葉を区切って、部下の戦士たちを見回す。


「ティリア様、この崇高なる使命。是非、私めにお任せを!」


「いや、この老骨めもまだまだやれますぞ」


「いや、自分が――」


 戦士たちが口々に名乗りを上げる。


 おいおいちょっと待て。


 なに張り切ってんだおい。


「その子! 俺のダンジョンに住むのはその子で!」


 俺は慌てて、ティリアの部下の中で唯一の女を指差した。


 むさくるしいおっさんを俺のダンジョンに常駐させるとか冗談じゃない。ありえない。ファック。


「な! わ、私ですか? ですが、私はティリア様にお仕えするという使命が――」


「奇遇だな。魔王。ちょうど私もノーチェにここの教会を任せようと思っていた」


 あまり乗り気でなさそうなノーチェを尻目に、当のティリア本人が彼女の肩を叩いた。


「そ、そんな。どうしてですか。私なにか粗相を致しましたか?」


 ノーチェが不安げな表情で、ティリアを見上げる。


「違うぞ。ノーチェ。私はお前の働きにとても満足している。将来は私の後を継いて使徒になって欲しいとすら考えているのだ」


 ティリアが姿勢を低くし、ノーチェに視線を合わせて言う。


「そ、そんな。私が使徒様になるなんてめっそうもございません。しかし、それほどまでに私を評価してくださるのならば、何故、ティリア様にお仕えすることをお許しくださらないのですか?」


「よく聞け。ノーチェ。お前の聖光心への帰依は本物だ。神学も熱心に学んでいる。だが、説教や布教の経験はまだまだ足りない。私がお前を雑務に付き合わせてしまったせいだ。そのことに関しては申し訳ない」


 ティリアが頭を下げる。


「何をおっしゃるのですか! 私はティリア様のお側にいられたからこそ、学べたことがたくさんあります」


 ノーチェが首を折れそうな勢いで横に振る。


「ならば、それをこの地で実践してみせてくれ。なんせ、迷宮にできた初めての教会だ。魔王の監視、他の信徒や冒険者との関わり、今までのしきたりでは対応できぬことが多々発生することだろう。だからこそ、ノーチェにはその厳しい環境の中で修業し、神の教えを人々に適応する難しさと喜びを知って欲しい」


 ティリアが熱っぽい口調でノーチェに囁く。


「ティリア様……」


 ノーチェが感動の面持ちでティリアを見上げた。


「どうだ。苦労の多い仕事になるが、やってくれるか?」


 ティリアは仕上げとばかりに、ノーチェの両肩をポンと叩いた。


「わかりました! ティリア様がそこまでおっしゃるのであれば、私、きっと立派にお役目を果たしてみせます」


 ノーチェが意志の炎を瞳に燃やし、祈るように手を組んだ。


「よくぞ言った。皆の者も、異存ないか!?」


「はっ」


 戦士たちが一斉に頭を垂れる。


 よかった。少なくともおっさんとの同居生活は免れたらしい。


 同じ顔を合わせるなら女の方がいいに決まってる。


「では、そういうことで、魔王。このノーチェをここに置いていく。優遇せよとまでは言わないが、もし、ノーチェが傷つけられるようなことがあれば、聖光教徒全員がお前の敵になるものと思え」


 ティリアが一瞬、心臓が止まりそうなほどの殺気を放ってから、俺の瞳を真正面から見据えてきた。


「わかったよ。あんたこそ、そのノーチェって娘のためにも、変な連中が俺らに手を出さないように気を遣ってくれよ」


「善処しよう。――皆の者。行くぞ!」


 ティリアは小さく笑って、颯爽と踵を返す。


 ノーチェ以外の全ての戦士が彼女に従う。


「……あなたのことを、私はまだ信用した訳じゃありませんから」


 ノーチェが小動物のような警戒心に溢れた視線を俺に送ってくる。


 これじゃ当分エロいことはできそうにない。


「そんなこと言っていいのか? 俺の機嫌によって出てくる飯のレベルが変わるぞ。お前の面倒をみるとの約束はしたが、与える生活物資はピンからキリまで色々あるんだからな?」


 俺は軽口でノーチェをからかう。


「わ、賄賂には屈しません! 清貧には慣れてますから!」


 ノーチェはぷいっとそっぽを向いて、教会に引っ込んでしまう。


 彼女がツンデレだったらいいなあ、などと切に願う梅雨の一日だった。

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