第12話 ☆ first visitor 冒険者の分際(2)

「うぬ?」


 扉の先にいたのは、幼女だった。箱に脚をのせて寝転がり、本を読んでいる。


 こちらに気付くと、箱から脚をどかし、代わりに顎をその箱にのせる。


 一目でモンスターであると分かる。


 こんなダンジョンの奥に、何の装備も持たずに幼女が安穏と存在しているはずがないのだから。


 ジャンとナフスは、緊張した面持ちでお互いの顔を見合わせる。


 このモンスターは強い。


 ヒューマンのジャンですら、それくらいの格の違いは感じ取ることができた。


「ふむ……。客が来たのは良いが、余計なものまで連れてきよったようじゃの。そこな二人。邪魔じゃ。道をあけよ。モンスターに部屋を荒らされると、ジューゴが困るであろうからな」


 幼女は本を箱の上に置いてけだるそうに立ち上がり、顎をしゃくり部屋の隅を示す。


 二人は言われるがままに、横に平行移動する。


「なんじゃ。キメラに加え、ファントムもおるのか。――バニッシュメント!」


 幼女は指先から人の首くらいの大きさの光球を放った。開け放たれた扉を通過して、光球は向こうのダンジョンで炸裂する。


 ギャアアアアアアアアアア


 オオオオオオオオン。


 この世のものとは思えない断末魔の鳴き声が、二つのモンスターの最期を示していた。


 先程まで自分の命を脅かしていた危機が去っても、眼前の脅威を思えば、ジャンは全く安心できなかった。


「……おいおい。今のは、噂にきく上級魔法ってやつじゃないか?」


「ああ。そうだろうな。俺たちの命運は目の前のモンスターに握られたという訳だ」


 ナフスはどこか楽しそうに言う。


 ことここに至っては、ジャンたちに選択肢はない。


 直接対決しても勝ち目がない以上、あの馬鹿らしい張り紙の文言を信じるしかないではないか。


「あの……、扉の前の張り紙を読ませてもらったんですが。ここが宿というのは本当で?」


 ジャンが幼女の機嫌をうかがうかのように下手に出る。


「うむ。そうであろう。しかし、わらわは責任者ではないのでな。詳しい話はジューゴより聞くが良い」


 幼女はそう言って、何か小さなものを後ろの部屋に放り投げた。


 ギュイギュイギュイギュイギュイ。

 

 耳障りな音に耐え続けていること数分、扉の奥から一人の青年が顔を出した。髪はぼさぼさで、眠たげに目を擦っている。


(こいつが魔王ジューゴか?)


 見たところ、とても力のある魔王には見えない。


 着ている服を含め、どことなく怪しげな雰囲気はまとっているが、ジャンでも一捻りできそうな、軟弱そうな若者だ。


 ダンジョン自体も、上層に見られるような簡素な構造だ。


 しかし、こんな強いモンスターを従えているくらいの魔王である。


 侮る訳にはいかなかった。


「いらっしゃい」


 魔王はそう言ってジャンたちに微笑みかけてくる。


 敵意は感じられない。


 そもそも、ジャンたちを殺したければ、もうやっているはずだ。


「扉の前の張り紙に書いてあったことは本当ですか?」


 ジャンは、幼女にしたものと同じ質問を再度魔王になげかける。


「ああ。見ての通り、宿泊サービスの提供と、雑貨の提供をしている。その他にも、対価さえ払って頂ければ、できる限りでお客様のご要望におこたえ致していくつもりだぞ」


「では、宿泊サービスの詳細について教えてもらいましょう。……見ての通り、俺の仲間が精神剥離になっちまってるんですが、こいつが意識を回復するまで、休ませてもらいたいんで」


「それは災難だったな。宿泊サービスは、時間制になっている。そこの数字が書いてある円盤を見てくれ」


 ジャンは視線を上に転ずる。確かに、壁には一定の感覚で時を刻む円盤が設置してあった。噂に聞く時計というやつだろうか。


 魔法で作ったものであれ、機械仕掛けでつくったものであれ、時計はかなりの高級品だ。


 やはり、この魔王は、実はかなり力がある奴なのかもしれない。


「その長い針が円盤を一周する時間を、宿泊の最低単位として課金させてもらう。ちなみに、一日は、おおよそ二十四周だ。料金は先払いだが、延長をすることも可能だ。ただしその場合は、割増料金を請求させてもらう」


「精算の仕組みはわかりましたが、具体的にはおいくらで?」


「そうだな――仮に、一日分(二十四周分)の時間、一人が泊まっていく場合の料金はこれだ」


 魔王は、幼女と小声で何か言葉を交わした後、数字の書かれたボタンのある小箱を押し、こちらの見えるように差し出してきた。


 これも魔法の品だろうか。


「……なるほど」


 額にして、ジャンが間借りしている部屋の一月分の家賃と同じくらいだった。


 地上での一泊分の宿泊代金と比べればもちろん高額だが、ダンジョンで安全を買う代償だと思えば、ジャンにはむしろ良心的に思えた。


 しかし――


「……この額は、全て現金払いでなくてはいけませんか?」


 ジャンは控え目な声でそう申し出た。


「どういう意味だ?」


「恥ずかしながら、モンスターに襲われて手持ちの現金を全て落としてしまいまして」


 それは真実だった。現金は備品の方に入っていた。


 今は荷物持ちと一緒に穴の中だ。しかし、今ここにその現金があったとしても、ジャンたちは宿泊料金の全額を払うことはできなかっただろう。


 何が起こるか分からないダンジョンで多量の現金を持ち歩く冒険者などいないし、そうでなくとも、明日死ぬかも分からない冒険者は、『宵越しの金は持たない』主義の人間が多いのだ。


「ジャン。言葉足らずだぞ。つまり、俺たちは現金は持っていないですが、モンスターから手に入れた素材なら持ち歩いているのです。それで代わりにお支払いできればと。地上で売れば、優に提示された額は超える逸品です」


 ナフスは床にゲールを降ろし、首にかけていたリュックを開き、箱の上に置いた。


 中には、ジャンたちが必死の思いで狩り集めた貴重な素材が入っている。


 トラップに引っかかるまでは、ジャンたちの仕事は極めて順調だったのだ。


「なるほど。ちょっと待っていてくれ」


 魔王は幼女を引き連れて、奥の部屋に引っ込む。


 冒険者が現物払いすることを想定していなかったのだろうか。


 もしかしたら世俗の事情に疎いのかもしれない。


「どこかの貴族のお坊ちゃんとかか?」


「ありうるな。いかにも道楽貴族が考えそうなことだ」


 ジャンとナフスは小声で囁き合う。


 よくよく見れば、箱に並ぶ商品も、市井の冒険者であるジャンたちが見たことがないものばかりだ。


 もし推測が当たっているとすれば、余計に敵に回すと厄介なことになる。


 ジャンたちは、緊張に息を呑む。


「待たせたな。商品の現物払い。受けよう。それで、どれくらいの滞在が希望だ?」


「とりあえず三人共、一日分お願いしたい」


「なるほど。しかし、そうなると、問題が一つ出てくるな。ちょっと鑑定させてもらったが、あんたらの持ってきた素材には価値のばらつきが大きい。つまり、宿泊料金を払うのにちょうどよく分割できる素材はないんだ。もし、適正金額を取ろうとすれば、俺の方が大幅に得をする形になってしまうだろう。しかし、困ったことに、店を開いたばかりで俺はあんたらに支払えるおつりを持ってはないんだ」


 魔王が困ったように呟く。


 ジャンには、目の前の魔王がなぜわざわざそんなことを言うのかわからなかった。


 得をするなら、黙って自分たちと取引すればいい。


 どのみち、立場の弱いジャンたちに交渉材料などないのだから、ジャンたちは魔王の提示した値段を呑むしかないではないか。


 それとも、自分たちの口から、ぼったくりを認めさせることで、改めて上下関係を確認したいとでも言うのだろうか。


「わかった。つりはいらない」


 ジャンはそう邪推して、条件を呑もうと口を開く。


「それは駄目だ」


 魔王は首を振る。


「なに?」


 魔王からかえってきた意外な反応に、ジャンは思わず敬語も忘れて聞き返した。


「勘違いしてもらっては困る。俺はあんたたちの不遇につけこんで、不当に値段をつり上げたいという訳ではない。かといって、あんたらの境遇に同情して、自分の設定した値段をまけるほどお人好しな訳でもない」


「つまり?」


 ナフスが先を促す。


「ああ。俺はおつりの代わりに商品から差額相当分を支払うという条件で良いか確認したかっただけだ」


「も、もちろん、それで構わないが――、わざわざ利益を減らすような真似をして、お前になにか得はあるのか?」


 ジャンは探るように敬語をやめて喋る。


 相手が自分たちを対等に扱おうというある種の敬意を感じたからであった。


「得ならある。俺は魔王だ。ということは、冒険者の敵だ。中々信用されにくい。それでも、俺はこの迷宮で商売をやっていきたいと思っている。だから、今回の取引で、あんたらが俺という魔王の誠実な人柄を理解し、その噂を広めてくれれば、それは願ってもないことだ」


 魔王は真面目くさった顔で言う。


「おもしろい奴だな」


 ジャンは微笑む。


 ジャンたちを瞬殺できるほど優位な状況にあるのに、冒険者と対等に取引を願う魔王など聞いたことがない。


 少々、不遜な所も含め、彼はこの魔王のことを忌み嫌うべき敵であるとは思えなくなっていた。


 昔、まだ夢に燃えていた若かりし頃を思い出したからかもしれない。


「この中から選んでも良いのですか?」


 ナフスは敬語を崩さなかった。まだ信用していないのだろう。この獣人は慎重な性格なのだ。


「ああ。この箱に並べた商品から、どれでも好きな物を三つ選ぶがいい」


 魔王はずらりと並べた商品を見遣って言う。


「……だ、そうだ。さっさと選ぶぞ。ジャン」


「ああ。まず必要なものといえば、松明だが、見当たらないな。店主。松明はあるか?」


 敢えて魔王と言わず店主と呼んだのは、ジャンとしては敬意の表現であった。


「松明はないが、灯りとしてはもっと優れた物がある」


 魔王が箱の上から、人差し指ほどの長さと太さの、円筒形の棒を取り上げた。


「まさか、魔法の杖か?」


「そんなようなものだ。ここを捻ると光がでる」


 魔王は、棒の先端をひねると、眩い光が放射する。


「なんと!」


 ナフスが珍しく驚きを露わにした。


「閉じると光がなくなる」


「こんな高価なマジックアイテムを、俺たちのおつりに渡していいのか? お前一体どこからこれを――」


「……商売人に仕入れの秘密を話せというのか?」


 魔王が顔を歪める。その表情には不快の色が濃い。


「失礼だぞ。ジャン」


「悪かった」


 確かに無礼だった。


 商売人にその儲けの源である仕入れ先の暴露を要求するのは、冒険者でいえばレアモンスターの狩り場を教えろと言っているのに等しい。


「まあいい。忠告しておくが、それは永続的に使えるものではない。そのままでは、せいぜい五日程度しか持たないだろう」


「チャージ式か」


 魔法の杖としては一般的な形式だ。


「ああ。そうだ。ただし、チャージは俺の店でしかできない。この魔力を込めた別売りの筒を込めれば、再び光の魔法が使える」


 魔王は魔法の杖よりもさらに一回り小さく、片方が出っ張った筒を示す。


「ではそれを一つくれ。次は武器だが、矢はあるか?」


「ない。張り紙にも書いてあった通り、うちは宿屋兼雑貨屋であって、武器屋じゃないからな。それでも、武器が欲しいと言うなら、そこから選べ」


 魔王が示した場所にあるのは、包丁にナイフなど、日常使いの刃物だった。


 質は悪くなさそうだが、モンスターを相手にするには、リーチ的に心もとない。


 それでも、ないよりはマシだろう。


「俺がこの短い刃物を使おう。お前は俺の剣を使え」


 ナフスがそう申し出て、彼自身の剣を鞘ごとジャンに投げ渡し、包丁を掴んだ。獣人で格闘センスに長けたナフスは、得物を選ばない。


「それは特殊な加工がしてあってな。対酸性という特徴がある」


 魔王が物知りげにいった。


「素晴らしい」


 ナフスはしげしげと包丁を眺めた。よく見れば、『ステンレス』という文字が見える。


 ジャンは聞かない名だったが、業物なのかもしれない。


「後は食糧か……」


 ジャンは頭を掻いた。


 水はゲールが目覚めたら作らせるとして、最低限ハンガーノックにならない程度には食べなくてならない。


 しかし、問題は箱に並んでいる食糧らしき物のほとんどが見慣れないことだ。にも関わらず、袋に描かれた絵を見ていると、不思議とおいしそうに見えるから不思議だ。


「店主。日持ちがする食糧はどれだ?」


「どれも一月は日持ちはする」


 魔王は素っ気なく答えた。


「むむむ……」


 ジャンが腕組みして本気で悩み始める。


 宝石のように輝く半透明の飴玉、みずみずしいフルーツが入っているらしい金属製の筒。色々あって目移りしてしまう。


「ジャン。いっそのこと、残りの素材も全てここで商品に換えてしまったらどうだ? 魔法の杖の明かりは5日では心もとないし、食糧もどれか一つでは足りないだろう」


「そうするか。――店主。残りの素材で可能な限り、商品を売ってくれ」


 もはや、今回の冒険で損が出ることは避けられない。


 ケチって死ぬよりは、全てをなげうってでも、生存確率を上げた方がいいだろう。


 ジャンたちはそう考えた。


「残りの素材でキリ良く換金するとなると、さらに三つが限度だ」


 魔王が表情を変えずに言う。


「それで構わない」


 ジャンは頷き、ナフスと一緒に、見慣れぬ商品の吟味を始めるのだった。


 ゲールが目覚めたのは、魔王が言うところの、『長い針が十二周回った時』だった。


 それから更にもう『十二周』分、身体がとろけそうになるほど柔らかい布団でじっくりと休息をとった一行は、出立の時を迎える。


「なー、その『チョコ』ってやつ、もっと、食べていいだろー。なー」


 小太りのローブの男がしきりにジャンの肩を揺する。


「うるせえ。一人で半分以上食いやがって。ちょっとは我慢ってものを覚えろこのデブが! 地上に戻るまでに何日かかると思ってんだ」


 ジャンは、四分の一ほどの大きさになったこげ茶色の紙包みを見て苦々しげに吐き捨てた。


「だってよー。ジャン。おいらこんなに美味いものを食べたのはじめただよー。だからなー。頼むよー」


 ゲールは子どもみたいに指を咥えて涎を垂らす。


「……確かに。美味すぎて糧食には向かないな」


 ナフスが皮肉っぽく笑う。


 携行食とは、日持ちする代わりにまずいもの。


 それが冒険者の常識だった。


「ナフスまで何言ってやがる――ほら、もう時間だぞ。延滞金を取られる前にさっさと出るんだ。残りを食いたきゃ、生きてダンジョンを登れ」


 ジャンは、二人を急かして立ち上がる。


「昨日は人生を諦めていた男が随分と元気になったものだな。ジャン。今回の遠征は大失敗だった。この損失を埋め合わせるのは大変だぞ。何せ収穫ゼロで何も地上に持ち帰るものはないのだからな」


 ジャンが絶望を語れば、ナフスは希望を語り、ジャンが希望を語れば、ナフスが絶望を語る。


 つまるところ、それが二人の関係の全てだった。


「ゼロってことはないだろ。――とりあえず、土産話はできたじゃねえか」


 ジャンはそううそぶいて、後ろを振り返る。


「まいどあり」


 そこでは、三人の冴えない冒険者の生を繋ぎ止めた異端の魔王が、相変わらずの眠たげな顔で見送りの言葉を呟いていた。



==============あとがき===============

 拙作をお読み頂き、まことにありがとうございます。

 こんな感じで異世界人視点を多用する物語となっておりますが、それでも良いという方は続きをお読みくだされば幸いです。

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