第11話 ☆ first visitor 冒険者の分際(1)
ほの暗い迷宮の一本道を、ジャンは走っていた。
無精ひげに、くたびれた革鎧。くすんだ鉄の手甲。右手に松明、左手にショートボウ。
ダンジョンではありふれた、中年のヒューマンだった。
矢はすでに果て、ジャンが手にした松明は、彼と運命を共にするかのように今にも消えかけている。
「おい! 運び屋! 代わりの松明を寄越せ!」
「死んだぞ。数秒前にな。落とし穴で串刺しだ」
ジャンの後ろに続く、佩刀した獣人の男――ナフスが、無感情に吐き捨てた。
ナフスの背では、ローブを着た小太りの男ヒューマンが、意識を喪失し、白目をむいている。
「ちっ。荷物は!?」
ジャンは前を向いたまま、舌打ち一つ叫ぶ。
「紐をぶったぎって、何とか回収した。『半分』はな」
ナフスは肩紐の片方が切れたリュックを、首から下げていた。
「半分ってどっちだ! もちろん、備品が入った方だよなあ!?」
ジャンが声を荒らげる。
「いや、売り物の方だ」
「馬鹿野郎! いくら売り物があっても、そんなもん、命あっての物種だろうが!」
「そんなことはわかっている。だが、ゲールが重くてそれが精いっぱいだった。嫌だったらお前がこのデブを背負えよ。ジャン」
「ちっ。ゲールの奴が魔法使いじゃなけりゃ、今すぐモンスターの餌にしてやるのに。全くこの豚のせいで散々だぜ」
ダンジョンにおいて、魔法使いは欠かせない存在である。
物理攻撃が効かないモンスターが存在する以上、パーティーには絶対一人は必要な存在であることは大前提だが、長くダンジョンに潜れば潜るほど、空気中の水分を集めて清涼な水を作りだしたり、溶岩の床を無効化したり、と魔法使いが必要となってくる機会は増える。
とにかく、魔法使いがいるのといないのでは、アクシデント発生時のパーティーの対応能力に雲泥の差が出るのだ。
「元はといえば、お前が慣れない『強欲のるつぼ』なんかに挑もうと言い出したのが問題だろう。今まで通りに着実に『実りなき草原』で活動していればよかったのだ」
ナフスが、反論できないゲールの代弁をするかのように冷静に指摘した。
「ああん!? そういうお前だって、使えねえ地図を買ってきやがって! おかげでトラップに引っかかって、ゲールが精神剥離(マインドロスト)した上、糞モンスターに追われるはめになったんだろうが!」
ジャンは口の端から唾を吐きだし責めたてる。
「それは俺のせいではない。『強欲のるつぼ』では『真の魔王』が頻繁にダンジョンを組み替える事例が報告されているから危険だと、俺は何度も反対したぞ。それを、お前は、『たまには安淫売じゃない、いい女を買いたい』などというくだらない理由で――」
「うるせえ! 少しくらい夢を見させろよ。どうせ、俺たちのような半端者三人のパーティーじゃ、中層以降に行けはしねえんだからよお!」
ジャンはナフスの言葉を遮って叫んだ。
戦闘を生業にしようと志した凡人が、真っ当に努力して辿りつける到達点。それが、中層だった。
ダンジョンは迷宮だ。
モンスターは怪物だ。
その当たり前で暴力的な現実の前に、一つしかない命を賭ける冒険者たちは、身の程を知るしかない。
「夢……か。だとすれば、今俺たちが見ているのは間違いなく悪夢だろうな」
ナフスは皮肉っぽく笑って、ダンジョンの奥に視線を転ずる。
二股に分かれた曲がり角の先、獣人の鋭敏な感覚は、愚鈍なヒューマンより早く、まだ見えぬその異変を察知していた。
「あん? とにかく、今はゲールの意識が回復するまで時間を稼ぐぞ! あの糞モンスターを振りきりゃなんとかなるはず……だ」
ナフスに遅れること数秒、ジャンが身体を硬直させる。
遠くからでも分かる、ダンジョンの広さ目一杯を占有する巨体。出来の悪いパッチワークのような異形が、右の曲がり角の先から姿を現す。
三人揃っている時ならいざしらず、今の状態のジャンたちが敵う相手ではなかった。
「さて、前門のキメラ、後門のファントム。どうする? リーダー」
「都合のいい時だけリーダー呼ばわりするな。考えるまでもなく選択肢は一つしかねえだろ。突っ込むぞ」
前傾姿勢で疾走する。
向こうも突進してくる。
出会い頭、キメラはライオンにも似た猛獣の腕を振り上げる。
「おらよ!」
ジャンが、カバの顔した鼻づらに、なけなしの松明を投げ付ける。
弱々しい松明は、その衝撃で消えてしまったが、それでもキメラを怯ませるという最低限の役割は果たした。
キメラの胴体の横をすり抜ける。
蛇の尻尾が、口を開き、ジャンに襲いかかった。
ジャンは腕でその噛み付きを受ける。感触を感じた瞬間、一気に腕を引いた。手甲が外れる。蛇は命のない鉄をバリバリと噛み砕き、ジャンとナフスは窮地を逃れた。
希望はない。
もはや、足下もまともに見えない。
モンスターが出れば終わりだ。
トラップがあっても終わりだ。
それでも、ジャンたちは走る。
ヒューマンも、獣人も関係なく。生物共通の生存本能に従って。
「……これまでか」
しかし、やがてその逃避行も終わりをつげる。
曲がり角の先は、無慈悲な行き止まりであった。
「――ナフス。お前の言う通りだった。俺は冒険者の分限ってやつをわきまえるべきだったよ」
ジャンは観念したように目を閉じて、首を振った。
ジャンの脳裏を、人生のハイライトが駆け巡る。
酒に溺れて暴力を振るうばかりだったクソ親父のこと。
英雄を夢見て戦場を駆け巡った傭兵としての若き日々。
初めて買った女の味。
「まだ諦めるには早いぞ。よく見ろ。それは行き止まりではない。扉だ」
ナフスが呟く。
「なに? ……本当だ。しかも、なんか張り紙をしてやがる。ナフス。読めるか?」
ジャンの視力では判別できなかったが、そこに何かの文字が書いてあることくらいは分かる。
夜目がきき、視力のいいナフスなら、読み取れるはずである。
「ああ」
辛うじて手の輪郭が見える程度の淡い燃魂灯の光を頼りに、ナフスは紙のスレスレまで顔を近づけて、必死にその文字に目をこらした。
「『魔王ジューゴの店 宿屋・雑貨アリ 毎日ご奉仕価格』」
ナフスは平坦な声で、文字を一字一句そのまま読み上げる。
「おいおいナフス。何の冗談だよ。魔王の店だって?」
ジャンが信じられないとでも言うように声を震わせる。
「この状況で冗談を言うと思うか?」
「怪しすぎる。……どう考えてもトラップだ。どのみち終わりさ」
ジャンが弱気に言う。
「だが、我々に選択肢はないだろう」
ガリガリガリガリ。
禍々しい爪の音が、秒単位でこちらに迫ってくる。
「そうだな。キメラの餌になるのも、魔王の料理になるのも。さほど変わらない」
ジャンは、ラスガルドに伝わる童話を引き合いに出し、精一杯虚勢を張る。
「そんなに悲観したものではないかもしれないぞ」
ナフスは目を細めた。
根拠はなかった。ただ、獣人の野生じみた勘が、ナフスに生存の可能性を示していた。
「言ってくれるぜ」
ジャンは肩をすくめて呟くと、扉のノブに手をかけて、体当たりするように押し開けた。
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