第8話 格上

「ま、こんなもんか」


 ゴブリンたちの死体を見下ろして、俺は小さく息を吐く。


 自分の命はかかっていないとはいえ、やっぱりちょっと緊張した。


「ググググ」

「ググググ」

「ググググ」


 俺がそう胸を撫で下ろしていると、仲間のゴブリンたちが口々にこちらの顔を見て、何かを訴えてくる。


 要約すると、『腹が減った。これ食っていいか?』だ。


「うわっ……まじか。これ食うのか」


 俺は一瞬引いた。


 思いっきり共食いである。


 しかし、よく考えてみれば昨日こいつらを造りだしてから、何も食べさせてない訳だし、ただでこいつらの胃袋を満たせるなら、言うことはない。


 それに不思議なことだが、生理的な嫌悪感は全く消えないまでも、ゴブリンの身体の本能は、死体から漂う血の匂いを『美味そう』と感じているのだ。


「よし。食っていいが、動くのに支障がない程度にしろよ。もし食い過ぎで戦闘に支障が出たら、罰を与えるぞ。それから、一体は綺麗な状態で残しておけ」


 俺はそう警告してから、ゴブリンたちに食事の許可を出した。


 ゴブリンの一体は持ち帰って解剖し、研究する。


 医者じゃないから詳しいことはわからないが、心臓などの位置を確かめ、弱点を知れば、戦闘の役には立つだろう。


 ギャ! ギャ! ギャ!


 ゴブリンたちが、小躍りしながら敵ゴブリンの子どもの死体に群がっていく。成体の方には見向きもしない。


 乱暴に皮を剥ぎ、その肉と内臓をむさぼり食う。俺の憑依しているゴブリンの飢餓感もすごいが、さすがに俺は意識を宿したまま生肉をむさぼりたくない。

 

 仕方ないから、俺は六匹のゴブリンへ順番にローテーションで憑依して、何とか食事を避けた。


 ゴブリンたちは、子どもの死体を全部平らげ、大人の死体も、おいしい(らしい)内臓は、俺の指示した一体を除いて食べ尽くした。


 ゴブリンたちの食事が終わると、俺は元の『耳長』に憑依し直す。


「では、俺たちのダンジョンに帰還する。『ぶち』と『イケメン』はその死体を運べ」


 もうちょっと戦闘を重ねたいところだが、欲張り過ぎても良くない。


 今日はこれくらいにしておこう。


 『ぶち』と『イケメン』を後ろに庇う形で、来た道を戻る。


 左、左、右、右――


 後一回左に戻れば、我が家のダンジョン――


 キラっ。


 気を抜きかけたその瞬間、闇の奥で、紅い双眸が光った。


「止まれ!」


 言うと同時に鑑定をかける。


 大蛇・・・野良の魔物。強くはない。毒はない。


「『ぶち』! 『イケメン』! 死体を置け! 皆、下がれ!」


 死体を放り出して、元来た道を引き返す。


 振り返った瞬間、音もなく動き出した影が死体を丸呑みするのが見えた。


 全力で走り、二つ角を曲がる。


「敵は俺たちを追ってくる。襲撃に備えろ」


 大蛇はモンスターなので、地球のそれと習性が同じとは限らないが、少なくとも地球の蛇より感覚が鈍いということはないだろう。


 ゴブリンの体臭を見分けられないという希望的観測はまず捨てた方がいい。


「じゃ、試してみるとするか」


 俺は背負ってきたリュックを降ろし、中からユーティリティライターを取り出した。バーベキューとかの着火で使うやつだ。


 さらに、間の抜けた二頭身の幼女のイラストがパッケージングされた袋を床に叩きつける。


 ズル。


 ズル。


 ズル。


 耳を澄ませば、濡れ雑巾を引きずるような湿り気たっぷりの擦過音がじわじわとこちらに近づいてくるのが聞こえる。


 俺は大急ぎで、『それ』の袋を串の先端で破く。


 赤い二つの輝きが、再び俺たちを捉えた。


 シュアアアア!


 沸騰したヤカンの蒸気にも似た唸り。赤が動いた。


 来るっ!


 俺は袋に手を突っ込み、無駄にカラフルな色のついた棒状の物を、持てるだけ引っ掴んだ。


「おらああああああああ!」


 俺は気合を入れて、その棒状の物体に火をつける。


 瞬間、世界が色づいた。


 プシャアアアアアアアアアアアアアアアア!


 それは化学の光。


 マグネシウム爆発的に反応した酸素が、火花と煙をまき散らす。


 鼻っ面に花火をぶちまけられた大蛇が、動揺したように首をダンジョンのあちこちにぶつけてのたうち回る。


「おらおら! 突っ込め!」


 俺はゴブリンたちにそう命令を下す。


 命令と同時に、ゴブリンが走り出した。


 俺も次から次へと花火を追加し、両手から火をまき散らしながら突進する。


 刺して、斬って、刺して、斬って。ゴブリンたちは確実に傷つけられる大蛇の胴体を、執拗にいじめ抜いていく。


 シャアアアアアアアアア。


 怒り狂った大蛇が、手当り次第にゴブリンを飲みこもうと口を開く。


「てめーはこれでも食ってろや!」


 俺はねずみ花火にまとめて火をつけて、大蛇の口目がけて放り投げた。


 もちろん外れるものも出てくるが、何個かは見事大蛇の口の中で暴れ回る。大蛇は口の中の異物を吐きだそうと身体を一瞬停止させた。


「頭を狙え!」


 ゴブリンが必死に跳び上がり、頭に刃を突きたてる。


 俺も大蛇の鼻の穴に消えかけた花火を突っ込んで、串に武器を持ちかえた。


 傷つけられて頭を下げた大蛇の下あごに、アッパーを食らわせるように串をぶっ刺す。


 シャアアアアアアアアア!


 蛇が狂うように暴れ回った。


「よしっ。距離を取れ!」


 俺は串を刺したまま、大蛇から少し離れる。


 大蛇は脳天を串でつらぬかれても、しばらくはしぶとくその身体を動き回らせていたが、やがてぴくりとも動かなくなった。



 ・『真の魔王』は、『魔王』が、新たに六十ルクスを所有することを認める。


「勝ったか……」


 俺はゆっくりと大蛇に近づき、串を引き抜く。赤茶色い濃厚な液体が、串にべっちょりとこびりついていた。


「急いで帰るぞ」


 俺はそうゴブリンたちに命令を下す。


 本当は大蛇の死体を持って帰りたいところだが、先ほどの戦闘で花火を使ったことにより、結構な音を出してしまった。もたもたしていたら、また新たな敵を呼び寄せることになりかねない。


 ここは安全を優先することにしよう。


 その後の帰路は、全く妨害を受けることはなかった。


 全てのゴブリンが帰還したところで、俺は『憑依』を終了し、元の人間の身体へと戻る。


「あー、疲れた」


 俺は肩を回した。


 人間としての俺の身体は全く疲労していない。しかし、何となく頭が疲れている感じはある。


「おかえりなのじゃ。見たところ、損害はないようじゃの。成果はあったかの?」


 シャテルがちらっとゴブリンたちを一瞥して、また漫画に視線を落とす。


「とりあえず、合計102ルクスの魂を手に入れたぞ。そっちはどうだ?」


「うむ、とりあえず、これがエロくて気に入ったのじゃ。地球でもサキュバスは人気なのじゃな!」


 シャテルが嬉しそうに見せつけてきたのは、お色気成分が多めな、ラブコメ漫画だった。


「いや、それ一応宇宙人だから。まあ似たようなもんか」


 果たして内容を分かっているのかいないのか。まあ、本人は楽しそうだからいいか。


 俺はそう結論づけて、後処理に入る。


 2リットルペットボトルに水を汲んできて、濡れ雑巾で軽くゴブリンたちの身体を拭いてやり、汚れを取る。武器もしっかり綺麗にして、一応、元々持っていたダイヤモンドシャープナーで砥いでおいた。


「ジューゴは結構マメな性格なのじゃな。ゴブリンなど綺麗にせずとも良いであろうに」


「別に汚くてもいいけど、俺のダンジョンが臭くなるのは嫌なんだよ。っていうか、お前も風呂とか入らなくていいの?」


 そういえば、シャテルは放浪生活を送っていたはずだが、密着した時も別に臭くはなかった。むしろいい匂いがした。


「わらわか? わらわはこれがあるから良いのじゃ――ウォータースピラ」


 シャテルが立ち上がり、呪文を唱える。


 虚空から出現した水が渦を巻き、シャテルの身体を覆った。


「の? これでいつでも清潔にしておる」


 身体から水を滴らせたシャテルが、小首を傾げる。


 薄い布が肌に張り付いてエロい。


 つーか、洗濯機かよ。


「後は、こうやって乾かすだけじゃ――フェニックスフレア」


 シャテルの身体から炎が吹き上がる。


 数秒後には、シャテルの髪がいつも通りのつややかさでそこにあった。


「魔法って便利だなー」


「ふふん。わらわはこれでも四天王じゃからの。汚らしい見た目じゃ格好がつかぬのじゃ」


 シャテルは自慢げに鼻を鳴らして、また漫画を読みに戻る。


「そういうもんか――。じゃ、俺は今日はこれくらいにしとくわ」


「そうか。明日も狩りに出かけるかの?」


「いや。明日は試しに商売を始めてみようと思う」


 今日はちょっと疲れた。維持費くらいのルクスは十分に手に入れたし、明日は土曜で半日授業だ。ちょっとまったりしたい。


 そんな感じで、予定を確認し合い、俺はその日の作業を終えた。

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