第5話 学校と下準備

 金曜日。六月の初週。


 朝飯も食わずに、学生鞄を引っ掴み、急ぎ支度で家から出た。


 途中、コンビニで朝飯と昼飯を買う。いつもなら、節約のために自分で弁当を作ったりもするが、昨日は寝るのが深夜になってしまったので、起きる時間も遅くなってしまった。


 俺の自宅から学校までは、徒歩で十分ほどの距離になる。


 高校だけで700人の生徒がいるそれなりのマンモス校で、消化試合的な人生を送るには、埋没できてちょうどいいと思っていた。


 しかし、魔王となったからには、問題にならない範囲で、バラ色の学生生活にしたいと思うが――、まあ、今のスキルじゃ大したことはできそうにない。


 まあ、『憑依』が上手くいけば、カンニングくらいはやれそうだが。


 「よっす」、「うっす」と、クラスメイトの男友達と適当に挨拶を交わし、ちょうど全体の真ん中にある俺の席についた。


 もそもそアンパンを牛乳で流し込んでいると、ホームルームが始まる。


 『委員長』とあまりにもまんますぎるあだ名で呼ばれている、いかにも真面目そうな黒髪で眼鏡の女子が仕切るそれを聞き流して、俺の意識はもう、ダンジョンの方に向いていた。


 これから、ダンジョンに必要なものを買いそろえていく訳だが、まず頭の隅に入れておかなきゃいけないのは、予算だ。


 俺の月の生活費は、十五万。家賃は持ち家だからない。しかも俺のマンションは水道代とインターネット代は込みになっていて、管理費は生活費とは別に遺産から出ている。食費は三万、携帯・光熱費(オール電化なのでガス代はなし)・文房具代等の雑費は合せて二万。つまり、合計は五万。俺が趣味とかに使える余分な金は、十万くらいだ。


 いつもはその中から、ギャルゲーやらなんやらを買っていたのだが、それでも全部使い切る訳ではなくそこそこ貯金はしていて、両親が死んでからの三年間で二百五十万くらいはたまっている。とはいっても、ダンジョン設備のために貯金を切り崩すつもりはないから、基本的には十万の中でやりくりしたい。


 と、予算を検討したところで、とりあえずその範囲内で買える、俺のダンジョンに必要なものを考えよう。


 まずは――


 ・寝具


 まあ、宿屋をやるんだから、これはいるだろう。シャテルも床に雑魚寝するのは大変だろうし。


 スマホでググったら、布団一式が、三千九百八十円。部屋は十畳。とりあえず、一人の占有面積が二畳として、これを五セットで二万円くらいか。


 まあ、バランスを見て、狭ければ一つはシャテルにくれてやればいい。早速、通販サイトのお急ぎ便で注文する。


 ・商品


 これがなければ商売は始まらない。といっても、そんなに最初からたくさん客が来る訳でもないだろうし、そんなに量はいらないか。


 なるべく、保存がきくものがいいだろう。


 それで、ダンジョンで需要がありそうな商品といえば、


 武器・防具……は、売れそうだが、日本刀とか盾とかは仕入れ値が高すぎる。しかも日本刀は登録許可証とかがいるから、気軽に処分はできないし、他の刃物も年齢制限があったりするし、色々めんどくさいから、とりあえずは却下。金を稼げるようになってから考えよう。


 医薬品……薬品は地球人と異世界人で効能が同じか疑問だ。包帯とかなら役立つかもしれないが、魔法やポーションにより回復が可能だったら、無用の長物かもしれない。こちらも不確定要素が多いので却下。


 食糧……まあ、とりあえずはこれが妥当だろうか。ダンジョン内でも持ち運びができて、保存のきく商品といえば、水・缶詰・カップラーメン、とかかな。


 後お菓子とかの嗜好品も良さそうだ。ダンジョン内では禁欲生活を強いられているだろうし。最悪余ったら自分で食べればいいし。酒――は、ネットで年齢を詐称すれば買えそうだが、万が一、学校や財産管理人にバレて不品行だと思われたらやばそうだからやめとこう。


 ダンジョン関連の備品……たくさん物を運ぶとなると、重い物を持って穴を登ったりおりたりするのは結構大変だ。どうやって運ぼう。モンスターなんかにやらせると魔王っぽいが、しばらくは自分でやるしかない。となると……滑車でもつけたら作業は楽か。持ち家だから、簡単なやつならDIY用の工具で設置はできる。滑車は……高いものでも五千円くらいだ。まあ、買えないことはない。ロープとかも合せてネットで注文しとこ。


 ・モンスター関連


 とりあえず、今の俺の手持ちのモンスターはゴブリンだけだ。養うにはルクス(魂)を支払っても良いのだが、なるべく節約したい。


 だが、ゴブリンの食費はどんなものだろうか。モンスターといえば、大食漢なイメージがある。見た目通り、人間の子どもくらいの量を食べるとしてもそれなりの量だ。全部自費で払っていたら、地味にやばそうだ。……スーパーでキャベツの葉っぱでももらってくるか? 


 まあ、これは最悪、ルクスで払えばいいんだから、そこまで悩む必要ないか。


 後は、戦闘についてだ。憑依してみてわかったが、ゴブリンは一応、人型なのだから、道具が使える。何か、戦闘が有利になるような装備品を用意してやりたい。


 だが、武器はさっきも考えたみたいに、高いしなあ。俺が買える刃先の短いナイフでもそれなりの値段がする。――いや、まてよ。別にわざわざ馬鹿正直に武器らしい武器を買わなくてもいいんじゃないか? 大体、人間サイズの武器だと、ゴブリンにとっては大きすぎる訳だし。


 例えば、包丁とかでもゴブリンにとっては十分短剣だ。そうだ。そうしよう。包丁なら100円ショップでも売ってるし。


 あ、ついでにそこで缶詰とかも買えばいいか。


 後、ダンジョンは暗いから、ヘッドライト的なものも欲しい。


 そんなことを考えていたらホームルームが終わった。


 授業が始まる。俺はスッパリ思考を切り替え、黒板に集中する。ダンジョンも大事だが、現実はもっと大事だ。


 いつの間にか昼になる。


 俺は鞄から、昼飯のサンドイッチを取り出した。


「おー、見城は、今日はコンビニか。俺もだ。俺も。奇遇だな」


 眠たげな目をしたクラスメイトの男子――小林がそう言って俺の肩を叩いた。後ろの席に座っている小林は、俺と同じ中学からの内部進学組で、お互いどちらかといえばインドア派で、部活もしていない帰宅部組として、そこそこ仲が良かった。


「いや、お前はいつもコンビニ飯だろ」


「まあそうだけどなー。愛する息子に毎日、店の余り物を食わせるなんて愛がないと思わないか?」


 小林が軽口を叩く。


「まあ、でも、余り物の中から自由に選べるんだからいいだろ。弁当だと、嫌いなものが入ってても避けられないじゃん。って――ん? 余り物?」


 適当に話をしている内に気付いた。


 いたじゃないか。目の前にゴブリンの餌をくれる奴が。


「だけどさー。余り物ってことは、全部不人気な商品なんだぜ。大抵、微妙な味で――、ってどうかしたか?」


 小林が怪訝そうに俺を見た。


「小林。お前を友人と見込んで頼みがあるんだが」


 俺は小林の肩に手を置いて、ぐっと顔を近づけた。


「なんかこえー。金なら絶対貸さないぞ。って、お前んとこ金持ちだしそれはないか」


 小林が俺の手を払いのける。


「金持ちではないが……金は借りない。むしろ、金をやる。一日、百円」


「どういうことだ?」


「お前が弁当を選んでも、まだ廃棄食料は残ってるよな? それを全部くれ。ありったけくれ」


 手を合わせて拝む。


「おいおい。なんだよー。食費を浮かせようってことか? まあ、家はコンビニっていっても直営じゃないから、そりゃ多少は融通がきくけどなー。客に廃棄を渡したってバレると親に叱られるんだよなー」


「いや、人間じゃない。俺は恵まれない動物に腹いっぱい食べさせてやりたいだけだ」


 嘘はついていない。


 俺の好き勝手にこきつかわれるゴブリンは、間違いなく境遇としては恵まれていないから。


「恵まれない動物ってなんだよ。猫とかか?」


「まあ、そんなようなもんだ」


「うーん、まあ、そういうことならいいか。見城にはいつもノートを写させてもらってるし、うちのお得意様でもあるしなー」


 小林がちょっと考えてから頷く。


「ほんとか!?」


 俺は頬をほころばせた。真面目系クズをやっていてよかった。


「ああ。まあ、慈善事業だと思うことにするよ。だから、金はいらない。でも、毎日廃棄が出るとは限らないから、そこは勘弁してくれよ」


「もちろんだ。助か――」


「だめだよ! 猫にコンビニ弁当を食べさせるなんて!」


 俺と小林との交渉が妥結しようとしたその瞬間、怒気を孕んだ声が割り込んできた。


「なんだよ。佐倉。話を聞いてたのか?」


 小林が鬱陶しそうに声の主である女生徒を一瞥した。


 セミロングのくせっ毛な茶髪。あまり化粧っけはないが、目はぱっちりと大きく、唇の艶々として血色が良い。健康的な美少女といった感じだった。動物でいえば、それこそ猫っぽい。


「人間の食べ物は、猫にとっては塩分も脂質も多過ぎるんだよ? 特にコンビニ弁当なんて人間にとっても濃い目に作ってあるんだからー! その猫、どこにいるの? 私がキャットフードを持っていってあげる! もちろん、保護して里親も探してあげるから!」


 佐倉はテーブルに手を叩きつける。俺の卵サンドが潰れ、机が揺れた。


 かなり強引な行動だが、それが許されてしまうのが佐倉という女だった。こういう時、天然キャラは強い。


「おいおい。佐倉。俺は猫だとは一言も言ってないぞ。それはただの小林の推測だ」


 俺は笑顔で答える。


 本当は、「盗み聞きしてんじゃねーよ」、と蹴りの一つでも入れてやりたいが、クラスでの俺はそういうキャラじゃない。


 おおらかな金持ちのぼっちゃん設定なのだ。


「じゃあ、何? どんな動物の餌でも、大抵は面倒みれるよ! 見城くんも知ってると思うけど、私の親は獣医だから!」


 佐倉は自信ありげに胸を叩いた。シャテルほどではないが、豊かな胸が揺れる。


「悪いが詳しくは言えないんだ。ただ、一つ言えることは、それは里親を頼めるような状況にいる動物ではないということだ」


 俺は眉根を寄せ、意味深に呟いた。


 適当に誤解してくれると嬉しい。


 実際、『ダンジョンで魔王やってんだけど、配下のゴブリンの餌代を浮かしたい』なんて、説明できる訳ないし。


「――もしかして、野良じゃなくて、私有なの? わかった。猫屋敷だ! 多頭飼いが崩壊して、飼育が不可能な状態なのに、飼い主が絶対手放さないパターンでしょ? ね? ね? ね? 大丈夫、私も一緒に行って、何匹かだけでも引き取れるように交渉してあげる」


 目論見通り、佐倉は勘違いしてくれた。


「佐倉の気持ちは嬉しいけど、無理だ。……察してくれると嬉しい」


 俺は沈鬱な表情のまま、首を振る。


「……わかった。何かあったらいつでも相談してね」


 佐倉が一歩退いてうなだれる。


 多分、わかってない。俺の言葉の意味は理解できても、納得してはいない。そんな感じの雰囲気だ。


「ありがとう。そうするよ」


 俺は佐倉に微笑みかけた。


 佐倉が俺たちから離れ、自分の席に戻っていく。


「佐倉もあれさえなければなあ……。モテるだろうに」


 小林が苦笑まじりに囁いてきた。その笑いに悪意はない。


 あのルックス故、それなりに言い寄ってくる男は多いみたいだが、『まずはお友達から』と佐倉とお近づきになろうとしても、放課後や休みに連れていかれるのは、毎回動物関係のボランティアで、男の方が音を上げてしまうらしい。


 そんな佐倉のクラス内での評価は、やっぱり『優しいけどちょっと天然な女の子』とならざるを得なかった。


「まあ、悪い奴じゃないと思うけどな。……とにかく、廃棄のこと頼むよ。気の向いた時でいいから」


 俺はそう答えると、クラスの空気に従って、曖昧に微笑んだ。あと、一応念押ししておこう。


「おう。いいぜー」


 小林はそう言って、快く頷いてくれた。

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