承
私が黙っているのをどう捉えたのか、女の子はわたわたと手を動かしながら言葉を重ね始めた。
「命というのはですね、貴重なものなんです。ただ散らしてしまうのなら、私が有効活用したいなって」
「……」
「それにですね、飛び降りって意外と失敗することも多いんですよ。頭から落ちればいいですけど、足から落ちて骨折の痛みに苦しみ抜いた末生きてるとか、生垣に突き刺さった状態で──」
「やめて痛い痛い」
何言い出すんだこいつ。体がぶるっと震えたのは寒さのせいだけではない。変に想像できる痛みのせいで、一気に意識が現実に引き戻された。
「もし良ければ、私が楽な方法をお手伝いしてもいいですよ?ですので、是非」
「あの、べつに死にたいわけじゃないので」
にこにこと訳の分からないことを話し続ける相手から逃げたいが、階下は塞がれている。上は立入禁止。袋小路ってやつだ。
「では、あなたのお話を聞くというのはどうでしょう?その代わり、少しだけ命を分けていただくというのは」
「あの、さっきから命を分けるって、どういう」
「ああ、ええとですね」
女の子がふっと微笑む。明るい栗色の髪が、暗い蛍光灯の光を受けてぼんやり輝いて見える。薄桃色の小さな唇が、ゆっくり動いた。
「吸血鬼なんです、私」
「きゅうけつき」
何言ってるんだろこの子。
「はい。まあ細かい話をすると違うかもしれないですが、いちばん分かりやすく一言で言うなら吸血鬼です」
「はあ」
ヤバい子確定だ。どうしよう。逃げ場がない。
「さあさあどうぞ、お話ししてください。聞きますよ」
「話してって言っても…」
階下にいる相手は、私が何か話すまで動きそうにない。でも何を話せと言うのだろう。ここにいる理由?自分でもよく分からないのに。
昨日。朝早く起きて、この街まで来た。第一志望の高校の受験日。雪が降っていて運が悪いな、と思っていたのを覚えている。電車が止まらなくて良かったな、とも。
入学試験は難しかったが、自分なりに手応えがあったと思う。12月の模試で合格B判定からA -判定に上がっていたし、大きな失敗さえしなければ合格すると思っていた。
昼前に試験が終わり、駅前でハンバーガーを食べた。降り続く雪の中家に帰って、何もする気になれなくてゴロゴロして。学校の友達とぽちぽちやりとりしているうちに寝てしまった。
朝起きたら、もう景色は真っ白だった。テレビのニュースを見ながらだらだら朝ごはんを食べて、合格発表ページの更新を待つ。
私の番号は、無かった。
受験番号の並ぶページをスクロールし、『合格者の皆様へ』『入学手続きのお知らせ』の下まで、自分の番号を探す。何度リロードしても、私の番号は無かった。
そこから、ちょっと記憶が曖昧だ。着替えて受験票と財布を掴んで、家を飛び出した。お母さんが何か言っていたような気がするけど、何を言われたのか覚えていない。なんでわざわざ制服に着替えたのかも、よく分からない。
昨日と同じ道を辿って、高校に向かう。朝の通勤ラッシュの時間を過ぎて、雪は薄汚い灰色のシャーベットになっていた。
学校の正門から入ると、事務室の反対側の壁に合格者の番号が貼り出してあった。A3の紙に印刷された番号の羅列を、何度も何度も見直す。時々通りかかる人が、ちらっと私の方を見て通り過ぎていく。
どれくらいそこに立っていたのだろう。高校の事務員っぽい人に声を掛けられ、「大丈夫です」と答えてそこを離れた。
それから、どこをどう歩いたのか。人通りの多い大通りも、ほとんどシャッターの閉まっている細い路地も、いろんなところを歩いた。スマホが何度も震えていたが、見たくなくて電源を切った。切ってから、スマホが無ければ時間も今いる場所も分からないことに気付いた。もうどうでもよかったけど。
不合格。
合格すると思って、余裕があるみたいに振る舞ってた。学校の友達に、なんて言えばいいんだろう。「受かりそうなところを選んだ」とか言ってかっこつけてたのに、落ちたなんて恥ずかしくて言えない。どうしよう。もう会いたくない。
お母さん。帰って、慰められたりしたら爆発しそうだ。今は何も言われたくない。放っておいてほしい。
自分が情けなくて、消えたくて。行き場所がなくて。叫び出したいような、その場で突っ伏していたいようなよく分からない気持ちで、とにかく歩き続けた。だんだん暗くなってきて、学校帰りの人を避けるように大通りを離れた。会社帰りの人達が増えてきて、路地の居酒屋に明かりが灯り始める。居場所が無くなって、暗いところを探して歩いているうちに、ここまで来ていた。
人の声も、車の音も遠いこの階段が、なんだか居心地が良くて。ぼんやり街を見下ろしているうちに、何もかも夢の中みたいになっていった。遠く下に見える暗い路地に落ちたら、そのまま何もかも消えるような気がして。
そんなことを、どう話せばいいんだろう。
女の子が、にこにこしながら一歩階段を上がった。とりあえず何か話さないと逃してくれなそうだ。
とりあえず、何か話せばいいわけだ。この自称吸血鬼に。それで終わるなら、それでいい。
「落ちたんです。高校に。それだけ」
「そうですか。それは」
一歩、また一歩、自称吸血鬼は階段を上ってくる。私の足跡しかなかった階段の雪に、新しい足跡が重なっていく。
濃紺のコートに包まれた腕が私に向かって伸び、そして。
「悔しかったですね」
そう言って、自称吸血鬼は私を抱きしめた。静かな、静かな声。それが、私の心のどこかを突き刺した。
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