第4話 ユメ(一番目)

いつのまにか汚い部屋に立ち尽くしていた僕。こんな場所には来た記憶がない。

「何だここ…?」

古い木の床の上にはたくさんの青い絵の具が飛び散って、こびりついている。よく見ると、白い綿や青い糸なども転がっているようだ。

そんな部屋を不気味に思いながらも、僕はここから出るために部屋に一つだけあるドアを開こうとした。

「…⁉︎…なんで…?くそっ!」

ガチャガチャとドアノブを捻るが、ドアは開かない。鍵が閉まっているとかではなく、全く動かないのだ。ーーーぞわりと首筋に怖気を感じて振り向いた。床には青い絵の具が飛び散っている。それが、文字を形作っていた。

『お い て い か な い で』

ぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺた!

物凄い勢いで青い絵の具が垂れる。それは線を描き出し、その線は部屋の隅の戸棚に繋がっていた。

恐る恐る線を辿り、戸棚の前に立つ。

酷く軋む戸棚の戸をゆっくりと開け放つ…

「………」

戸棚の中にはテディベアの頭がぽつんと置かれていた。頭の周りに青い絵の具が飛び散って不気味だが、テディベアはなんということもない顔をしている。おいていかないでという言葉の通りに僕はその頭を拾い上げた。

テディベアには胴体、手足、目がなかった。

改めてドアに向かうと、今度は呆気なくドアノブが回って外に出られた。

そこはやはり木造の建物の中で、廊下だった。自分たちが出てきたドア以外にも5つのドアがある。

右端からドアノブを捻るが、開かない。

最後の1つ、左端のドアでやっと開いた。


「何だこの部屋…」僕は呆然と呟く。

目の前には針の山が並んでいる。何者も通さないと言わんばかりの尖った剣山に僕はたじろいでしまう。

少しだけ隙間があるようだが、両足がやっと乗るかというほどの面積だ。針山の先に何か茶色のものが転がっている。

『あ れ ぼ く の か ら だ』

足元にぺたぺたと青い文字が刻まれる。

どうやら、転がっているのはこのテディベアの胴体らしい。

「行かないとダメかな……」

恐怖に強張る足を叱咤して始めの隙間に足を伸ばす。片足が確かに地面を踏み締める感触がした。

残されたもう片足を地面から離して、狭い隙間に両足で立った。

カチリ

不吉な音がしたあと、駆動音が聞こえ始めた。足場がガタガタと揺れ始め、ゆっくりと上昇する。

すぐに周りは飛び石の迷路になった。スタート地点にも高い針がびっしりと生えていて、進むしかなくなったことがよく分かる。

飛び石は子供の頃によくやったが、今回は落ちれば死んでしまうだろう。

ぐずぐずしていても仕方がない、そう心を決めた僕は、しっかりとテディベアの頭を抱え、跳んだ。

「!……」

僕は串刺しにはなっていなかった。……まだ。

膝がこれ以上ないほど笑っている。恐ろしくて声も出ない。でも、まだまだ先は長い。

次に飛ぶ地面目掛け、跳んだ。

そこから先は覚えていない。ひたすら一目散に下を見ないように跳んでいた。

そして何とか辿り着いた最後の石。あとこの少し他のものより長い距離を飛び越えれば、胴体が手に入る。僕はすぐに跳んだ。跳んでしまった。

最後の一列の針が急にせり上がり、地面に着地しようとしていた僕の後足を串刺しにした。

「うわあああああああああああ!!!!!」

鋭い針に皮膚も肉もなす術はなく、易々と貫通し、血を振り撒きながら切り裂かれた。

着地できたことをいいことに凄まじい痛みが走った足を力任せに引き寄せ、地面をのたうった。

じわじわと血液が広がる。針は細いので大した傷にはなっていなかったが、神経をごっそり削られた痛みに叫ぶことをやめられなかった。

血液が凝固し、血溜まりが広がるのが止まるまで、僕はその場に震えながら蹲って耐える。

「…ど、胴体……」

疲れ切って胴体に手を伸ばす。茶色いテディベアの胴体が白い綿をはみ出させながらぼたっと手に落ちる。

気づいた時には周りは針もなく、何もないただのがらんとした木造の部屋が残っているばかりで、それどころか足に貫通していたはずの深い傷までが影も形も見当たらなかった…


一度廊下に出た僕は、手に持ったテディベアの胴体と頭をくっつけられないか考えていた。

頭も胴体も青い糸が通されており、綿も少し足りないようだ。

「綿と青い糸は最初の部屋にあったけど針は見つからなかったな…」

このテディベアには手足が足りないし、眼となるボタンも探さなければいけないだろう。

「あぁ、凄く大変だ…」

そうぼやいて、左から2番目にあったドアを開けた。

そこには、椅子とテーブルがあった。しっかりした重厚な造りの四つ足のテーブルに同じ木でできた、シートにはもふもふのクッションが敷き詰められている椅子が2脚。そのうちの1脚には大きい人形が座っている。人形が抱えているぬいぐるみには不自然に大きい手と足が乱暴に縫い付けられていた。

また、足元にぺたぺたと青い文字が刻まれる。

『す わ っ て み な よ』

僕は空いている方の椅子を丁寧に引いて、座った。

テーブルの上に紙とお茶が現れた。

『ねぇ、わたしとあそびましょう?

 ひまでひまでしかたがないの。

 あそんでくれたら、くまさんのてあしをあげても

 いいわ。

 まずはこのおちゃ、のんでみてよ。

 だけどこれは、どくがあるかもしれないわね。

 どくだってしょうめいできたら

 のまなくてもゆるしてあげる  』

お茶は緑色に濁っていて、変な匂いがする…流石に飲むのはまずいだろう。

部屋は広く、棚や収納、色々なものがある。

僕は使える物がないか、探してみることにした。

部屋のタンスの中を覗く。

「なんだこれ……」

タンスの中は壊れたテディベアが無数に詰め込まれている。どの段も手やら足やら沢山の部品が詰め込まれている。

『こ れ ち が う』

青い文字も自分のものではないと主張した。

タンスを一度閉めて、他の所を探すことにした。

壁側にある本棚には沢山の本が並べられている。

「これは…物理、化学…難しくてわからない。

あ、でもこれは小説…音楽の本も…医学書?こんなもの読めるのかな…?」

文庫本の小説から分厚い医学書まで色々な本が詰まっている。

「…植物図鑑…?これなら使えるかも…!」

植物図鑑のページをめくる。

しかし、僕は何を入れたのか知らないことに気がついた。慌てて、テーブルに駆け寄る。

「君は、どんな植物をお茶にしたの?」

紙に文字がサラサラと書かれていく。

『あら、きれいなしろいろのはなをいれたわ

 なのに、こんないろになってしまってざんねん

 まっすぐたっていてうつくしいしろいはなと

 いくつものしろいまるいはながさがっている

 しょくぶつをいれたわ

 おいしくのんでちょうだいね?  』

白い花には毒があるのかないのか調べるために僕は植物図鑑をめくって白い花を探した。

「……!」

人形の言っていることにとても一致しているのは

スイセンとスズランだ。でも、どちらも毒がある。

「ほ、ほら!このお茶、スイセンとスズランで作ったんでしょ?そうしたら、これは毒だよ!

飲まなくてもいいよね?」

植物図鑑を見せながら人形に訴えた。

紙に新しい文字が綴られる。

『だめよ

 だってほんとうにそのはなだったのか

 おぼえていないんだもの

 はやくのんではやくのんではやくのんで

 は や く の め  』

「ひっ……!」

恐ろしくなった僕は人形から離れると、再び本棚に向き合った。

「…『人の身体』、違う…『地球の歴史』、これでもない…あぁ、ない、違う全然ない!!!」

最後に手に取った本は

『歴史と食べ物の関係』だった。

パラパラとページをめくっていくと、

「毒殺とその防ぎ方」という目次があった。

男の人がスープに何かを入れ、それの色が変わっている。

「銀食器は毒を見破るのに使われていた…?」

周囲に目を走らせる。

「銀食器、銀を入れてみれば…!」

しかし銀はなかなか見つからない。机の引き出しにも、小物入れや戸棚の中など、探してみても全然見つからない。

そして……

「あった!……でもあれは…いいのかな…?」

人形の付けているブローチは美しい銀色をした、蝶を模っているものだった。

美しい銀色からそれは見つからなかった銀だと嫌でもわかった。

「毒を飲むくらいなら…人形には仕方ないけど…」

人形のブローチに手を伸ばす。

凄い勢いで目の前に青い文字が走る。

「だ め や め て」

僕は手に持ったテディベアを見下ろした。

青い文字は走り続ける。

「こ こ の ひ と は じ ぶ ん に

 が い が あ る と こ ろ し に

 く る」

ブローチに伸ばしていた僕の手が止まった。

脳裏に掠める記憶があった。あれは、ここに来て、あの4人の中の誰かとチェスをしていた時だ。

「…自分にとって害になる物は排除しないと…」

歌うように僕の駒は次々と確実に取られていった事を覚えている。

これを言ったのは、誰だったか。

「…分かった。これを取るのはやめよう。」

人形から離れて、この部屋で唯一調べていないところの前に立つ。

1番初めに調べた、壊れたテディベアが詰まっていたタンスだ。

深呼吸を一回して、一息に開ける。

壊れたテディベアの山は先刻ほど怖くはなかった。

丁寧にボロボロのテディベア達の色々な部位を拾い上げて、退ける。僕の周りにはたちまちテディベアの殺人現場が出来上がった。

上から1段目…底まで探しても何もない。

2段目……やっぱり何もない。しかし、なぜか入っていた割れたインク瓶で手を切った。インクが下の段にまで垂れていく。

3段目……インクが広がっていたが、気にせず探す…何もない。

4段目……ここで最後だが、何も見つからない。

だけど…

「おかしいな……」

あれだけ垂れていたインクが全く見つからない。

まるで、あったはずの1段を見落としたかのように…

3段目をもう一度開けてみる。

インクは確かに隙間から垂れていっていた。

4段目の天板を触ってみる。隙間はなく、インクは全く垂れていない。

よく見ると、3段目の底はとても厚くなっている。

「………やっぱり!」

3段目の底を持ち上げると、もう一つ、薄い空間が現れた。そこは垂れたインクで青く染まっていた。

青いインクの中に銀色に輝く蝶があった。

それは、人形の付けているブローチとそっくりで、見分けがつかない。

「これをあのお茶につければ…!!」

お茶に駆け寄り、ブローチをそっと浸す。

銀色にキラキラと輝いていたブローチが黒く変色した。人形にそれを見せる。

「ほら、このお茶は毒だったよ。」

サラサラと文字が走る。

『まぁ、ほんとうね

 じゃあそれはのまなくてもいいわ

 でも、あなたのもっているそのブローチ、

 わたしのものなのだけれど?  』

「あ、ご、ごめんなさい…!」

『でも、なくしてこまっていたものだから…

 おちゃにつけたのはゆるしがたいけれど、

 みつけてくれたおれいということで

 なにもいわないわ。

 ありがとう、そのブローチ、この

 テディベアのてあしとこうかんしてくれる?』

「いいよ勿論!」

そう言って僕はブローチを人形に付けてあげた。

テディベアの手足がぽろりと外れて床に落ちる。

ぺたぺたぺた!青い文字が浮かび上がった。

「こ れ ぼ く の て と あ し」

「よかったね」僕は手足を拾い上げて、

部屋を出ていった…

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五番目の夢と目覚め チェシャぬこ @whiterabbitcheshirecat

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