384.5 手記11

「どうかしました?小松こまつさん」


 エリアBの窓には、青が映っていた。


 コバルトブルーの海と空。


 ところどころに植えられた緑が、ここが基地内であることを忘れさせてくれる。


「なんでもないわ。迷子にならないでね、三島みしま君」


「ハ、ハイ!……また拡張したんですね、ここ」


「そうなの。母艦の修繕もほぼ回復。また月に行けるようになるわ」


「わァ……行ったことないんですよね、俺。月って」


 ベージュのニットがよく似合う小松こまつさんの隣で浮いた気持ちになって、つい口が滑った。


「……いいのよ。とても静かで美しい場所だわ。三島みしま主任も開発に携わったものね」


 三島みしま主任……仁花にかのことだ。


 小松こまつさんが月にいい思い出がある訳ない。


 月に隔離されているうちに、大事なものを失ったのだから。


 俺で良かったら……、と言いかけて、薬指に光るプラチナに拳を握る。


 小松こまつさんに幸せでいて欲しい。


 そう思った。


「俺は……なんかこう、結構平気で。もう……」


「嘘つきね」


 小松こまつさんは少し微笑わらってくれた。


三島みしま君、ここよ」


 無機質なドア。


 それでも中からは小松こまつさんの穏やかな空気が流れている気がした。


「お、お邪魔します」


 そこは女性の部屋とはおよそ思えないくらい、機械だけに埋め尽くされた部屋だった。


「すごく精密に出来てるわ、これ。大変だったでしょう?」


 小松こまつさんは俺のプラモを分析液に付けて、手際良く解析を始める。


「そんな……そうでもないですよ」


 そんな風に言ってしまうサガよ。本当はうん、もの凄く大変でした。


「出来そうですか?」


 装甲用シリコンの配合と製作。


 拡大した場合、配合が同じで上手くいくとは限らない。


「パターン分析を何通りか行ってね。そうすれば」


流石さすがエリアB!」


 IOP消失後、テクノロジー復興の核。


 人類の希望。


「ありがとう。手伝ってくれる?」


「もちろんです」


 俺ひとりいなくても、強き力は何度でも立ち上がる。


「……そういえば……篠坂しのさか艦長はどこに行ったのかしら」


「……あの人、いつもいつの間にかいなくなるんですよね」


「本当だわ」


 小松こまつさんは、モニターに注視してるのかもしれない、だけど……


小松こまつさん、この部屋に、さっきの花飾ってくれませんか?」


 冗談っぽく、流されてもいい。


 けど思いのほか真剣な声が部屋に響く。


「出来ないの」


「……小松こまつさん、なんでこの部屋、何もないんですか?」


 小松こまつさんの瞳は画面を見ていた。


「艦長も主任も、私には大事な人だった」


 変わってしまった、と聞いた拓海たくみの姿。


拓海たくみは……あれがなんじゃないですか?」


 気休めだ。拓海たくみは心を痛めている。


「私は何も失っていないの。夫も。子どもも産まれたわ」


 失っていないなんて、本心じゃない。俺も同じだから。


 小松こまつさんの、黒い瞳が俺を見上げる。


 無機質な、機械だけの部屋——


「これが……私の罪」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る