似顔絵

 当時通っていた幼稚園は小学校の隣で、二階建ての建物だった。

 年少は一階、僕はさくら組だった。年長に上がると二階の教室になり、毎日階段を登って自分の教室に向かう時、「偉くなった」と感じて勝手にプレッシャーを感じていて、漠然と「ちゃんとせんと」とか思っていた。

 年長組ではすみれ組になった。担任の先生がさちこ先生という名前で、黒髪の腰まで長い超ロングヘアーがトレードマークの若くて美人な先生だった。今思えば新任だったのだろう。僕はこの先生が大好きだった。


 ある日、「似顔絵を描きましょう」とさちこ先生は皆に紙を配り始めた。僕はこのお絵描きの時間と工作の時間が特に好きな時間で、ずっとこの時間でいいとか思っていた。あとは絵本を読む時間とかもあったが、自分が読みたい本とマッチしていれば楽しかったのだが、そういう日はほとんどなかったので、退屈だなとか思っていた。

 この日のお絵描きは、クレヨンを使って隣の人の顔を描きましょうというものだった。僕は女の子とペアを組んで似顔絵を描きあったのだが、描くたびに上手く描けない違和感ともどかしさがずっと漂っていて、モヤモヤしていたのを未だに覚えている。案の定、ペアの女の子が不満を言い始めた。

「わたしこんなんとちゃうやろ〜めっちゃ下手やん!」

 その言葉に少し傷つきながらも納得していた。下手なのは僕が一番わかっていた。でもどう描いたらいいのかわからんと思いながら言い返したのは「お前の顔むずいねん」だった。最低である。

 当然女の子は怒り出した。僕はなんでそんなこと言ってしまったのかと後悔していたが、強情さが勝って謝ることはなかった。上手く描けない悔しさもあった。なんとかして綺麗に描こうと幼い頭なりに必死に考えた。そしてふと目に入ったのが、相手の女の子の描いた僕の似顔絵だった。一目見て衝撃が走った。上手すぎる。本当に同い年の子が描いた絵か?僕はもうその絵に釘付けだった。どうやったら描けるんだろう。決して僕には似ていなかったが、線が綺麗だと思った。

「すごい」口をついて出たその言葉に女の子はへへっと笑いながら「あたしより上手く描きいや」と言って続きを描き始めた。この言葉からもわかるように、この子はすごく優しいいい子だった。


 僕も続きを・・・と再びクレヨンを持ったが、上手く描ける自信が全くない。変な絵を描いたらまたこの子にバカにされる。それはいやだなあとウジウジしていたが、上手な描き方がまったくわからなかった。女の子の絵を見る。あんな風に描きたい。この子と同じように描けるようになりたい。

 僕は相手の女の子の絵を観察することにした。どこから描いたのか、クレヨンはどんな持ち方か、頭と首の繋ぎ目はどう描いているのか。じっくり見ると明らかに僕とは描き方が違う。まずスピードだ。線一本一本にかける時間が僕より圧倒的に長い。ゆっくりじっくり線を引いていた。対して僕はクレヨンを削るという表現そのままの、ガリガリと前後に素早く描き散らかす方法だった。味があると言えば聞こえはいいが、女の子の絵を見た後だと自分では雑そのもので、恥ずかしくなってくる。

 僕はまずゆっくり描くことを意識した。じわりじわりと線を引き、輪郭と首を1ストロークで描くようにする。するとどうだろう、最初に描いたものよりずっと上手く描けたと思った。これを描いたのか?僕が?自分の可能性を見出したような気がして、この子の癖を自分のものにしようとさらに観察し、同じ手順、筆圧で動かしていった。最初に描いたものとはあきらかに違う繊細な線とムラのない綺麗な塗りつぶしに、我ながら感動して–––人の描き方を真似ただけだが–––成長したような実感と手応えに光明

 そうして似顔絵が完成し、みんなの絵が壁に飾られていった。僕の頭の中では、僕の絵が飾られた瞬間「おお」と歓声が上がるに違いないと確信していたのだが、もちろんそんなことはなく、流れるままに流れていった。だが、明らかに他の男の子の絵とは違う出来栄えで、僕の絵の方が綺麗だと一人勝手に自信を持っていた。


 僕はこの時、あの女の子とペアで良かったと思った。壁に並べたらよくわかる。彼女の絵は他の誰よりも上手に見えたから。早くこの描き方を自分のものにして、まぜこぜにしたいという気持ちで心は一杯だった。家に帰ったらもっと描こう。上手く描けたらお母さんもびっくりするだろう。びっくりして「めっちゃ上手やん」とお母さんが僕を褒めてくれるシーンを想像しては嬉しさでじっとしていられなかった。


 そしてこの日が–––今思い返せばだが–––僕の人生をある程度決めた1日になった。

 絵を描く楽しさ、ものを作り完成させられた時の嬉しさ、そして他の人の良い所を取り込み自分の能力に昇華できた時の快感。全ての原点は、この日だ。


 その後帰宅し、遊んだ後の片付けを忘れて怒られたのと、お風呂での100カウントがうまくできなくて怒られながらのぼせてしまって似顔絵の話どころでもなかったし、そもそも絵も描けなくて、眠る頃にはそんなことすっかり忘れていた。

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