第10話 黄金のエプロン
俺はジョッキを一列に並べると、ふぅと息を整える。
ビール、ハイボール、梅サワー、ビール、ビール、ビール。
あくまで丁寧に、だがそのスピードは早く。
「ドリンクお願いします」
「了解でーす」
俺が作ったドリンクをヒメが運ぶ。6つものジョッキを一気にだ。
曲芸的に多くのジョッキを運ぶことは容易にできる。
だが、それを仕事として行うのは難しい。
伝説のバイトマスターは触手のように腕や足を伸ばして分身を作り、まるで多数の客がいるかのように振る舞う。
「姉ちゃん、枝豆とビール」
「こっち、ハイボール追加で。おかわりだからね」
「あ、やっぱり枝豆なしで唐揚げにしてもらえる?」
いくつものオーダーをヒメは同時に処理していく。
「先輩、オーダーは」
「いい、わかってる。お前は唐揚げ揚げてろ。俺はドリンクやっちまうから」
俺はめんどくさくなって全部ビールを入れてそれぞれの客に渡した。
「おい注文違うんだけど」
「あ?」
俺はそいつの卓にあった料理をつまみながら声たかだかに潔白を宣言した。
彼は俺の素晴らしい演説に感動したのか少し涙目になっている。
「先輩、唐揚げお願いします」
「まかせろ」
様子を遠巻きで見ていた伝説のバイトリーダーは言った。
「パーフェクト」
俺たちの修行は厳しいものだった。
オーダーを1000個覚えろとか、ジョッキを持てるだけ持てとか、果ては亀と書かれた石を探しに行けとかいう修行もあった。
だが、俺たちはその全てを乗り越えた。
もはや、復讐とかどうでもいい。達成感と幸福感が心を満たしてくれていた。
だが、師匠は一向に師範代の証、バイトリーダーエプロンを渡してくれなかった。それは、黄金に輝く魅惑のエプロン。つけたものはすべてのバイトからの羨望を受ける。
技術は十分に身に着けたはずだ。
悶々とした感情が渦巻く中、俺たちはその日を迎えた。
それはいつものようにバイトリーダーが分身を作り、仮想的な居酒屋バイトをするという修行の途中だった。
「こふっ」
赤いものが床に散らばる。
サラサラとしたそれは床材の木目にそってじんわりと広がった。
紛れもなく血。
「師匠!」
俺たちは師匠に駆け寄る。
師匠は病気でも持っていたのか、だがいつも師匠はその常に光る体で元気に動いていたではないか。
いろいろな不安が心の中を駆け巡る。
「お前たち、吾はもうダメなようだ」
「そんな事言わないでくださいっ。病院に連絡をっ」
「そ、そうっすね。電話持ってきま」
師匠がヒメを制止する。
「俺は1年前のバイト戦争で、ある敵、裏バイトリーダーの攻撃を受けた」
裏バイトリーダー、数々の裏バイトを斡旋する謎の存在だ。
まさか実在したとは。
「その後遺症がこれだ。こうなるのはわかっていたんだ」
師匠は震えた手で懐から何かを取り出す。
「正直、お前たちはすでに合格していた。だが、俺はお前たちとの修行生活が楽しかった。……ダメな師匠だな、吾は」
それは師匠と同じように黄金に輝くエプロンだった。
俺たちはそんなのはどうでもいいと、ぬるぬるした師匠の体を支える。
「師匠、そんな事言わないでくださいっ。これからもずっといっしょにいましょうっ」
ヒメがそう言って師匠の体を起こそうとすると、ヌメヌメした体が滑って落ちた。
「ぐはっ」
「ああ、すみませんっ!」
師匠の体はうなぎのようで掴もうにも掴めなかった。
「卒業だ、吾を継げるのはお前たちしかいない」
師匠はそう言うと、静かに目を閉じた。
「「師匠ぉ――!!」」
そうして俺たちはエプロンを受け取った。
それは平穏の終わりを告げるとともに、新たなる生活の始まりでもあった。
裏バイトリーダー。
俺たちは奴を許さないッッ。
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