110# エピローグ・レギオン
ローファスはメイリンを連れ、夜風に当たりにバルコニーに出た。
王国南方特有の、湿り気を帯びた空気が吹き抜ける。
雨は止み、月明かりがバルコニーを照らしていた。
「助け船を頂き感謝する、ローファス殿。当方、こうした夜会の経験は浅い故、勝手が分からず…」
日中は身の丈に合わぬぶかぶかのローブの下に甲冑を装備していたメイリンだが、今は夜会の為にギムレット伯爵が準備していた白を基調としたドレスに身を包んでいる。
そもそも夜会への参加自体断ったのだが、ギムレット家の女中達に捕まり、ドレスコードという言葉に押されてあれよあれよという間にドレス姿にされていたそう。
既に成人の年を迎えて久しく、しかしその見た目は随分と幼い。
十才、或いはもっと低く見られる事もあるだろう。
年齢に対して不釣り合いな程に幼い容姿、そして身体——それはメイリン独自の魔法的要因によるもの。
メイリンはその反応から、リルカやアベルの様に
しかし、メイリンはかつて《闇の神》を打倒した集団の一人であり、ローファスを殺し続けた者の一人でもある。
気を緩めて良い相手では無い。
「貴様、最近夢は見ていないか。未来でも見るかの様な、奇妙な夢だ」
「未来の、夢…?」
それは折角二人になったからと、軽い気持ちの鎌掛け。
メイリンはぱちくりと瞬き、小首を傾げる。
「先日、似た様な事を王女——アステリア殿下にも聞かれたな。夢がどうのと、奇妙な事を。生憎と当方は寝付きが良く、夢は久しく見ていない」
「…そうか」
アステリア殿下からも? と、ローファスは眉を顰めるが、少なくともメイリンに記憶は無いと判断する。
元より、前回の記憶を持つのは六神の使徒か《闇の神》の使徒のいずれか。
六神の使徒として確定しているのは、リルカ、アベル、学園長アインベルの三名。
そのいずれもの傾向として、対応する六神の属性の一致が挙げられる。
夢で見た“物語”の知識から、ローファスはメイリンの属性を知っている。
暗黒属性と氷属性の
属性の一致という条件が正しいならば、メイリンの属性と一致するのは暗黒神のみ。
しかし光神の見立てでは、ローファスこそが暗黒神の使徒であり、同時に《闇の神》の使徒でもあるという。
それが事実かどうかはさて置き、ローファスから見てもメイリンが使徒である可能性は低い様に感じる。
鎌掛けにもそれらしい反応を示さず、何よりかつての敵である筈のローファスと二人きりになっているというのに、警戒の色を一切見せていない。
ローファスがメイリンから視線を切った所で、彼女はふと口を開いた。
「…もしかして今の質問は、
「………は?」
思いもよらぬ、メイリンの口から出た“巻き戻し”の言葉に、ローファスは呆気に取られた様に目を見開く。
「貴様、まさか記憶が——」
あるのか、そう問い掛けようとしたローファスを尻目に、メイリンは白と黒の入り混じった髪をくるくると弄りながら言葉を紡ぐ。
「ふむ、“記憶”か。そしてその反応…やはりそういう事か。二人きりになってからこの話題を切り出したという事は、巻き戻される前、当方とローファス殿は少なくとも知り合い以上の間柄だったという事か」
「む…?」
メイリンの妙な言い回しに、ローファスは怪訝そうに目を細める。
メイリンは続ける。
「当方とローファス殿がどの程度の間柄だったかは知らぬが——ならば当方の右目に何が
メイリンの左右で色の違うオッドアイ——黒の左眼と白の右眼で、ローファスを見る。
メイリンの秘密を、“物語”の全容を見たローファスは確かに知っている。
メイリンが老いぬ理由も、右眼に何を宿しているかも。
それを思い起こしたローファスは目を細め、得心いった様に息を吐く。
「——《時の悪魔》か」
メイリンは、悪魔と呼ばれる上位者の一柱と契約を結んでいる。
その契約内容は——
「知っている、か。そう、老いる事無き未成熟な身体…当方の肉体は時が止められている。悠久の時の中で魔を探求する。魔の深淵に至り、その全てを
メイリンは微笑み、透き通る様に白く染まった自身の右眼を指差して言う。
「…三年程前になるが、
残念な事にな、とメイリンは肩を竦めて見せる。
「しかし——《
気を許した様に悪戯っぽく笑うメイリンに対し、ローファスは睥睨する。
「…その逆だ。俺と貴様は敵同士だった。俺は前回、殺されている——貴様と、その仲間共にな」
ローファスの発する殺気にも似た空気が、メイリンの笑みを凍つかせた。
メイリンは青ざめ、額から冷や汗を流しながら、半歩退がる。
「そんな…ローファス殿を殺す…? 不可能だろう…」
あり得ないと、とても信じられないといった様子のメイリン。
無意識に逃げ道を模索する様に視線を泳がせ、ローファスはそれを潰す様にメイリンの眼前に出る。
「…っ」
今にも泣きそうな程に絶望的な表情を浮かべるメイリンに、ローファスは殺気を鎮め、鼻を鳴らした。
「これに懲りたら、聞かれてもいない事をベラベラと話さぬ事だな。思い込みが身を滅ぼす事もある」
ローファスの刺す様な雰囲気が和らぎ、メイリンは緊張の糸が切れた様に膝から崩れ落ちる。
それをローファスは、手を伸ばしメイリンの小さく華奢な身体を支えた。
「気を付けろ、ドレスが汚れる。これは借り物だろう」
呆れた様子のローファスに、メイリンはその手を取り、恨めし気に半目で見る。
「ローファス殿が脅かすからだ…全く、肝が冷えた」
「別に冗談でも無いのだがな。まあ今回は随分と事情が異なる。こちらに敵対の意思は無い——貴様が襲って来ぬ限りはな」
「馬鹿な、襲う意味が無い。万が一意味があろうと、勝ち目もないだろう」
メイリンは肩を竦め、ローファスの手を支えに立ち上がる。
メイリンは真面目な顔でローファスを見た。
「詳しく説明を頂けるか、巻き戻される前の出来事を」
「説明、と言われてもな…」
ローファスは面倒そうに目を逸らす。
どうやらメイリンは、六神や《闇の神》とは別口から世界の巻き戻しに気付いていたらしい。
ローファスは、正直な所メイリンに対して事情を説明するだけの意義も必要性も感じない。
メイリンの実力に関しても、決して低くはないが、ローファスからして然程高いとはいえない。
協力者としても微妙。
それよりもローファスが気掛かりなのは、メイリンの右目に宿る上位者——《
六神と《闇の神》、その使徒以外に、世界の巻き戻しを認識している存在がいるという事は、看過出来ない事実。
《
もしも、六神と《闇の神》以外の存在が“世界の巻き戻し”を認識しているとするならば——事は非常に難解。
《魔王》ラース曰く、“世界の巻き戻し”は、六神と《闇の神》が再戦する為に用意された舞台である。
しかし、他にも“巻き戻し”を認識している者が存在するならば、事は六神と《闇の神》の戦争という単純な話では終わらない。
「神格、神獣、上位精霊、時を司る存在——候補は多い。全く面倒な…」
呆然と佇むメイリンを尻目に、ローファスは億劫そうにぶつぶつと呟く。
六神と《闇の神》、そしてその使徒以外にも注意を払わねばならないのかと、ローファスはうんざりした様に肩を落とした。
いつまでも説明してくれないローファスに、メイリンは控え目に催促する。
「あの、ローファス殿…説明は?」
「知らん。アベルにでも聞け」
「アベル…?」
ぶっきらぼうに答えるローファスに、メイリンは「誰だそれは」と眉を顰める。
いや、先の王都襲撃の折に表彰で呼ばれていた平民が、確かそんな名前だった様な。
その平民も巻き戻しに関係があるのか?
そうメイリンが問い掛けようとした所で、ローファスが何かを察知したかの様な反応を示す。
「ローファス殿?」
不審そうに近寄るメイリンを、ローファスは手で制した。
「…急用だ」
ローファスは集中する様に目を伏せた。
*
何の予告も無くローファスの元に届いたのは、ユスリカからの緊急の連絡。
影に潜ませている使い魔に、ユスリカが繰り返し話し掛けているのをローファスは察知した。
ローファスは意識の一部を使い魔に繋げ、ユスリカの言葉に耳を傾ける。
『ローファス様…! 突然の連絡、申し訳ありません…急ぎ報告したい事が…』
「構わん。話せ」
『は…それが——』
ユスリカからの緊張連絡。
それは、ステリア領が帝国軍の襲撃を受けたという内容だった。
その場に偶然居合わせたライナスとカルロスが援護する形で参戦し、帝国軍を撃退する事は出来たものの、両者共に重傷を負ったとの事。
特にカルロスの傷が深く、転移にてライトレス本邸に運ばれてからはユスリカが集中的に治療を行い、何とか一命を取り留めた。
しかし、未だに意識が戻らない。
それらの事を、ユスリカは疲労の残る声でローファスに伝えた。
「そうか…よくやってくれた」
報告を聞き終えたローファスが口にしたのは、短い労いの言葉。
それを聞いたユスリカの、気が抜けた様な泣き笑いの顔が、使い魔越しに見えた。
「少し休め。また連絡する」
通信を切ろうとしたローファスを、ユスリカが慌てて止める。
『お待ちを! 先代——ライナス様から伝言が…』
「
『内容が内容でして、私では意図を測りかねるので、一字一句そのままにお伝えします』
そう前置きし、ユスリカは伝言の言葉を口にする。
『“帝国に、
以上です、とユスリカは締め括る。
ローファスは暫し沈黙した後「分かった」とだけ口にし、使い魔との繋がりを断つ。
使い魔との視界共有を切断した事で視野が戻り、不安そうなメイリンの顔がローファスの目に入った。
「緊急の念話か? 何か深刻な事が…」
言い掛けたメイリンは、顔を青ざめさせて口を噤む。
ローファスの内より、凍てつく程に冷たく、刺す様に刺々しい暗黒の魔力が滲み出ていた。
感じられるのは隠し切れない怒りの感情。
表情こそ変化の無いローファスだが、その瞳は地獄の底を思わせる程にどす黒い。
「すまんな。少々…腹に据え兼ねる連絡を受けた」
無関係であるメイリンを威圧してしまった事に対し、ローファスは謝罪の言葉を口にする。
しかしローファスの雰囲気が柔らぐ事はなく、メイリンはざらついた魔力をひしひしと肌で感じながら、緊張した面持ちで口を開く。
「…何があった。ローファス殿にとって余程の事があった様に見受けるが」
「俺にとってではないな——
「は…?」
意味深なローファスの返答に、メイリンは眉を顰める。
ローファスは昂った怒りを鎮める様に大きく息を吐き、バルコニーの手摺りに手を掛け、空に浮かぶ三日月を仰ぎ見る。
あまりにも唐突な帝国の襲撃。
しかし、帝国の襲撃自体は“物語”でもあった事。
早い、とローファスは思う。
“物語”よりも、時期が半年以上も早まっている。
しかし、ローファスの中ではある意味納得出来る部分もある。
“物語”での帝国軍の襲撃のタイミングは、《
それは正しく、王国が戦力的に弱まった時。
今回、レイモンドが《闇の神》による干渉を受けて召喚獣による王都襲撃を行ったのは、“物語”よりも半年以上早い時期だった。
帝国軍の襲撃が、王都襲撃の時期に合わせてのものであったならば、このタイミングの侵略も納得出来るというもの。
しかしそうであるとするならば、つまり王国の情勢は帝国側に筒抜けであるという事になる。
帝国の間者が王国内に紛れているのか、或いは優れた科学技術にる未知の情報収集手段があるのか。
いずれにせよ、
《闇の神》の断片なるものが、帝国にあるという。
六神に程よく使われようとしている感は否めないが、しかし帝国はカルロスをやった。
それはローファスからして、到底看過出来る事ではない。
「帝国…潰しておくか」
この上無く物騒なローファスの呟きに、メイリンは吹き出す。
「ローファス殿!?」
どんな連絡を受けたらそうなる!? と目を剥くメイリン。
ふとそんな最中、天より一枚の紙が夜風に煽られながら舞い落ちてきた。
紙は、三日月を眺めるローファスの手元に引き寄せられる様に落ちる。
落ちてきた紙——それは一通の便箋だった。
差出人も宛先も書かれていない簡素なもの。
しかしただ一文字、“R”の文字が書かれていた。
ローファスは目を見開き、急ぎ便箋を開けて中身を取り出す。
中に入っていたのは一枚の手紙。
書かれていたのはたったの一文。
“助けを求む”
その一文の下には、転移魔法を行使する際に用いられる、精霊語により位置を示す座標が記されていた。
その座標が示す場所、それは——帝国。
手紙を持つローファスの手に、思わず力が入り紙に皺が寄る。
「全く、次から次へと…!」
ローファスは苛立ちを隠しもせずに吐き捨て、屋敷の中へと戻った。
メイリンは慌てた様子でその後を追った。
*
帝国——首都中央。
都市部の地下、地層深くに造られた名称無き地下研究施設。
その最奥に、一般の科学者、研究員は立入禁止の研究ラボがある。
そこにはただ一人の人間——否、
一見して、華奢な若い優男。
研究者らしく、筋肉の乏しい線の細い身体。
白衣を羽織り、胸のIDカードには
双眸に言い知れない狂気を宿すその男は、名をテセウスという。
原作三部、《錬金帝国編》での黒幕であり、帝国軍科学部門の最高責任者。
数々の兵器開発を手掛け、帝国の科学技術発展の一翼を担う存在である。
誰が呼んだか、《人類最高の頭脳》。
そんなテセウスは、巨大モニターに流れる、先のステリア領襲撃の戦況報告を見ていた。
想定を遥かに超える被害。
結果として、万全な戦力で持って奇襲を仕掛けたにも関わらず、拠点一つも獲得出来なかった。
明確な敗北。
しかしテセウスは苛立った様子も無く、ただ興味深そうにモニターを見据える。
「…白い霧、ねぇ。
前回——そう口にしたテセウスは、別のモニターを見る。
幾人もの顔写真と名前が羅列するモニター。
顔写真は“特級”、“一級”と、等級別に分けられている。
その中には、ローファスやアベル、レイモンド等の写真もあった。
「ローファス・レイ・ライトレス。彼が南に離れたのを見計らって仕掛けた襲撃——ステリア程度、容易く落とせるだけの戦力を送った筈だが。まさか“ジャバウォック”まで破壊されるとは…しかし、“白い霧”ね。ライトレスの勢力も、随分と都合良く居合わせたものだ」
何処からか情報が漏れたかな? とテセウスは首を傾げる。
「さて——史実と異なる行動を取っている
怪しく笑うテセウス。
その背後——ラボの中央には、巨大な翡翠色の魔石が反重力装置により宙に浮遊していた。
魔石には何本もの管が取り付けられ、絶えず魔力が吸い出されている。
その巨大な翡翠の魔石は、脈動する様に魔力波を発した。
魔力波に乗った意思が、テセウスの脳に直接語りかける。
テセウスはやや鬱陶しそうに魔石を見やる。
「…全く、
三年程前に発掘された巨大な魔石。
際限無く魔力を発するこれは、尽きる事の無い資源である。
帝国は魔力方面の技術は遅れてはいるものの、魔力を間接的にエネルギーに変換する技術の開発は然程難しいものでは無かった。
魔力持ちの人間を動力にする兵器を開発した事もある——尤も、コストに対して結果の伴わないものであった為に実用化はされなかったが。
魔力持ちの人間から得られる魔力は少ない、かといって無尽蔵に魔物を生み出すダンジョンは駆除等を含めれば採算が合わない。
故に魔力をエネルギー源として活用する事はこれまで無かったが、この魔石の発掘が帝国の歴史を変えた。
無尽蔵に溢れる魔力、それは即ち枯渇する事の無い資源。
エネルギーへの変換工程がやや面倒ではあるものの、今や魔力は、電力や火力、風力や水力を超える帝国のエネルギー資源である。
しかし難点として、この魔石から発せられる魔力は人体に限り無く有害であり、それは近寄っただけで精神に異常をきたす程。
それ故に、この魔石が保管されているこのラボには一般の研究員は立ち入れない。
しかし、テセウスは別。
魔石より常時発せられる、精神汚染を引き起こす“囁き”を、テセウスは涼しい顔で聞き流す。
寧ろ、暇な時は戯れに対話をする程の余裕まであった。
「六神の使徒だの、《闇の神》の復活だの…君の御伽話には良い加減うんざりだよ。興味の無い話題を延々とされる人の気持ち、分からないかなぁ?」
魔石に対し、テセウスは続ける。
「君が、六神に負けた《魔王》の成れの果てとか、そういうのどうでも良いんだよね。喋るなら有益な情報を話しなよ。君の話は詰まらない」
テセウスの言葉に反応する様に、魔石より一際大きな魔力波が発せられた。
怒りの感情を感じ取り、テセウスは嘲笑する様に笑った。
「黙りなよ負け犬。静かにしてさえいれば、君はこの上無く有用な動力源だ」
怒り狂った様に魔力波を迸らせる魔石に背を向け、テセウスはモニターに映し出された“特級戦力”の一人——アベル・カロットに目を向ける。
「アベル・カロット…君を殺せるだけの準備はある。きな臭い動きをしているレイモンド・ロワ・ノーデンス・ガレオン、そしてローファス・レイ・ライトレス——君達も含めてね。今回は勝たせてもらうよ、魔法王国シンテリオ」
翡翠の魔力に照らされるテセウスの狂気の瞳が、怪しく輝いていた。
—— 五章《EPレギオン》完 ——
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