109# 本心
南方大湿原にて発生した魔物の
時刻は夕暮れ時、それはギムレット邸を発ってものの半日での帰還。
一足先に帰還したギムレット伯爵は、テキパキと指示を出しながら盛大な出迎えともてなしの準備に取り掛かる。
魔物の脅威が去った事は領民達にも流布された。
使用人達からして見れば、そんなに早くに魔物の群が討伐されたとは信じ難く、とはいえギムレット伯爵の突発的奇行は今に始まった事でも無い。
使用人達慣れた調子で迅速に準備を進めた。
そして、ローファスとメイリン率いる王国軍五十名は帰還する。
*
ギムレット邸のある街に帰還したローファス一行は、領民達から絶大な歓声を受けながら迎えられた。
“英雄《黒魔導》の凱旋”
そう書かれた旗が所々に立てられている。
「茶番だな」
ローファスは心底詰まらなそうに呟き、黒馬を進めてギムレット邸へと向かう。
間近に迫る魔物の軍勢を恐れていた領民達からすれば、その声援は決して演技では無く本心から来るもの。
しかしそれを仕向けたのがギムレット伯爵である事を思えば、ローファスは白々しさを感じずにはいられない。
そんなローファスに付き従う形で続くメイリン率いる王国軍は、声援を受けながらも何とも言えない微妙そうな面持ちである。
それもその筈、この声援は王国南方を魔物の脅威から救った英雄に向けられたものであり、それは間違い無く自分達ではない。
ただローファスの後を追い、魔物と戦う事もなく、文字通り付いて回っていただけ。
しかし領民達は、まるで魔物の軍勢を僅か少数で打ち倒した精鋭でも見るかの様な目で褒め称えてくる。
違う、自分達は何もしていない。
そんな事が言える筈も無く、王国軍はただ声援を受け入れるしかない。
ローファスらはそのままギムレット邸へと招かれ、盛大な歓迎を受ける。
その日の夜には、ギムレット邸にて盛大な夜会が開かれた。
音楽団の奏でる上品な音色、優雅に舞う踊り子、最高級の食事と酒、参列するのは王国南方の有力貴族達。
皆が一様に、王国軍——騎士と魔法師達を褒め称えた。
そんな魔物討伐を成した英雄を讃える夜会の中心に居るのは、ローファスである。
ローファスへの献上品として用意されていた三人の貴族の首は、ローファスの意向で早々に下げられた。
ローファス曰く「犬にでも食わせておけ」との事なので、ギムレット伯爵は「そのようにしろ」と使用人に命じていた。
宴たけなわの頃、貴族の子息達に囲まれて言い寄られるメイリンを尻目に、ローファスは出された酒——ではなく葡萄水を呷る。
「お酒は好まれませんか、ローファス様」
ローファスの隣には、魅惑的な美貌の少女が座っていた。
ローファスに対して妙に距離が近く、酒を勧めるその少女は、他でもないギムレット伯爵の娘である。
豊満な二つの膨らみ——女の武器をローファスにさり気無く当てながら、耳元でくすぐる様に囁くギムレット伯爵の娘。
それをローファスは——終始仏頂面で無視していた。
そんな様子を近くで見ていたギムレット伯爵は、あ、これ駄目なやつだ、と割って入る。
「楽しまれていますか、ローファス殿…うちの娘が粗相をしておりませんか?」
「…馴れ馴れしい」
溜息混じりに短く答えるローファスに、ギムレット伯爵は無言で娘に対して手を払い、離れろと指示を出す。
娘はスッと身を引き、頭を下げてその場を離れた。
ギムレット伯爵は娘が居た席に腰掛け、己のグラスに酒を注ぐ。
「ご迷惑をお掛けしました。娘がどうしても英雄殿と話がしたいと聞きませんで…」
「御託は良い」
にべもなく答えるローファスに、ギムレット伯爵は肩を竦める。
「失礼。ワンチャンうちの娘に手を出してくれればという打算がありましたが、やはりお気に召しませんでしたか」
ギムレット伯爵は、内心を隠しもせずにぶっちゃける。
「あ、分かっているとは思いますが、さっきのアレは私の指示ですので、彼女の事は嫌わないであげて下さい。
「…随分と正直な事だな」
思いの外開けっぴろげに話すギムレット伯爵に、ローファスは眉を顰める。
ギムレット伯爵は髭に触れながら微笑む。
「私、こう見えて腹芸は好みませんので」
「どの口が…」
「そう言われるローファス殿は、余り楽しまれていないご様子。パーティは好まれませんか?」
「別に、嫌いではないが」
「ふむ…」
なんとも微妙な反応のローファスのに、ギムレット伯爵は思案する様に髭を撫でる。
そして高らかに手を挙げると、指を鳴らした。
軽快な音が会場に響き、同時に演奏がぴたりと止む。
僅かな静寂の後、演奏が再開される。
優雅だった曲調が、より賑やかで軽快なものへと変化した。
それに合わせ、踊り子の動きもより激しいものに変わる。
貴族のパーティには似つかわしくない派手さ、賑やかさ。
王国軍の騎士や魔法師達も戸惑いを見せるが、軽やかな曲のリズムと賑やかな雰囲気に乗せられてその顔を綻ばせる。
夜会の雰囲気ががらりと変わり、ローファスが少しだけ目を見開いて驚いていると、その手に持つグラスにギムレット伯爵がグラスを重ねて乾杯し、細やかな音を鳴らした。
「少しは紛れましたか」
「何?」
「退屈が」
にやりと笑うギムレット伯爵に、ローファスは息を吐く。
「…ああ、多少は紛れたかもな。貴族の催しには相応しくない賑やかさだが」
「然り。平穏を生きる貴族に、この賑やかさは些か刺激的ですから。私見…というより父の請け売りですが、戦場帰りの者は賑やかなパーティを好む傾向にあるそうです。ほら、王国軍の方々も先程よりは楽しそうだ」
「…戦場、というには退屈な相手だったが」
「ええ。成熟したフロアボスでも、流石に伝承の《魔王》と比べれば随分と格の落ちる相手だった事でしょう」
「よく回る口だ。そもそも貴様、その《魔王》云々の話を信じていないだろう」
ローファスにじろりと睨まれ、ギムレット伯爵は苦笑混じりに肩を竦める。
「ええ、まあ。流石に《魔王》は眉唾が過ぎる。私の手の者からの報告と矛盾点が多過ぎますし」
しかし、とギムレット伯爵は続ける。
「別に事実など重要ではないのですよ。私が気にしているのは、レイモンド殿の安否と、今後どうなるか。まあ、その辺はヴァナルガンド公爵の方が気にされている様ですが」
ヴァナルガンド公爵家には、レイモンドよりも格は落ちるが、血筋的に次期国王候補が何人か居る。
次期王位継承の最有力候補であったレイモンドがどうなるかは、気になって当然の事。
ここまで赤裸々に腹を割って話すギムレット伯爵に、ローファスは呆れ半分に葡萄水を呷る。
先の王都襲撃、それに関しての国王陛下の発表内容に表立って疑問を呈したのは他でも無いギムレット伯爵、しかし——
「貴様——ギムレットの裏に居たのはやはりヴァナルガンドか。まあ分かり切っていた事ではあるが」
ローファスの言葉に、ギムレット伯爵は肯定も否定もせず曖昧に笑う。
ギムレット伯爵家は代々、王国で最も古い歴史を持つ公爵家たるヴァナルガンドの派閥。
伯爵家ながらに大貴族と称され、公爵家に並ぶ発言力を持つのは事実だが、だからといって派閥の柵を振り払える筈もない。
「次期国王はレイモンド殿でほぼ確定しておりました…なのに、先の王都襲撃、それに続いてレイモンド殿の行方不明。魔物を操っていたのはレイモンド殿という噂まであります。ヴァナルガンド公爵家に限らず、他の公爵家も黙ってはいないでしょう」
うんざりした様に言うギムレット伯爵に、ローファスは鼻を鳴らす。
「これから始まるのは、血みどろの王位継承争いか」
「ローファス殿も他人事ではないでしょう。ライトレス家は、ガレオン公爵家に派閥入りしたと聞きましたが?」
「勘違いをしている様だな。ガレオン家と良好な関係は築いてはいるが、派閥入りした訳ではない。ライトレスは王位継承において、特定の公爵家を贔屓する事は無い。中立派——強いていうなら貴族派ではなく王族派だ」
ライトレス家は、これまで特定の派閥に属す事無く、中立を貫いて来た。
レイモンドと個人的な交流はあるが、ライトレス家として肩入れするのとは別の話。
「…成る程、流石はライトレス。豪胆な事ですね。王家より、古くから特別視されて来た大貴族なだけはある」
しみじみと頷くギムレット伯爵に、ローファスは首を傾げる。
「王家から特別視? ライトレス家がか? そんな事実は無いだろう」
ライトレス侯爵家は、王国東方に広大な領地を有する大貴族であり、その発言力と影響力は王家に次ぐ公爵家にも肩を並べる程。
しかし、特別視とされる程の措置をされている事実は無い。
ライトレス家は飽く迄も、形式上は一侯爵家である。
ギムレット伯爵は意味深に笑い、ローファスのコートの胸元——ライトレス家の家紋を指差した。
太陽を喰らう三日月の紋章を。
「ライトレス家の紋章の一部には、太陽が記されています。太陽紋は王家の紋章であり、王国の象徴でもあります。分かりますか、王国にとって太陽は大きな意味を持つのです」
ギムレット伯爵は続ける。
「貴族の家紋に、太陽が使われる事はありません——公爵家ですら、太陽の使用を王家は許していない。ライトレス家だけ、例外なのです」
「…それで特別視か? ライトレス家の歴史は、王家と同じ千年だ。当時は紋章に関する解釈が緩かったのではないか」
「そこまでいくと考古学の領分ですね。しかし、それが現在まで受け継がれているのも事実。千年もの間、腐敗せずに高潔な貴族であり続けているライトレス家——あなた方は正しく“完璧”な貴族だ」
両手を広げ、恍惚な表情を見せるギムレット伯爵。
ローファスはやや引き気味に身を引く。
「…結局の所、貴様の目的はなんだ。ヴァナルガンドの使いっ走りにしては独断が過ぎる」
ギムレット伯爵はヴァナルガンド公爵家の意向により、先の王都襲撃の件や、行方不明になったレイモンドに関して探りを入れていた。
しかし、それだけにしてはローファスに対して看過出来ぬレベルで色々と語り過ぎている。
ヴァナルガンド派閥の貴族としては考えられない、レイモンドの擁護発言——加えて、ライトレス家を褒め称えている。
しかも始末の悪い事に、妙に熱心で本心としか思えぬ程の感情の入れ様。
下手な社交辞令の賛美の方がマシというもの。
「まさかとは思うが、ライトレス家を橋渡しに派閥の鞍替えをする気か?」
核心を突く様なローファスの言葉に、ギムレット伯爵は答えず、懐からスクロールを取り出してテーブルの上に広げて置いた。
魔力を宿したスクロール、それをローファスは知っている。
絶対遵守の契約に用いられる魔法具——
契約の内容を魂にまで刻み、契約者に強制的に履行させるもの。
契約内容は既に記載されており、契約者名の所が空欄のそれを、ローファスは眉を顰めて目を通す。
その内容は、以下の通り。
其の一、ベルナード・グシア・ギムレットは、レイモンド・ロワ・ノーデンス・ガレオン及びローファス・レイ・ライトレスに対して、今後友好的であり協力的である。
其の二、ベルナード・グシア・ギムレットは、レイモンド・ロワ・ノーデンス・ガレオンが王位に就く事に関して、如何なる支援、協力を惜しまない。
其の三、この契約は、レイモンド・ロワ・ノーデンス・ガレオンが理想に準じる限り、持続し続ける事とする。
以上三点の内容を見たローファスは、顔を引き攣らせた。
そんなローファスの目の前で、ギムレット伯爵は
「さて、後はローファス殿と、レイモンド殿のサインを頂ければ、契約は成立します」
ニヤリと笑うギムレット伯爵に、ローファスは力が抜けた様に肩を落とす。
「貴様…レイモンド擁護は本心だったのか」
当然ですと笑うギムレット伯爵に、ローファスは溜息を吐く。
「大貴族ギムレット伯爵家が、ヴァナルガンド派閥を抜けて、ガレオン派閥への鞍替え…下手をすれば消されるぞ貴様」
「その程度のリスク、裏切り者の誹りは甘んじて受けましょう」
「…話は分かったが、この契約は無効だ。先も言ったが、ライトレス家はガレオン派閥ではない。俺に関する記載は不要だろう」
「契約内容はこれで問題ありません。私が評価しているのはレイモンド殿個人と、ローファス殿含むライトレス家です。ガレオン家や、その派閥の有象無象の貴族ではありません」
ギムレット伯爵の辛辣な物言いに、ローファスは思わず吹き出す。
「先程から口が軽いぞ貴様。あまり大っぴらに話し過ぎると長生き出来んぞ」
ローファスが周囲を見渡すと、目を逸らす貴族が幾人か居た。
夜会の最中、こちらの話に聞き耳を立てる貴族も少なくはない。
この夜会に参列しているのは、“南の統括者”と称されるギムレット伯爵の傘下の貴族達。
ヴァナルガンド派閥たるギムレット伯爵の傘下となれば、その貴族らも必然的にヴァナルガンド派閥。
如何に傘下といえど、ここでの話がヴァナルガンド公爵家に漏れる可能性は0ではない。
最早引き返せぬ程に赤裸々に内心を語っているギムレット伯爵は、しかしそれも織り込み済みと笑う。
「最近、親子程に歳の離れた若人に言われたのですよ——“批判ではなく理想を語れ”とね。なので私も、理想に向けて行動しようと思いまして」
にんまりと笑うギムレット伯爵。
その言葉は、他でもないローファスが口にした言葉。
ローファスはそれを噛み締める様に閉眼し、天を仰ぐ。
「覚悟の上の行動、か」
「レイモンド殿は生きておられるのでしょう? そうでなければ、私は破滅です」
ローファスはギムレット伯爵の問いに答えない。
しかし、
「レイモンドが行方不明なのは事実。俺も奴の居場所までは分からん。しかし、もし会う事があれば
「感謝を」
頭を下げるギムレット伯爵に、手をひらつかせるローファス。
ふと「ローファス殿ぉ…」と、助けを求める様なか細い声が聞こえた。
見ると、多くの男に言い寄られ、たじたじになっている涙目のメイリンと目が合う。
「ご婦人がお呼びですよ」
クスリと微笑むギムレット伯爵。
ローファスは溜息を吐き、席を立つ。
「少し外すぞ」
「
「そんな訳無いだろう」
キッパリと否定したローファスは、そのままメイリンの元へ向かう。
そしてメイリンを連れ、会場の外——バルコニーへと姿を消した。
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