Sg1

 世界の何処とも知れぬ天上に、右角が折れた隻眼の神龍——ヴリドラが漂っていた。


 先の王都襲撃に召喚された時に天空の王と交戦し、その際に負った右眼の傷と右角は治癒せず、未だに残している。


 それは久しく遭った強敵との戦跡を遺しておきたいという、ヴリドラの想いによるもの。


 先の天空の王との戦いは、千年もの退屈を埋めるには些か足りなかったが、だからこそまた相まみえたいと思えた。


 でも千年前に暴れていた人族の傑物——《黒き者》の末裔らしきあの人間とは会いたくないな、なんて考えながら大気の流れに任せて体を漂わせていると、突如として天より稲妻が降り、ヴリドラを打った。


『…ぐぉ!?』


 まるで背をきつくど突かれた様な感覚に、ヴリドラは苦悶の声を上げる。


 雷の神獣たるヴリドラに、雷でここまでのダメージを与えるなど本来ならば不可能である。


 それこそ、ヴリドラよりも遥かに上位の存在でもない限りは。


『——急に何の真似か!』


 ヴリドラは怒りの形相で天を睨み、怒声を上げた。


 その怒りに呼応する様にヴリドラの周囲に雷雲が生じ、地上に落雷が降り注ぐ。


 感情の変化一つで天変地異を引き起こすヴリドラ。


 それに落雷を浴びせた、より上位の存在の“声”が天上より響く。


 それは所謂、空気の振動により生じる音では無く、脳に直接響く思念波に近いもの。


“随分と見窄らしくなったのう。所詮は長生きしただけのトカゲか”


 その声からは、失望の感情がひしひしと感じられる。


『…随分と久し振りに声を掛けてきたかと思えば、我を愚弄するか——《雷神マハト》よ』


 雷神——そう呼称された存在は尚も失望の色を崩さない。


“人風情に良いように利用され、挙句に手傷まで負わされる——妾の加護を受けながら、まっこと無様”


『相手は復活した天空の王——仮に貴殿でも、侮れる相手ではないぞ』


“見ておったわ——全てな。その上で、無様と言うておる。奴の力は生前よりも随分と衰えておったぞ、たわけが!”


 無数の落雷が天より降り注ぎ、ヴリドラを襲った。


 黒焦げになったヴリドラは、その身に金色の雷を纏わせ、ブチ切れた様に叫ぶ。


『卑怯ぞ雷神! 手の届かぬ所からバンバンと! 今直ぐ受肉して降りてこい! 我が手ずから神の御座より引き摺り下ろしてくれる!』


“千年も掛けて《神》に至れぬ者が、妾に勝てると思うてか。悔しければお主も、早く“こちら側”へ来る事だな、長く生きただけのトカゲ”


『ぐぬぬ』


 悔し気に唸る事しか出来ないヴリドラ。


 マハトは呆れた様に溜息を吐く。


“お主に加護を与えたのは間違いだったかのう。今代の人族には神域を超えて《神》に至った者が何人かおるというに、お主ときたら…”


『む、《神》にだと…? かの《黒き者》の末裔か?』


“然り。レイの若造・・・・・もその一人よ。いずれかの神格の加護を得、神域に至った者は何人もおるが、あれは自力で昇ったタイプ…なんとも稀有な存在よ。いつか相まみえたいものだ”


 好戦的に笑うマハトに、ヴリドラは若干引き気味に首を横に振る。


『…《神》に昇ったばかりの雛鳥を相手に、なんと大人気無い』


“《神》にも至れぬ未熟者が何を言うておるか。それに、案外良い勝負になるやも知れんぞ? 最近の人族は侮れん。丁度つい最近、妾は敗北を味わったばかりじゃ”


『…は?』


 人族に負けた、そう口にするマハトに、ヴリドラは信じられない様子で天を凝視する。


『聞き間違いか? 今、人族に負けたと…』


“面白そうなのがいたのでな。受肉して嬲ってやるつもりが、見事に返り討ちにあったわ”


 負けたという割に、ゲラゲラと機嫌良さげに笑うマハト。


『…相手は、その《神》に至ったという《黒き者》の末裔か?』


“いや? だが、縁者ではあるだろうな。レイ族の象徴——三日月の紋章を身に付けておった”


 ヴリドラは目を細める。


 先の王都襲撃にて召喚された際、あの場には幾人もの突出した個の存在を感じた。


 そのうちの一人の荊の結界魔法により、ヴリドラは成す術も無く退場させられた。


 そのいずれもが、百年に一人の天才、傑物と呼べるべき力量の持ち主達。


 そして、この世界に古より存在する《血と戦を司る雷神マハト》をも打倒し得る人間もいるという。


 同じ時代にここまでの傑物が揃う事など、恐ろしく稀な事。


 その上、自力で《神》に至る者が何人もいる?


 あり得ないと、ヴリドラは薄寒いものを感じる。


 いや、ヴリドラは知っている。


 一つの時代に、何人もの突出した個——常軌を逸した傑物達が示し合わせた様に現れた事は、以前にもあった。


 それこそ、神域を超えて《神》に至る人種が、幾人も現れた時代。


 それは遥か千年前の大戦の折、世界の節目——神の時代が終わりを告げた時であった。


『まさか…また、世界が荒れるのか…?』


 恐々としたヴリドラの呟きを、マハトは笑う。


 それはもう、ゲラゲラと、可笑しくて堪らないといった様子で。


 マハトの感情に呼応する様に天から雷が降り注ぎ、地上を抉った。


 一頻り笑ったマハトは、尚も笑いを堪えながら言葉を発する。


“くく、なんだお主。気付いておらなんだのか。やはり《神》にも至らぬ未熟者では、認識すら出来んか”


『…何の話か』


“いや。無意味な問答だ。お主が知ってどうにかなる話ではない。ただ、お主の推測通り、これより世界は大きく荒れる”


『千年前の様な大戦が、始まると?』


“然り。或いは、此度は人の世が終わるやも知れん。何れにせよ、お主も我が眷属ならば、朽ち果てるその瞬間まで戦いの中に身を置いてみせよ——殺し殺される、命を削り合う闘争に”


 何処か狂気の孕んだ言葉を残し、雷神マハトの気配は消える。


 残されたヴリドラは、付いていけんとばがりに溜息を吐いた。


 若かりし頃は楽しくて仕方のなかった闘争も、神獣と成り凌ぎ合う相手が居なくなってからは退屈な時が増え、今となってはその退屈な時間に愛着すら感じる程。


 我ながらに年老いたな、と思うヴリドラ。


 降り注ぐ落雷という天変地異にて幾つかの人里に壊滅的被害を出した上空で、ヴリドラはまったりと雲の中を揺蕩う。

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