107# 第二ラウンド

 月夜に舞う鮮血。


 落ちゆくカルロスを呆然と見ていたライナスが、声を張り上げる。


『——ッグレェェェェス!!』


 それは山脈中に響き渡る程の声量。


 間も無く、地上の白い煙より巨大な煙の腕が天に伸び、落下するカルロスを掴み取る。


 直後、ライナスの眼前に白い霧が漂い、口を形成して言葉を発した。


「——どういう状況です、これは?」


 霧の口より発せられたのはグレスの声。


 ライナスは驚きもせず、寧ろ詰め寄る様に言う。


『カルロスはどうなった!? 死んでねぇだろぉな!?』


「…息はあります。取り敢えず《霧》で止血していますが、傷が深過ぎる。早急な治療が必要です」


『おめぇ、治癒魔法は?』


「出来たらやってますよ」


『ポーションは?』


「最上級のポーションが二本。ただ、カルロス様に意識が無いので口からは…」


『なら直に傷口にぶっかけとけ。後でイヴァンに治癒術師を手配させる。それまで絶対にもたせろ』


「また無茶を…まあ、善処しましょう」


 二人の会話を聞いたアザミは、はっと嗤う。


『後でだと? 貴様等に、この後・・・があると本気で思っているのか? 無様だな、“死神”。戦場に於いて、希望的観測をする者程早く死ぬものだ』


 嘲笑う様に言うアザミに、ライナスは静かに、荒々しく魔力を高める。


 そして右手の暗黒鎌ダークサイスを《命を刈り取る農夫の鎌》に変化させ、じろりとイヴァンを睨む。


『イヴァン、おめぇもギア上げろ。先ずはこのボケを捻り潰す』


『…無論、ここまでされたのだ。元より、誰一人として生かして返す気は無い』


 イヴァンの岩の剛腕に光が収束し、神々しく巨大な戦鎚が生み出された。


 深淵の大鎌と、極光の戦鎚がアザミに向けられる。


 ライナスは未だに残る霧の口——グレスを見る。


『下に落とした帝国兵はどうなった?』


「今正にステリアの騎士が交戦中です。霧に入った者に限っては生け取りにしてますが…」


 それは、生かしておけばこの騒動の後、人質として帝国側との交渉に有利に働くだろうというグレスの打算。


 が、ライナスは冷酷に言う。


『殺せ』


「…その、お怒りは理解出来ますが」


『たかが兵士、何人居ようが帝国に対して人質にも交渉材料にもなるかよ。生かしといてもこっちの情報抜かれるだけだ』


「…御意」


 グレスの——霧の口が霧散して消える。


 ライナスはアザミに向けて、鎌を振り上げる。


『さて——第二ラウンドだ』


 振り下ろされた不可視の斬撃が、更なる死闘の火蓋を切った。



 国境に聳える氷雪山脈。


 山の麓にある人里では警鐘がけたたましく鳴り響き、衛兵が中心に住民の避難誘導に当たっていた。


 山から降りてくる《機獣》は、白凰騎士を筆頭に、王国正騎士らが出動し、被害を抑えていた。


 しかし、山脈に面する人里は数多くあり、夜間という事もあってか、その全てには手が回っていないのが現状。


 そんな最中、謎の白い霧が立ち込め、山脈と人里の境を覆う様に広がりを見せていた。


 奇妙な事に、その霧の中に入った《機獣》は、二度とその姿を見せる事は無かった。


 《機獣》諸共飲み込まれ、その後に生還したステリアの騎士曰く、霧の中に入った瞬間、目の前に居た《機獣》は跡形も無く細切れに崩れ去った、そして途方も無い眠気に襲われ、気が付けば霧の外にいた——と後に語る。


 謎の白い霧の影響もあり、《機獣》による被害が、民間人にまで及ぶ事はなかった。


 しかし続くように帝国兵が空より降ってくる。


 その数、総勢500強。


 空の航空大隊の約半数が、先代らの魔法により撃ち落とされた。


 通常であれば落下死は必至、しかし帝国兵は、その傷を即座に修復し、地上の拠点を確保するべく動き出す。


 帝国兵には、幾つかの指示が与えられている。


 そのうちの一つは、非武装の民間人の無意味な殺害の禁止。


 本来それは殺し殺される戦場に於いて、あって無い様な規律。


 しかし強化人間サイボーグたる帝国兵は、恐怖などの感情が抑制されており、精神も波一つ立たない水面の如く安定している。


 そしてその行動の全てが記録として残る為、帝国兵はあらゆる面において“管理”されている。


 これにより多くの帝国兵は、文字通り機械の如く、それらの規律を正しく守り、与えられた任務を淡々と遂行する。


 故に、逃げ遅れた老人と、それを逃がそうと必死に付き添おうとする少女が目に入ろうとも、無意味にそれを害する事は無い。


 民間人への虐殺を、禁止されているが故に。


 …が、ここで帝国兵の腕章に付けられた魔力探知メーターが反応を示した。


 老人を逃がそうとする、癖っ毛混じりの金髪の勝気そうな少女——セラ。


 セラ・リオ・ドラコニス——ヴァルムの妹であり、魔力持ちである彼女の内包する魔力に、メーターの針が動いた。


 指し示す領域はグリーン——それは限り無く危険度の低い値。


 しかしながら、帝国兵には虐殺禁止の指令とは別に魔力持ちは殺害せよとの命令が下されている。


 それは非武装の民間人であろうと、女子供であろうとも。


 が、それでも相手は逃げ遅れた老人に付き添う善良な民間人であり、それも成人にも満たぬ少女。


 その場の帝国兵の間に、僅かな迷いが生じる。


 命令とはいえ、本当に殺すべきなのか、と。


 迷いを見せる帝国兵の一人の肩に、ある男が馴れ馴れしく手を掛けた。


「なあ。あれ・・、何だと思う?」


 セラを指差して好戦的に笑う、左眼を縦断する縫い傷のある男——上級兵リンドウ。


 上級兵は、戦闘力の高さを認められた士官に次ぐ兵士。


 その中でもリンドウは、一際高い実力を持ち、同時に《狂犬》と呼ばれる程の戦闘狂気質な男である。


 リンドウに、少女を指して何と問われた帝国兵は、言葉を詰まらせつつも答える。


「は、魔力持ち…です」


「だよなあ? で、何で殺してない訳? 何でただ見てるだけなのよ?」


 リンドウに詰められた帝国兵は、口を閉ざして目を逸らす。


 リンドウは気遣わし気に肩を叩き、微笑む。


「お前、戦争経験無いだろ。あぁ、いや、普通無いか。あるのは強化人間サイボーグ化して外見がわだけ若返ったジジイ共位なもんだわな。違う違う、俺が言いたいのはそういうんじゃ無くて——」


 リンドウは、人差し指の先よりどす黒い液体を滴らせると、その形状を刃の如く変化させ、帝国兵の首筋を一息に切り裂いた。


「——!?」


 切り口から黒い血液が飛び散り、しかし帝国兵の首の傷は即座に修復される。


 リンドウの突然の凶行に、帝国兵は動揺した様に後退る。


 周囲の帝国兵達にも緊張が走った。


 リンドウは何事も無かったかの様に笑う。


「何ビビってんだよ。不死身の俺達の間じゃ、この程度軽いスキンシップだろ? なあ、ちょっと不死身になった程度で敵に情け掛けようとしてる位だもんなぁ? 余裕だよなぁこの程度」


「も、申し訳…」


「ま、いいよ。今回は俺が殺るわ。サービスな? 俺ちゃん部下思いだからさ。でも、次はちゃんと自分で手ぇ汚せよ?」


 帝国兵の返答も聞かず、リンドウはセラに向き直る。


「…俺達ゃ、帝国軍人。正義の味方ヒーローじゃ無ぇんだ。そんなのはアニメの中にしか居ねぇ」


 リンドウが突き出した手の平を、内側から黒い液体が刃と化して皮膚を突き破り、黒い血液が流れ落ちる。


 流れ落ちた黒い血液は即座に硬質化し、一振りの剣と化した。


 血の剣は、刃の表面を無数の小さな刃が滑る様に回転し、凄まじい音を響かせる。


 それはまるで、未だ王国には存在しない工具——チェーンソーの様。


 刃より回転音を響かせながら、リンドウはセラに近づいて行く。


 見るからに殺傷力の高い回転する刃を向けられながら、セラは気丈に老人の盾になる様に前に出る。


 そして、その身より雷の魔力を迸らせた。


「それ以上近づかないで!」


「あー…そこのお婆ちゃんには別に用は無ぇよ? 心配しなくても、死ぬのは嬢ちゃん——アンタだけだ」


「何よ、それ。なんで私が…私が一体、何をしたっていうの…!」


 恐怖に煽られながらも、リンドウに負けじと向き合うセラ。


 リンドウは、懐かしむ様に目を覆う。


「あぁー…それと似たよぉな言葉、昔幼馴染から言われた事あるわ…そいつも気が強くて、魔力持ちで…ちょっとアンタに似てるかもな」


 リンドウはチェーンソーの剣を持ち直し、その刃をセラの首筋に向ける。


「何をしたかって? なーんにも。少なくとも、俺達若者世代にゃ関係無ぇ。老人共がおっ始めた戦争っつぅ、クソ下らねぇ話さ。恨むなら爺婆世代を恨みな——そうそう、丁度アンタの後ろで震えてるそこのババア世代をなぁ!」


 振り上げられるチェーンソーの剣。


 恐怖に負け、硬く目を瞑るセラ。


 しかしその刃が振り下ろされる事は無かった。


 振り上げられた刃の先が——無かった。


 気付けば、刃は宙をくるくると舞っており、地面に刺さると硬質化が解け、血液に戻った。


「——あ?」


 呆然と、先が無くなった回転刃の剣を眺めるリンドウ。


 同時、腕章の魔力メーターの針がブレ、イエローの領域を指した。


 イエロー——それは充分に危険域といえる値。


 直後、周囲の帝国兵達の首が飛んだ。


 リンドウの首にも切れ目が入る。


「——ッ」


 首が胴体から切り離される瞬間、リンドウは即座に己の頭部を鷲掴み、飛ばぬ様固定する。


 斬られた首の傷は修復機能により塞がり、リンドウはどうにか戦闘不能になるのを避けた。


 首を飛ばされた帝国兵達は、その場に力無く崩れ落ちる。


 これは脳のある頭部が離れ、神経が物理的に絶たれた事による、一時的な行動不能状態。


 死ぬ事は無いが、修復にそれなりの時間を要する為、如何に不死身といえどこう・・なってしまえば負けも同じ。


「何者だてめぇ…」


 じろりと、振り返るリンドウ。


 そこには、流れる様な紅蓮の長髪の男——《剣聖》エリックが静かに佇んでいた。


 セラの顔が安堵したものに変わる。


「エリック様!」


「セラ…よく無事でいてくれた。万が一君に何かあれば、ヴァルムに顔向け出来ない」


 エリックは優しく微笑み、セラにポーションを投げ渡す。


「…! これ…」


「飲みなさい。右足を挫いているのだろう」


「でも…」


「問題無いさ」


 心配そうにするセラに、エリックは何でも無いかの様に肩を竦めて見せる。


 帝国軍の襲撃、いつまで続くか分からない戦闘。


 そんな中で即座に傷を癒すポーションは、正しく生命線。


 しかしエリックは、問題無いと断ずる。


 セラが何かを答えるよりも前に、リンドウが身体から無数の黒い血が刃となって突き出し、好戦的に吠えた。


「オイオイオイ!? 俺ちゃんを前に何を仲良くお喋りしてんだ、あぁ!? ちょっと不意打ち決まった程度で調子乗ってんなよゴラァ!」


 リンドウの身体中から突き出た無数の刃は、皮膚の上を這う様に回転する。


 それは触れれば即座にみじん切りになるであろう程の殺傷力。


 リンドウは無数の回転する刃を纏いながら、口角を上げてエリックに突っ込んだ。


 凄まじい回転音を響かせながら迫るリンドウは、躓いた様に前のめりに転倒する。


「あ、あぁ…!?」


 何故転けたのか理解出来ず、リンドウは足元を見る。


 両足の膝から下が存在しなかった——溢れ出す黒い血と、鋭利な切り口を残して。


 リンドウは、斬られた事は理解出来た。


 しかし、その太刀筋は一切見えなかった——その腰に下げた剣を抜く瞬間すらも。


「舐めんなぁぁぁ!」


 リンドウは叫び、尚も身体から無数棘を伸ばし、地面から身体を押し上げる形でエリックに飛び掛かる。


 手には無数の回転する刃、そして即座に血で作り出したチェーンソーの大剣を、エリックに向けて振り下ろす。


 直後、チェーンソーの大剣も、身体から突き出る刃や棘も、その両腕すらもバラバラに切り裂かれ、手足の無い達磨と化したリンドウがエリックの前に転がる。


 エリックは静かに、リンドウを見下ろす。


「《剣聖》たる私が来た。その時点で、ステリアの敗北はあり得ない」


「…ッ」


 リンドウの頰に、冷や汗が流れる。


 圧倒的な力量差、格の違い。


 エリックは顔を青くするセラと、腰を抜かす老婆に笑い掛ける。


「早く逃げなさい。言っただろう、問題無いと」


「は、はい!」


 セラは力強く頷き、老婆を背負って足早に走り去った。


 さて、とエリックはリンドウを見下ろす。


「君は、帝国軍の中でも高い階級だろう? 少なくとも末端では無い。一応聞くが、死ぬ前に情報を吐く気は?」


「死ぬ前? はは、おめでてぇ奴だな。俺達ゃ不死身だぜ? どうやって殺すんだよ」


「なに…?」


 手足も無く、倒れ伏せながらも嘲る様に笑うリンドウ。


 エリックはちらりと、首を飛ばして倒れ伏す帝国兵達を見る。


 帝国兵の胴体、その斬られた首の断面より、黒く細い蔓の様なもの——《機蔓ブランチ》が伸び、ゆっくりと転がる頭の方へ伸びていくのが見えた。


 エリックは驚いた様に目を見開く。


「まさか首を落とされて死んでいないのか…?」


「残念無念ってなぁ! 剣技はスゲェが、所詮はそれだけ。俺ちゃんなんかに構ってて良いのかぁ? うちの兵隊達が復活しちまうぜぇ?」


 ゲラゲラと笑うリンドウに、エリックは取り乱す様子も無く、冷静に今にも復活せんとする帝国兵達を見据える。


 そして「成程…」と、何かを理解したかの様に呟いた。


「理解したかよ王国の剣士。テメェ等じゃ、どう足掻いても勝ち目は——」


 嘲笑うリンドウを無視し、エリックは剣の柄に手を掛け、目にも止まらぬ速度で斬撃を飛ばす。


 倒れ伏せる帝国兵達全ての胴体に、斬痕が刻まれた。


「あぁ? オイオイ、何を無意味な事してんだぁ? 大した剣技なのは認めるが、そんな傷即座に…」


 リンドウの言葉は、そこで途切れる。


「…は?」


 リンドウの頬を、嫌な汗が伝う。


 帝国兵の傷は——修復しなかった。


 それ所か、離れた頭部に向けて首から伸びていた《機蔓ブランチ》も機能を停止している。


「…何を、しやがった?」


 何が起きたか理解出来ない様子で、リンドウはエリックを見上げる。


 エリックはつまらなそうに言う。


「体内に、肉体を再生させる核があるのだろう? それも特定の場所ではなく、体内を動き回り、常に位置を変えるタイプだ」


「は…? 何で分か…いや、分かっても意味無ぇだろ。ナノサイズだぞ…硬度も超合金並、そもそも体内の核の位置をどうやって…」


 信じられないと、否定的に首を横に振るリンドウ。


 そんなリンドウの背を、エリックは踏み付ける。


「斬った、それだけさ。それが出来るから私は《剣聖》と呼ばれている。それよりも、情報を話す気はあるか? 取り敢えずは帝国君等の目的と、兵士の数。拷問は好みではなくてね、話す気が無いならこのまま殺すが」


 冷めた目で見下ろすエリック。


 最早覆し様の無い状況に、リンドウは舌を打つ。


「テメェ、《剣聖》つったか…? 知らねぇぞテメェの顔・・・・なんて。何でこれで“特級戦力”に入って無ぇんだよ…」


「特級…妙な言い回しだな。気にはなるが、しかし聞かれた事に答えられないならば、もう君に用は無い。無駄話をする気も、その時間も無いのでね」


 無慈悲な刃が、リンドウに向けて振り下ろされた。

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