106# 特異点
帝国の
人の身を超えた肉体硬度、耐久、持久力、膂力。
おおよそ人の弱点といえる部位——重要な臓器に当たる部分や、手足を吹き飛ばしたとしても怯まず、息絶えるその瞬間まで向かって来る執念。
そんな存在が、高度な知能を持って殺しに来る——動物並みの知能しかもたない《機獣》よりも余程厄介な相手。
正しく強敵といえる存在。
しかし、半世紀前の戦争時には数が少なく、帝国軍全体の一割にも満たなかった。
それこそ、
千の大隊全てが
しかしそんな中、ライナスはゲラゲラと笑いながら迎撃態勢に入る帝国軍航空隊を雑草でも刈る様な気安さで鎌を振るう。
鋼鉄にも勝る
しかし帝国兵の皮膚は、傷を負った瞬間、傷口よりどす黒い血が溢れ、瞬く間に塞がる。
魔力の気配は無く、治療魔法とも全く異なる傷の治癒——否、それは修復と言い換えても良い程に無機質なもの。
それは五十年前には見られなかった特性。
ライナスからして、その原理は想像すら及ばない。
『まあ、だから何って話だが』
ライナスはその科学技術の結晶を真っ向から叩き潰す。
帝国兵の心臓、頭部——大凡致命傷ともいえる部分を切り裂き続け、その弱点、或いは再生限度を探る。
帝国兵らも負けじとライナスを取り囲み、四方から光学銃によるビームを浴びせるが、その悉くが魔法障壁に阻まれる。
一切の攻撃が効かず、逆に相手の攻撃は一切防げない。
痛覚遮断、恐怖抑制、精神安定、それらが機能している為、帝国兵等は何とか死神と化したライナスに立ち向かえている。
しかし、それにも限界がある。
ライナスの繰り返される斬撃は、帝国兵の
身体の大半が生体機械に改造された
修復自体はされるが、手や足の様な部位とは、文字通り複雑さや精密さが段違い。
修復に掛かる負荷も大きい。
それが断続的に繰り返されれば、いつか不備が出る。
例えばそれは、痛覚遮断や恐怖抑制といった機能、或いは修復機能そのものの機能停止。
突如、ライナスに頭部を切り裂かれた帝国兵の一人が絶叫した。
度重なる脳修復により引き起こされた負荷による、痛覚遮断の機能停止。
それにより恐怖抑制にも綻びが生じ、その帝国兵はライナスに向けて初めて恐怖の色を見せる。
見つけた、とライナスはカタカタと歯を鳴らし、笑う。
『カルロス、頭だ! 繰り返しやればいつか壊れるぜ!』
声を張り上げるライナス。
円盤を跳躍しながら大立ち回りを見せていたカルロスはふと足を止め、その場の帝国兵の首を切り飛ばし、神速の剣で細切れに切り刻んだ。
帝国兵は脳の過度な損傷により修復機能が停止し、完全なる死を迎えた。
「成る程…参考にします」
淡々と口にするカルロス。
次の獲物を吟味する様に、周囲を見回すその姿に、帝国兵の間に僅かな動揺が走る。
初めての戦死者。
そして痛覚遮断機能が失われ、絶叫を上げる帝国兵。
次は自分かも知れない——そんな思考が、これまで迷いの無かった帝国兵達の動きを僅かに鈍らせる。
そんな最中イヴァンが、光の魔力を足場に空に立ち、その剛腕で帝国兵を鷲掴みにして締め上げる——完全には握り潰さず、適度な負荷を与える様に。
締め上げられた帝国兵は、身体中から黒い血が溢れ出し、破壊と修復を繰り返す。
そして修復機能が終わりを迎え、帝国兵は静かに生き絶えた。
『ふむ、どうやら再生限界はあるらしい。しかし、このレベルの兵士の大隊か。骨が折れるな』
やれやれと肩を竦めるイヴァン。
帝国科学の結晶——血中ナノマシンを用いた細胞の再構築による人体修復。
これにより不死身となった筈の帝国兵の、二人目の犠牲者。
そして死者はここから増していく。
これはその、始まりでしかない。
『さて帝国軍、どういう了見で王国——我が領に攻め入ったかは知らんが、生きて帰れるとは思うまいな?』
岩石の甲殻の隙間より青緑に光るイヴァンの瞳が、帝国兵達を射抜く。
帝国兵達の中で思い描いていた絶対の勝利、そのヴィジョンにノイズが入る。
何だこれは、戦う相手は人間ではなかったのか、これではまるで——
「悪魔…」
誰かが呟く。
王国の魔力を持つ者の中には、その身を異形化させて戦う者も存在する——その事は過去の戦争の歴史から知っていた。
しかしそれでも、魔物に姿を落とそうとも所詮は人間。
そう思っていた。
違う。
目の前のこいつらは人間では無い。
致命傷すらも即座に修復する相手に、何故驚きもせず、当たり前の様に殺し続けるという選択が出来る。
何故そうも人の命を物でも扱うかの様に弄べる。
そんなもの、到底人の所業ではない。
動揺から動きの鈍った帝国兵を、ライナス、カルロス、イヴァンの三者はこれ幸いにと更に殺す。
狙いは頭部、帝国兵の修復機能が停止するまで、殺し続ける。
これまで回避行動を取らなかった帝国兵が、防御態勢を取り始める。
しかし三者からすれば、それすらも先程には無い余分な動作であり、隙となる。
数多の帝国兵を相手に一方的な虐殺を繰り広げる三者。
ふとそこに——ある男が乱入し、ライナスの鎌を受け止めた。
そんな芸当をやってのけたのは、軍刀を携えた隻眼の男——帝国軍航空隊司令、アザミ。
アザミの軍刀を持つ右腕は黒鉄の如く染まり、人の身を超えた怪力で受け止めた
弾き飛ばされたライナスは空中で受け身を取り、驚いた様にアザミを見る。
『——おめぇ、何処かで…』
「…」
アザミは驚くライナスを無視し、残像を残してその場から消える。
アザミは大気を蹴りながら目にも止まらぬ速度で宙を駆け、次の瞬間にはイヴァンの眼前に現れる。
帝国兵を鷲掴みにする岩の腕にすとんと軽やかに乗り、軍刀を振い一太刀にてイヴァンの右腕を両断した。
『——ぬぅ』
腕を切られながらも、イヴァンは即座に左腕を構え、アザミに向けて光線を放つ。
眩い光が夜空を引き裂き、突き抜けた。
しかしそこに、既にアザミの姿は無い。
アザミは上空にて滞空する大型の円盤に降り立ち、三者を睥睨する。
その手には、先程イヴァンの手から助け出した帝国兵が抱えられていた。
すみません、と震えながら謝罪の言葉を口にする帝国兵を、アザミは下ろす。
「総員退避。この三名は俺が相手する——援護せよ」
アザミの指示を受けた帝国兵達は、即座に行動に移す。
ライナス、カルロス、イヴァンから距離を取り、取り囲む様に銃口を向ける。
離れ行く帝国兵達を、三者は追撃する事無く見送る。
追撃、出来なかった。
空を舞うライナス、帝国兵から奪った円盤を足場にするカルロス、光の魔力の上に立つイヴァン—— アザミの発する威圧感が、この三者をその場に釘付けにした。
暫しの睨み合い、ライナスが沈黙を破る。
『おめぇ、見覚えがあるな…にしては若ぇ。俺様が殺し損ねた帝国兵の倅か? それとも、まさか本人だったりしねぇよなぁ?』
ライナスの言葉に、アザミは目を細め、静かに右眼の眼帯を取った。
右眼は深々と入った切創により完全に潰れ、古傷として刻まれていた。
「…本人だ。まさか覚えられているとは思わなかった。あの時の俺はまだ名も無き一兵卒、人体強化手術もしていなかった。多くの命を刈り取った貴様からすれば、俺は道端の雑草に過ぎなかったのだろうな——“死神”」
『その傷…やっぱおめぇ、あの時の——だが年齢が合わねぇな』
先の戦争時、ライナスは帝国本土へ攻め入った際に、多くの帝国兵を手に掛けた。
目の前の指揮官アザミは、ライナスが過去に手傷を負わせ、仕留め切れずに逃した帝国兵——その面影と一致する。
アザミの右眼の傷も、ライナスが負わせたものに相違無い。
しかし年齢が合わない。
アザミの見た目は、三十代に見える程に若々しく、とてもでは無いが半世紀もの歳月は感じられない。
『帝国の老化予防は、随分と進んでんだなぁ』
「そういう貴様は随分と歳老いたな、“死神”。“魔神”もだ。貴様等からはかつての“力”を感じん」
そして、とアザミは失望した様にカルロスに目を向ける。
「“鬼神”に至っては魔人化もしていない。まさか出来ないのか? かつての武人も、老いには勝てんか」
軍刀を肩に掛け、感情を感じさせない無機質な目を三者に向けるアザミ。
イヴァンは両断された右腕に魔力を集中して岩の腕を再構築し、その掌をアザミに向けた。
『成る程。確かに貴様は、他の帝国兵とは一線を格する実力者らしい。だが果たして——我ら三人を同時に相手するだけの力があるかな?』
イヴァンの言葉に、ライナスが食って掛かる。
『は? おいイヴァン! こいつは俺様一人でやる、勝手に仕切ってんじゃねぇよ!』
『貴様こそ勝手は大概にしろ! 因縁があるのか知らんが、そんなものに付き合ってやる義理など無いわ!』
敵を前に言い争いを始めるライナスとイヴァンに、カルロスは呆れた様に顔を掌で覆う。
正しく茶番、しかしこれは余裕から来るもの。
アザミは確かに強い——それこそ、魔人化したライナスと真正面からやり合える程度の実力を持つ。
しかし、言ってしまえばその程度。
ライナスも未だ魔法の多くを使用しておらず、その上ここには魔人化したイヴァンがいる。
カルロスの援護もある。
決して油断できる相手ではないが、どうとでもなる相手——それが三者のアザミに対する見立て。
そして、その見立ては正しい。
アザミ一人では、帝国兵達の援護があろうとも、ライナス、イヴァン、カルロスの三人を相手取って勝利を収める確率は限り無く低い。
アザミは余裕を崩さない三者を眺め、口を開く。
「王国人の用いる
唐突に魔人化の解説を始めたアザミに、三者の目が自然と集まる。
「うちの科学者が言うには、人類進化に於ける“特異点”の一つという事らしい。王国の“
アザミは静かに懐から注射器を取り出し、自身の首筋——静脈へ突き立て、一気に中の薬品を注入する。
直後、アザミの肌が黒鉄色に染まっていく。
「我ら帝国に、それが無いと思ったか? これが我らの“特異点”、人の領域を超えた力だ——
アザミの肉体が、大きくそのシルエットを変える。
頭部より無数の細長いコードが蔓の如く伸び、アザミの黒鉄色に染まった身体を包み込む。
コードの蔓は筋繊維の如く四肢に絡み付き、その体躯を一回り大きく膨張させる。
異形化したアザミは、全身からバチバチと紫電を発しながら、軍刀を構える。
『さて、五十年前の続きを始めるとしよう』
ノイズ混じりの機械音声がアザミの口より発せられた。
ライナスはそれに答えず、間髪入れずに最大規模の深淵の斬撃を放つ。
そして同時に、イヴァンも両掌を突き出し、極光の熱線を放った。
夜空を白と黒の奔流が駆け抜け、アザミを飲み込む。
ライナスとイヴァンは共に、確かな手応えを感じていた。
深淵の斬撃と極光の熱線は、それぞれがアザミを捉えていた。
白と黒の奔流が晴れる。
アザミは変わらず、そこに居た。
足場の大型の円盤は消し飛び、しかし何かしらの浮力に押し上げられる様に、アザミは宙に浮いている。
無傷ではない。
その胸部には致命傷ともいえる深々と刻まれた斬痕、そして全身は焼け焦げ、コードの蔓の一部は高温により溶解していた。
『流石は“特異点”。超合金並の硬度を誇る“
何でもないかの様に言うアザミの身体は、瞬く間に修復される。
そして修復機能は、蔓の如きコード——“
無傷の状態に戻ったアザミを見たライナスは、即座に追撃に移る。
目にも止まらぬ速度でアザミの眼前に移動し、
狙いは首——それは頭部と胴体を切り離す一閃。
イヴァンも即座に、アザミに向けて光線を放つ。
狙いは腹部——上半身と下半身を焼き切るべく、細く研ぎ澄まされた光線が横薙ぎに振るわれた。
戦闘の熟練者たる両者の判断は、決して間違いではなかった。
傷を高速再生するタイプは、分裂する特性でも無ければ、基本的に切り離してしまえば再生に時間を要する。
しかし、アザミも同様に戦闘の熟練者——五十年もの歳月を、王国を打倒するべく戦闘の修練に捧げて来た。
そして機人化したアザミの基礎身体能力は、魔人化したライナスやイヴァンと遜色無い程に高められている。
故にアザミは、ライナスやイヴァンの動き、タイミングを予測する事で、その攻撃を容易く躱して見せる。
そして意識の波長、その死角を突く事で、ライナスとイヴァンに反応すらさせずに動く事すらアザミはやってのける。
ライナスとイヴァンの目には、アザミが突如として消えた様に見えた。
夜空に、鮮血が舞う。
『まず、一人』
アザミの無機質な声が響く。
そこには、アザミにより軍刀で胴体を貫かれたカルロスの姿があった。
アザミの黒鉄色に染まった頰には、前から脳を貫く形で
それは刹那の間の、カルロスの反撃。
しかしそれすらも、
『老いても“鬼神”か。油断ならん』
そう吐き捨て、アザミはカルロスから軍刀を引き抜き、血を払い飛ばす。
吐血するカルロスは、そのまま力無く地上へ落下した。
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