99# 政

「ローファス、これを受け取って」


 アステリアは、ローファスの前に茶封筒を提示した。


「…これは?」


「以前、レイモンドとの話し合いの場を作ってくれたでしょう? その時のお礼」


「それはそれは…身に余る光栄です」


「…言動と顔が一致してないわよ? 中を確認して、ちゃんと良い物だから」


 ありがた迷惑とでも言いたげなローファスに、アステリアは中を見るよう促す。


 ローファスは促されるままに茶封筒を開け、中から書類を取り出す。


 そしてその内容に目を通した。


「炭鉱山の権利書——ですか」


「小規模なものだけどね。その辺り一帯の土地と、発掘設備、従業員達の雇用諸々含めたものだから、費用や投資無しで直ぐに利益が出る筈よ」


「炭坑の経営権そのものの譲渡、という事ですか。それも土地ごと。話の場を設けただけだというのに、随分と過分な報酬の様に思えますが。不敬を承知で申しますが、その様な些事に王族の権利を乱用されるのは如何なものか」


 呆れた様子のローファスに、アステリアは肩を竦める。


「勘違いしないで。その炭坑は歴とした私個人の所有物よ」


「王女殿下が、炭坑の経営を…?」


「…私、魔物被害のある地域によく遠征に行くんだけど、前に災害級の魔物に当たった事があってね。この炭坑は、その魔物を討伐した時に貰ったものよ」


 アステリアはふと、ジトっとした目をメイリンに向ける。


「本当は一緒に倒したメイリンに渡される報酬だったんだけど、彼女が受け取りを拒否したから、私が貰う羽目に…」


「当方は経営などした事が無い。炭坑の権利書など貰っても持て余すだけ故…」


 目を逸らすメイリン。


 ローファスは目を細める。


「成る程。アステリア殿下も持て余している、と」


「し、失礼ね、ちゃんと管理してるわよ。利益だって出てるし…」


「まあ、正直な所ありがたい話ではあります。我がライトレス領でも、石炭はそれなりに需要がありますので」


 レイモンドの召喚獣——時空の高位精霊マニフィスの転移による石炭の供給が途絶えた為、今後は別口から調達する必要があった。


 尤も、領地の汽車の運用自体は成功しており、流通が飛躍的に加速した事でライトレス領の経済は右肩上がり。


 石炭の買い付け程度、大した痛手でもない。


 寧ろ石炭という資源を無償で提供されていたこれまでが恵まれ過ぎていたといえる。


 相応の返礼品をガレオン領に寄贈してはいるが、それでもお釣りが来る程の恩恵だった。


 ライトレス領商業組合取締役のミルドに、次なる石炭の仕入れ先を探す様念話で連絡を入れていたが、ここで炭坑の経営権を得られるのは非常にありがたい。


 ライトレス領は広大であるが、炭鉱山は少ない。


 一つ懸念があるとすれば、アステリアから提示された炭坑の場所は、ライトレス領からかなり離れているという事。


 石炭が取れても、ライトレス領までの輸送に少なくないコストが掛かる。


 少し考えねばな、とローファスは息を吐く。


「折角の申し出ですので、ありがたく頂きましょう。ただ、先も言いましたが、話し合いの席を設けただけでこの報酬は過分。何らかの形でお返し致します」


 ローファスに頭を下げられ、アステリアは慌てた様に手を振る。


「そんな、良いわよお返しなんて。これは私の気持ちなんだから。それと——さっきも言ったけど、私に対して謙った言葉使いは不要よ。なんか違和感も凄いし、いつも通り・・・・・で」


「王族に対し、恐れ多い…——時に、“いつも通り”とは、何の事で?」


 ふとアステリアの物言いに違和感を覚えたローファスは、疑問を返す。


 思えば、“違和感”という表現も妙である。


 ローファスとアステリアの間に、“いつも通り”と言われる程の個人的付き合いは無い。


 アステリアはバツが悪そうに目を逸らした。


 そしてチラリと、メイリンとガナードに目を向ける。


「本当なら、今日その話もしたかったんだけど…また今度にしましょう」


「…」


 眉を顰めるローファスに、ガナードとメイリンは立ち上がる。


「込み入った話であるか? 必要であれば、我等は席を外すが…」


「当方達の要件は飽く迄も王女のついで。そもそもローファス卿に会いたいと無理を言ったのは当方達の方だ」


 気遣うガナードとメイリンを、アステリアは手で制する。


「私のは大した要件じゃないから。それより——貴方達にはまだ本題が残っているでしょう」


「…本題だと?」


 まだ何かあるのか、とローファスはガナード達をじろりと見据える。


 ガナードは肩を竦め、アステリアに頭を下げる。


「…では、アステリア殿下のお言葉に甘えましょう」


 ガナードはローファスに向き直る。


「実はな、ローファス卿——王国軍元帥として、英雄黒魔導殿に折り入って頼みたい事があるのだ」


 怪訝そうに眉を顰めるローファスに、ガナードはその内容を語った。



 王国の南部に、広大な湿地帯がある。


 その一帯は沼と森林で構成され、毒素の強い瘴気が蔓延している為、人が立ち入るのが困難な場所である。


 広大な土地でありながら、その性質上作物も育たず、その管理も手間が掛かる事から、誰も領地として持ちたがらない。


 それ故に、その湿地帯は王家管轄の地とされ、最低限の管理を周辺の貴族に任せている——そんな土地。


 土地の管理とは、例えば魔物が増え過ぎない様間引きを行ったり、ダンジョンがあるならば定期的に内部の魔物を駆除して外に出てこない様にする事。


 これを怠れば、魔物が増え、群れを成して周辺の人里に被害をおよぼす様になる。


 適度な間引きさえ行なっていれば、基本的に大規模な魔物の被害は起きない。


 それ故に、ダンジョンの管理や魔物の間引き——土地の管理は、貴族の義務である。


 ガナードが億劫そうに語った問題は、件の湿地帯に存在するダンジョンより、魔物が溢れ出したという事。


 それは所謂、ダンジョンブレイク。


 どうやらダンジョンの管理を随分と疎かにしていたらしく、凄まじい数の魔物が群れを成して侵攻しているとの事。


 既に幾つかの村が壊滅し、現地の貴族が騎士団を派遣したが、余りにも魔物の数が多く、為す術も無く敗走。


 魔物の群は日を追うごとに数を増やしており、最早現地の貴族の手に負えない規模にまで膨れ上がっていた。


 以上の事を、ガナードは苦々しく語った。


「魔物の群の系統はアンデッド。湿地帯の魔物や人里を飲み込み、その数を今も尚増やし続けておる。早急な対応が——」


「待て」


 説明を続けるガナードの言葉を、ローファスが止める。


「話が見えん。魔物の群の侵攻、成る程、それは確かに一大事だ——その南の領地にとってはな。それが、俺に何の関係がある?」


「…頼みと言うのはな、ローファス卿——貴殿に、これの対処に当たって貰いたいのだ」


「は?」


 ローファスの目に、険が宿る。


「…意味が分からんな。領主が対応し切れない場合、それを肩代わりするのは王国軍——或いは王家直属の近衛騎士だろう」


「然り。基本的に土地で発生した事案はその領主が対応し、それが厳しい様であれば近隣貴族か王家に救援を要請する。しかし今回、救援要請は王家ではなく、英雄《黒魔導》——ローファス卿個人に出されておるのだ」


「やはり意味が分からん。そもそも、現地の貴族がダンジョンの管理を怠ったのが事の発端だろう。何故俺がその尻拭いをせねばならんのだ」


「まっこと然り。本来ならば、その様な道理の通らぬ要請、王家は相手にもせん。しかし今回はどうやら、事情が異なるらしくてな…」


「…勿体ぶらずに話せ」


 ローファスに睨まれ、ガナードは肩を竦める。


「今回、儂は飽く迄も伝令役に過ぎんのだ。これ以上の事情を口にする事を許されておらん。受けるも受けぬもローファス卿の自由」


 ただ、とガナードは続ける。


「もしもローファス卿が此度の救援要請に応じ、魔物の群を殲滅せしめたならば——ローファス卿の武勇は、王国中に轟くであろうな。その実力に偽り無し、と」


「何故、俺の武勇を轟かせねばならん? その様な下らぬ…いや、待て——まさか…」


 ただでさえ《黒魔導》などという不本意な二つ名まで付けられているローファスからすれば、これ以上不必要に力を誇示する意味は無い。


 しかしガナードのその妙な言い回しに違和感を覚えたローファスは、ふと顔色を変える。


 ローファスは気付く——その話の裏に。


 ガナードは己を伝令役と称した。


 その上で、事情を口にする事を“許されない”と。


 つまりガナードは、本人も言っている通りただの使い走りであり、その裏には命令した何者かがいるという事。


 そして王国軍のトップたる元帥を顎で使える人間など、王国にはそう何人もいない。


「成る程…貴様の裏に居るのは国王陛下か。詰まる所、俺に物分かりの悪い貴族共を黙らせろという事だろう」


 苦々しく呟くローファスに、ガナードは驚いた様に目を見開く。


「ほう! これだけの情報でそこまで把握するか! ローファス卿は実力だけではなく政——腹芸にも精通しておるらしい。成る程、陛下が目を掛けられる訳だ」


「回りくどい真似を…」


 忌々し気に睨むローファスに、ガナードは機嫌良さげに笑う。


 それにアステリアは眉を顰め、メイリンは億劫そうに顔を背けた。


「国王陛下…? その話は父上からのものなの?」


「む…当方はその話を聞いて大丈夫なのだろうか」


 父が話題に上がった事で事情を知ろうと食い入る様に耳を傾けるアステリアと、それとは対照的に今にも席を外したそうに扉をちらちらと見るメイリン。


 それにガナードは肩を竦めつつ、ローファスに目を向ける。


「ふむ…やはりアステリア殿下も気になりますか。ではローファス卿、軽く説明を交えつつ、話を詰めていくとしよう」


 ガナードに促され、ローファスは渋々といった調子で口を開く。



 今回の、貴族からの英雄《黒魔導》——ローファスを指名しての救援要請。


 その背景には、王家と一部貴族間の軋轢があった。


 先の王都襲撃の騒動、主犯はレイモンドではなく、古代に封印された厄災——《魔王》が復活して魔物を率いて襲撃を仕掛けてきた、と公式で発表された。


 それに際し、国王主導の元、かなり大規模な情報操作と、箝口令が敷かれる事となった。


 その公式発表の内容は、教会——正確には聖女フランが出した声明とも一致している。


 しかしながら、その際に国王が行ったのは、王都全体といっても過言では無い程に大規模かつ大掛かりな情報操作。


 見る者が見れば、違和感を覚えても不思議は無い。


 特に、一部の貴族家。


 箝口令を敷いているとはいえ、人の口に戸は掛けられない。


 調べようと思えば、事実に近い噂話程度なら幾らでも手にする事が出来る。


 幾つかの貴族家は、その疑惑を国王に投げ掛けた。


 それは例えば、目撃情報と公式発表の相違であったり、《魔王》の復活など信じられないというものや、中にはローファスの活躍が異常過ぎて現実味が無いという指摘もあった。


 それらの疑問は全て、国王陛下が王威により握り潰した。


 弁明や説明などを一切せず、王家を敵に回す覚悟があるならばその疑問を持ち続けよと返答した。


 それにより直接的な疑問の声は上がらなくなったが、一部の貴族間では水面下で王家に対する疑惑や不信感を募らせる事となる。


 と、ここまでの事情を、ローファスはざっくりとではあるが把握していた。


 そもそも国王が大規模な情報操作を行ったのは、元を正せばライトレス侯爵家を始めとする幾つかの上級貴族が連名により、レイモンドの減刑を求める嘆願書を出した為。


 そしてそんな折に、湿地帯でダンジョンブレイクが起きた。


 王家が出した公式発表に不信感を抱く貴族は、それを利用しようと考えた——或いは、人為的に引き起こされたものかも知れないが。


 表面上は王都の英雄《黒魔導》ローファスに助けを乞い、その裏では化けの皮を剥ごうと舌を出す。


 国王が発表した、ローファスが単身で《魔王》を打倒したというのが事実であるならば、ダンジョンブレイクにより発生した魔物の群程度、容易く鎮圧出来るだろう。


 そこでもしもローファスがしくじれば、その程度の力で《魔王》を倒せる筈が無いと難癖を付けられる。


 例え救援要請を断られても、度胸が無い、《魔王》を倒したというのはやはり嘘だったのかと付け入る隙になる。


 それ故に、国王陛下はこの救援要請を握り潰さず、元帥ガナードを介してローファスへ渡した。


 つまり国王陛下はローファスに、力を示して貴族共を黙らせろ——と言っているのだ。


 これらの内容を、ローファスはアステリア、メイリンに説明する。


 無論一部の情報——レイモンドに関わる部分や、減刑を求める嘆願書の件は伏せて。


「——以上が俺の見解だが?」


 答え合わせをしろとでも言うかの様に、ローファスはガナードに問う。


 ガナードはニヤリと笑う。


「儂も、国王陛下より多くを聞いている訳では無い…が、概ね儂の見解と一致する」


 アステリアは眉を顰めた。


「ちょっと待って…じゃあその一件は、王家に不審を抱く貴族の策略っていう事? まさか、ダンジョンブレイクも意図的なものなんじゃ…!」


 此度のダンジョンブレイクにより発生した魔物の群により、既に幾つかの村は壊滅している。


 多くの罪無き民が犠牲となっており、意図的なものであれば決して許されない。


 ローファスは面倒そうにガナードを見る。


「…その線は?」


「恐らくだが、意図的ではない。被害鎮圧の為に対応に当たった現地の騎士団も多大な被害を受けている…将官を失う程のな」


「…意図的であれば、村は兎も角軍への被害は抑えるか」


「然り」


 ガナードは首肯する。


 対するアステリアは、ローファスの“村は兎も角”という言葉に、納得出来ない様子で顔を歪めた。


 救援を求める際、被害の大きさをアピールする為、近隣の村々を犠牲にする事まで織り込み済みであった可能性は0ではない。


 しかし、騎士団にまで被害が出ているのであれば、此度のダンジョンブレイクは予測出来ないものであったと考えられる。


 騎士団は各貴族が保有する戦力であり、武力。


 それを欠いては、自領の統治は当然として、他家に軽んじられる事もあり得る。


 と、ここでガナードは顎に手を当て、ぼそりと呟く。


「…尤も、ローファス卿に救援要請を出した貴族は、実際に被害を受けた領の貴族とは別であるがな」


「は?」


 ガナードの唐突な言葉に、ローファスは眉を顰める。


「…そういえば、俺に救援を求めているという貴族の名を聞いていなかったな。何処の愚か者だ?」


「その名はまだ・・儂の口からは話せんのだ。ローファス卿がこの救援要請を受けるならば、その限りではないが」


「受けないという選択肢があるのか? 国王陛下の意向であろう」


「陛下は今回、敢えて王命は出さないとの仰せだ。受けるか否かの判断はローファス卿に一任すると。ただ受けるのであれば、別途報酬は出されるそうだ」


「…」


 ローファスは暫し考え、口を開く。


「いや、やはり受ける他無い。怖気付いて逃げ出した等と悪評を流されては、ライトレス家の名に傷が付く。そんな事は許されない」


 しかし自分を——引いてはライトレス家を、あろう事か王家との確執に巻き込もうなど、身の程知らずも甚しい。


 然るべき報いを受けさせてやる、とローファスは拳を握り締める。


「その救援要請とやら、受けてやる。その貴族の名をさっさと言え」


 ガナードは満足げに頷き、口を開く。


「湿地帯付近の地域の貴族達の纏め役。《南の統括者》とも呼ばれる大貴族——ギムレット伯爵」


 その名を聞いたローファスは、静かに目を細めた。


 上級貴族、その名に聞き覚えは当然ある。


 特にローファスは、その名を最近聞いた事があった。


「ギムレット…か」


 それは、今となっては婚約破棄と相成ったが、アンネゲルトの元婚約者。


 それは確か、ギムレット伯爵家の嫡男であった。


 その婚約破棄の原因を、ローファスは詳しく聞き及んではいないが、どうも婚約者とアンネゲルトとの間で諍いに近いものがあったという。


 学園内で言い争っていたという話も聞いた事がある。


 その後、婚約破棄と同時にローファスとの婚約が話に上がった。


 ローファスからすれば因縁という程でもないが、しかしギムレット伯爵家からすれば、ローファスに対する印象は決して良くは無いだろう。


「…成る程」


 これは思いの外面倒事になりそうだと、ローファスは溜息を吐いた。

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