98# 王位

『よしよし、頑張ったな。ちょっと最後の方よく聞こえなかったけど、お前はよく頑張ったよ』


 自室の隅で涙ぐむアベルを、青い火の玉転生者が慰めていた。


『みんながみんな記憶を引き継いでる訳じゃ無いから…まあ、それでもファラティアナとローファスの組み合わせは意外過ぎたけど』


「…」


 何も答えないアベルに、青い火の玉転生者は溜息混じりに、机の上に置かれた黒表紙の本を見る。


 それはライトレス領で流行しているノンフィクション(筆者の独自の解釈有り)恋愛小説「暗黒貴族と船乗りの少女」。


 リルカより、ファラティアナの件を詳しく知りたいならこの本を読めと言われ、渡されたもの。


 一時期に比べて話題に上がらなくなっていたが、近々続編が出るかも知れないという噂が流れて人気が再熱しているらしい。


 因みに、まだ部数は少ないが、王都内でも貴族を中心に出回り始めているそう。


『…なんか、ごめん』


 謝罪の言葉を口にする青い火の玉転生者に、アベルはそっと顔を上げる。


「…なんで、お前が謝る?」


『この本を読む限り、ローグベルトの魔物被害は早まってたみたいだから。それに伴って、住民拉致やら略奪やらも横行してたらしいし。転生してから魔法アイテム集めなんかせず、直ぐにローグベルトに行ってれば…』


「そんな事…誰も予想出来なかった。そんな中で、ローファスは誰よりも先に動いてローグベルトを救った。悪政を敷く役人を罰し、僕達が救えなかった彼女の幼馴染まで救い出した。ローファスは、ファラティアナの全てを救ったんだ」


『…』


「今はただ、自分自身が不甲斐無い」


『…豹王アンブレが襲って来た時点で、世界の動きに変化が生じてるって事は、少し考えれば予想出来た。それに気付けなかったのは俺の落ち度だよ』


「それを落ち度と言うなら、僕も思い至らなかった。僕達・・の落ち度だ」


 アベルは拳を握り締め、決意を目に宿す。


は今回、色々と失敗した——だから、もう間違えない。今度こそ、ハッピーエンドを迎えるんだ。世界の滅亡なんて終わり方、もう懲り懲りだ」


 一転して、でもとアベルは弱気に続ける。


「ファラティアナとローファスの件は…まだ、気持ちの整理が出来てないみたいだ…」


『…そりゃ前の嫁さんだし、仕方ないよ』


 青い火の玉転生者はアベルの頭に乗り、ぽんぽんと慰める様に撫でる。


 アベルは暫しされるがままにし、ふと青い火の玉転生者を見た。


「それで、少し気になっていたんだが——」


『ん?』


「ローファスに対するあの反応…お前、まさかとは思うが——女だったりしないか?」


 アベルの問い掛けに、青い火の玉転生者はピシリと固まった。


『………………………ん。まあね』


 長い沈黙の末の肯定に、アベルは溜息を吐く。


「…何故言わなかった」


『いやまあ…今の俺、もう魂だけだし、男とか女とかあまり関係無いし』


「普通にあるだろ。ローファスを前にあれだけ胸を高鳴らせて…心臓が破裂するかと思ったぞ」


『た、高鳴らせてねーし!? 大体あんなイケメンに迫られりゃ誰だってあーなるわ!』


「…僕の身体でそれは止めてくれ、頼むから。入れ替わってからも、内にいるお前の影響か、ずっと心臓の高鳴りが止まらなかったんだ」


『いやいや、止めてくれも何も自分で制御出来ないから』


「なら何か? 僕は今後、ローファスを前にする度にずっと胸を高鳴らせるという事か? 思い返せば魔法具の話をしている時もずっと心音が——」


『あー! 仕方ないだろー! こちとら命ギリギリで救われてんだよ? もうね、私からしたらローファスは絶対絶命のピンチに颯爽と現れた白馬に乗った王子様だったんだよ』


「…ローファスは王子でも無ければ白馬に乗ってもいないだろう。どちらかと言えば黒い飛龍とかの方が似合いそうだが」


『そういう意味じゃねーよ! でも、確かに似合いそう…』


 二人でわーきゃーとそんなやり取りをしている内に、沈んでいたアベルの気持ちはいつの間にか晴れていた。


 そしてその後、アベルはリルカに連絡を入れる。


 目指すは火山地帯、ヘラス山頂上——火神の祠。


 火神の加護を受ける為に。



 ローファスはアステリアより呼ばれ、王宮に赴いていた。


 以前レイモンドとアステリアの話し合いの席を設けるのに一役買った件のお礼がしたい、という名目で呼び出された。


 しかし王宮に訪れたローファスは、何処か憂鬱そうであった。


 王族からの呼び出し、それも知らない仲でも無い同級生たる第一王女からともなれば、正当な理由無く断ると角が立つ。


 ローファスからしても、“お礼”と称したこの呼び出しを額面通りに捉えたりはしない。


 何せ王家からは、先日縁談とも取れる申し出を受けたばかりである。


 それに関してはルーデンスが断りを入れたらしいが、その程度で簡単に諦めるならば最初から話題にも出さないであろう。


 先の王都襲撃を鎮圧した英雄黒魔導——その話題性を身内として取り込む気だろう。


 ローファスはそう当たりをつけていた。


 国王には基本的に、王位継承権を持つ王子か、公爵家から選定された王女の婚約者が成るしきたり。


 それ故に、まさか自分が次期国王候補に推されている等、ローファスは露程も考えなかった。


 しかしながら、いずれにしろ権力争いに巻き込まれそうになっているのは明白。


「…お礼を口実に、何をどうふっかけてくる腹積りなのか」


 或いは、呼ばれた先で件の第二王女とやらが待っている可能性も0ではないな、とローファスは気を引き締める。


 王宮内を警護する近衛騎士から、この上無き敬意が込められた最敬礼をされるのを尻目に、ローファスは扉の前に案内された。


 こちらです、と道案内を務めた執事は恭しく頭を下げ、扉を開ける。


 案内された部屋に入り、ローファスは——眉を顰めた。


 

「——ようこそ、ローファス。突然呼び出して御免なさい。礼儀とかは気にせず、楽に寛いでね」


 現れたローファスに、アステリアが態々立ち上がって出迎え、椅子へと誘導する。


 結論からいうと、その場に第二王女の姿は無かった。


 その代わりといっては語弊があるが、その場にはアステリア以外に二人、椅子に腰掛けていた。


 片や白と黒の混ざり合った髪色が特徴的な童女の如き出立の女。


 魔法師団筆頭——メイリン。


 片や王家の太陽紋が刻まれた甲冑を見に纏う、白髪混じりの巨漢。


 その男とも初対面ではあるが、ローファスはそれが誰か知っている。


 否、王国民でその男を知らない者は恐らく居ない。


「おお、これは英雄殿! お会い出来、恐悦至極。先の活躍は聞き及んでおる!」


 甲冑の巨漢は、ローファスを見るなり出迎える様に立ち上がった。


 それは王国軍兵士の頂点、元帥——ガナード。


 王国軍部のトップであり、騎士団や魔法師団を率いる存在。


 そんな王国軍の長が、迷う事無くローファスに対して頭を下げた。


 それにはアステリアや、同席するメイリンも目に見えて驚く。


「げ、元帥…そう軽々しく頭を下げられては…」


 控えめに諌めるメイリンに、元帥であるガナードは不機嫌そうに鼻を鳴らす。


「何の問題がある? 確かに、陛下より軍を預かる元帥たる儂が、一介の貴族に頭を下げるのは立場的に問題があろう。それが例え、かの名高きライトレス家であろうともな」


 しかし、とガナードは続ける。


「ローファス卿は一介の貴族か? …否、否だ。彼は古の《魔王》を打倒せしめた、王国の、引いては人類の英雄。儂程度の頭なぞ、軽くなるというものよ——なあ、ローファス卿?」


「…いや、知らん」


 突然話を振られたローファスは、ぶっきらぼうに返答する。


 それにガナードは、豪快に笑う。


「儂を前に欠片も萎縮せんとは。流石は英雄殿、豪胆であられる。儂は強面故、初対面の——特に若者には萎縮されて碌に会話も出来んというのに」


 ガナードは一頻り笑うと、仕切り直す様に笑みを消す。


 そしてローファスに対して姿勢を正し、最敬礼をした。


「改めて御礼を申し上げる、ローファス卿。貴殿の働きが無ければ、先の王都襲撃での被害はもっと酷いものになっていたであろう。立場上、公の場では中々下げられぬ頭故、王女殿下に無理言ってこの場を設けて頂いた次第」


 頭を下げるガナードに、ローファスは手でそれを制する。


「言葉だけの礼なら結構」


「ローファス殿!」


 頭を下げて感謝の言葉を述べるガナードに対し、ローファスの対応は実に冷ややかなもの。


 それにメイリンは非難がましく声を上げ、アステリアはあちゃーと手で顔を覆う。


 そんなメイリンを無視し、ローファスはじろりと頭を下げるガナードを威圧的に睥睨する。


「時に元帥。先の王国軍——騎士団並びに魔法師団の動き、随分と鈍重な様に見えたが? 魔物の王都襲撃は確かに予想出来ぬ非常事態だ。しかし幾ら何でも初動が遅過ぎた」


「…申し開きもない。言い訳にもならんが、兵達の実戦不足と言う他無い。又、指揮官の人材不足も要因の一つではあるが」


「理解しているなら、部外者たる俺の前で口に出すな。黙して問題解決に当たれ」


「いやはや、ローファス卿には敵わんなぁ」


 ぽりぽりと頰を掻いて苦笑するガナードに、ローファスは鼻を鳴らす。


 そんなやりとりをハラハラしながら眺めるメイリン。


 ここでアステリアが咳払いをした。


「ちょっと、良いかしら」


 三者の視線を集める中、アステリアは半目でガナードを見る。


「長くなりそうなら、私の要件が先でも良いかしら。ガナード元帥?」


 アステリアの視線を受けたガナードは肩を竦める。


「おっと、これは失敬。元より儂の要件は王女殿下のついで。木偶の坊は暫し、大人しく座っておるとしましょう」


 恭しく頭を下げ、ガナードは自らの席に着いた。


 感謝の言葉以外に要件があるのか、とローファスは眉を顰めつつ、アステリアに向き直る。


「改めて、急に呼び出してごめんなさいね。本当なら私の方から足を運ぶのが筋なのだけれど、先の騒動の後という事もあってあまり自由に動けないの」


「…殿下からのお声掛けとあれば、何時何処へでも馳参じましょう」


 社交辞令100%のローファスの言葉に、アステリアは苦笑する。


「心にも無い事を言う必要は無いわよ。あと、その謙った口調も不要よ。私にはもう、王位の継承権は無いし」


「王女…! その事はまだ…」


 唐突にアステリアが放った爆弾発言に、メイリンが焦った様子で立ち上がる。


 アステリアの王位継承の剥奪、それはまだ公にされていない情報。


 ローファスは目を細め、ガナードは顎に手を当てる。


「…それは誠ですかな——アステリア殿下?」


 静かに問うガナードに、アステリアは堂々と頷く。


「事実よ。発表は未だ先だけど」


「なんと…」


 驚きを隠せない様子のガナード。


 それとは対照的に、ローファスは動じた様子も無く、無言で耳を傾ける。


「やはり、先のレイモンド殿の一件で…」


 ガナードがそう言い掛けた所で、ローファスが鋭い目で睨んだ。


 それにガナードがハッとした様に口を閉ざし、アステリアは静かに首を横に振る。


「あの騒動を起こしたのはレイモンドでは無いわ。それは公的な発表にもあったでしょう」


「う、うむ。そうであったな。失言であった」


 即座に訂正を入れるガナードに、アステリアは溜息を吐く。


 ガナードは軍を預かる元帥にして、相応の実力者でもある。


 先の騒動の際には、王宮で押し寄せる魔物の対処に当たっていたが、ガナード自身、そこで天上での戦いの余波を感じ取っていた。


 黒と白の魔法がぶつかり合い、地上に降り注いでいた魔力波——ローファスと、そしてレイモンドの魔力を。


 又、その立場上、多くの情報がガナードの元に集まっている。


 白翼の魔人——レイモンドの目撃情報然り、レイモンドの魔力を浴びた召喚獣然り。


 国王や教会が公表した情報と、自身の知る事実の食い違いに、当然疑問はあった。


 が、その疑問を敢えて口にすることは無い。


 王国軍総司令たる元帥ガナードは、王国、引いては国王の剣。


 国王の判断を疑う事などあってはならない立場にある。


 軽く咳払いをして誤魔化すガナード。


「…」


 対するローファスは、静かに思考を巡らせる。


 アステリアの王位継承の剥奪、その可能性は十分に考えられた。


 第一王女たるアステリアの婚約者であり、次期国王の第一候補だったレイモンド。


 元よりその実力、資質からその他候補者を大きく引き離し、実質的に殆ど次期国王の就任は決まっている様なものだった。


 そんなレイモンドが先の一件で次期国王候補から外れ、その上、継承権を持つアステリア自身も平民のアベルに熱を上げている。


 物語ではアベルが数々の功績を上げ、国王に成り上がる流れとなったが——今回、アベルは目に見えた功績を上げていない。


 そもそも《魔王》の復活も無く、《四魔獣》の侵攻も無い為、功績を上げようが無かったのだが、何の実績も無い平民が第一王女の想い人だからと王になれる程、この国の王位は軽くはない。


 正直ローファスからすれば次期国王など、極端な話誰でも良い。


 が、誰が次期王になるかによって、貴族の勢力図に大きな変動が起こるのは必須。


 今後の動きに関わってくる為、有力な候補者位は知っておく必要がある。


 と、ここまで考えた所で、ローファスはふと思い至る。


 王位継承権一位である第一王女アステリアが、継承権を外された。


 という事は、繰り上がりで王位継承権一位となるのは、現国王アレクセイの第二子——第二王女アリア・ロワ・シンテリオである。


 その第二王女アリアといえば、つい先日、ローファスの縁談相手として国王が推してきた人物。


 国王陛下が直々に王位継承権一位の人物との縁談を勧めてくる——その意味、真意。


 その思惑を感じ取ったローファスは、額より嫌な汗を流す。


「ローファス…? 顔色が優れないみたいだけど、大丈夫?」


 心配そうに問い掛けてくるアステリアに、ローファスは軽く息を吐き、肩を竦める。


「心配はご無用。話が脱線しましたが、アステリア殿下の要件をお聞きしても?」


 次期国王など絶対に御免だ、その想いを内心に秘めながら、ローファスは話題を変える。


 アステリアは静かに口を開いた。

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