97# 浮気

 ローファスは眉を顰める。


「役割、だと…?」


「…そ。この前、夢でさ。俺をこの世界に送った神様が現れて、そう言われたんだ。後はもう余計な事はするな、それでお前が望んだ結末になるって」


「役割、とは? 神とはどの神だ、六神ではないのか?」


 ローファスに顔を寄せられ、転生者は僅かに頰を染めつつ、目を逸らしながら答える。


「役割は…よく分かんない。終わったってだけ。六神…? 多分だけど、違うと思う。少なくとも火神では無かったかな…」


「その神とやらは、どんな姿をしていた?」


「……んー…よく、覚えてない。思い出せないっていうか」


 要領を得ない転生者の物言いに、ローファスは目を細める。


「貴様は、何故そいつが神だと思ったのだ?」


「…言われてみれば、確かにそうだね。何でだろ? まあ、転生させてくれるって言うし、神様なんじゃないかな」


「ふむ…」


 違和感。


 転生者がどんな存在か、ローファスはリルカ越しに情報を聞き、その上で大まかにしか理解していない。


 原作、ゲーム、異世界。


 これらの単語は、ローファスの常識の外にある概念。


 この世界の出来事を観測する手段を持つ、より上位の存在。


 或いは神に類する何か——それが、転生者に対するローファスの認識。


 少なくともそう認識する程度には、転生者はこの世界の多くの情報を有しており、特に魔法具に対する知識は恐らく世界随一であろう。


 そんな存在が軽々しく口にする神——恐らくそれは、六神以上の何か。


 “契約は果たした”


 ふとローファスは、何故かその言葉を思い出す。


 それは聖女フランより伝えられた、《世界の意思》とやらからのローファスへの伝言。


 ぞわりとした、冷ややかな感覚がローファスの背筋をなぞる。


 断片的な情報、謎——乱雑に散らばったパズルのピースが一瞬、噛み合った様な、全てが繋がった様な気がした。


 その繋がった感覚が何なのか、ローファスには分からない。


 ローファスは目の前に差し出された《風神の巾着》を——余りにも都合良く、転がり込んできたそれを、転生者に押し返す。


 この、何か得体の知れないものに仕向けられたかの様な、好都合過ぎる展開——作為的な何か。


 ローファスはそれが、どうしようも無く気色悪く感じ、心の底から拒絶した。


「え…あの、ローファス?」


「貴様の施しなどいらん」


「えっ!? いや、施しとかじゃ…」


「兎に角いらん。欲しくなった時にはどんな手段を用いても手に入れるが、今はいらん」


「えぇ…」


 困惑する転生者に、ローファスは押し付ける様に《風神の巾着》を突き返す。


「この魔法具は、三年掛けて集めたのだろう。それを神とやらに何か言われたからと容易く手放すなど、俺からすれば理解の外だ」


「ハッピーエンドの為なら、何でもするよ」


大団円ハッピーエンドだと? 悲劇では無く喜劇で終わらせたいという事か? なんとも現実味に欠ける目標だな」


「幸せな形で終わるのに、越した事ないじゃん」


 少しだけむっとする転生者を、ローファスは真っ直ぐに見据える。


「抽象的だな。個人の幸せは、他者の不幸の上に成り立つものだ。貴様の口にする幸せとは、一体誰にとっての幸せだ?」


 ローファスの問い掛けに、転生者は真っ直ぐに見返して答える。


「アベルと、ストーリーのヒロイン達——アステリア、ファラティアナ、リルカ、メイリン、タチアナ。それと…今はローファスもかな」


 転生者の出した、六名の名前と、そしてローファスの名。


 それを聞いたローファスは、目を細める。


「…成る程。己ではく、他者の幸せを望むか。他者の幸せ、それが己の幸せだと。崇高な事だな、反吐が出る程に」


「駄目、なの?」

 

「いや。だが、得心はいった。貴様の目的——大団円ハッピーエンドとやらには、貴様自身が入っていない。勘定に入っていないから、命すらも容易く天秤に掛けられる。以前、俺に命を差し出そうとしたようにな」


 ローファスはぐっと転生者に顔を近付ける。


「え、ちょ…」


 驚き距離を取ろうとする転生者。


 ローファスはその胸倉を掴み、逃げられぬよう引き寄せる。


「俺は貴様の事を評価している。何度殺されようとも貫こうとする強い意識——無意味に生を謳歌する凡愚には、とてもではないが真似出来ん」


「そ、そんな事…結局俺は何も出来なかったし、それに最後は…」


「そう卑下する必要はない。死の連続に比べれば、この世のどんな地獄すらも生温い。連続する死の前には、例え神すらも幼子の如く泣きじゃくるだろう」


 繰り返すが、とローファスは言葉を続ける。


「俺は貴様を評価している。評価しているからこそ、もどかしく思う。何故そうも他者を尊ぶ。何故そうも己を尊べぬ。何故、大団円ハッピーエンドの中に貴様が居ない?」


「ロー、ファス…近いって…」


「答えろ」


 ローファスに詰め寄られた転生者は、みるみる内に赤面していき、遂にはその青い瞳が紅蓮に変化した。


「すまないが、その辺にしてやってくれ。ローファス」


「…アベルか」


「それと、少し離れてくれ…頼むから」


 転生者から人格が切り替わったアベルは、そっとローファスの手を解き、明後日の方を向く。


 そして赤面した顔を片手で扇ぎつつ、もう片方の手で自身の胸を何度も殴りつける様に叩いた。


「……どういう事だ、この妙な反応は…まさかコイツ…おん…いやいやいや、ない。あり得ないそんな事…そんな素振り一度も…」


 ローファスに背を向け、一人ぼそぼそと呟くアベル。


 アベル赤面しながは、自身の胸を繰り返し殴り付けながら独り言を呟いている。


 その奇行に、ローファスは不審そうに眉を顰める。


「貴様、何をしている。先程から顔が赤いとは思っていたが、まさか体調が悪かったのか?」


「いや…あ、ああ。そう、かも? これは、ちょっと僕もよく分からないと言うか…」


「は?」


「と、兎に角、今こいつは話せる状態じゃない。魔法具の処遇についての話し合いはまた今度にしてくれ」


「…魔法具を集めるのには貴様も労を割いたのだろう、アベル。そいつはそれを容易く俺に渡そうとしている訳だが、貴様はそれで良いのか」


 三年もの月日を経て魔法具を集めたのは転生者の指示だったとしても、その肉体は他でも無いアベルのもの。


 そしてダンジョンや遺跡を攻略し、魔物を倒したりと戦闘を担当したのはやはりアベルであり、この事から魔法具を集めたのは実質的にアベルといっても過言ではない。


 充分所有権を主張出来る立場なのだが、アベルは静かに首を左右に振った。


「こいつも言っていたけど、僕では充分に扱えない。色々と説明は聞いたが、ちんぷんかんぷんだ。こいつが魔法具をローファスに渡したいと言うなら、それを止める気は無いよ」


 それに、とアベルは続ける。


「我ながら勝手だとは思うけど、今では君の事を味方だと思っている」


「…勝手に敵だと認識して切り掛かってきたかと思えば、次は味方か? 本当に身勝手な奴だな」


「あれは…本当に申し訳無かった」


 頭を下げるアベルに、ローファスは鼻を鳴らす。


「まあ良い。仲間なぞと口にしなかっただけましだ」


「仲間と呼べる程、僕とローファスは行動を共にしていないし…何より君と肩を並べられるだけの力が今の僕には無い。寄り掛かるだけになる様では、仲間とはいえない」


「なんだ、実力不足の自覚があったのか」


「ナチュラルに毒を吐かないでくれ。まあ、事実なんだが」


 意外そうに目を丸くするローファスに、アベルは苦笑する。


「まあそんな訳で、今の僕は力不足だ。だから、少しの間王都を離れようと思う」


「武者修行でも行くと?」


「修行というか、ヘラス山にね。火神から加護を受けに行ってくる。ほら、《四魔獣》の一角…」


「《蝕爆ヘレス》が暴れた火山地帯——か」


「そう」


 口角を上げ、頷くアベル。


 加護を受ける事が出来る火神の祠は、《四魔獣》最後の一体、生ける溶岩とも謂れた《蝕爆ヘレス》が出現した火山の頂上にある。


 そしてアベルは、少し言い難そうに目を伏せる。


「それで、その…ヘラス山は遠いだろう? だから、その…」


「なんだ」


「その…リルカに——《緋の風》に協力を頼もうかと…」


「ああ、飛空艇か。まあ、転移以外ならばそれが妥当だろうな。しかし何故そんな事を態々俺に?」


「いや…ローファスとリルカは恋人になったんだろう? なら、僕と行動を共にするのは余り良い気分じゃないかと…」


「…」


 あいつアベルに話したのか、しかも恋人と説明しているのか、とローファスはこめかみを抑える。


「…成る程、それで俺に伺いを立てている訳か。殊勝な事だ。だが…俺があいつの行動を制限する事はない。だが、《緋の風》の連中にも予定はあるだろう。交渉するのは貴様の勝手だ」


「そ、そうか。意外とドライなんだな。リルカの話ではもっと…」


 途中で口を閉ざしたアベルを、ローファスは半目で睨む。


「もっと、なんだ? どう聞いている」


「いや…ラブラブしている、と聞いていたから…」


「…」


 ローファスは何とも言えない顔でコーヒーを一息に呷った。


「…忘れろ。と言うか、貴様はそれをどんな感情で聞いている」


「まあ、僕としてはリルカが幸せそうで何よりと言うか…」


「…そうか」


 少し気恥ずかしそうに頰を掻くアベルに、ローファスは溜息を吐く。


 リルカに今後はベラベラ喋らない様に言い含めておこうと、ローファスは心に決めた。


 ふとアベルは、意を決した様に顔を上げると、真っ直ぐにローファスを見る。


「そ、それと! フ、ファラティアナの件で…そ、その…これもリルカから、少しだけ経緯は聞いてて…」


 僅かに声を震わせながら、アベルは続ける。


「ファラティアナの事……頼…泣かせたら承知し……うっ——」


 アベルは辿々しく言葉を発し、遂には泣きそうに顔を歪めてローファスの部屋から走って出て行った。


 走り去ったアベルをぽかんとした顔で見届けたローファスは、何とも言えない顔で頬杖を突く。


「…まあ——そう割り切れるものでも無いだろうな」


 溜息混じりに発せられたその言葉は、部屋の静寂に溶けた。



 アベルが出て行った直後、ばんっと居室の扉が勢い良く開け放たれた。


 ローファスの居室に無遠慮につかつかと靴音を響かせながら入って来たのは、アンネゲルトであった。


「——アンネゲルト…? 男子寮ここは女子禁制だぞ…」


「今、そんな事はどうでも良いのよ——ローファス」


 怒った様子で睨んで来るアンネゲルトに、ローファスは身構える。


 この怒り様は只事ではない、一体何があったのかと。


「今泣きながら部屋から出て行ったの、確かアベルって子よね。平民の」


「あ、ああ」


 見られていたのか、とローファスは軽く息を吐く。


 アンネゲルトはカッと目を見開き、声を張り上げる。


「ローファス、貴方にはレイモンドがいるでしょう! それなのに他の男を部屋に連れ込むなんて、どういうつもり!?」


 浮気よ浮気! とヒステリックに声を荒げるアンネゲルト。


 ローファスは疲れた様に手の平で両目を覆い、天井を仰いだ。



 因みにこの日の夜、ライトレス家から寄贈された魔石のお礼にと、ローファスはアンネゲルトに連れられて高級レストランで食事を共にする事となるが、それはまた別の話。

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