69# 疑惑

 学園、本校舎の屋上広場。


 テラスに置かれた純白の丸テーブルとベンチ。


 そこに腰掛け、どす黒いコーヒーを啜るのは黒髪の少年——ローファス・レイ・ライトレスだった。


 ローファスは頬杖を付き、悩ましげに首を傾げる。


 ローファスは、かつて自身を殺した宿敵ともいえる赤髪の少年——アベル・カロットの顔を思い浮かべ、思う。


 なんだあれは、と。


 入学式の日、ローファスとアベルは接触し、僅かばかりの言葉を交わした。


 その時にローファスが抱いた印象は、誰だこいつは、であった。


 かつて夢で見た物語のアベルとは、雰囲気が随分と違う様に思えた。


 しかしながら、対面するだけで強烈な既視感と苛立ちが湧き上がるのを感じた。


 まさかアベルは、全くの別の誰かに成り代わられているのではないか。


 そんな荒唐無稽な疑惑まで抱いたが、そう仮定しても成り代わっている誰かまでは思い起こす事は出来ない。


 だが、全く知らない誰かでは無いとローファスの本能が訴えていた。


 …なのだが、つい先日。


 レイモンドや四天王を含む、上級貴族の学生が軒並み不参加を決め込んだ新歓合宿。


 これは、物語に於いてはアベルとアステリアが絆を深める重要なイベントであった。


 そこでは、物語とは少々異なる展開を迎えていた。


 本来よりも早くに暴れ出したダンジョンのフロアボス、そしてそれを難なく打ち倒したアベル。


 それをローファスは、事前に《餓狼の森》へ放っていた影の使い魔を介し、その一部始終を見ていた。


 その時のアベルは、ローファスの見立てでは間違い無くアベル・カロットその人であった。


 その事が余計にローファスを混乱させた。


 そしてローファスを悩ませた問題がもう一つ、それはアベルの強さ。


 魔王ラースの情報の通り、確かにアベルの強さは記憶を持っているだけでは片付けられないものであった。


 例えを出すなら、リルカ・スカイフィールドは二周目としての記憶を保持していた為、魔法の技術には秀でていたものの、肉体が未熟な分出来ない事も多かった。


 リルカは元々、魔法と体術を併用して戦うスタイルである。


 本来の戦い方が出来ていなかったのと、六神の加護という力のブーストが無かった事もあり、その実力は全盛期の半分も発揮出来ていなかった。


 しかし、アベルは違う。


 既に成人の歳である為、身体が未熟過ぎるという事はないだろうが、それにしても加護も無しに火属性の魔法を手足の如く操っている。


 身体に炎を纏って身体機能を飛躍的に向上させ、無詠唱で中級以上と目される火属性魔法をノータイムで発動。


 ローファスの目から見ても、それは恐ろしく異常な事。


「幾ら何でも属性との親和性が高過ぎる…奴め、本当に人間か?」


 ローファスは首を傾げ、呟く。


 リルカの術式の展開速度は、異様といえる程に速い。


 それこそ、魔力を直接視認する目を持つ血染帽レッドキャップが舌を巻く程である。


 しかし、アベルのそれはその比ではない。


 構築が速いとかそういう次元では無く、正しくノータイム。


 人が呼吸して手足を動かすのを当たり前に行うのと同様に、火属性を操っている。


「…まるで精霊だな」


 精霊は、対応する属性を文字通り手足の如く操る事が出来る。


 属性魔法しか扱う事が出来ないが、属性の親和性は人間と比較にならない程に高い。


 アベルの属性の親和性は、ローファスの見立てでは正しく精霊並。


 ローファスは未来の夢——物語を見た時から、元々属性との親和性は高い方だと思っていた。


 しかしそれも、飽く迄も人間の範疇に収まる範囲での話。


 六神の加護を受けていない状態での今のアベルは、はっきり言って異質である。


「或いは、もう六神から加護を受けている…?」


 使徒として六神と接触はしているであろうし、可能性としては十分にある。


 しかしローファスは、否定する様に首を横に振った。


「いや、無いな。加護を受けているにしては弱過ぎる・・・・


 今のアベルは、ローファスの見立てでは高く見積もっても高位精霊止まり。


 決して弱くはないが、ローファスの命に手が届く程では無い。


 物語二章の四天王戦、六神より加護を得ていた時の方がまだ強い。


「魔王め…話を盛ったか?」


 魔王ラースの話では、アベルは物語最終盤の全盛期の力を持つという話だった。


 だが、大狼ジェヴォーダンとの戦いを見る限り、とてもその様には見受けられない。


 当然、フロアボス程度に全力で挑む筈もないが、ローファスの魔法に対する観察眼は三年前と比べてより洗練されており、今では魔法の発動を見ただけでその術者の力量をある程度見極める事が出来る。


 或いは、何かしら隠し玉でもあるのだろうか。


 ローファスは思案し、肩を竦めた。


「判断材料が少ない。もう少し調べる必要があるな」


 アンブレが返り討ちにあった時の状況を、魔王ラースからより詳しく聞く必要がある。


 思い立ったら即実行と、ローファスは自らの意識を、魔王ラースの影に潜ませている使い魔に繋げた。



 ローファスの視界が切り替わり、映し出されたのは、黒を基調としたシックな雰囲気の魔王ラースの部屋。


 テーブルには琥珀色の液体が入った瓶が幾つも並べられ、ラースはそれらを順番にスプーンで掬い上げて口に入れる。


 随分とラフな格好のラースは、機嫌良さげにハミングしながら、瓶のラベルに「83点」と記入した。


「ふむふむ、悪くはない。ただ甘味は強いが、味に深みが欠けている。もう少し風味があれば他社の製品を大きく引き離せるだろう。しかしどうしたものか…蜜の収集力は申し分無い。蜂の品種改良からやり直すか……いっその事蜜に葡萄のシロップでも混ぜるか? いや、それだと品質偽造に…」


『おい』


「うわあああ!?」


 いつまでも何かの分析をするラースに業を煮やしたローファスは遂に声を掛け、ラースは飛び跳ねる様に驚いた。


『…喚くな、耳に響く』


「ろ、ローファス!? 何だよ突然、ビックリするじゃないか…」


 へなへなと座り込むラースに、ローファスが意識を繋げる使い魔——黒い剣魚はヒレを使ってぺたぺたと床を這って近寄る。


『…それは、ハチミツか? 一体何をしている』


「何って、ハチミツの品評だよ。僕は一応、ライトレス養蜂場の責任者だからね」


『ああ、そうだったな…』


 魔王ラースはローファスの元へ訪れてから暫くの間、ローファスの住居——ライトレス家の別邸で居候として生活していた。


 当然、妙な行動を起こさないか、ローファスが直々に監視する為である。


 しかしその時、ローファスは魔法学園への入学を控える身であり、いつまでも側に置いておく訳にはいかなかった。


 そこでローファスは、手頃な役職を与えて馬車馬の如く働かせようと考えた。


 多忙な仕事を押し付け、良からぬ企みを抱く暇すら与えぬ為に。


 当時、ローファスは幾つかの事業に着手していた。


 元々立ち上げていた葡萄園、その系列として酒造と養蜂を立ち上げた。


 しかし、そのいずれも葡萄園ほど上手くはいかず、赤字続きで頓挫しかけていた。


 ローファスはそのうちの一つである養蜂場の管理と運営を、ラースに押し付け…もとい、任せる事に決めた。


 廃業寸前の養蜂場を、立て直してみせろとラースに丸投げしたのだ。


 無論、影に使い魔を潜ませ、その一挙手一投足が全てローファスに伝わるという絶対的な監視下の元で。


 ラースは管理者となった当初は、その少女の様な容姿から、従業員達から訝しまれていた。


 しかしラースは、魔力が無くとも優秀であった。


 ラースは言葉巧みに従業員達を褒め、煽て、懐柔し、時には自らの幼気な見た目を利用して愛らしく媚び、瞬く間に人心を掌握した。


 そしてその上で、ラースが掲げた事業の立て直し計画は、全てが上手くいった…それこそ、不気味な程に。


 ライトレス領の経済回復の為に立ち上げた葡萄園、そのついでのつもりで始めた養蜂場だったが、今やハチミツは、葡萄に次ぐライトレス領の名産品になりつつあった。


 廃業寸前の古びた小屋一つから始まった養蜂場は、半年と経たぬ間に持ち直し、ラースは従業員達から絶大な信頼を得る敏腕経営者となっていた。


 そんなラースが掲げる今の養蜂場の方針は、ハチミツの品質向上。


 養蜂場はこれまで、それなりの品質の物を安価で、大量に商業組合に卸していた。


 それは低所得者——所謂、庶民をターゲットにしたもの。


 それにより莫大な利益を得たラースは、次のターゲットを高所得者——所謂、貴族や商人に定めた。


 ハチミツの品質を上げ、ブランド化して超高級な嗜好品として売り出す事で、更なる事業の飛躍と拡大を狙っていた。


 ローファスからすれば、現時点でも十分過ぎる程の成果を出しているのだが、ラースは満足していない。


 以前ローファスは、ラースに事業拡大の末に何をする気なのかを尋ねた事があった。


 ラースは笑ってこう答えた。


“どこまでする? そうだね…ライトレス家の経済が、僕無しでは回らなくなる程度にはしたいかな。そうすれば、君は僕を捨てられなくなるだろう? ——おいおい怒らないでくれ。僕はただ、絶対に見捨てられないという保険が欲しいのさ”


 何処のギランだとローファスは憤慨したが、事業拡大の方に熱心になってくれるならそれもありかと思い直し、監視は継続として捨て置く事にした。


 学園に入学してからは連絡を取っていなかったが、どうやらラースは未だにハチミツの品質向上に勤しんでいるらしい。


 ローファスは呆れる。


『何と言うか、マメな奴だな。まさか、たかが養蜂場如きで本当にライトレス領の経済を掌握する気か?』


「勿論さ。いつ君に捨てられるのかとハラハラしているのだからね。合理的な君には、常に有用性を示しておく必要があるだろう」


『貴様は俺を何だと思っている』


「だって君、初対面でしきりに僕を殺そうとしてたじゃないか。あの殺意をいつまた向けられるかと思うと気が気じゃ無くてね」


『…』


 それは確かにそうかも、とローファスは思わなくも無い。


 ローファスが黙っていると、ラースはふと首を傾げた。


「所で、君から連絡をくれるなんて珍しいじゃないか。何かあったのかい?」


『いや…聞きたい事があったのだが、少々気が削がれた。今夜また連絡するから時間を空けておけ』


「いいけど…念話? あ、使い魔越しかな?」


『当たり前だろう。俺がいるのは学園、王都だぞ。長距離転移でもせねば直接会うなど不可能だ』


「そっか、残念。久しぶりに君の顔が見たかったのだけれどね」


『気色悪い事を言うな』


「酷いなー」


 軽口を叩き、肩を竦めつつも、何処かこの会話を楽しんでいる様子のラース。


「夜だね、良いよ。丁度今期の売り上げの話もしたかったし」


『いらん。どうせ右肩上がりの業績自慢だろうが。話は終わりだ、接続を切るぞ』


「ああ、また夜に」


 ローファスは溜息混じりに使い魔から意識を切ろうとして、ふとラースを見据えた。


『…ラース』


「なにかな?」


『先日、新歓合宿があったのだが、貴様…何かしたか?』


「新歓…? 身に覚えは無いけど、何か変わった事でもあったのかい?」


『…いや、良い』


 ローファスは拭い切れない疑惑から、一先ず目を背ける。


 使い魔による二十四時間の監視体制の中、ラースの動向や魔力に不審な点は見られていない。


 そもそも、殆ど魔力が無いラースに何かが出来る筈も無い。


 そう結論付け、ローファスは使い魔から意識を切った。


 フロアボス大狼ジェヴォーダンが、本来とは違うタイミングで暴れ出したのは、生徒の動きが変化した事により生じた偶然だったのだろうか。


 それにしてはアステリアを執拗に狙っていた様だが、それも偶然?


 意識を本来の肉体に戻したローファスは、疑問を抱きつつも目を開ける。


 隣に、誰かが座っていた。


「やあローファス。うたた寝かい?」


「…レイモンドか」


 覗き込む様にして微笑むレイモンド。


 手には自分の分のコーヒー(ローファスのポットからちゃっかり拝借した)があった。


「いつから眠っていたんだい? このコーヒー、もう冷めてるよ」


「…ミルクと砂糖は無いぞ」


「良いよ。今は苦いのを飲みたい気分だ」


 レイモンドはくいっとどす黒いコーヒーを一気に飲み干した。


 そして、少しだけ表情を曇らせる。


「…新歓合宿を終えてから、アステリアの様子がおかしいんだ」


 ローファスは思い当たる節がありつつも、黙って耳を傾ける。


「既に知っているとは思うが、先の新歓合宿にてダンジョンのフロアボスが暴れ、アステリアはその被害に遭った。幸い、教師の助けもあり軽傷で済んだ様だが」


「…そうか。それで、様子がおかしいとは?」


「その…アステリアは、アベルという平民の生徒がフロアボスを倒したと言っている。命の恩人は教師ではなく、そのアベルだと。しかし、そのアベルという生徒は、教師達に助けられたと証言しているらしい」


「ほう」


「アステリアから、その…もしも学園側が面目を保つ為にアベルを脅して口封じをしているならば、助けてあげて欲しいと頼まれてね。いや、頼られた事自体に悪い気はしていないのだが、そのアベルという男の事を語るアステリアが…何と言うか、まるで恋する乙女の様で…——ローファス。気持ちは分かるが、そんな面倒そうな顔をしないでくれ」


 露骨に嫌そうな顔をするローファスに、レイモンドは肩を竦める。


「何故そんな相談を俺にする? もっと適任がいるだろう」


「ローファスは恋愛ごとに精通しているだろう。ローファス以上の適任を私は知らない」


「ちょっと待て。誰が恋愛に精通していると? 何処の情報だそれは」


 とんだ風評被害だと睨むローファス。


 レイモンドは不思議そうに首を傾げた。


「いや、何処の情報も何も私の見立てだが。屋敷に居た黒髪の女中…彼女とは深い仲だろう。それにヴァルムの妹。最近だと、アンネとも良い雰囲気…」


「…止めろ」


 ローファスは忌々し気に表情を歪め、レイモンドの言葉を遮る。


「勘違いも甚だしい。どうやら貴様には人を見る目が無いらしいな」


「おや、違ったかい? ふむ…観察眼には自信があったのだが」


「そうか。ならば貴様の目はガラス玉だ」


 ローファスは「言うに事欠いて、セラにアンネゲルトだと…ふざけた事を」とぶつくさ言いながら冷めたコーヒーを呷る。


 と、ここでローファスは疑問を抱いた。


「…ん? 相談の内容は婚約者のアステリアの件だろう。何故恋愛の話になる? 貴様等の婚約は家同士の政略的なものではなかったか?」


「悪いか」


 レイモンドは、神妙な顔でローファスを見据える。


「私が婚約者に…アステリアに惚れていては、悪いか」


 レイモンドの真っ直ぐな言葉。


 ローファスは、マグカップを落とした。

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