62# 空賊リルカ
リルカとローファスは、無事に飛空艇に帰還した。
そしてローファスは直ぐに、ベッドで安静にしているイズの元へ赴き、風土病の治療に取り掛かった。
そこまで広く無いイズの寝室に《緋の風》の面々が顔を揃え、治療を見守った。
イズの身体には随分と魔素が蓄積されており、豹紋の痣は身体中に巡っていた。
身体に強く根付いた魔素を取り除くのに時間こそ要したが、
身体から痛みが消えたイズは、目をぱちくりとさせながらローファスを見る。
「…治った、のかい?」
そう問われたローファスは、魔力探知を繰り返し行使し、イズの身体に魔素が残っていないかを確認する。
そしてローファスは、口角を上げた。
「…喜べ、病は完治した。だが再発する可能性は0では——むぐっ」
言い終わる前に、イズはその身を乗り出し、ローファスを自分の胸に抱き寄せた。
「まさか…まさか本当に治るなんて! お貴族様…いや、ローファス様か。なんて礼を言ったら良いか!」
涙ぐみながらも痩せたか細い手でローファスを抱き締めるイズ。
ローファスはもがき、どうにかイズの手から抜け出した。
「貴様、突然何を…!」
「うおおおおおおお!!」
イズから離れたローファスに、シギルが雄叫びを上げながら走り寄る。
今度は何だ、と驚き身構えるローファスに、シギルは両手を広げて抱き付いた。
「ローファスさぁぁぁぁん!!」
「な、離せ貴様! おいホーク! この馬鹿を引き剥がせ!」
ローファスに呼び掛けられ、ホークは丸縁グラサンをクイっと上げる。
そしてスタスタと歩いてローファスに抱き付くシギルの背後に回り——そのままローファスに抱き付いた。
「アンタ最高だ、ローファッさぁぁぁん!!」
「貴様もかホーク!?」
大の男二人に抱き付かれ「離れろ貴様等!」と怒声を上げるローファス。
そんな光景を見たケイとダンは顔を見合わせてニッと笑うと、二人でローファスに突撃した。
「んだよ、俺等も混ぜろよー」
「…感謝!」
「来るな暑苦しい!」
男四人に纏わりつかれて悲鳴を上げるローファス。
そんな賑やかな様子を尻目に、リルカはベッドに腰掛けるイズにぎゅっと抱き付いた。
「…間に合って、良かった」
離れようとしないリルカの頭を、イズは笑って撫でる。
「助かったよ、リルカ。アンタのお陰だ」
「私の? 何言ってんの、ロー君のお陰じゃん。私は何も…」
「そうかい? そうかもね」
リルカの瞳に浮かぶ涙を、イズは優しく拭う。
そんな二人を、エルマは優しく抱き寄せる。
「やっと女トリオの復活ね。全く、馬鹿な男共の面倒見るの大変だったんだから」
「エルマ、アンタにも世話を掛けたね」
「本当よイズ。リハビリなり何なりして、早く元気になんないと。また皆でダンジョン潜るんだからね」
涙ぐみながらも、微笑み抱き合う女性陣。
「よっしゃ! イズの快気祝いだ! 今晩は飲むぞぉ!」
「「「うおぉぉぉ!!」」」
シギルの言葉に、男三人が同調の声を上げる。
「良いね、久しぶりの酒だ!」
「ちょ、イズは病み上がりなんだから!」
テンション高めに両手を上げるイズに、それを止めるエルマ。
わいわいと賑やかな《緋の風》の面々を尻目に、ローファスは叫ぶ。
「分かったから良い加減離れろ! 暑苦しいと言っているだろうが!」
ローファスの声は、騒ぎの中でかき消された。
*
時刻は深夜。
聖竜国から王国ライトレス領への帰還途中。
飛空艇の運転席は無人。
飛空艇は現在、自動運転モードに切り替えられていた。
船内のバーラウンジでは、酔い潰れた男達がそこらかしこでダウンしていた。
酒瓶を抱えたまま床に転がるシギル、カウンターに突っ伏すホーク、テーブルの上で仰向けに寝そべるケイ、端で仁王立ちしたままいびきをかくダン。
女性陣の姿は無い。
酔い潰れたイズは、エルマが早々に寝室へ連れ戻し、エルマ自身もそのまま自室に戻った様だった。
つい今し方まで飲み続け、ローファスを離そうとしなかったホーク。
ホークが潰れた事で自由になったローファスは、溜息混じりに席を立つ。
「…ローファスさぁん、俺ぁ一生、ローファスしゃんにちゅいて行きましゅよぉぉ」
「貴様なぞいらん。付いて来られても迷惑だ」
呂律の回らぬ寝言を発したのはシギルだ。
ローファスはそれに吐き捨てる様に返しながら、バーラウンジを後にする。
今は一先ず、夜風に当たりたい気分だった。
飛空艇、甲板。
障壁が外部から来る気圧を防いでいるお陰で、飛行している時には程良い風が吹き抜け、雲の上から見える地上の景色は正に絶景。
《緋の風》の面々からしたら見慣れた光景であろうが、ローファスは甲板から見える景色を密かに好んでいた。
ローファスは酔っ払いの相手から解放され、疲れた顔で甲板に出た。
ローファスがいつも決まって寄り掛かる手摺、そこには先客が居た。
月明かりを浴びて黄色く反射する髪が風に靡く。
《緋の風》の面々がわいわいと騒ぐ中、いつの間にか姿を消していたリルカは、どうやら甲板に居たらしい。
リルカはローファスが来た事に気付くと、少し横に移動し、スペースを空けた。
ローファスは遠慮無くリルカの隣に付く。
「貴様一人で避難とは、良い身分だな」
「皆、酔うと凄かったでしょ。昔っから、揃いも揃って酒癖悪くてさぁ…でも、こんなに騒いだのは久し振りかも。イズ姉が風土病に掛かってからは、こんなに騒いだ事無かったから」
「確かに、前にデスピアを倒した時も、こんなに騒いではいなかったか」
「…あ、前回の話? 懐かしいなぁ。あれはあれで騒いでた方だよ。イズ姉が亡くなって以来、一番騒いでた」
リルカは思い出に浸る様に、切なそうに目を細める。
「そう言えばロー君、酔っ払いの相手するの小慣れてる感じだったね。こう言うの、もしかして初めてじゃない?」
リルカにそう聞かれ、思い出されるのはローグベルトでの宴の夜。
貴族のパーティでは考えられない程に賑やかで、それはローファスからすれば衝撃的なものだった。
「…まあな」
「へぇ、少し意外かも。ロー君ってわいわい騒ぐの、あんまり好きじゃ無さそうなイメージだったから」
「貴様の見立て通り、好きでは無い。何故か毎度巻き込まれる」
「ふぅん?」
「貴様も、酒を飲んだ様だな。顔が少し赤いぞ」
「…ん、少しだけ。結局前回は飲まなかったから。でも、あんまり美味しいもんじゃ無いねぇ」
始めて飲んだ酒の味は微妙だったのか、「皆何で好きなんだろ?」と苦く笑うリルカ。
「貴様、未成年だろう」
「真面目だねぇ。私は空賊だよ? 王国法なんて守る訳無いじゃん。それに精神的には大人だし」
「酒の味も分からん大人、か?」
くくっと笑うローファスに、リルカはむくれる。
「そ。精神的にはロー君よりお姉さんなの。もっと甘えてくれても良いよ?」
「誰がお姉さんだ」
ローファスとリルカの何気無い談笑。
それは敵同士だった頃からすると、考えられない光景。
ローファスとそんな何気無いやり取りをする度、リルカの心はチクリと痛んだ。
前回、ローファスを殺した事を後悔はしていない。
しかし、ローファスとこうして話していると考えてしまう。
前回、あんな強硬手段に出ずとも、話し合いで解決出来たのでは無いか。
分かり合える未来があったのでは無いか。
否、きっと前回の《影狼》のローファスは、話し合いでは決して止まらなかった。
しかし、アベル達主人公勢力は、対話という手段をかなり早い段階から諦めていたのも事実だった。
四天王の中でも、特に《影狼》のローファスに対しては。
ファラティアナの件もあったが、何より《影狼》のローファスの影の使い魔による被害が大き過ぎたのも一因だった。
故に後悔は無いが、やはりリルカの中では感情的に割り切れないものがあった。
リルカはローファスをじっと見据え、口を開く。
「…ロー君はさ。私が憎くないの?」
*
唐突なリルカからの問いに、ローファスは眉を顰めた。
「なんだ、藪から棒に」
「前回、ロー君は私達に殺されたでしょ。普通は多かれ少なかれ、怒りや憎しみを抱くものじゃない?」
「また、“前回”の話か」
面倒そうに目を逸らすローファスに、リルカは眉を顰める。
「前回が全ての始まりじゃん…私達にとっては、重要な話でしょ」
「…
「なんでそう無関心でいられるの…? ロー君、私達に殺されてるんだよ?」
理解出来ないと言った様子で表情を歪めるリルカ。
ローファスはその目から、感情が消える。
「殺した、か…リルカ、貴様は俺を何度殺した?」
「…は?」
ローファスからの突然の問い。
リルカはその意味が分からず、言葉に詰まる。
「言ってみろ。何度殺した」
「え、それは…一度、だけど」
意図の分からない問い掛けに、リルカは困惑しつつも答える。
厳密には止めを刺した訳では無いが、ローファス殺しに加担したのは間違い無い。
ローファスは詰まらなそうにリルカから視線を切り、そして口を開く。
「…20,802,001回」
「…は?」
ローファスが発した数字に、リルカは意味が分からず眉を顰める。
「…え、なに。何の数字?」
ローファスはその黒き瞳を、光の届かぬ深淵の如く闇に染めながら、リルカを見る。
「二千八十万二千一回…俺が、貴様等アベルとその仲間共に殺された回数だ。一度たりとて、片時たりとて忘れた事は無い」
闇に染まるローファスの目に、リルカは飲まれた様にへたり込む。
「二千、万…? なに、それ…どういう…」
リルカが持つのは前回の記憶。
言ってしまえば、リルカの記憶はそれだけしかない。
その事から、リルカはこの世界が二周目と考えていた。
しかし、まさかこの世界は、二周目どころではない…?
「まさか…繰り返されてるって事…? 何度も何度も…」
「そんな事は知らん。だが一つ言える事は、俺を殺した連中の中に、貴様は居なかったと言う事だ」
「居なかったって…」
リルカの呟きに、ローファスは首を横に振って否定する。
それは、アベル達主人公勢力の中に、リルカが居ない世界があったと言う事…では無い。
「勘違いするな。アベル達の中にリルカ・スカイフィールドは確かに居た。だがそれは、“貴様”では無い。貴様とは別の誰かだ」
「…何で、そんな事分かるの?」
「分かる。貴様とはそれなりに話し、触れ合った。決して浅く無い付き合いだ。だからこそ——分かる」
ローファスは真っ直ぐにリルカを見つめ、赤く腫れた目尻から頰に伝う涙を、優しく拭う。
それはまるで、慰める様に。
リルカはローファスの手を握り、不安そうに問う。
「私…ロー君を殺してないの…?」
「貴様は俺を殺していないし、俺も貴様に殺されていない。だから、俺と接する上でその罪悪感は捨てろ。俺と貴様の間に、それは邪魔だ」
「…っ」
リルカは、ローファスの手を握り締め、静かに嗚咽を漏らす。
リルカの中でローファスの存在が大きくなる程、前回手に掛けたと言う事実はリルカ自身を苦しめていた。
その上イズの病の進行もあり、リルカはここ二年、片時も心休まる時が無かったのだ。
心身共に限界に近かったそんな折——
イズの病も無事完治し、その上自分は、目の前の恩人を——ローファスを殺していないと告げられた。
リルカは、押し留めていた感情が決壊した様に泣いた。
そんなリルカに、ローファスはただ黙って寄り添う。
リルカが泣き止む、その時まで。
*
水平線の先が白く染まり始めていた。
太陽こそ出ていないものの、それは夜明けの合図だった。
飛空艇の甲板。
ローファスの膝を枕に寝ていたリルカは、目を覚ました。
「…ロー、君?」
「目覚めたか。丁度夜明けだ」
ローファスの言葉に、リルカはふと周囲を見回す。
そして昨晩、泣き疲れてローファスの膝の上で寝てしまった事を思い出す。
頰を朱に染め、リルカは勢い良くローファスから離れる。
「ご、ごめん! 私、寝ちゃって…」
「良い。昨日は広範囲の不可視化に魔力遮断と、随分と無理をさせたからな」
「それを言ったらロー君だって」
「あの程度の魔力消費、俺からすれば大した事は無い」
「あれで大した事無いって…」
ローファスの相変わらずな魔力お化け振りに、リルカは呆れた様に溜息を吐く。
「ま、ロー君だもんね」
そう言いながら、リルカは腰掛けるローファスの隣に座ると、その肩に頭を預けた。
ローファスも、それを払い除ける事無く受け入れる。
「ねえ、ロー君」
「なんだ」
リルカに呼ばれ、ローファスは静かに返す。
リルカは少し間を開け、口を開く。
「私達、恋人の振りをしてるよね?」
「…そうだな」
「それ、もう終わりにするべきだと思って」
リルカの言葉に、ローファスは目を細める。
「元より、貴様が始めた関係だ。終わりにするのも貴様の自由だ」
「…」
暫しの沈黙。
ローファスが口を開く。
「まあ、イズの治療も無事に終えた。これ以上続ける意味は無いしな」
「…そう言うんじゃ、無くてさ」
「あ?」
「その…イズ姉の治療が済んだから、もうロー君が必要無いとか、そう言う事じゃ無くて」
「今更取り繕う必要は無い。元よりそれも折り込み済みの関係…」
「だから、そうじゃ無いって。聞いてよ」
リルカは少しムッとしてローファスの襟を掴む。
「…今更だけどさ、恋人の振りなんて、あまり良い状態じゃ無いでしょ」
「本当に今更だな。二年だぞ」
「…ごめん。本当にごめん」
リルカは目を伏せる。
「…ロー君は、私との関係をこのまま続けたい?」
「そんな訳無いだろう」
目を伏せたまま、絞り出す様に問うリルカに、ローファスはにべも無く否定する。
リルカは少しだけ寂しそうに笑った。
「でしょ? 私も、このまま振りを続けるのは良くないと思う。だから、この関係はこれで終わりなの。それに——ロー君にはファーちゃんが居るんでしょ?」
リルカの言葉に、ローファスは目を細めた。
「ファーちゃん…ファラティアナの事か。貴様が何故…何処まで知っている?」
「何故って、知ってるに決まってるじゃん。私、一応他の使徒を探してたんだよ? 元仲間とか、使徒候補の筆頭だし。そりゃ調べるよ」
「…フォルには会ったのか?」
「フォル! へぇ、愛称で呼んでるんだー? 私の事は全然リリィって呼んでくれないのにー」
「茶化すな」
ニヤニヤ笑うリルカに、ローファスが睨む。
リルカは肩を竦めて見せる。
「会ったよ。その時に色々聞いた。貴族になったら結婚、だっけ?」
「…フォルがそう言っていたのか? 随分と飛躍しているな。結婚の約束までした覚えは無いのだが」
「…でも、想いに応えるんでしょ。なら、結婚は妥当なんじゃない?」
「元はと言えばそれも…いや、良い」
ローファスは諦めた様に肩を落とした。
リルカはとすんとローファスの胸に頭を預ける。
「…私、ファーちゃんの恋を応援するって言ったの。だから、このまま恋人の振りを続けるのは不誠実でしょ。だから、これで終わり」
「応援とは勝手な…だが、貴様が終わりと言うなら、それで良い」
少しだけ寂しそうに、ローファスは言った。
「…ロー君」
「今度は何だ」
「殺してごめんね」
「…何度も言わせるな。貴様が殺したのは俺ではない」
「うん、分かってる。それでも、ごめん。これは私の自己満足」
「…つくづく貴様は、勝手な奴だな」
こうしてローファスとリルカの二年にも及ぶ仮初の関係は、幕を閉じた。
《緋の風》とローファスは、間も無くライトレス領に帰還する。
又、この後にローファスは、リルカから聖女フランとの関係を根掘り葉掘り聞かれ、その流れで夢で見た“物語”の事、そして魔の海域で魔鯨に遭遇した情報の共有を行う事となる。
その際にリルカは、聖女フランとの関係についてやけに執拗に探りを入れていたのだが、それはまた別の話。
*
天空都市の一件から、一月程経過した頃。
ライトレス領別邸に、一人の客人の来訪があった。
ローファスも何かと忙しい身である為、事前のアポイントメントが無く、その上身分不詳の者は、当然門前払いだ。
しかしその客人は、対応した使用人にこう言った。
“《影狼》——そう主殿にお伝えを”
それを聞いたローファスの指示で、その客人は即座に客間に通された。
ローファスは義手にポーションを仕込み、ユスリカから貰った治癒の護符を胸に、万全の体制で客間へ向かう。
客間で待っていた客人は、一人の少女だった。
白い髪に、黒衣を身に纏った、妙な気配の少女。
現在はもちろん物語を通して見ても、見覚えの無い顔だった。
少女はローファスを見ると、
「過去未来現在含め、君とこうして顔を合わせるのは初めての事。だから敢えて、この言葉を送るよ——初めまして。僕は“物語”一章のラスボス、魔王ラース。“物語”二章の四天王《影狼》のローファスよ。ずっと、君に会いたかった」
それを聞いたローファスは、己が手の中に
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