61# 風神

 ——リリィ…


 そんな、エルフ王の耳を疑う様な呟き。


 それを聞いたローファスは、視界が暗転して切り替わる。


 風化と老朽により随分と寂れていた王座の間は、気が付けばその様相を大きく変えていた。


 磨き上げられた床に真紅のカーペットが敷かれ、石造りの壁には幾つもの深緑色の旗が掲げられている。


 旗には、まるで国の象徴であるかの様に、月桂樹の枝葉を咥え両翼を広げた鷹の紋章が刺繍されている。


 玉座、その上に浮かぶ巨大な人造魔石も、実に煌びやかであり老朽の色は見られない。


 まるで文明が滅ぶ前の光景に戻った様な、そんな錯覚をローファスは受けた。


 傍にいた筈のリルカの姿も無く、ローファスは眉を顰める。


 何が起きた?


 ローファスが警戒を露わにしながら魔法障壁の強度を強めていると、王座の間の巨大な扉が勢い良く開かれた。


 王座の間に風を切る様に入って来たのは、黒衣の男。


 深淵の如き黒髪に、見る者全てを萎縮させる様な冷たい視線。


 少しだけルーデンスに近い雰囲気をローファスは感じた。


 ローファスはその男を見るのは間違い無く初めてであるが、直感する。


「暗黒神…?」


 以前、リルカが口にした暗黒神の特徴と一致する。


 ローファスが身構えていると、暗黒神は不機嫌そうに眉間に皺を寄せ、その口を開く。


『約束通り、この者は貰い受ける』


「…は?」


 暗黒神が口にした言葉に、意味が分からずローファスは眉を顰める。


 暗黒神の背後より、一人の少女が恐る恐る顔を覗かせた。


 それはエルフ王と同様に長い耳が特徴的な——エルフの幼子。


 その直後、ローファスの背後より怒声が響いた。


『巫山戯るな! 人間風情が我が娘を! 者共出合え! この無礼者を即刻捕らえよ!』


 それは、先程影の使い魔に仕立てたエルフ王の声。


 その声は玉座より聞こえるが、姿は無い。


『兵は来ぬ』


 短く、冷たく言い放つ暗黒神。


 その視線はローファスでは無く、玉座の方に向けられていた。


 まるでローファスが見えていないかの様な暗黒神。


 その光景に、ローファスは目を細める。


「これはまさか、過去の…?」


 ローファスが推測を口にした瞬間、目に見える光景にピシリと罅が入った。


 その亀裂は広がり、まるで空間が破れる様に砕け散った。


 そして現れた光景は、風化し老朽化した王座の間。


 暗黒神も、その後ろに隠れるエルフの幼子の姿も無い。


 そして、リルカの姿も無かった。


 そこにはただ、玉座に腰掛ける耳長の少女の姿があった。


 その少女は、先程まで暗黒神の後ろに隠れていた少女と何処となく似ていた。


 先程の幼子が成長すれば、丁度この少女の様になるだろう。


 幾度と移り変わる光景に、ローファスはまた過去の光景か、と眉を顰める。


 しかし、その玉座に腰掛けるエルフの少女は、その視線をローファスに向けた。


『…やっと会えたね、ローファス』


 エルフの少女は、ローファスを見て親し気に微笑んだ。


「…! 貴様、何者…いや——」


 てっきり過去の光景と思っていた存在に突然声を掛けられ、ローファスは驚きつつも、その少女の姿を見据える。


 そして、思い至る。


 その容姿は、以前リルカから聞いた事があった。


「——風神、か」


『ご明察。頭の回転が速いね、君は』


 エルフの少女——風神は、まるで孫でも見るかの様な目で優しく目を細め笑う。


『…さっきは悪かったね。妙な光景を見せてしまった。バールデルを介したのが悪かったかな。彼の記憶が投影されてしまった』


 先の、過去と思われる光景。


 どうやら、ローファスにそれを見せる意図は無かったらしく、風神は何処か気恥ずかしそうに苦笑する。


「バールデル…エルフ王か。そう言えば、そう名乗っていたな。さっきのはやはり過去の光景か」


 ふむ、とローファスは名乗りを上げながら襲い掛かって来たエルフ王を思い出す。


「貴様、リルカがどれだけ呼び掛けても反応が無いと言っていたが?」


『…力を使い過ぎてね。もう暫くは導は出来ない。本来僕達神は、人間相手に過度な接触をしたら駄目なんだ。例え、使徒相手でもね』


 肩を竦めて見せる風神は、『まあでも』と続ける。


『リルカの願い——イズの病の治療は無事出来そうだね。君に引き合わせた甲斐があったよ』


 微笑む風神に、ローファスは目を細める。


「それで、要件は何だ。態々この様な場を設けたと言う事は、話があるのだろう?」


『そう、僕は君と話したい事があってこの場に呼んだ。しかし、君って奴は…』


 くくく、と何か思い出したかの様に風神は笑う。


『この状況で色々と疑問はあるだろうに、先に要件かい? 無駄嫌いの暗黒神エイスに良く似ている』


 声を堪えながらも、いつまでも腹を抱えて笑う風神。


 ローファスより刺す様な視線を受け、風神は「ごめんごめん」と苦笑する。


『エイスって言うのは暗黒神の愛称さ』


「そんな事は聞いていない…要件が無いなら俺を元の場所に戻せ」


『悪かったよ、本題に入ろう』


 風神は仕切り直す様に咳払いをすると、笑みを消してローファスを見据えた。


『君をここに呼んだのは他でも無い。取引をする為さ』


「取引だと?」


 ローファスは眉を顰め、風神は続ける。


『君にある事をして欲しい。その見返りに、僕は今後、どの様な未来が訪れようと、ローファス・レイ・ライトレスに味方しよう』


「はあ?」


 風神からの提案された取引の内容に、ローファスは目を細める。


『話が突飛過ぎたかい? しかし君は未来の知識を持っているのだろう。ならば、この条件は悪く無いと思うけれど』


「…」


 風神の言葉の意味を、ローファスは思案する。


 風神が味方となる、その意味を。



 ローファスは、物語に於ける二章の出来事を思い出す。


 物語二章に於いて、アベル達主人公勢力は第二の魔王レイモンドと、それに従う四天王を打ち破った。


 しかし、レイモンドや四天王の実力は、たったの五人で大陸随一の魔法国家である王国を数日で落とす程に強力無比で絶対的なものだった。


 本来であれば、アベル達の実力ではどう足掻いても勝てる筈の無い戦いだった。


 しかし、アベル達は勝利を納めた。


 その要因。


 それは六神の加護。


 アベル達主人公勢力は、四天王戦の前に六神所縁の地にある祠を巡り、それぞれの神から加護を受けると言うシナリオがあった。


 六神は、王国の建国に深い関わりを持った六柱の神である。


 六神は、人類、及び王国に仇なすレイモンドと四天王を打ち倒す為、アベル達主人公勢力に加護を与え、その力を大幅に強化した。


 そして、それにより強力な属性魔法の奥義を行使出来る様になっていた。


 絶大な力を持つレイモンドや四天王と戦えるだけの力と技を、六神の加護により得たのだ。


 元々無神論者であったローファスは、夢を見た当初こそ、このシナリオによる主人公勢力の強化は、居もしない神の加護等と言う不確かなものではなく、思い込みや自己暗示に近いものと言う認識だった。


 しかしながら、六神は確かに存在しており、時を巻き戻すだけの力があった。


 人に加護を与え、強化する位ならば容易くやってのけるだろう。


 ローファスからすれば、敵対する者が、またその様なインチキめいた強化をされてはたまったものではない。


「味方する…とは、アベル達に“加護”を与えない、と言う事か?」


 ローファスの問いに、風神はにんまりと笑う。


『当然。それに、それだけではないよ。君個人に対して、変わらず友好的であり、全面的に協力する事を約束しよう』


「…それは、悪くない話だな」


 六神のうち、一柱がローファスの側に付く。


 それはローファスの目的である“無惨に殺されず、生存する”事に大きなプラスとなるだろう。


 しかし…


「悪くない、寧ろ良過ぎる。裏があるとしか思えん程にな」


 それを素直に受け入れる程、ローファスの警戒心は緩くはない。


 ローファスより疑惑の目を向けられた風神は、苦笑する。


『嘘を警戒しているんだね。そこは安心して欲しい。僕達神は、嘘を吐けない。神であるという事は、世界に縛られると言う事。出来る事が多い代わりに、その分多くの制約を受けている。真実しか口に出来ないのもその制約の一つ』


「真実しか口に出来ない、それが事実である保証は無い。仮に事実だとしても、相手を騙す方法なぞ幾らでもある。嘘を吐かずとも、重要な情報を口にしない事で誤認させ、勘違いさせたりとかな」


『んー…疑り深いねー。こればかりは僕の言葉を信じて貰うしかないのだけれど』


 困ったなー、と悩まし気に首を捻る風神を、ローファスは睨む。


「俺が納得出来るだけの理屈を言え。何故そこまでの譲歩をする。貴様が俺にして欲しい“ある事”とやらは何だ」


『重ねて言おう。君に味方する事で他の六神と敵対する事になろうとも、僕は変わらず君の協力者であり続けよう。そこまで譲歩する理由は、僕が君に頼む“ある事”が、僕自身の願いに直結するからだ』


「他の六神と敵対する事になっても叶えたい願いがある、と? その、俺にして欲しい“ある事”とは何だ」


『…君にお願いする事、それは——』


 風神は、言葉を選ぶ様に“ある事”を口にする。


 ローファスは黙ってそれを聞き、そして怒りの形相を浮かべた。


「巫山戯るな。この期に及んで、質の悪い冗談を…!」


『言ったろう。僕は真実しか口に出来ない』


「尚悪いわ!」


 ローファスはその身から、怒りに任せて高密度の魔力波が発せられる。


 その魔力波に空間が耐えられない様に歪み、亀裂が入る。


「それをして、貴様に何の得がある!? そこから繋がる貴様の願いとは何だ!?」


 ローファスの怒声と魔力波をその身に受けながら、風神は不思議そうに首を傾げる。


『…何故、そうも怒る? 君にとってもリルカにとっても、決して悪い話では無い筈だ』


「何を勝手な。貴様がリルカの何を知っている」


 ローファスの言葉に、風神は目を鋭く細める。


『言葉を返すが、君の方こそリルカの何を知っている? 言っておくが、僕は君よりは余程、彼女の事を理解しているよ。彼女の事は、赤子の頃よりずっと見て来たんだ』


 風神の威圧を受け、ローファスは深く息を吐く。


「そうか…そう言う事なら、話は決裂だ」


『別にこの場で返答する必要は無いよ。ただ“そう”する事がより良い未来となる。これは神の啓示だと思って欲しい』


「言ってろ邪神が」


 吐き捨てるローファスに、風神は困った様に微笑む。


『こちらの要件は終わりだ。悪かったね、君を不快にさせる意図は無かった。リルカとは今後も仲良くしてやって欲しい』


 そう口にした風神は、その存在感が薄れ始める。


 周囲の光景が陽炎の如く揺れ始め、空間が終わりを告げようとしていた。


 ローファスは慌てた様に声を上げる。


「待て! こちらからも聞きたい事が幾つも…くそ! 何故俺には六神の接触が無い!? 俺は六神の使徒では無いのか!?」


 ひび割れていく空間、そして薄れゆく風神。


 そんな中、風神は答えた。


『…ごめん、僕には君が使徒なのか分からない。六神の間でも、選んだ使徒の情報は開示していないんだ』


 風神は『ただ』と続ける。


暗黒神エイスは相性的にも君を選ぶとは思う。六神所縁の地に行けば、接触し易い筈。彼の墓に行くと良い。君の領地にあるだろう、暗黒神アレイスター・レイ——君のご先祖様の墓が』


「は?」


 唐突な事実を告げられ、ローファスは頭が働かぬままに空間が砕け、視界が暗転した。



 ——くん…


 ——君!


 木霊する声。


 暗転していたローファスの視界は、周囲の光景を鮮明に写す。


「ローファス君!」


 繰り返されるリルカの呼び掛けに、ローファスの意識は戻った。


 立ったままローファスに、リルカが心配そうな顔で縋り付いていた。


 ローファスは未だに朦朧とする意識の中、億劫そうに呟く。


「…耳元で騒ぐな」


「ロー君! 良かったぁ…」


 リルカは安堵した様にローファスの頰に触れる。


 ローファスは少し疲れた様子でリルカのされるがままにしながら、ふと立ったままこちらを見ている使い魔化したエルフ王が視界に入る。


「…俺の意識は、どれくらい飛んでいた?」


「えっと、一分くらい?」


「一分…」


 ローファスは、もっと長い時間、風神と対話をしていた様に感じていた。


「その王様が急に喋ったと思ったら、ロー君の反応が無くなるんだもん。すっごい心配したんだから」


 言いながら、まるで異常が無いか確認する様にペタペタとローファスの頰や額に触れるリルカ。


 ローファスはそれを煩わしそうに払い除け、口を開く。


「…風神に会った」


「え…まさか、今意識飛んでた時?」


「詳しい話は後だ。一先ず飛空艇に戻る」


「う、うん……あ」


 踵を返して王座の間を後にしようとするローファスに、リルカは声を上げる。


「なんだ」


「いやー…ほら、でっかい魔石あるじゃん? ちょっとだけ貰うの、マズイかな?」


 玉座の上に浮かぶ人造魔石を見ながらそんな事を言うリルカ。


 魔石は高値で売れるのは勿論の事、飛空艇の燃料にもなる貴重品。


 もしも持ち帰れば、きっとシギルやホーク辺りが小躍りして喜ぶ事だろう。


 ローファスは呆れる。


「あれは天空都市が浮く為の動力源だ。下手に触ればここが崩壊する可能性がある」


「う…それは、マズイね」


「…やるならせめて海上でやれ。ここでやると聖竜国が黙っていないだろう」


「ん。そーする」


 そんなやり取りをしつつ、ローファスとリルカは天空都市を後にし、飛空艇に戻った。

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