14# 宴

「坊主ぅぅぅ! 聞いたぞぉぉぉ! その左腕、フォルを庇ってくれたんだってなぁぁぁ!」


 ローグベルトで開かれた宴の席。


 俺は、酒に酔って泣きじゃくるグレイグに絡まれていた。


「近づくな。酒臭いぞ」


「坊主になら、坊主になら、フォルの奴を任せられる。あんな跳ねっ返りだが、あれで、死んだ嫁に似て器量も良い。どうか幸せにしてやってくれぇぇぇ」


「フォル! 貴様の父親が妙な事を口走ってるぞ、何とかしろ!」


 丁度魚料理を持って戻って来たフォルに助けを求める。


「親父は泣き上戸の絡み上戸だからな。いつもの事だから気にすんな」


「貴様を嫁になぞと口走っているぞ」


「なんだ、貰ってくれるんじゃないのか? 同衾した仲だろう?」


 悪戯っぽく笑うフォル。


 フォルの爆弾とも言える発言に、周囲で騒ぐ住民共が歓声を上げた。


 周囲に散らばる暗黒騎士共は、フルメイルの兜の上からでも分かるほど目を剥き、こちらを凝視している。


「ちっ…」


 暗黒騎士に聞かれたか、後で口止めしておかねばな。


 俺が平民の娘と同衾した等と父上に伝わると、色々と面倒な事になる。


「フォル、貴様…」


 フォルのその頬は、グレイグと同様に朱を帯びていた。


「…酒を飲んだな」


「祝いの席だ、飲むだろそりゃ。ローファスも飲めよ、葡萄酒飲めるか?」


「誰が飲むか! 俺はまだ成人前だぞ」


「かってえなー。そんなの言ったらアタシだって成人の歳は来年だぞ」


「貴様も成人前ではないか。父親に似て酒癖が悪いらしいな」


 フォルは、俺に絡んで来ていたグレイグを退ける様に間に入って来ると、そのまま身を任せる様に俺にしなだれ掛かる。


 まるで胸を押し付ける様に密着して来るフォル。


 いつもしていた筈のさらしはどうした?


 どうやらこいつは、もう女である事を隠す気はないらしい。


「近いぞ」


「ローファス、アタシと親父と似てるって、訂正しろよー。なんか嫌だろ?」


「良いから離れろ」


 止めろ、貴様。


 その絡み方、マジで親父と変わらんぞ。


「よう、やってるか?」


 続いてやって来たのは、木のジョッキを片手に、後ろに若い衆をぞろぞろと引き連れたログだ。


 ログは、俺に密着するフォルを見て、フッと微笑むと、俺の卓に置かれた葡萄酒のジョッキ(無論飲まない)に、自分のジョッキを当てて勝手に乾杯する。


 そしてエールと思しき酒を一気飲みし、一言。


「坊主、俺を呼ぶ時は、義兄おにいさんよりは、どちらかと言うと義兄者あにじゃとかの方が嬉しいぞ」


 ここでどっと歓声を上げる、後ろに続く若い衆。


 フォーとか叫ぶな、羽目を外し過ぎだぞ貴様等。


「貴様は、酔っても相変わらずだな」


 俺は酔っ払い共の相手に疲れ、溜め息を吐く。


 全く、こんなに賑やかなのは生まれて初めてだ。


 上級貴族主催のパーティは豪勢で賑やかだが、流石にここまで騒がしくは無い。


 村の宴は、まだ続く。



 ローグベルトの郊外。


 船乗り頭目の自宅付近の丘の上より、ローグベルトで開かれる宴を遠目で見守る老執事の姿があった。


 ライトレス家専属執事カルロスだ。


 これだけ距離があっても、カルロスの目にはしっかりとローファスの姿が写されている。


 魔力を通した目は、視力が格段に向上し、遥か遠くを見通す事も可能だ。


 宴に連れて行かれ、酔っ払いに絡まれるローファスの姿を、まるで孫でも見るかの様に微笑しげに見守るカルロス。


 ふとカルロスの背後の影より、ぬっと音も無く暗黒騎士が現れた。


 暗黒騎士はフルメイルの兜を脱ぎ、その長い白髪を露わにする。


 暗黒騎士筆頭のアルバだった。


 アルバはカルロスの横に立ち、宴の席に座るローファスを見る。


「まさか、あの若様が平民の宴等に参加されるとは…」


 普段感情を表に出さないアルバだが、この時は驚きが隠せていない様だった。


 カルロスも静かに頷く。


「ええ。ここ数日で、坊ちゃんは随分と変わられました。あのフォルと言う少女には特に気を許しているようで」


「あの平民の娘ですか…妙に距離が近い様に感じましたが。まさか関係を持ったので?」


「少なくとも本人達は否定していますよ。私個人の見解としても、まあ無いでしょうね。そもそも坊ちゃんにはまだ早いですよ」


「確証は、無いのですね。それに12歳ならば、家によっては筆下ろしが済んでいてもおかしくない年齢でしょう」


「…万が一あったとしても、坊ちゃんには今の所、正式な婚約者は居ませんし、大した問題は無いでしょう」


「いいえ、もしもその万が一があれば、ヴェルメイ侯爵家との関係が拗れかねません」


 アルバの言葉に、カルロスは僅かに思案する。


「ヴェルメイ侯爵家……ああ、坊ちゃんが成人するまでにヴェルメイ家で女子が産まれれば婚約を結ぶ、と言うあれですね。期限は後三年ですし、そもそもあれは、あってないようなものでしょう…と失礼。アルバ、貴方はヴェルメイ侯爵家の血縁でしたね。貴方が心配しているのはそこでしたか」


「…いえ、私はヴェルメイでも所詮、分家の出ですので。それに今は、ライトレス家に忠義を尽くす身です」


 カルロスは静かに目を伏せ、話題を変える。


「所で、傷の方は大丈夫ですか? 坊ちゃんに手酷くやられていたでしょう」


 アルバが今装備している甲冑は、予備の物であり、ローファスにやられた胴の風穴は今は無い。


 しかし傷が完治している訳でも無く、アルバの腹部は未だにズキズキと痛む。


 だが、アルバはそれをおくびにも出さない。


「問題ありませんよ。カルロス様こそ、昨夜は不眠不休で若様を捜索されていたのでしょう。もうお休みになられては如何ですか? 若様の護衛ならば責任を持って私が務めます故」


「坊ちゃんの護衛を、アルバがですか? 坊ちゃんからは随分と煙たがられている様ですが、務まりますかね?」


「……」


 両者共に目を細め、ピリピリと張り詰めた空気が流れる。


「所で、カルロス様。部下より報告を受けましたが、若様は随分な重傷を負われていたとか。部下が治療を施した上でも、左目の視力は完全には戻らず、左腕も失われたままです」


「そう、ですね」


 カルロスは、黙って目を伏せる。


「…貴方ともあろうお方が付いていながら、この失態、この為体。この責任をどう取られるおつもりで?」


「事の全てはご当主様へ報告致します。ご当主様の采配に、私は従うのみです。無論、ご当主様が望まれるなら、私は如何なる処罰も受けましょう」


「…カルロス様の功績は知っていますが、貴方は老いた。隠居されては如何か?」


「私も、隠居したいのは山々ですが、先日坊ちゃんより、隠居はさせないと宣言されてしまいましてね」


「……」


 普段感情を見せないアルバが、忌々し気にカルロスを睨む。


 カルロスは、それを鼻で笑った。


「アルバ、苛立ちを隠せていませんよ。まだまだ青い。貴方程度では、ライトレスも、ローファス様も御する事などできませんよ」


「——!? わ、私はそんな…」


「ほら、そこで狼狽えない。反逆の意志を疑われても言い訳出来ませんよ」


「く…」


 悔し気に後退るアルバ。


 カルロスは呆れた様に、懐から葉巻を出して火を着ける。


「そもそも、私を追い落とした所で、貴方が坊ちゃんの専属になれるかは別問題でしょう」


「それは…」


 言い淀むアルバに、カルロスは「ああ、そう言えば」と思い出した様に顔を上げる。


「専属と言えば、貴方が送って来た治療術師、彼女はどうも坊ちゃんに気に入られた様で、専属にならないかと誘われていましたよ」


「——は!? そ、そんな報告は受けていな…」


 驚き、目を剥くアルバ。


 それに呆れたカルロスは、葉巻を持った指で指して指摘する。


「顔」


「…う」


 アルバは急いで表情を消し、ポーカーフェイスを装う。


 それを見たカルロスは溜め息を吐いた。


「そんなに坊ちゃんの専属になりたいのですか…」


「…」


「心配せずとも、今夜は忙しくなりますよ」


 アルバは怪訝に眉を細める。


「どう言う事です?」


「いえ。ただ、ここ数日はゆっくり休む暇が無いもので、恐らく今晩も、とね」


 アルバはカルロスの言っている意味が分からず、首を傾げていた。


 *


 月が昇り、夜の闇に包まれた頃。


 ローグベルトの宴も一通り終わり、酔い潰れた船乗り達はローファスの指示にて暗黒騎士達にそれぞれの自宅に運ばれて行った。


 酒に強いのか、船乗り達の中で唯一酔い潰れていなかったログが、いびきを響かせるグレイグを背負う。


 そしてその隣で、ローファスが寝息を立てるフォルを背負っていた。


 それは誰に頼まれたものでもなく、ローファスによる自発的な行動。


 これにはログも意外だった様で、目を丸くする。


「なんだ、一緒に運んでくれるのか?」


「貴様でも、二人背負うのは厳しいだろう」


「いや……まあ、そうだな。助かるよ」


 ログは反射的に否定しそうになり、直ぐに返答を改める。


 大柄なログからすれば、二人分の体重を支えるのは容易だ。


 片方が小柄なフォルならば尚の事。


 だが、それを今言うのは野暮と言うもの。


「で、坊主はどうするんだ?」


 ログに何の脈絡も無く尋ねられ、ローファスは眉を顰める。


「何の話だ」


「フォルの事だ。流石に気付いてんだろ?」


「…」


 ログが言及するのは、ローファスに対するフォルの好意について。


 フォルのローファスに対する態度を見れば、その好意を誰もが察するだろう。


 当然ローファスも、それは感じていた。


「気付くも何も、隠す気が無いだろう、あれは」


「はは、まあな。兄として見ていて恥ずかしい限りだ」


 豪快に笑うログに、ローファスは抑揚の無い声で返す。


「どうするとは、どう言う意味だ。この俺に、どうしろと?」


「兄としちゃ、可愛い妹の気持ちに答えてやって欲しい所だがな」


「…なんの柵もない下民が、言うではないか。世間ではそれを身の程知らずと言うのだ。覚えておけ」


「…そうか、そりゃ残念だ。フォルの初恋は失恋か。泣くかも知れんな…」


「泣かせておけ。元より、俺とフォルでは住む世界が違うのだ」


「そうかね? お貴族様ってのは、もっと我儘で自由奔放なもんだと思ってたが…」


「…知った風な口を聞くな」


 ローファスは苛立たしげに吐き捨てる。


 ログには、そんな悪態をつくローファスが貴族社会というルールに縛られ、身動きが取れなくなった子供の様に見えた。


 強い言葉で周囲を威圧し、必死に身を守ろうとする姿はまるで幼児の様で、憐れみすら覚える。


 いつの間にか寝息の止んでいたフォルが、まるで何かを噛み締める様に、僅かに下唇を噛む。


 それにはログも、背負うローファスさえ気付かなかった。



 通常であれば、貴族が酔っ払いの、ましてや平民を背負って家まで送る等、あり得ない事だ。


 これは、ほんの数日前のローファスなら絶対に行わなかった事。


 そんなローファスの変化を、遠目から微笑まし気に見ているのは老執事カルロス。


 そして、それとは対照的に、暗黒騎士筆頭のアルバは、どこか無機質さを感じさせる目でローファスとフォルを見据える。


 それぞれの思惑が交差する中、夜は更ける。

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