13# 暗黒騎士

 ローグベルトの桟橋に着けた本船は、漆黒のフルプレートアーマーを纏った騎士の集団に出迎えられる形となった。


 漆黒の騎士は皆、同様の甲冑を纏ってはいるが、武器に関してはそれぞれが独自の得物を持っており、統一性を感じられない。


 ローグベルトの浜辺に横並びに整列する漆黒の騎士。


 代表の様に桟橋に上がって来たのはハルバードを持った騎士だった。


 それを本船から見た船乗り達は、一様に警戒を露わにする。


「なんだあいつら…親父は、村の皆は何処だ」


 険しい顔で呟くログ。


「クリントンの手下共め、アタシ達の留守を狙いやがったか!?」


「落ち着け馬鹿者」


 正に飛び出して単身突っ込む寸前だったフォルの首根っこを掴んで止めた。


「な、離せよローファス! あいつら、ただじゃおかねぇ!」


「騎士の掲げる旗を見ろ」


 騎士が掲げる旗、そして騎士が纏うマントに装飾された太陽を喰らう三日月の紋章。


「貴様らも覚えておけ。そして決して忘れるな。あれが貴様らの支配者たるライトレスを象徴する紋章だ」


 俺は足に魔力を通し、外套をはためかせながら単身桟橋に降り立った。


 それに続くように、カルロスも降りて来る。


 出迎えた騎士は、俺の姿を見ると即座に跪く。


 それを合図にするかの様に、浜辺の騎士達も一斉に跪いた。


 漆黒の騎士——こいつらは我がライトレス侯爵家が保有する固有の戦力だ。


 一般騎士の中から選抜された、一人一人が当千の力を持つ実力者達。


 ライトレスの象徴である、暗黒色の鎧を身につける事を許された——人呼んで暗黒騎士。


 その折り紙付きの実力から、単独任務の多い奴らが、こんなにもわらわらと集まりお出迎えとはな。


 俺の目の前で跪く、ハルバードを持つ暗黒騎士は、フルメイルの兜を脱いだ。


 端正な顔立ちの、白い長髪の男だった。


「ご無事で、若様」


「やはり貴様か、アルバ」


 一人一人が当千の力を持つ暗黒騎士の中でも、一際高い実力を持つ男。


 ライトレス家当主である父上の近衛であり、懐刀。


 暗黒騎士筆頭——アルバ。


「貴様が動いたと言う事は、父上の指示か。何故俺がここに居ると分かった?」


「…旦那様が痛く心配されておりました。直ぐに本都へお戻りください」


 アルバの質問の答えになっていない返答に、俺は失笑する。


「答えになっていないな。この俺を舐めているのか貴様」


「滅相もございません。ただ、あまりカルロス様に無理を言わぬ様にと、旦那様より言伝です」


 アルバの言葉に、俺はカルロスを睨む。


 カルロスめ、出掛ける前に父上宛に置き手紙でも残してきたな。


 出立前、父上への報告は事後に俺が行うと言った筈だがな。


「カルロス。貴様、余計な真似を…」


「…申し訳ありません」


 カルロスはただ平に頭を下げ、謝罪の言葉を口にする。


 俺はそれに、舌を打つ。


 全く、本当に余計な事をしてくれたものだ。


「若様、カルロス様も若様を思っての事——」


「黙れ。貴様、俺とカルロスの間に入るとは何様のつもりだ。次、許可無く言葉を発してみろ。その腹に風穴を開けてくれる」


「…御意に」


 不届にもカルロスをフォローしようとしたアルバを黙らせる。


 これは俺とカルロス間の事柄だ。


 例え父上の近衛だろうが、筆頭騎士だろうが、貴様程度が割って入れると思わぬ事だ。


「それよりも、だ」


 俺は暗黒騎士に占領されたローグベルトを見て言う。


「これはどう言う事だ。住民の姿が見えんが」


「……住民にローファス様の居場所を尋ねた所、少々話が通じず、何故か暴動が起きた為、止むを得ず鎮圧しました」


 ローグベルトの住民は、グレイグを筆頭に貴族に属する兵士に対して良い感情を持っていなかった。


 クリントンの私兵に度々略奪や拉致を繰り返して行われていたのだ。


 暗黒騎士の見た目は、質の良い装備からどう見ても野党の類では無く、王国軍部——兵士に属する者達だ。


 こんなタイミングで、兵士と思しき完全武装した集団が来れば、警戒を通り越して即迎撃体制に入ってもおかしくない。


「殺したのか?」


「いえ。暴れる者は拘束、そうで無い者は村の一角に集め、収容しています」


「そうか…」


 もしも村人に犠牲が出ていれば、フォル——ファラティアナとの関係に亀裂が入っていただろう。


 ライトレスの手の者が、ローグベルトの住民を殺害…ライトレスに対して敵対感情を抱くには十分な理由だ。


 俺が左腕を犠牲にしてまでやった事が、全て無駄になる所だった。


 俺は優しくアルバの肩に手を置く。


「…それは良かった。もしも一人でも手に掛けていれば、例え筆頭騎士の貴様だろうが、この俺が手ずから殺していた所だ」


 俺がそう言うと、終始澄まし顔だったアルバの頬に汗が流れる。


「それは…」


「喋るな。それ以上の発言は許可していない。いいか、村の連中を即刻解放しろ。あの船の連中が暴動を起こす前にな」


 本船に乗る船乗り達の視線に気付いたアルバは、静かに頭を下げる。


「…御意に」


 アルバの行動は早かった。


 テキパキと他の暗黒騎士に指示を飛ばし、拘束され、収容された住民達は瞬く間に解放される。


 解放され、いの一番にこちらに駆けて来たのはグレイグだった。


「テメェら! よく無事で帰って来やがったなこの野郎共め!」


 グレイグはログに抱きつき、若い衆一人一人に抱き付いて回り、そしてフォルには逃げられていた。


 ひとしきり再会のハグをした後、グレイグは俺とカルロスに向き直る。


「無事で何よりだ、坊主! 魔物は討伐出来たのか?」


 グレイグが俺を坊主と呼んだ瞬間、周囲の暗黒騎士が殺気立った。


 剣の柄に手を掛ける者までいる。


 俺はそれに、手を出すなと睨みを効かせる。


「思いの外手強かったが、何とかな。詳しくはログかフォルにでも聞け。これで凶暴化した魔物被害も収束し、少しすれば魚も獲れるようになるだろう」


 グレイグは感激した様に目に涙を浮かべる。


「ああ、感謝しかねぇ。俺ぁ、坊主に何を返せば良いんだぁ」


「いらん。下民に何かを返される程、落ちぶれてはいない。それよりも、うちの手の者が手間を掛けたな」


「いや、こっちこそすまねぇ。てっきりクリントンの手下が性懲り無く来たのかと暴れちまった…坊主の所の兵士だったんだな」


 暴れたと言ってもお前達は何も出来ずに即鎮圧された様だがな。


 まあ、うちの暗黒騎士はその辺の兵団を単身で殲滅できる程の実力者がごろごろいる腕利の集団だ。


 こんな寂れた漁村の村人による暴動に手間取る事があろうものなら、それは即解体ものの不祥事だ。


「怪我をした者が居たら言え。うちのに治療させる」


「はっ、心配いらねぇよ。ちょいと小突かれた位で怪我する程、うちの連中は柔じゃねぇ」


 そう言い、豪快に笑うグレイグ。


 そこで、カルロスが口を挟んで来た。


「談笑中の所、申し訳ありません。坊ちゃんは少々お疲れでして、何処か休める場所をご用意頂けませんか」


「お? まぁ、確かにこんな所で立ち話もなんだな。それなら…」


「——うちに来いローファス。うちなら、診療所も近い」


 グレイグが言い終わる前に、フォルが遮る様に出て来て俺の外套を申し訳程度に掴み、誘導する様に引いて来る。


 俺はそれに、溜息混じりに応じて付いて行く。


「お、おい、フォル?」


「こっちだ」


 困惑するグレイグを無視し、グイグイと引くフォル。


 だが、まるで俺を気遣う様に、その歩みは随分とゆっくりだ。


 全く、変な気を使いおって。


 フォルは、俺にだけ聞こえる様に小声で話しかけて来る。


「馬鹿、親父の相手なんかしてる場合じゃないだろ」


「誰が馬鹿だ」


「立ってるのだってやっとだろ…なのに、格好付けて船からあんな飛び降り方しやがって」


「格好付けてない。それに、魔力があるのだから、立って歩くのに支障は無い」


「魔力あっても傷が治る訳じゃねえだろ。強がんなよ」


「強がってない」


 こいつ、どう言うつもりだ。


 この俺に説教じみた真似などしおって。


 そんな俺とフォルのやり取りを、近くでじっと見ていたカルロスが、ぼそっと一言。


「失礼ですが、本当に何も無かったのですよね?」


「貴様まで何を言っている!?」


「何も無いに決まってんだろ!」


 木霊する俺とフォルの絶叫。


 後ろからぞろぞろと続く、ログは神妙な顔で「やはり…」なんて意味深に呟き、グレイグは「えっ…フォルと、坊主が? はぁ!?」なんて驚愕した顔を見せている。


 我ながら思う。


 何だ、この愉快極まり無い喜劇の様なやり取りは。


 各々好き勝手言いおって、ふざけるのも大概にしろよ貴様ら。


 そんな中、終始無言で付いて来ていた騎士筆頭のアルバが、後ろに付いていたカルロスの警戒をすり抜け、音も無く俺の横に来た。


「…!」


 カルロスが目を剥いて驚いている。


 カルロスすら捉えきれぬ程の、気配を消した動き。


 裏を返せば、こいつが暗殺者であればカルロスはそれを止められなかったと言う事だ。


 アルバめ、騎士筆頭の名は伊達では無いと言う事か。


 アルバはじっと、無表情に俺を見つめ、ぼそりと呟く。


「…発言の許可を」


 ああ、そう言えば許可の無い発言を禁じていたな。


「良いだろう。カルロスを抜いた褒美だ。発言を許してやる。言ってみろ」


「では…先程より、若様の足取りに、やや違和感がございます。それにその…若様とやけに親し気なその者の先程からの発言。まさか、お怪我をされているのですか?」


「そうだな。確かに俺は、浅く無い傷を負っている。アルバよ、良い観察力だな、褒めてやるぞ」


 流石は、ライトレスの騎士団の長の座をカルロスから引き継いだ者だけあるな。


「それに、これは推測ですが…若様、よもや片目が…左目が見えていないのではありませんか?」


「そんな事まで分かるのか?」


 何故、そんな事まで分かるのか。


 身体の大半を外套で覆い隠している以上、外見からは傷を負っているのは分かりにくい。


 本来であれば歩く事すら厳しいが、魔力を通して無理矢理歩いている状態だ。


 恐らく、歩行から感じた僅かな違和感と、フォルが俺を気遣う発言から怪我をしていると予測したのだろう。


 これはまあ、優れた観察力があれば気付かれてもおかしくは無い。


 だが、左目が見えない事がバレた理由が分からない。


 無意識に片目が見えない仕草でもしていたのか?


 と言うか、片目が見えない仕草ってどんなだ。


 驚きを通り越して、最早ドン引きだ。


 気持ち悪ささえ感じるぞ。


 アルバはあまり表情を変えないタイプだが、この時は刺す様な目でカルロスを見た。


「カルロス様…貴方がついていながら…」


 殺意すら感じる程の低い声。


 その目に浮かぶのは、カルロスへの怒りと、そして失望。


 カルロスもそれには、目を伏せるのみだ。


「この傷は俺が、俺自身の責任で負ったものだ。これ以上は言わせるなよ」


「…は。出過ぎた真似を致しました」


 俺の言葉に、アルバは潔く引き下がる。


「…終わったか? もう直ぐそこだから、早く行こうぜ」


 痺れを切らしたフォルが指差す先には、丘の上に立つ木造の平家があった。


 期待していた訳では無いが、良くも悪くも下民らしい家だ。


「ボロいな。隙間風が凄そうだ」


「うっせえな。野晒しよりはマシだろうが。良いから入れっ」


 フォルにぐいぐいと背を押され、家の中に通される。


 と、ここでアルバが、俺の背を押していたフォルの手首を取った。


「あ?」


 突如手を握られ、呆気に取られるフォルを、アルバは感情の無い目で見る。


「君、先程から若様に対し少々無礼が過ぎる。若様とは随分と親密な様だが…君は、女か? いや、まさかとは思うが、若様とはどのような関係…」


 俺は暗黒球ダークボールを放ち、くだらぬ事をほざくアルバを吹き飛ばした。


 吹き飛んだアルバは、平屋の玄関を半壊させ、そのまま外の岩場にめり込んだ。


 突然の出来事に騒然とする周囲を他所に、俺は岩場にめり込んだアルバの元まで歩き、冷たく見下ろす。


 アルバの胴甲冑は、俺の暗黒球ダークボールを受けて風穴が開いており、アルバの鍛えられた腹部が露出していた。


 まさか、俺の魔法の直撃を受けて貫通しないとはな。


「いつ、俺が発言を許した? 下らぬ事をべらべらと…しかし、宣言通り腹に風穴を開けてやろうと思ったが、流石はアルバ。随分と頑丈じゃないか」


 アルバは口から流れる血を拭うと、何でも無いかの様にめり込んだ岩場から抜け出し、俺の前に跪く。


「ご不快に感じられたなら、謝罪を致します」


「もう良い、失せろ。目障りだ」


「御意に……急ぎ腕利の治癒術師を送りますので、しばしお待ちを」


 アルバはそれだけ言い残すと、自身の影の中に溶ける様に消えた。


 影から影に転移する魔法——影渡りシャドウムーブか。


 転移魔法は、高い技術が要求される高度な魔法、それを無詠唱で使いこなすとはな。


 腕は間違い無く良いのだが、なんとも奴は癪に触る。


「悪いな、玄関が壊れた。修理費は出す」


 呆気に取られるグレイグに声を掛けると、苦笑しながらサムズアップした。


「お、おう。気にすんな。丁度風通し悪ぃと思ってたんだ。ほら、遠慮なく上がってくれ」


 しかしフォルはと言えば、眉間に皺を寄せて俺に近づいて来ると、外套の端を強く引かれた。


「おい! いくら何でもやり過ぎだ。あの白髪の奴、ローファスの所の兵士なんだろ? 魔法をぶつけるなんて、何考えてんだ!」


 なんか、フォルに凄い剣幕で怒られた。


 なんで俺が怒られるんだ。


 しかも玄関を壊したからではなく、アルバに魔法を放ったから、だ。


 何故貴様が怒る? 訳がわからん。


「もう良いから入るぞ」


「おい引っ張るな。一人で歩ける」


 そしてそのまま、フォルに引っ張られながら、俺は家の中に通された。


 *


 通された家のソファに腰掛け、右からはカルロスより治療魔法を掛けられ、左からはフォルより診療所から取ってきたであろう包帯を身体に巻かれていた。


 そうこうしていると、一人の暗黒騎士が訪ねてきた。


 その手には黒を基調としたワンドが握られている。


 そう言えばアルバの奴が腕利の治療術師を送ると言っていたな。


 そいつは家に入るなり、フルメイルの兜を外して優雅にお辞儀して見せた。


 その騎士は黒髪の若い女だった。


 暗黒騎士に女が居たとは知らなかったな。


 甲冑姿だが、お辞儀をする際に、ありもしないスカートの裾を持つ仕草をしている。


 板に着いたその姿から、恐らくは、何処ぞの貴族の令嬢なのだろうと当たりをつける。


 しかし、随分と若く見えるな。


 歳の頃は20代前半か、下手をすれば10代後半だ。


 暗黒騎士は完全実力制なので、腕は確かなのだろうが。


 女騎士はお辞儀を終えて頭を上げると、身体中に包帯を巻き、その上左腕が無い俺の姿を見て絶句した。


 血の気が引くとは正しくこの事だろう。


「し、失礼致します…」


 女騎士は、わなわなと震えながら俺に近づくと、フォルが隣に居るのも構わず、無い左腕を観察する様に顔を近づけてきた。


「負傷しているとは聞いていましたが…まさかこんな…ご自身で歩かれていたので、てっきりもっと軽いものと…」


「御託は良いからさっさと治癒魔法を掛けろ。腕利なのだろう?」


「無論、治療致しますが、これは…そう単純な傷ではありません。この左半身を覆う強力な魔力の痕跡…まるで、呪いです。海に魔物討伐に出られていたと聞きましたが、若様は一体、何と戦われたのですか…最高位の古龍エンシェントドラゴンでも相手にされたのですか」


 半分泣きそうになりながら俺の傷を見る女騎士。


 いや、正確には傷に残された魔力を見ているのか。


 どうやら魔鯨の魔力は、呪いの如く俺の傷に残されているらしい。


 しかしこいつは、魔力視に優れているのか。


 傷に残された魔力から、魔鯨の力の片鱗を感じ取っている様だ。


「いや、俺が戦ったのは少しばかり魔力が多い鯨の魔物だ。無論仕留めたがな。確かに古龍エンシェントドラゴン位の強さはあったかも知れん」


 いや、或いはそれ以上か。


 神話時代から継承する古代魔法ですら仕留め切れず、“初代の御業”まで使わされたのだからな。


「…到底人類が相手に出来る存在では無いと申しているのです。出来る限り手は尽くしますが、恐らく左腕の再生は…その、私の手には余ります。申し訳ありません」


 深々と頭を下げる女騎士。


 俺は無くなった左腕を眺めながら、また良い義手を作らねばな、と何処か他人事の様に考える。


「左目はどうだ?」


 女騎士は、「失礼します」と口にして俺の左目を覗き込む様に顔を近づけて来る。


「今は、どの程度見えていますか?」


「全く見えん」


「そう、ですか…こちらも、手は尽くしますが、視力を元通りに回復させるのは、難しいかと」

 

「…そうか」


 こちらは、何となく予想が付いていたので特に衝撃も無い。


 左目に幾ら魔力を送り込んでも、何の反応も無いからな。


 そこにある筈の左目が、まるで自分のものでは無いかの様な感覚だ。


「話は分かった。治療を始めてくれ」


 俺が促すと、女騎士は緊張の面持ちで頷く。


「手は、尽くします」


 そこから、恐ろしく洗練された魔法陣が俺を囲う様に展開され、その中で俺は女騎士より治療魔法を施された。


 カルロスは助手として雑務をこなし、フォルの奴は何かやりたがっていた様だが、女騎士に丁重に断られていた。


 治療魔法は数時間にも及び、治療が終わる頃には、天高く昇っていた太陽は傾き、夕暮れ時になっていた。


「終わり、ました…」


 女騎士がら額に浮かぶ汗を拭いながら、治療の終わりを告げる。


 身体中の痛みは嘘の様に消えており、火傷で肌が爛れていた左半身は、傷痕一つ無く元通りの肌に回復していた。


 そして驚くべき事に、半ば諦めていた左目の視力も、僅かにだが見える様になっている。


 輪郭がぼやけていて、確かに元通りの視力とは言えないが、全く見えなかった時と比べれば雲泥の差だ。


 ただ。両目共に漆黒の瞳だったのが、後遺症なのか、左側の瞳だけ色素が抜け落ちた様に翡翠色になっていた。


 何の皮肉か、魔鯨の瞳と同じ色だ。


 因みに、やはりと言うべきか、左腕は、やはり再生しなかった。


 女騎士は、四肢を再生させるレベルの最高位の治癒魔法が扱えるらしいが、傷に残る呪いにも似た強力な魔力の所為で再生出来ないらしい。


 部屋の一角で椅子に腰掛けるカルロスは、うつらうつらと船を漕いでいた。


 昨夜は、夜通し俺とフォルを魔の海域中を駆けずり回って探していたのだから、無理も無い話だ。


「よくやった。想像以上に良い腕だったぞ」


 純粋に褒めてやると、女騎士はにへらと笑い、しかしその表情を曇らせる。


「勿体無いお言葉です。ですが、結局左腕は…」


「良い。義手でも作るとする」


「いえ、それはお待ちを。上に掛け合って、私よりも腕の立つ術師を近日中に派遣致します故」


「貴様よりも腕の立つ術師か? そんな奴が居るなら会ってみたいものだが」


 この女程の治療術師は、それこそ教会にも中々居ないだろう。


「貴様、名は?」


 俺が名を聞くと、女騎士は気まずそうに目を逸らす。


 そして、目を合わせない様にフルメイルの兜を被った。


「…申し訳ありません。私はネームドの騎士では無いので、名乗る事を禁じられているのです」


 暗黒騎士は、全員が漆黒のフルプレートの甲冑を纏っており、その匿名性を武器にする事もある。


 名乗る事を許されているのはネームドと呼ばれる、暗黒騎士の中でも上位の腕を持つ極小数だけだ。


「そんな事は知っている。だが、顔を晒した時点で今更だろう。良いから名乗れ」


「…若様に命じられては拒む事など出来よう筈がありません——ユスリカです。覚えて頂けると幸いにございます」


 女騎士——ユスリカは令嬢らしい優雅なお辞儀をして見せる。


「では、私はこれにて失礼致します」


「ご苦労だった」


 夕暮れが差し込む、風通しの良くなった玄関から出て行こうとしたユスリカは、その動きをぴたりと止め、かと思えばどたどたと甲冑を鳴らしながら俺の眼前まで戻って来た。


 そして、接触しそうな程に顔——に被ったフルメイルの兜を近づけて来た。


「な、何だ…」


「これは、伝えるべきか否か迷ったのですが、一応お伝え致します」


 そう前置きをして、ユスリカは話し出す。


「若様の左半身を蝕んでいた強力な魔力ですが、その殆どを取り除く事が出来ました。しかし、どうしても取り除けない所が2箇所ございます。それは、左目と左腕です。この魔力は正しく呪いの如く根強く、故に左目の視力は回復し切らず、左腕に至っては再生すら出来ませんでした」


「…それで?」


「正確には取り除けないのではありません。どれだけ取り除いても、強力な魔力が内より噴き出て来るのです。まるで、何処からか若様のものでは無い魔力が、送り込まれて来るかの様に…」


「なんだと…」


「ですので、呪いの様だと表現致しました。遠隔的に負のエネルギーを送る様は、正しく呪いそのものです。改めて確認なのですが、若様は本当に、その魔物の息の根を止められましたか?」


「殺した…まさか、まだ生きていると? あり得ん…再生する余地すら与えず、肉片一つ残さず消し飛ばした。生きている筈がない」


「——で、あれば、その魔物は神の類で、殺しても死なぬ不滅の存在だったか…或いは、その魔物は使い魔の様なもので、本体は別に居るか…」


「…ふむ」


 興味深い話だ。


 完全に倒したと思っていたが、魔鯨との戦いは終わってはいなかったと?


 肉体は死んでも滅びてはおらず、いずれ復活する、或いは、本体は別に居て今ものうのうと生き永らえていると。


「手を尽くし、どうにかその呪いは封印しました。送られて来る魔力を、栓をして塞き止めているイメージです。ですので今後、魔力が溢れ出て不調をきたす事はありません。魔力が送れない以上、相手にも若様の位置は特定出来ない筈です」


 まさか、白熱線から受けた傷がそこまで深刻な物になっていたとはな。


「でかしたぞ。褒美を取らせてやりたい程だ」


「暗黒騎士として主に尽くすのは当然の事にございます」


「見上げた忠誠心だな。ユスリカよ、俺の専属になる気はあるか?」


「——!?」


 ユスリカは、俺の言葉を聞くと絵に描いたように仰反った。


 そして数歩下がり、今度は令嬢の如き優雅なお辞儀ではなく、騎士としての規律ある礼をとった。


「旦那様よりお許し頂けるのでしたら、是非に」


 それだけ言い残し、ユスリカは走る様に去っていった。


 騒がしい奴だな。


 ユスリカが行った事を確認し、振り返る。


 フォルが居た。


「…居たのか」


「居たよ、ずっとな」


 何やら不機嫌そうに俺を睨んで来るフォル。


 こいつは何故怒っているのか。


 フォルは俺に近づくと、数刻前まで火傷で皮膚が爛れていた左側の頬を触れて来る。


「傷は、もう良いのか」


「ああ、痛みも無い」


 フォルはその視線をすっと俺の無い左腕に落とす。


「左腕は…そうか」


「まだ気にしているのか」


「そりゃ、な」


 フォルはユスリカが帰って行った方向を見て、呟く様に言う。


「ああいうのが好みなのか」


「あ? 何を言っている」


「別に」


 フォルは素っ気なく俺の横を通り過ぎ様とし、そのまま俺の手を取った。


 フォルは俺の手を引き、家の外へ連れ出そうとする。


「来いよ、ローファス」


「おい、何処へ行く気だ」


「行き先は村の中央広場だ。親父が、治療が終わったら連れて来いってさ。今日は村を上げて宴を開くんだと」


「はぁ?」


「宴の主役は勿論、ローファスだ」


「…貴様、この俺に下民主催の下賎な宴に参加しろと言うのか?」


 悪態を付く俺の手を、フォルは構わず引く。


「参加しろよ。親父も、兄貴も、船乗りの連中も、村の皆も…アタシも。お前に感謝の気持ちを伝えたいんだよ。これは全部、ローファスがやって来た事に対する結果だ。お前には、皆んなの感謝を受け取る責任がある」


「なんだそれは、無茶苦茶な論理だ」


「でも、筋は通ってんだろ?」


 にっと勝ち気な笑みを浮かべるフォル。


「そんな顔すんなよ…参加してみりゃ、案外楽しいかも知れねえだろ?」


「…全く、勝手な事を」


 宴に誘うその華奢な手を、俺は何故か振り払う事が出来なかった。

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