第17話 エピローグ 2-2

 水野アンディーが黒石の仲間たちに操られないようにするため、奏太はアンディーに取り付けられた受信機を外したが、その受信装置は取ってある。

脅迫状と受信機をあわせれば、牧田本人が黒石たちの仲間ではなく、弱みを握られていたことの証拠になるだろうか。


 アンドロイドがアンドロイドを脅して盗聴器を仕掛けさせるなんて事例はないだろうし、刑法は人に適用するものだから、使えないかなと考えていたら、莉緒の心配そうな声が聞こえて我に返った。


「ねぇ、牧田さんが妹さんのために作った寄生ウィルスはどうなったのかしら。新見さんは設計書を見せてもらいましたか?」


「いや、見ていない。でも、黒石博士が寄生ウィルスの設計書を元にして、人をアンドロイド化するウィルスを作ったんだから、元のデータは黒石博士の研究所のどこかに隠してあるはずだ」


 それなら安心と言いかけた莉緒を遮り、奏太が叫んだ。


「大変だ! ウィルスの解毒剤は、アンドロイドと一緒に消滅したんじゃないか?  あれがないと、寄生ウィルスは使えないんだろ?」


 それまで黙って聞いていたアンディーが、ニヤリと笑って自分の頭を指した。


「大丈夫! 俺の頭に入ってるから」


 つまり、保存済みということだ。

 そそっかしさを自覚する奏太だけに、自分をコピーしたアンディーが手柄を立てたと聞いて、少し誇らしく感じたが、研二が偉いなとアンディーの頭を撫でるのが目に入った途端、弟の座を取られたような焦りを覚えた。 


 ずるいぞ、アンディー! 俺なんかいつも、考えるより先に行動するなとたしなめられているんだぞ! 


 奏太の複雑な心境を知らないはずのアンディーが、悪戯を見つかった子供のように首をすくめて奏太に笑いかける。


「本当は大切なデータだから、許可がないと勝手にインストールやコピーをしちゃダメなんだろうけどさ、つい中身が気になって、考えるより先にやっちゃった」


  アンディーの告白を聞けば、客観的に見た時の自分がどれほど危ういか自覚せざるを得ない。それどころか、自分の性格は研究者として不適格なんじゃないかとショックを受けた。奏太は、もう少し慎重になろうと決心した。


 家に帰ったら兄は、自分の脳に不在にしていた間のことを語るのだろうか。

 円柱のガラスケースの中でくらげのように浮かんだ脳は、奏太に語りかけたように、研二に向かって、「お帰り」と言うのかもしれない。

 あの脳に入力するための情報カードが、ケンディーに備わっているかどうかは分からないけれど、無い場合は、兄はきっと自分の手で改造してしまうのだろう。


 改造……未だに信じられないが兄はアンドロイドなのだ。

 一回りも違う兄が、幼い頃どんな病にかかったのかは分からない。

 地下に並んだ子供から大人までのボディーは、兄のために、兄を生かそうとした両親が作ったものに違いない。


 途中から、兄が改良を加えて自分で作るようになったのだろうが、人工のボディーを作るだけならともかく、本物の脳を生かすには脳の専門医が協力しなければできないはずだ。

 病気の妹を救おうとした牧野に、寄生ウィルスを設計するための知恵を貸し、協力を惜しまなかった脳神経外科医の林のような存在が、両親にはいたのかもしれない。


 今回のことで、奏太は心はどこにあるのだろうと考えた。

 最新科学でも解けない謎だが、心は脳にあるのではないかという説が有力視されている。以前はそうかもしれないと肯定的に受け止めたことが、兄のことを知った今では賛成できなくなっている。


 大きな円柱型の水槽に浮いていた脳は、アンドロイドである研二が、奏太と接した情報を伝えたことにより、奏太を特別な存在だと認識した。

 お前に会いたかったと、追いすがろうとする姿は、心の動きそのものだ。

 でも、アンドロイド自体に脳はない。

 自分を犠牲にしてまで、寄生ウィルスから人々を救おうとした兄に、心が無いといえるのか? 

 消滅するのを覚悟で告げた言葉には、心がこもっていないのか? 

 研二の言葉を思い浮かべると、奏太は泣きたい衝動に駆られる。


「アンドロイドでも、大切に思う人はいる。ただ、子孫を生殖行為で増やす必要のないアンドロイドには、家族愛や友人への愛や、恋人への愛情の区別はつかない。でも、これだけは分かる。奏太が大事だ。君を愛してる」


 目をしばたたかせながら、奏太は心の中で兄に応えた。

 俺も兄さんが大好きだ。生き延びてくれて本当に良かった。ケンディーに伝わるなら何度でも言いいたい。兄を生かしてくれてありがとう、と。


 人間であろうが、アンドロイドであろうが、研二は自分にとって大切な兄であることには変わらない。だから、兄の秘密は一生背負っていく。一生抱えるだけの価値のある秘密なのだから。

 高速道路を走る奏太たちの乗った車が、山間の長いトンネルを抜けて街中に出た。見慣れた街の素っ気ないコンクリートのビル群が、今日は危険から脱した奏太たちを迎えて守ってくれる城塞のように感じる。

 無事に戻ったことを実感した途端、瞬くネオンまでが希望の光に見えるから不思議なものだ。


 今、星のように輝くネオンに願いをかけたら、夢は叶うだろうか。

 研二と二人で力を合わせて研究すれば、将来アンドロイドの中で脳を生かせる方法を見つけられると信じたいたい。

 研二の本物の脳を収めたアンディーが動き、兄の魂が宿ったケンディーと並ぶとき、その時になって改めてそれぞれの魂について学ぶ機会を得るのかもしれない。

 情報を交換する必要がなくなり、独立した心が何に関心を示し、どのように成長するのかを見守ることになるのだろう。


 より人間に近づいたアンドロイドの魂は、片割れを望むだろうか? 

 子孫を残す必要のないアンドロイドには、家族、友情、恋愛の愛情の区別がつかないと兄は言ったが、奏太を愛していると自覚したこと自体が奇跡なのだ。その先にはきっと……


 ネオンの星にかける願いが、どこまで効果を発揮するかは疑問だが、奏太は研究するメンバーがもう一人加わればといいのにと願う。

 かわいいだけでなく、頭脳明晰で観察眼が鋭く、広大な面積の受け皿を持つ莉緒と秘密を共有できたなら、アンドロイドの研究は飛躍的に進歩するのではないかと思うからだ。


 ふと視線を感じて右横を見ると、莉緒が奏太を通り越して研二を見つめているのに気が付いた。

 その真剣な眼差しに、莉緒が兄を好きだったことを認識させられ、奏太は何度目かの軽い喪失感を覚える。

 この気持ちにまだ名前をつけることはできない。同僚で終わるかもしれないが、莉緒が奏太にとって特別な存在であることは否めない。


 莉緒が兄を思っていると感じるだけで、奏太の気持ちはダウンするのだから、好きな人がアンドロイドだと知ったら、莉緒は気持ちの持って行き場がなくなるだろうと同情心が涌く。やはり、一緒に研究するのは無理かと諦め、兄の秘密は自分だけの胸に留めようと決めた。


 その時、まるで奏太の決心を読んだように、莉緒の視線が研二から移動して、奏太の顔で止まる。兄の繊細で美しい顔に比べたら、粗削りで男っぽい自分の顔は粗野に見えるだろう。無理に笑顔を作ろうとして失敗し、奏太の唇が引きつって片方だけ上がった。

 莉緒がからかうように眉をあげ、奏太の耳元に顔を寄せ小さな声で囁いた。


「ねぇ、奏太君。人工皮膚を作った私が、どうしても実現できなかった人の肌の機能って分かる?」


「いきなりなんだよ。俺そっちの専門じゃないから分からない。教えてくれ」


「あのね、人の肌って気温が低いところでは、毛穴がキュっとしまるんだけれど、今夜みたいな気温の高い時は開くのよ」


 奏太は恐る恐る、兄の顔に目をやった。汗一つかくこともないきれいな横顔が車窓から差し込む街路灯の光に照らされて、浮かんでは闇に沈む。視線を戻すこともできない奏太のこめかみを、一筋の汗が伝った。


 ふふっと莉緒が笑う。帰ったらたくさん話そうねと言いながら、莉緒は奏太の肩に頭を預けた。

 


 完

 





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アンドロイドは恋に落ちるか マスカレード @Masquerade

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