第16話 終焉の時 2-3

 牧田は偶然読んだトキソプラズマがどのように脳に働くかを知り、脳神経外科医の林に、薬の代わりに脳を刺激して元々ある脳内物質を出すことができれば、改善するのではないかと素人ならではの純粋な疑問をぶつけたそうだ。


 答えはイエスだ。ただ本人とはまるで違うものを体内に入れれば、拒絶反応が起きると聞いて諦めようとした。そんなときに羽柴社長が人間を複写するアンドロイドに投資する話を耳に入れ、アンドロイドを使ったウィルスの活用を思いついたという。


 アンドロイドには患者が状態の良いときのデータを入力し、こちらが本来の姿だという信号を、患者に送り込こむ。脳は学習し、過去の自分に対しての自信の無さや、不安からくる自律神経の乱れも抑えられるようになるのではないかと考えた。

 もちろん寄生ウィルスも一緒に送るので、患者が自分に自信を持つまではウィルスの力を借りて脳を刺激し、ドーパミンやセロトニンを出させるようにする。

 牧田は林医師に助言をもらいながら、どうすれば実現できるのかを二人で練ったという。


「ただ効きすぎると、変に自己満足するだけで、行動が伴わない人間になるかもしれないと先生が言われたので、脳が安定したのを見計らって、寄生ウィルスを削除することにしたのです。それが解毒剤です」


「そうか、そういうことか。黒石博士は自分の野望を叶えるために、兄……僕の元で働いていた杉下を引き抜いて、僕が作った擬態するアンドロイドと同じようなものを作らせたんですね。そして牧田さんの寄生ウィルスの設計書を利用して、治療するのではなく人を操るプログラムに変えてしまった」


「その通りです。妹を盾に取られて私も手伝わされました。黒石博士は日本で異端児扱いされてアメリカに渡り、より強いアンドロイドを作るために脳分野の研究もしていたので、私の治療ウィルスを支配ウィルスに改造するのは容易かったようです。実験の成功をこの目で見た時には背筋が凍りました。新見博士、あなたにお願いがあります。解毒剤を使って支配ウィルスを止めてください。活性化するときと同じように、解毒剤を働かせるのにも号令が要ります。それを……」


「ちょっと待ってください。不思議に思っていたんですが、どうして号令がいるんですか?」


「電気に乗せて、体内に送り込んだウィルスは、その時点では相手の体液成分に近い膜で覆われています。でないと白血球に攻撃されますから。アンドロイドが相手のデータを取り入れるために、何度も接触を繰り返すのは、相手の体液成分を計算して準備をするためです。そして号令は、白血球のガードを突破したウィルスを膜から出すために必要なのです。一度電撃を受けた身体は、危険から身を守るために神経が昂っています。そこに訳の分からない号令をかければ、また痛みを受けるのではないかと身体が強張ります。緊張した筋肉がウィルスに圧力をかけて、覆っていた膜を破り、ウィルスも号令を聞くと活性化するようにプログラムされているのです。黒石博士を手伝っているときに、その方法を知りました」


 突然ドアが激しく叩かれた。

「おい、ケンディーここにいるんだろう。話声が聞えるぞ。出てこい」


 牧田が怯える表情を見せたので、奏太は用心棒の認証カードを見せ、ドアが開かないことを知らせて牧田を安心させると、小声で訊ねた。


「ウィルスを停止させる言葉は何ですか?」


Halteアルト!  停止という意味です」


 ドアをガンガン叩きつける音が酷くなった。時々内側に湾曲するのは渾身の力で蹴っているのだろう。牧田の話を研二に伝えるためにも、騒ぎを大きくしてはいけないと判断した奏太は、ドアの傍に歩いて行き、大声で話しかけた。


「おじさん、迫力ありすぎて怖いんだよ。オリジナルの命令だから仕方なく追いかけっこはしたけれど、壊されそうだから隠れてたんだ。出ていくから殴らない?」


「アンドロイドを壊したら、俺の方が壊される。乱暴はしないから出てこい」


 突然態度を豹変させた新見博士に驚いている牧田に、奏太は手を振って別れを告げると、ロックを外した。


 研究所と一体化している黒石博士の家は、見た目はコンクリートとガラスでできていてモダンだが、中身は成金趣味で満ちていた。

 パーティーが開けるほどの広間には、クリスタルのシャンデリアがいくつもぶら下がっていて、眩い光が大理石の床の上を歩く気取った男女を照らしている。一角に設けられたテーブルには料理の大皿がぎっしり並び、どの料理を皿に盛るかを考える人々が視線を忙しくさまよわせていた。

 有名シェフが作る料理の前では、付け焼刃に被った紳士淑女の仮面は不要とばかりに脱ぎ棄てて、手にした皿に料理を山盛りにするゲストもいるようだ。


 壁際にはギリシャ柱が立林し、その間に白い大理石の像が立っている様子は、まるで博物館を覗いているような気分にさせられる。

 奏太は、大男に首根っこを掴まれて牧田の部屋から実験室に連れ戻され、パーティーが始まるまで椅子にくくり付けられていた。


 今は縄を解かれはしたが、アンディーと共に、パーティー会場とドア一つで行き来できる関係者用の控室に閉じ込められて、会場を映し出すいくつかのモニター画面を見ている状態だ。

 研二は杉下の作ったアンドロイドの調整に忙しく、牧田の話を伝えたくても機会が持てないまま、ついに黒石の研究成果を発表する時間になった。


「今日は遠方からお集まりいただきありがとうございます。様々な分野でご活躍されている皆様の前で、私の研究成果を発表できるのは幸せの至りにございます。さて、今やテレビのCMやニュースでもおなじみの変身アンドロイドですが、今日はこちらにゲストとしてお招きしております。どうぞ拍手を」


 黒石のとぼけた紹介が受け、会場のあちこちで笑い声が上がった。

 杉下に続き、杉下のそっくりさんに化けたアンドロイドが壇上に現れる。

 会場からどよめきが起こり、大きな拍手が上がった。

 本来なら、拍手喝采を浴びるのは兄のはずだった。

 それを自分の手柄のように振舞う黒石を許せず、奏太は画面を憎々し気に見つめる。もう一人の自分、つまり奏太の顔をコピーしたアンディーが、兄さんはそんな怖い顔で睨んだりしないと笑った。


「まだ短い時間一緒にいるだけだろ。俺は考えるより行動が先走るから、いつも怒られてるぞ」


「えっと、ケンディーは兄さんをコピーしたんじゃないのか?」


「ああ、悪い。混乱させたな。っていうかお前の顔を見てると、俺も混乱してくるよ。俺がお前で、お前が俺で。な~んてな」


「兄貴に一度集積回路をチェックしてもらった方がいいんじゃないか?」



 思わず大声で笑いそうになり、慌てて口を押える。部屋の中には監視カメラが天井付近に一つあるだけで、人の目を気にしなくて済むのだが、扉一枚向こうは大勢の人がいる。奏太は声を殺して笑った。


 パーティーに不慣れな所員たちも、それぞれ音響や照明などの係に割り当てられて、雑用に飛び回っているようだ。

 パーティー会場に繋がるドアの向こうでは、用心棒がドアの脇に立って、会場とこの部屋を見張っているのが時々モニターに映る。奏太はアンディーのすぐ横に椅子を寄せて、小声で訊ねた。


「なぁ、寄生ウィルスは、黒石博士が誘拐させた人間に、杉下の作ったアンドロイドが感染させたんだろ? それをどうやって削除するんだ?」


「さぁ、どうやって感染させたかも、どう解除するのかも俺は知らない。今日のパーティーの客は、寄生ウィルスに感染させた人たちと、そいつらが連れてきたゲストだって黒石博士が言ってた。SDカードはケンディーが用心棒と追いかけっこをしている間に、兄貴があっちのアンドロイドに装着したから、何か作戦がああるんだろ」


 でも、どうやって? 

 副社長が研二から聞いた話では、アンドロイドが悪用されるなら、研二はプログラムを消滅することができると言ったという。 

 でもそれは、兄が作った俺やケンディーとアンディーに対してであって、杉下が作ったアンドロイドには適用されないのではないか?。

 もし、物理的に杉下のアンドロイドを消滅できたとしても、寄生ウィルスにかかった人間のウィルスの活動をどうやって停止させるというのか。

 そんなに簡単に止めることができるなら、ロボットの電源を切るなり、寄生主とロボットの距離をあければ、ロボットの影響力はなくなり、人は正気に戻っているはずだ。


 だが、実際寄生ウィルス感染者たちは、アンドロイドから離れて暮らしていても、命令とあれば今日のようなパーティーに第二の犠牲者となるべく人物を誘ってやってきている。

 多分、あのアンドロイドを使って解毒剤を感染した人々に注入し、牧田から聞いた号令をかけなければ停止しないのだ。


「何か嫌な予感がするんだけど気のせいか?」


 奏太の言葉に重なるように、会場に不穏なざわめきが起きた。

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