第16話 終焉の時 1-3


「前のバイク、止まりなさい」


 周囲の闇が回転灯に赤く瞬いて緊張感を煽る。このままではパトカーに追いつかれると思い、奏太は道を逸れて森の中に逃げ込んだ。

 木立に阻まれてパトカーは入って来れないが、奏太のバイクも木の根にタイヤを引っかけていつ転ぶか分からないうえに、張り出した木の枝に頭や身体をぶつけて怪我をする危険性が増す。自分はヘルメットをかぶっているが、転倒したら莉緒は無事ではすまないだろう。仕方なく奏太はスピードを緩めた。


 バタン、バタンと車のドアが閉まる音がして、警官たちが走って追いかけてくる。ここで捕まったら、どうなる? 自分の身体を抜け出したとして、ケンディーのところまで届くのか? 

 ところが、戻れと声がかかり、枯れ葉を踏みしだく足音が消えた。

 バイクを止めて、用心深く周囲を窺うと、木の間から見えていた回転灯が一斉にフッと消えて、森の中は真っ暗になった。


「奏太君、パトカーが行っちゃった。どうしちゃったんだろう」


「罠かもしれないな。逃げきれたと安心して森から出たところを、捕獲されたりして」


「私が様子を見てこようか? 警察官がいるなら大声を出すから、奏太君はバイクで逃げればいい」


「莉緒ちゃんを置いていけるかよ」


 緊張の糸が切れたのか、莉緒が背中に寄りかかってくる。体力のない女の子が振り落とされもせず、よくここまで頑張ったものだと、抱きしめてやりたくなった。もちろんハンドルを握っているからできないが……

 機を見計らったようにスマホが振動した。木呂場の名前を見て通話にすると、木呂場が二人の安否を尋ね、パトカーは去ったから戻って来いと言う。

 森の入り口までゆっくりとバイクを走らせる。開けたところに警備会社の車が停まっているのが見えた。


「こっちだ、二人共。早く乗って」


 木呂場の声が、真っ暗な樹海に射す灯台の光のように思えて、疲れているはずの身体に希望と勇気が湧く。


「バイクをこの辺に置いて行こう」

「木に繋いで鍵をかけないの?」

「そうだな……一応繋いでおくか。鍵は莉緒ちゃんが持っていて」

「どうして?」

「……必要になるかもしれないだろ」


 黙ってじっと莉緒が見つめる。まるで人形のように愛らしい顔をしているくせに、男たちが束になっても敵わないくらい頭がよくて、一途に兄貴に惚れていて、俺にはママの対応しかしてくれないのが憎らしい。


 そして誰より、

「戻って来なかったら、奏太君の皮膚をアンドロイドに使うわよ」

 鋭くて怖い。


 木呂場の車に乗って、なるべく研究所に近い茂みに移動する。本当はエンジンを切った方がいいのだろうけれど、真夏の夜は気温が下がらないから、車内に閉じこもっていれば確実に熱中症になる。屋敷に近いこんなところでエンジンをかけた車が停まっていれば、職務質問されかねないのに、木呂場刑事は先ほどの埋め合わせだと言って、何も聞かずに協力を申し出てくれた。


「じゃあ、トリップしてくる。木呂場さん、助けてくれてありがとう。莉緒ちゃんも元気でな」


「その挨拶気に入らない。気が付くまで、つねるわよ。あざだらけになりたくなかったら、ちゃんと戻ってくるのよ」


「ははは……」

 ―さようなら。元気で。


 ケンディー、聞こえるか? 俺をコピーしろ。

 涙でぼやけた莉緒の顔が暗闇に飲まれた。

 暗かったのは一瞬だ。すぐに目の前が明るくなり、耳が懐かしい声を捉えた。


「奏…ケンディー。久しぶりだな。元気だったか」


「兄さん! 無事だったんだ。良かった」


 ガバッと起き上がって、兄を抱きしめようとしたら、待て待てと押し返されてしまった。


「奏太見たか? ケンディーは僕の分身のはずなのに、おかしなことを言ったぞ。アンドロイドでも寝ぼけることがあるなんて、初めて知ったよ」


 研二の隣にいる自分が、声を立てて笑っている。パラレルワールドかと思いかけて、そういえば自分を模したアンディーが、サナトリウムで拉致されたことを思い出した。

 実験室らしき部屋をそっと見回すと、数メートル離れた実験テーブルの上に、研二が作ったものではないアンドロイドが一体横たわっているのが見え、その向こうに、そっちは生身だが、身体も顔もごつい男が睨みつけるようにして立っている。下手なことは言えないと悟った。


「すみません。規格外のアンドロイドなもので。でも、兄……新見博士に忠実なのを証明できるなら、何でもやるつもりでいます」


「そうだな。今夜は大事なゲストたちをもてなす盛大なパーティーがあるそうだ。アンドロイドで余興をやるというのはどうだろう?」


「パーティー? 何だか覚えのある展開だけれど、パルクールなんて言わないよね」


「ああ、さすが僕をコピーしたアンドロイドだ。閃きが冴えている。練習もかねて、そこの用心棒相手に派手な追いかけっこをしかけてみたらどうかな?」


 あのゴリラみたいなのと? と言いかけて、すんでのところで飲み込んだ奏太は、いやいやと首を小さく振りながら言った。


「いくらなんでも、アンドロイドの身体で、あの激しいアクションは無理でしょ」


「僕がパルクールのテレビを見てやりたいと言った時に、間違ってお前の趣味にインプットされてしまったろ。対応できるようにしたつもりだ。アンドロイドの性能を知るためにも、動きを真似してみせてくれ。その間に杉下が作ったアンドロイドの手直しをするから」


 一体何を言い出したんだと思ったが、研二の目が真剣だ。要は用心棒の気を逸らせということか。

 奏太は用心棒に近づき、よろしくお願いしますと頭を下げてみた。

 男は付き合い切れないというように、明後日の方向を向く。パーティー用のジャケットの胸ポケットから認証カードが覗いているのを見つけた奏太は、男が知らん顔をしている隙に抜き取った。と同時に走り出す。


 奏太の身体ではないケンディーは、少し勝手が違って重く感じられるが、さすが兄の作ったアンドロイドだ。こつさえつかめば、パルクールの競技で人間と技を競い合えるかもしれない。


 実験室から廊下へ飛び出して振り返る。身体が大きい用心棒は結構足が速いようだ。これなら手加減することなく楽しめそうだと思ったのは最初だけで、後ろで響く用心棒の怒鳴り声と、何かがぶつかる音に続くうめき声が気になってしょうがない。

 廊下を歩く所員の間を、奏太が軽くかわしながら走るのに対し、用心棒は邪魔だ退けとどなりながら、障害物になる人を乱暴に薙ぎ払っていたのだ。まるで漫画にでてくる悪役ロボットそのものだ。


 これ以上けが人を増やさないようにするため、自然に人のいない階下への階段を選んで走り、角を曲がって男をまく。

 足音を忍ばせて、薄暗い廊下を進むうちに、関係者以外立ち入り禁止の表示があるドアを見つけた。

 用心棒の認証カードをドアの読み取り部分にかざし、カチッとロックが外れるのを訊いた後、辺りに気を配りながらドアの中に足を踏み入れる。すると、信じられないことに、見慣れた男が部屋の隅の椅子に座っていた。


「牧田アンディー‥‥‥の本物さんですね」


 牧田の方も驚いた顔で、腰を浮かす。

「新見博士。一体どうやってここに来られたんですか?」


 自分で自分の姿が見えないのだから仕方がないが、外見は兄の研二であることを、ついつい忘れそうになる。 

 今は自分がアンドロイドの中にいるという非科学的な話をしている場合ではないし、かといってアンドロイドだと言ってしまうと詳しい話をしてもらえない可能性が高い。ここは兄になりきるしかない。


「時間がないので詳しく話せませんが、真衣さんから寄生ウィルスの設計書を預かりました。それを伝えるために見張りをまいてきたのです」


 牧田が安堵のため息をつきながら、椅子に崩れるように座った。


「あれは、設計書ではなく解毒剤です。私が設計した本来の寄生ウィルスは、脳内物質に働きかけ躁鬱の振り幅を調整して、日常生活ができるようにするためのものだったんです。通常の治療では向精神薬を投与するのですが、一時的には、症状は抑えられても、薬の耐性ができてしまうとどんどん成分を強くしなければならなくなるから、代わりのものを開発したかったのです」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る