第15話 寄生ウィルスの解毒剤

 複数の足音が廊下にこだまし、ドアがスライドした。


「ここに入って、しばらく兄弟ごっこでもしてな」


 男たちに突き飛ばされた若い男が、リノリウムの床に突き飛ばされて膝をつき前に倒れた。両手を後ろで縛られているのでもぞもぞ身体を動かしながら起き上がった時には、ドアは閉まってロックされていた。


「奏太! 大丈夫か?」


 研二が近寄ると、奏太は二三度瞬きをしたあと、思い出したように兄さんと呼んだ。


「まさか、アンディーか⁉ 奏太はどうした? 無事なのか?」


 声を潜めて訊ねると、アンディーが無事だと答えた。


「牧田さんの妹の真衣さんが、寄生ウィルスの設計書をいれたSDカードを持ってたんだ。でも分析したら、設計書じゃなくて解毒剤みたいだ。奏太は知らずに俺にセットをして兄さんに渡すようにって」


「よく誤魔化せたな。身体を調べられなかったのか」


「真衣さんのUSBメモリーを囮に使ったからね。でも、すぐに気が付くと思う。どうする?」


「疲れたと言って、ベッドに横になってくれ。ほらあの天井に監視カメラがあるから、こっちに背を向けて布団の中でSDカードを取り出して渡すんだ」


「分かった。やってみる」


 アンディーは奏太らしく両腕を上げて伸びをした。

「はぁ~。緊張したせいか疲れたよ。ちょっと横にならせて」


「ああ。一、二時間ほど経てば夕飯がくる。それまで寝てろ」


 ベッドの前に座って科学雑誌に目を通すフリをする研二のパンツのポケットに、SDカードが入れられた瞬間、ドアがスライドして黒石が怒鳴り込んできた。


「おい、小僧! のんきに寝っ転がっているな。本物はどこにある」


「黒石博士、一体何事ですか? 弟に手を出さない約束で僕はケンディーの修理や、杉下の作った出来損ないロボットの改良を引き受けたんです。奏太を自由にしないなら、僕も手を貸しませんよ」


「うるさい! 黙れ、似非科学者が! 二週間以上も経つのに、ケンディーは動かないじゃないか。」


「杉下が作った出来損ないのアンドロイドは、変貌がスムーズになったはずです」


「でも、顔がそっくりさんどまりで、アンディーのように本物と瓜二つに化けられないじゃないか」


「それは僕のせいじゃありません。最初のプログラムが間違っているんです。それにケンディーが動かないのは、杉下がいらない細工をしたから、電子回路が焼き切れてしまったんですよ。アンディーとケンディーは違う個体です。より人間に近づけために非常に繊細で入り組んだ神経系統を……」


「御託を並べるのはいい加減にしろ。こっちで何とかするからケンディーの設計図を出せ。でなければ奏太を殺す。それと本物のUSBメモリーはどこにある」


 ベッドの上でおもむろに寝返りを打った奏太が、騒ぎ立てる黒石を不機嫌そうに睨む。本当に良くできていると笑いそうになるのを堪え、研二は奏太に訊ねた。


「奏太、お前USBメモリーを持っているか?」


「さっき渡したよ。羽柴社長から受け取ったのは一本だ。俺を連れてきた怖いおじさんたちに聞いてみろよ」


「くそっ、騙された。おい、杉下。羽柴を探させろ。それと牧田の妹にも接触して、本物を持っていないか確かめさせるんだ」


 杉下が部屋から出て行くのと交代で、いつも黒石についているいかつい男が慌てて入ってきた。

 背後で人の走る靴音が聞こえ、研究所内がいやにざわついている。

窓の外からはいくつものサイレンが重なって聞こえ、何か大きな事件が起きたのではないかと思わせる。研二は男の言葉に耳を傾けた。


「黒石博士。大変だ。研究所近くでバイクに乗った男女が走り回っていて、パトカーを何台も連れてきやがった。周りが森だから、捕まえられないみたいだ」


「何だと! よりにもよって今夜とは! コバエはいいから、招待客の中にいる警視に言って、パトカーを追い払わせろ。大事なパーティーがぶち壊しになる」


 黒石がこちらに背中を向け怒鳴り声を上げているときに、アンディーがピクリと反応した。小声で奏太が来たと研二に告げる。いい子だとアンディーの頭を撫で、研二は黒石博士に声をかけた。


「一体何があったんです。パーティーの招待客がどうとか言われましたが」


「役に立たない奴は黙ってろ。今日はアンドロイド化した奴らが誘った金持ち連中を、もてなす大事なパーティーがあるんだ。ケンディーを使って、そっくりな変化を見せたかったのに……」


「それですが、ひょっとしたら、ケンディーを動かせるかもしれません」


「何だと? 今までできなかったのに、急にどうしてそんなことを言う」


「ダメージの八割がたは修理できていたんです。あとの二割で躓いていたんですが、たった今閃いたので、忘れないうちにやってみたいんですよ。僕だって一応博士ですからね。みんながケンディーに注目して、僕も賞賛を浴びられるなら、チャンスを活かしてみたい」


 訝し気に研二を見ていた黒石も、パーティー客が騒ぎ出したと言うのを聞いて、切羽詰まったようだ。ボディーガードに実験室まで研二を連れて行くように命じた。


「そうだ、助手に奏太を連れて行ってもいいですか? 杉下のアンドロイドも、もう少し何とかならないか調整してみます」


「何だと? 調子に乗るなよ。本気でケンディーを直す気があるのか?」


「黒石博士はご存知かと思ったのですが、奏太もロボット工学を専攻していて、僕に引けを取らないほどの技術を持っています。二人なら何とかなるかもしれない」


「う‥‥‥ん、仕方ない。一緒に行くがいい。ただし逃げようとすれば本当に弟の命は無いと思え」


「分かっています。ご期待に添えるよう頑張ってみます」


 黒石博士が所員に呼ばれて部屋を出ていく。

 研二はその後ろ姿に鋭い視線を送りながら、声に出さない怒りをぶつけた。


――お前が僕のアンドロイドを模倣して悪事に使おうとしなければ、僕の夢は叶ったかもしれないのに、よくも邪魔をしてくれたな。絶対にお前の野望を打ち砕いてやる。


 人は夢を見る。最初は子供のように純粋な気持ちから、こんなものがあったらいいのに、こんなことができればいいのにと思い描き、やがて夢は誰かの手で機械化され、傍にあるのが普通になる。

 三種の神器などと持てはやされた初期の日常品は、どんどん進化して対象も変わり、今や人々はそれらが無ければ生活も成り立たなくなっている。


 研二はロボットを人の道具ではなく、一緒に歩めるパートナーとして育てたかった。そのためにより人に近いアンドロイドを開発して、多くの人の性格や行動パターンを収集したいと思っていた。

 悩んだ末、人が家族以外で自分に必要なパートナーを選ぶ瞬間に立ち会わせることを考えたのだ。


 ところが、同じロボット工学を極めながら、ロボットを自分の欲望を叶える道具としてしかみない黒石が現れた。

 純粋な夢や希望は人を幸せにするものだが、黒石のように心までブラックな技術者と金設けのためなら何でもする輩が組んでしまうと、ロボットはただの脅威になる。

これ以上、アンドロイドが悪用されるのを見ているわけにはいかない。


 ここまで来て、何もかもを無にすることは苦しいが、既に覚悟はできている。着々と準備を進めながら、時が満ちるのを待っていた。

 研二は抱いていた夢と未来を終わらせなければならないこの瞬間に、奏太に会えることが嬉しくもあり、悲しくもあった。


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