第13話 不審な車 5-5

 木呂場がマイクに向かって、現在地とサナトリウムの名前を伝えると、相沢は既に莉緒の情報を元にして牧田の妹のことを調べていて、真衣がそのサナトリウムに療養していることを告げる。

 莉緒はその報告聞いて、なるほどと頷いた。それを見ていた奏太が、莉緒に何を納得しているんだと訊ねる。


「お兄ちゃんは牧田さんが妹さんを置いて行方不明になっていたことを気にかけていたから、様子を見に来たのかもしれないわ」


「いや、もしかしたら寄生ウィルスの設計書のことで真衣さんを訪ねてきたのかもしれなのかもしれない」


「何で? どうして妹さんのところに? まさか真衣さんが持っているっていうの? 牧田アンディーが設計書の話をしたときには、真衣さんについて一言も触れなかったわ。確か猫の絵を描きながら、猫に寄生するトキソプラズマのことを説明してくれたの。言っちゃ悪いけれど、絵が微妙で、耳がリボンのようにくっついていたから、女の子みたいって思ったわ」


「もし、盗聴されるのを懸念していたとしたらどうだろう? 視覚で違うと感じても、相手の絵が下手な場合、脳は聞いた話に合うものを推測して辻褄を合わせることががあるらしい。女の子だという最初のインプレッションが正しくて、設計書の在処ありかを教えていたとしたら?」


「じゃあ、あれは猫じゃなくて、真衣さんだっていうの?」

「あくまでも可能性」


「そんな! それじゃあ、さっき私の手元に設計書があるように水野さんに思わせたから、あの人の仲間が私を追いかけてきたの? もし本当に真衣さんが持っていたとしたら、私は知らずに道案内するという大失敗をしちゃったわけ?」


「いや、莉緒ちゃんが設計書を持っていると信じたなら、莉緒ちゃんの車を尾行しただろう。それにまだ、真衣さんが持っているとは限らない。羽柴社長は既にマークされていたんだと思う」


 そうだろうか? どちらにしても、あの設計書を狙うのは、新見博士や他の人達を誘拐した暴力団関係者に違いない。濃いスモークフィルムを貼った黒い車が戻ってくる前に、何とか兄を連れ戻さなければ。


 舗装された道路が途切れ、砂利が敷かれた広い駐車場とその奥に山荘風のサナトリウムが見える。建物の入り口に近い駐車スペースに社用車が停まっていた。そのすぐ横に木呂場が車をつけると同時に、莉緒はドアを開けて外に飛び出した。

 すぐに出てくるかと思ったのに、木呂場と奏太はナビを操作して周辺の地図を調べながら話しをしている。何かあった時のために、地形を頭に入れているんだと分かり、莉緒は焦るだけの自分を諫め、深呼吸して気持ちを落ち着かせようとした。


 山を切り開いて建てられたサナトリウムの周囲は、マイナスイオンに満ちているせいか、空気もひんやりして身体に染みいるようだ。恐怖で占められていた莉緒の頭もリセットされて奏太たちの判断を待つ余裕ができた。


「あっ、木呂場さん、ここ。サナトリウムの北側斜面を降り切ったところに細い道がある。徒歩でここまでいけたら、いざというときに逃げられそうだけど、問題は……」


 奏太の視線につられて、木呂場も莉緒を見る。二人の顔には、莉緒を連れて山の中を徒歩で逃げるのは無理と書いてあった。


「東は川で、南は山林続きで所々崖だね。奏太さんならいけると思うけれど、莉緒さんと一緒だと、やはり今来た道を引き返すしかないでしょうね」


 莉緒は無事に帰ることができたら、パルクールでも何でもいいから逃げ足を速くするスポーツをやろうと真剣に考えた。


「西は今入ってきた山道ですよね。公道付近で待ち伏せされたら、逃げきれないな」


「私は応援車をここで待ちますので、奏太さんは莉緒さんを連れて建物の中に入ってください。スタッフに避難経路を聞いて、もし逃げられるようなら羽柴社長と一緒に、安全なところで待機していてください」


「分かりました。莉緒ちゃん行こう」


 奏太が歩き出したのを慌てて追いかけた莉緒は、駐車スペースにバイクがないことに気が付いた。


「奏太君、バイクで来た刑事さんはどこに行ったのかしら? 」


「彼なら大丈夫だ。まずは羽柴社長を探さないといけない。急ぐよ」

「あっ、待って」


 彼なら大丈夫だと言われても、奏太がそんなに信頼を寄せる刑事がいただろうかと不思議に思い、家を警備している刑事を思い浮かべてみる。莉緒たちに直接接しているのは木呂場と相沢だけだ。

 砂利に足を取られないように速足で歩きながら導きだした答えに、莉緒はまさかねと首を振った。

 

 莉緒たちがサナトリウムの入り口を入り、フロントで面会を申し込むと、スタッフが困惑したように顔を見合わせて、ボソボソ相談し始めた。


「三〇一の患者さんよね? さっき男性の方が面会に見えたけれど……」


「急な面会や、身元の証明ができない見舞い客は避けるように言われてる患者さんよね。どうする? さっきの人は電話で予約したんでしょ」


「患者さんに聞いたら、知っている人だと言われたの」


 スタッフのやり取りを聞いた奏太が、ちょっとトイレと言って、窓口を離れた。心細く思いながら、莉緒が思い切ってスタッフに声をかける。


「あの、先に来た男性は私の兄なんです。羽柴拓己という名前ですよね? この生徒手帳に私の名前と住所が載っているので確認して頂くか、兄に電話をして頂ければ、私の身元を証明できます」


 スタッフは、莉緒の生徒手帳に書かれた住所と名前を拓己の書いたものと照らし合わせた後、電話は必要ないけれど規則だからと言って、訪問カードの記入を促した。

 記入を終え、訪問カードと引き換えに生徒手帳を受け取った莉緒は、周囲を見渡して奏太を探しが見当たらない。


 行先がトイレと分かっていて待つのも憚られ、莉緒は先に三階へ行くことに決めて、エレベーターに乗る。

 三階に着いた時に、奏太が拓己と一緒に廊下を歩いて来るのが目に入り、莉緒は兄の無事な姿にホッと息をついた。


「お兄ちゃん。真衣さんは大丈夫? あの、設計書は受け取れたの? 」


「ああ。その話はあとしよう。誰かにつけられていたみたいだな。早く車に‥‥‥」


「動くな! その設計書とやらをこちらに渡してもらおうか」


 黒いサングラスをかけた男たちがエレベーターとは反対の廊下の端にある非常階段から現れた。手にナイフを握っている。


「奏太君、設計書を頼む」

 拓己がUSBメモリーを奏太に渡すと、奏太は莉緒が乗ってきたエレベーターに飛び乗り、扉を閉めた。

 男の一人は慌ててこちらに走ってこようとしたが、もう一人は非常階段を駆け下りていく。エレベーターが下降するのを確認した男が踵を返し、先に降りた仲間を追っていった。


 拓己が止めるのも聞かず、莉緒も階段を降りていく。階下から放せと奏太が叫ぶのが聞こえた。


「設計書を渡せ」


「渡すもんか。放せ! お前たちが後をつけていたのは分かっていたんだ。警察がすぐそこまできているぞ」


「残念ながらこの田舎のあちこちで事故や喧嘩が沢山起きていて、警察官は対処に追われているだろうな。県越えだと普通待ち伏せされるもんなんだよ。なのにパトカーを見かけなかったろ? 今頃、上からの命令で捜査の打ち切りが言い渡されているさ。さぁ、痛い目にあいたくなかったら設計書を出しな」


 奏太のシャツを掴んですごむ男の後ろから、仲間の男が声をかけた。


「そういえば、新見博士の弟が奏太という名前だったな。博士に言うことを聞かせるために捕まえろという指示が出ていたろ」


 そう言いながらスマホの画像をチェックして、やっぱりこいつだと顎をしゃくった。


「土産物が二つもできたぜ。俺たち出世できるかもな。さっさと連れて行け」


 ナイフを突きつけらえた奏太は暴れるのを止めて、男たちに出口へと引っ張られていく。手すりを掴む莉緒の手に力が入り真っ白になった。


「奏太君! 」


 返事はなく、莉緒の声だけが階段に虚しく響いた。



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