第12話 シークレットルーム 3—3
二人がラストのステップから地下の床に足を下ろした時、フロア全体に明かりが灯った。薄暗い空間を移動してきた奏太と莉緒には眩しすぎて、何度も瞬きをする。だんだんと明るさに慣れた二人の目に映ったものは……
「うそ! なにこれ? 人体模型が吊るしてあるわ」
上に渡されたパイプから透明の円柱ケースが等間隔に吊るされていて、それぞれのケースには一体ずつ子供から大人までの裸の模型がずらりと並んでいる。まるで精肉工場のようだ。
よくみれば、ドームの下には円柱の底に合わせたテーブル型の台座があり、上下で固定されているのが分かる。
莉緒が近くへ寄って、一体一体見ながらはしゃぎ声を上げた。
「これ、模型じゃなくて、全部アンドロイドじゃないかしら? 新見博士が今のアンディーに辿り着くまでに試行錯誤を重ねたプロトタイプなんじゃない? すごいわ。骨格や筋肉のつけかたまで本物の人間みたい。アンディーが世に出て大成功を収めたら、これは貴重な遺産になるわ」
「いや、これはアンディーのプロトタイプじゃない。これは……」
首を傾げる莉緒を通り越し、奏太の頭の中に過去の光景と声が蘇る。あれは父の声か……
『息子よ、許してくれ。こんな形で生かすことを』
『あなた。もう止しましょう。これは神への冒涜だわ。捕まる前に自首しましょう』
『駄目だ! 脳はまだ生きている。私たちがいなくなれば、誰が息子をケアするんだ? 脳に繋いだ人工知能も、学習してだんだん息子らしく育っている。例え身体は病に侵されて動かなくなったとしても、作ったボディーに人工知能を装着すれば、息子と何ら変わらない。あいつは機械じゃない。息子のために生まれた創造物だ』
両親の声が遠ざかると、今度は兄の声が覆いかぶさるように響いた。
『奏太、お父さんとお母さんは罪の意識に耐えられず、海外に行ってしまったけれど、僕が代わりに沢山愛情をあげる。僕は父さんたちより精巧なアンドロイドを作って、人と機械がお互いに助け合えるような関係にしたいんだ。僕たちみたいにね。だから、このことは秘密だよ』
これはいくつの頃の記憶だろう?
俺が幼稚園か小学校の低学年のころだろうか。
あまりにも小さな頃で、あやふやすぎる記憶を、奏太は何とか繋ぎ合わせようとするが、うまくいかない。
でも、兄が俺の面倒をみると言ったことから考えると、俺は……
目の前が暗くなり、足元がふらついた。
「奏太君、大丈夫? 」
ロボットでもショックが過ぎると、回路がショートして人間と同じ脳貧血みたいな症状になるんだな。
チクショウ! 涙まで出てきやがった。どれだけ精巧に作りやがったんだ。
制御しきれない驚きや悲しみを、心の中で研二にぶつける。一方で、奏太はケンディーの中に入りこめた訳を冷静に理解した。
心や魂はまだ科学的に証明はされていないけれど、俺がそれを持ったというのなら、人の成長に合わせて、ヤドカリのようにボディーを移り変わってきた自分が、違う機種のケンディーに入るのなんて、簡単なことだったんだ。
しかも、兄の仕業か、ボディーを換える時の記憶が抹消されているから、今の今まで自分自身がアンドロイドだなんて気づきもしなかった。
「笑える」
「えっ? 何が? どうしたの奏太君」
「いや、何でもない。実は俺、健康そうにみえるけれど身体が弱くってさ、時々貧血を起こすんだ」
不安そうだった莉緒の目が細まり、奏太を横眼で睨んだ。
「笑えない。どうみても健康優良児じゃない。パルクールだってあんなに……えっと、動画で見たけれど、あんなに動き回る趣味を持ってる人が言うセリフじゃないわ」
「そう思うだろ? でも、もし俺が気を失ったとしても、病院に連れて行かないで欲しいんだ。暫くしたら意識が戻るから、莉緒ちゃんが傍にいるときは、誰にも触らせないように見張っていてくれる?」
莉緒は視線を伏せたまま何も言わず、じっと考え込んでしまったようだ。
やがて顔をあげて、分かったと答えた瞳には、驚きとも期待ともとれるような輝きが浮かんでいた。
「ドーナツのからくりが分かった気がする」
「えっ? 何でいきなりドーナツ?」
「例え話よ。繊細に飾られた外見の下に隠されていたのは、生き生きとして歯ごたえのある別のドーナツだったてこと。しかも空間移動出来ちゃえるようなね」
奏太は、莉緒が全てを理解したことを知った。
「莉緒ちゃんは本当に鋭いな。ごめん、騙すようなことをして」
「ううん。最初に聞いていたら、きっと私は奏太君の頭がおかしいんじゃないかと思ったでしょうね。でも、今は奏太君がどんなに真面目で、お兄さん思いの人かよく知っている。奏太君がどんな状態になっても、私は見守るし、味方になってあげる」
「ありがとう。君がいてくれて本当によかった」
奏太は心の底から湧いた言葉を口にした。
「先に部屋に戻っていてくれるかな。二人一緒にいないことが、高橋や木呂場刑事にバレると、どこで何をしていたか言い訳ができない。俺はもうしばらくこの部屋を見ていたい」
「了解。シークレットルームを見せてくれてありがとう。奏太君、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
莉緒が階段を上っていく。もしかして、莉緒が鏡の外へ出たらここの電気も消えて、闇の中に閉じ込められるのではないかと恐怖心が湧いたが、ここにある自分の過去の
研究室のどこかに、あるはずの物を探して回ると、道具入れや縦長のロッカーが並んでいる中の一つに鍵がかかっていた。
艶のある扉に息を吹きかけると、アルファベットが浮かび上がる。奏太は迷わず自分の名前を押した。
カチリと解錠する音がして、扉が開く。ごくりと唾を飲み込んで、奏太はロッカーの中の通路を抜け本当のシークレットルームに入って行った。
部屋の中央には天井から床まで届く太い円柱が二本並んでいて、片方は中間部分が水槽になっている。その中には管を垂らしたクラゲのような脳が浮かんでいた。
もう片方は水槽より何周りも太く、中からポンプの音が聞こえることから推測すると、多分、管を通して脳への血液や栄養分などを送りこむ維持装置が入っているのだろう。
水槽に近づくと、上部につけられたスピーカーのスイッチが入ったのか、ジーッと響くノイズ音が鼓膜を刺激する。緊張しながら見上げると作られた男性の声がした。
『お帰り』
驚いた奏太は声も出せずに固まったが、これは人が近づいた時に反応する人工知能の声だろうと自分を落ち着かせる。
『どうしたんだ? 今日は情報を入れてくれないのか? 』
「情報? 何だそれは?」
『……いつもと声が違うな。君は誰だ?』
「先に答えてくれ。どんな情報をどんな風に送るんだ?」
『新しく学んだことや、毎日見聞きしたこと、特に奏太のことが記入された情報カードを水槽の下にある差し込み口に入れるんだ。それで伝わる』
「得に奏太のことか……俺がその奏太だよ」
水槽の中の脳がゆらりと揺れて、繋がれた管が、手を差し伸べるように奏太の方に向かって動いた。
『奏太。本物の奏太か。待っていた。お前をずっと……ずっと……会いたかった』
奏太は堪らずに逃げ出した。後ろから待ってくれと声が縋る。
今振り返ったら、あの触手のような管に囚われて水槽の中にひきずりこまれ、脳に繋がれそうだ。
俺は誰だ?
俺は何だ?
生きているのか、生かされているのか、このままいつまでこの身体の中にいられるのか?
今まで何も考えずに生活してきたことが、全て普通じゃないと分かった途端、奏太はパニックに襲われた。
誰か助けてくれ。俺がこの作られた身体の中からすり抜けないよう、誰か捕まえてくれ。
シークレットルームへ繋がるロッカーのドアを閉めて、研究所の広い床を突っ切って走り、螺旋階段を駆け上がった。
パルクールで鍛えているからか、それとも機械だからか、これくらいの運動量では息も上がらない。奏太は鏡のドアから研二の部屋へ飛び出した。
すると、そこに莉緒が立っていた。
「莉緒ちゃん。どう…した? 何か…あった?」
「何かあったのは奏太君の方でしょ。ご両親の言い方や奏太君の様子から、私が見ない方がいいものがあるんだって分かったから、奏太君を一人にしたの。でも、心配でまた自分の部屋からここに戻ってきちゃった。正解よね? 奏太君真っ青だもの」
奏太は何も言わずに、莉緒に近づき抱きしめた。
温かい。生きているから体温がある。ぬくもりと柔らかさを堪能していると、莉緒がクスッと笑った。
「奏太君、地下から走りっぱなしだったんでしょ? すごく体温が高いわ。よっぽど怖いものを見たのね」
体温が高いと言われて、ふと、疑問が涌いた。
俺にも熱がある?
意識しなければ感じようともしなかった人間として当たり前の生理的現象を確かめるために、莉緒の背中で交差した自分の手や腕を撫でる。
この熱は生きているように見せかけるために、皮膚の表面に熱を持たせた人工体温なんだろうか?
生物と魂が宿ったアンドロイドは、人間と何が違うんだ?
ポンポンと背中を優しくリズミカルに叩かれて、緊張が解けていく。奏太が詰めていた息を吐き身体の力を抜くと、莉緒がいい子いい子と子供をあやすように囁いた。
「怖いお化けはママが退治してあげるからね。何にも心配することいわよ」
「フッ……俺、お化けに気に入られてるみたいだから、退治は遠慮しとくよ。あの世に道連れにされかねないからね」
そっと莉緒から離れながら言うと、莉緒に強い子ねと頭を撫でられた。
「幼児扱いするな」
「それだけ元気が出ればよろしい。さぁ、夜も遅いし部屋へ帰ろ」
すたすたと先に歩きだした小さな背中が、奏太の目にはやけに大きく頼もしく映った。
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