第12話 シークレットルーム 2—3

 奏太は音を立てないように部屋を出て、莉緒や高橋の部屋を通り過ぎ、階段に一番近い研二の部屋の前に立った。そ~っとドアをドアを開けた時、トントンと肩を叩かれて、跳び上がりそうになる。

 振り向くと、パジャマの上に夏物のレースのカーディガンを羽織った莉緒が立っていて、何してるのと聞いた。奏太は指を唇の前で立てて、静かにするように示してから、研二の部屋に一緒に入った。


「悪いけど、部屋に戻ってくれないかな」


「どうして? 新見さんの手がかりを探すなら、手伝うわ。何度もこの部屋で一緒に探しているじゃない。今更隠し事はなしよ」


「う~ん。どうしようかな。多分俺一人で見た方がいいと思うんだ」


「あっ、そう。私、奏太君に言ったよね? 今は新見博士を助けるために団結しよう。お互いが味方だって信じることができなければ、作戦なんか立てられないって。奏太君だって賛成して、二人で意見を出し合おうって言ったのに、あれ、嘘だったんだ」


「いや、嘘じゃないけれど、俺もたった今、両親から聞いた話で、見た後も気をしっかり持てなんて言われたら、よっぽど気味の悪いものが置いてあると思うだろ。莉緒ちゃんは見ない方がいいと思うんだ」


「ふぅ~ん。奏太くんが怖いんだったら、木呂場刑事と高橋くんも呼んでくるから、ここにいてね」


 踵を返して、軽い足取りで部屋を出ようとする莉緒を、奏太はちょっと待ったと引き留めた。


「分かった。莉緒ちゃんにだけは話しておく。他の人には内緒だぞ」


「うん。誰にも言わないと約束する。それで? 何があるの」


「昔、両親が使っていた研究室が地下にあるんだ。今はこの部屋のウォークインクローゼットからしかいけないらしい。おい、ちょっと待て。誰も連れて行くなんて言ってない」


 奏太の言葉を無視して、莉緒はウォークインクローゼットに入っていった。

 部屋と言っても差し支えないくらいの大きな空間を見ながら、莉緒は頭の中で部屋の間取り図を描いた。


 広い玄関ホールの左端から上がる階段は途中で右に折れて二階のフロアに行きつく。上がってすぐは壁で、その壁の向こうは多分ウォークインクローゼットになるのだろうか。部屋の入口は階段を背にして左。ドアを入って正面が部屋で、右手にウォークインクローゼットだから間違いない。研二の部屋の下は玄関と玄関ホール、そしてゲストルームにかかっているのだろう。


 玄関脇の壁には、そこだけ洋風の美しいタイルが貼られていた。もし地下に降りるエレベーターか、あるいは階段を作った時の跡を隠すためにタイルを貼ったのならば、クローゼットの奥に入り口があるはず。莉緒は大きな姿見の前に立った。

 背中で奏太がヒューっと口笛を吹く。莉緒はパッと振り向いて、唇の前に人差し指を立てた。


「ここで合っているのね? でも、ドアが無いわ」

「姿見をスライドさせるんだ」


 奏太が莉緒の脇を通り、姿見に手をかけ横に押した。ところがどちらにもスライドしない。姿見の横には二段のパイプが取り付けられていて、服やコートが吊るされている。それらをかき分けてみたが、開閉ボタンは無かった。


「困ったな。両親はただスライドさせて中に入れと言ったんだ」


「ひょっとしたら、新見さんが後で仕掛けを作ったのかもしれないわ。それだけ秘密にしたいものなのよ」


 莉緒も鏡の前に立ち、奏太と同じようにスライドさせようとしたが、やはり扉はびくともしない。力を入れようとして足を開いたときに、吊るされたコートの下に置いてあった加湿器につま先が当たった。

 整理整頓されているクローゼットは、まるで主の几帳面な性格を反映しているようだ。その中でぽつんとしまい忘れた加湿器が、新見にも抜けた面があるんだという驚きを莉緒にもたらし、同時に親しみを感じさせた。


 莉緒の知っている新見は、ブランド品に拘らず、色のトーンを合わせた質の良いものを着ていて、何をするにもそつがない。

 容姿が優れているために、おしゃれに無関心でも、無造作に着たものが決まってしまう新見だが、無関心に見せかけて、本当は毎朝こんな大きな姿見の前で、全身をコーディネートをしていたのだろうかと莉緒は首を傾げた。


 ずっと憧れていた人のプライベートな部分を覗き見しているようで、少し疚しい気がしないでもないけれど、これら洋服の持ち主がいないからこそ見られるのだと考えると、思わず深いため息が出る。

 莉緒が吐いた息で白く曇った鏡に、突然テンキーのように並んだ数字が現れた。


「ちょ、ちょっと奏太君。こっちへ来て。早く! 消えちゃう」


 莉緒の焦った声を聞き、奏太は一体何が起きたのかと大股で近づき、鏡の中央に消えかかった白い曇りと浮き出た数字を目にして、声をあげた。


「莉緒ちゃん。すごい! 大発見だ」

「私に話して良かったでしょ」


「ま、まぁな。でも、これ、数字の組み合わせを知らないと扉が開かないってことか? 」

「どうもそうみたい。でも、何桁で数字の並びが何かなんて想像もできないわ。ご両親に訊ねてみたら?」


 莉緒に言われるまでもなく、奏太はもうスマホを繰っていた。

 テレビ電話に出た両親に、曇りガラスに透けるテンキー形式の数字を見せてパスワードを尋ねるが、以前はそんなものは無かったと言われ、ガクリと肩を落とす。


 ふいに奏太の背中に小さな手がそっと置かれ、気遣うように莉緒がスマホを覗き込んだ。莉緒に気づいた両親が厳しい顔になり、まさかアンドロイドに関わりのない人を、研二の研究室に連れて行ったりしないだろうねと奏太に詰問する。


「あの、勝手についてきてしまってごめんなさい。私は羽柴莉緒と申します。アンディーじゃなくて、アンドロイドの開発では人工の皮膚を担当させて頂きました」


『ああ、これは失礼。関係ないどころか、研二の研究に投資してくださっている羽柴社長の妹さんですね。羽柴さんには息子が大変お世話になっています。私は研二と奏太の父親で、新見一郎と申します。こちらは妻の美波みなみです』


『初めまして、莉緒さん。私たち苗字からして、数字の語呂合わせみたいな名前で笑っちゃうでしょ。研二から、羽柴さんご兄妹のことは聞いています。莉緒さんは二年も飛び級された天才少女だそうですね。アンドロイドの開発に携わってくださってありがとうございます』


「あっ、いえ、天才は新見博士の方で、私が飛び級できたのは、憧れの新見博士に教えを乞いたくて、必死で努力した結果です。お役に立ててとても嬉しいです。あの、アンドロイドの秘密は絶対に守りますので、私にも研究所に入る許可を頂けないでしょうか? お願いします」


 頭を下げた莉緒を、一郎と美波が困ったように見つめた。やがて、一郎が決意をこめた声で言った。


『分かりました。全ての判断はあなたに任せます』


 どういうこと? と莉緒と奏太が顔を見合わせている間に通話は切れて、曇りのない鏡には困惑した二人が取り残された。

 その鏡に向かって莉緒がハァーと息を吹きかける。鏡に上体を寄せて唇を開いた莉緒が煽情的で、奏太は慌てて目を逸らし、今はパスワードのことだけを考えろと心の中で自分に喝を入れた。


 再び現れた数字を前に腕を組んで考えていた莉緒が、突然あっと声をあげて三つの数字を口にした。


「213」

「なんだそれ? 」


「数字の語呂合わせよ。お母さまが自分たちの名前は、語呂合わせみたいでしょっておっしゃったことから閃いたの。新見にいみは213。お父さんは一郎だから16。お母さんはみなみだから373」


「何か背中がゾクッとした。イケるかも」


 鏡に息を再度吹きかけた莉緒が父の名前を苗字から押していく。が、開かない。

 今度は母親の美波の番だ。213373。期待で奏太の胸も高鳴り、脈も速くなる。


「ダメだわ。ねぇ、奏太くんの名前は語呂合わせできないの? 」


「そうた。そうた。う~ん、無理っぽい。兄はどうだ? 研二の[]は数字の2だけれど、研は……」


「ひょっとして、1じゃないかしら。研を刀の方の剣に置き換えてみると、1にみえない? 21312」


 数字を押して鏡に手をかけた莉緒が、開かないと言ってしょんぼりした。


「莉緒ちゃんの推理はいい線いってるかも。剣には刃とグリップの間に相手の剣を受け止めるガードとかがくって言われる部分があるだろ? 刃に対して直角に交わっているから十じゃないかな? 研二の研は刀をぐ意味があるから、[と]を十に変えられる」


「それだわ、きっと! 奏太君って頭脳派だったのね」


「おい、おい、それって何気に失礼じゃないか?」


  奏太が文句を言っている間に、莉緒が213102と押していく。

  カチッと音がしてドアが自動でスライドした。


「すごい! 奏太君、やった~」


 ハイタッチをした二人が、鏡の中の床に足を踏み入れる。ドアが閉まると同時にシーリングライトがついて、階下へと続く螺旋階段を照らした。

 踏み板は厚いカーペットが敷かれ、足音が響かないようになっている。


「行こう」

 奏太が莉緒に声をかけ、階段を下りて行った。

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