第10話 アンドロイドディベロップメント 1-2

「まだ新見博士は目覚めないのか」

「はい。心音的には問題が無いようですが、気つけ薬でもかがせますか?」


——やめろバカ! ¦

 ソファーの上に転がされ、後ろ手に縛られた研二は心の中で叫んだ。

—―クロロホルムだって臭覚が働かなくなるほどのきつい匂いだったのに、その上アンモニア成分の入った刺激臭の強い気つけ薬を嗅がされるなんてとんでもない。だいたい僕でなくても、クロロホルムを吸ったからって人が速攻で眠るもんか! 


 声に出して悪態をつきたいところだが、今目を開ければ、あまりにもタイミングが良すぎて狸寝入りをしたことがバレてしまいそうなので、目をつぶったままでいる。

 本当は、後ろで拘束された腕が、曲げられた角度のまま元に戻らないんじゃないかと思うくらいに余裕もなく縛られているので、早く解いて欲しいのだが……


「まぁ、もう少し様子を見てもいいだろう。目が覚めたら新見博士にそっくりのケンディーというふざけた名前のアンドロイドの操作方法を教えてもらえ。もう一度ケンディーから指令が出て初めて、新見博士はアンドロイド化するんだからな」


「はっ。承知しました」


「だいたい博士の元でアンドロイドの研究に携わっていたお前が、どうしてケンディーを作動できないんだ? なぁ杉下よ、チーフという肩書は伊達なのか? お前の友人の水野も恰好ばっかりで中身がないから、類は友を呼ぶということわざを証明しているようなものだな」


「そ、そんな黒石博士。H・T・Lではアンディーも、ケンディーも問題なく動かせました。新見博士が何か細工をしたとしか思えません。ひょっとして我々の計画に気づいて対策を練ったのでは?」


「それなら余計に、お前がここで作ったアンドロイドを完璧にしなければいけないだろう。顔も中途半端にしか変化しないし、入力したデータも解析が遅すぎる。被験者の性格を表すどころか、問いかけに一々フリーズするようじゃ使い物にならん。とにかくあの出来損ないのアンドロイドを使って、今日は脳神経外科医とSEをアンドロイド化しなければならない。準備は万端だろうな?」


「はい。もちろんです。決まった文言のやり取りなら、フリーズすることもありません。ご期待ください」


 黒石博士がフンと高を括ったように鼻を鳴らし、カツコツと靴音を響かせながら部屋から出て行く様子に、研二は緊張を解いた。

 ——黒石博士か。確かマッドサイエンティストと言われた天才科学者だ。


 倫理に欠ける研究を発表し続けたために、学会から締め出されたという噂を、研二は学生の頃に聞いていた。

 そのマッド黒石と研二の下でチーフとして働いていた杉下が、どんな繋がりを持っているのかは分からないが、黒石の様子からあまり相手にされていないのが知れた。


 杉下には可哀そうだが、彼の能力ではアンディーは作れないだろう。研二の指示にしたがって細かい修正をするのには申し分のない能力ではあったのは認めるけれど。


 その杉下の様子がおかしいのが気にかかり、監視カメラの映像を洗った結果、アンディーに何か細工を施す杉下が映っているのを発見して、きっと何かが起きるはずだと嫌な予感がしていた。

 だから家のセキュリティーが切られてロックが外され、賊が中に入ってきたときに、研二はアンディーが良からぬことに利用されるのを阻止するために、わざと捕まったのだ。


 車窓から薄目を開けて確認した限りでは、ここは新見が勤めているラボと同じような建物のようだった。

 入るときも認識手順を複数踏み、ドアが沢山ある廊下を靴も脱がずに移動したことから、一般宅ではなく何かの施設だということが窺える。

 黒石博士の靴音が完全に消えてから、研二は初めて意識が戻ったように、うめき声を漏らして目を開けた。


「気が付きましたか。新見所長。いや、もう私はあなたの部下ではないから新見博士とお呼びした方がいいんでしょうね」


「どうとでも。それでどうして僕に見切りをつけた君が、僕を拉致したのかな」


「偉大な黒石博士の研究を完成させるためですよ。私も手助けすることによって世界に名を残せるんです」


「ほう。それはどんな研究だ?」


「そ、それは……今は言えない。とにかくケンディーが作動しないように弄ったのなら、解除してください。でないと世紀の発明が進展しないんですよ」


「僕に手伝って欲しいから、連れてきたんだろう? 理由を話せば協力できるかもしれないじゃないか。僕にとっても名声は魅力的だ。話してみれば案外乗り気になるかもしれない」


 さも興味があるように、研二が横たわった体勢から何とか身を起こして腰かける。杉下が研二の顔にチラリと目を走らせた。

 後退した広い額に落ちた髪をかきあげ、眉根を寄せて唇をへの字に曲げる杉下の頬が、時々痙攣するようにぴくぴくと動く。多分心の中で葛藤しているに違いない。あと一押しというところか。


「以前、ケンディーのコントロールボックスに触れた時に、感電したかと聞いたけれど、それと何か関係があるのかい」


 杉下の身体が強張った。ビンゴだ。

 そしてもう一つ思い浮かんだのは、牧田が描いたリボンをつけた少女の落書きとウィルスという言葉だ。

 牧田アンディーが莉緒を相手に説明していたと奏太から聞いたが、どう考えても少女とウィルスが結びつかない。なぜ男性ではいけないのかが気になるところだ。


「君は羽柴の会社で働いている牧田計也かずやを覚えているかい」


「ええ、覚えてますよ。一度H・T・Lの事務所にコンピューターのウィルス駆除の件できてくれましたよね」


「黒石博士の発明したものはそのウィルスと関係があるんじゃないか」


「あんなちゃちな子供だましのウィルスが?」

 杉下はのけ反るようにして笑った。

「ハハハ、あれは私が感染させたんです。研究所がサイバー攻撃を仕掛けられたと新見博士が勘違いすれば、ケンディーの設計図のデータを移動させるんじゃないかと思ってね。だが、あなたは動かさなかった。アンディーを使って家に盗聴器を仕掛けましたが、あの辺を車で回っていると目だってしまうから、盗聴したものをスマホで録音するやり方に変えたんですよ。最終日にアンディーが着替えのバッグに入れて、回収したものを聞けば、ヒントがあるかもしれない」


「盗聴か……だから僕が一人の時を狙えたんだな。君がこっそりアンディーに細工をしていたのは、外からアンディーを操るためだったのか」


「知っていたのに見過ごされるとは、よほどご自身の才能に自信をお持ちだったのですね」


 杉下が小ばかにしたように鼻で笑う。

 こんな奴と働いていたのかと思うと、本当に腹立たしくなる。

 それにしても、陽動作戦として使われた害のないウィルスと、牧田が半年前に開発したウィルスが同じでないのなら、牧田自身は杉下の仕掛けたウィルスを駆除しただけになる。


 タイミングが重なるだけに、アンディーに牧田自分が開発したウィルスのことを喋らせるのはマイナスでしかないはずだ。

 杉下が白状しなかったら、事務所のパソコンに入り込んだウィルスは、牧田が仕掛けたんじゃないかと疑い続けたことだろう。


 疑惑がかかるのが分かっていながら、牧田は一体何のために、研究を見直すように羽柴に伝えて欲しいと、莉緒に頼んだんだ? 


 廊下に靴音が響き自動ドアが開く音が開いた。

 白髪まじりの目つきのするどい四十代の男が入ってきて、ソファーに座った研二を上から下までじっくりと観察してから、威圧的な態度で話しかけた。


「お目覚めかな。新見博士。私は黒石といって、君と同じロボット工学を選択して極めたものだ。君が学会で発表した論文は全て目を通しているよ。私と違って君の発明は、人類にとって無害で実に無意味なものだ」


「気の合わない者を、荒っぽく招待するのは黒石博士のご趣味なんでしょうか。この縄をいい加減解いて欲しいのですがね」


「いいだろう。杉下解いてやれ」


 黒石博士の命令で、杉下が研二の背後に回り、ロープに手をかける。シュルリと結び目が解かれ、グルグル巻きだった縄が反対回しに巻き取られていき、ようやく腕が自由になった。

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