第8話 奏太の秘密 3一3


 莉緒は、男子生徒たちに手の平を返すような扱いを受けたせいか、自分勝手な異性に振り回されないためには、知識や技術をしっかり身に着けて、自分の地位を確立するしかないと思って頑張ってきた。

 けれど、奏太はいい意味で男としての役割を果たそうとしてくれている。それに、とっても素直で優しい。


「あの、こんなこと言ったらひがみに取られるかもしれないけれど、奏太君は男性だから、学生のうちにいい成績を残して優良企業に就職できれば、周囲の目が変わると思う。きっと女性からだって、研究ばかりしている面白味のない変人の扱いを受けなくなるわ」


「えっ? あぁ。変人扱いまでは行ってないけど」


「あっ、そっか、ごめん。自分と同列にしちゃった」


 奏太の眉根が寄って、目が三角の垂れ目になる。同情を買おうとたわけじゃないと、莉緒は慌てて言葉を探したれど、見つけるより先に奏太の表情が和らぎ、フッと口の両端が上がった。


「言われないだけで、変人だと思われてるかもな。でも、兄のいるH・T・Lに就職すれば、もっと研究に打ち込んでプライベートな時間が取れなくなると思うから、女の子には敬遠されそうだ」


「悪く言うのは、遊びたいだけの自分が一番大事な構ってちゃん女子でしょ。きっと就職したら、奏太君の男らしさや公平にものを見られる性格に惹かれて、仕事を応援してくれる人にも出会えると思うの。だから、今は焦ってパーティーなんかで、変なのに引っかかっちゃだめよ」


「……分かった。ありがとう。俺、莉緒ちゃんに謝らないといけないな。さっきは悪かった。サイテーだとか、兄の威光を借りるお姫さまだなんて言って。莉緒ちゃんこそ感情で物事を左右しないところがフェアだよ。頭もよくて包容力もあるし、すごくクールな女の子だと思う」


 いや、そこまではと、莉緒は両手を胸の前で左右に振った。ほっぺたが熱い気がする。


「さっきの莉緒ちゃんの話を聞いて思ったんだけど、女性を蔑視する男子生徒の中にいれば、男に幻滅するだろうし、押し付けられたお見合いなんてしたくないよな。アンディーたちも、莉緒ちゃんじゃなくて背後の社長を拝んでいるのが分かるし」


「やっぱり?」

「丸わかり」


 莉緒と奏太は身体を揺らして大笑いした。

さっきまでギクシャクしていた雰囲気は一気に吹き飛び、悪戯を共有した仲間のような信頼感さえ感じる。

 莉緒は、奏太となら一緒に働いても楽しいだろうと思い、頭にアンディーを作る場面を思い浮かべてみた。

でも、夢は夢でしかなく、奏太の言葉にしぼんでしまった。


「アドバイスをもらって悪いんだけど、俺、今回だけ、ちょっとだけ顔を出してくる。長居しないようすぐ帰ってくるつもりだから、留守番を頼むな」


 行ってこればと勧めたのは莉緒の方なので、今更止めることはできない。時間が気になるのか、奏太は慌ただしく部屋を出て二階に上がっていった。

 気になることがあると、莉緒はいつも納得いくまで探求したくなる。

 奏太が外見だけ整っている女性ではなく、心から寄り添ってくれる人を探していると聞いたからには、余計に放っておけない。

 どんな人たちが集まっているのかを探ってみようと思った。


 まずは牧田アンディーに、ドーナッツの件を謝った後、新見博士に外出する旨を伝える。そして、奏太には内緒で後をつけるべく、目深にかぶったキャスケット帽とマスクで顔を隠し、庭の木陰で待機することにした。

 やがて出てきた奏太の恰好を見て莉緒は唖然とした。

 パーティーに行くと言っていたにも関わらず、恰好はジーンズとぶかぶかのTシャツのストリートファッションで、リュックまで背負っている。

 しかも、両腕を回したり、屈伸をしたりして、準備運動のようなことまで始め出したのにはわが目を疑ってしまった。


 体力を少しでも消耗しておかないと暴走するくらい、パーティーに参加するのが嬉しいのだろうかと勘繰ってしまう。変な想像をした罰が当たったのか、奏太が駅までジョギングを始めたのを、莉緒は慌てて追うはめになった。

 地下鉄を乗り継いでバスに乗り換え、下車した先から歩いて十五分すると、廃屋と化した工場が見えた。


「まさかあれが目的地じゃないよね?」

 よぎった嫌な予感は的中して、奏太が中に入っていく。


「うそ! こんな廃屋で何するの? まさか危ない薬とか吸うパーティー?」


 奏太が犯罪に関与していたらどうしようと怯えながら、錆びて倒れかけた鉄門を抜け、工場の敷地を回りこむ。

 割れた窓から中を覗くと、配管や鉄の柱が剥き出しになった灰色の空間が目についた。


 影になって黒く見える壁の中央部分に一列に並ぶ窓は、壁を四角く切り取ったように見え、そこから射しこむ光が、舞い踊る埃を浮き彫りにしている。

 塗料の剥がれた鉄階段が向かうのは、かなり高い位置にある二階部分で、壁から壁へと横に渡った骨組みの様子から、かつては床があったのだろうと思われた。

 その鉄骨部分に、男が一人立っているのに莉緒は気が付いた。

 驚いて、あっと声をあげそうになる。

 そんな枠に立ったら危ないと思う間もなく、男がかなり離れた鉄骨へとジャンプする。


 届くわけない! 

 踏み外せば五、六メートル下のコンクリートに叩きつけられる。莉緒は身体中に力が入った。

 ところがその男は、届かないと思った鉄骨の上にふわりと着地して、バランスを取ることもなく、上体を真横に倒した勢いで側転にもちこみ、鉄骨の上を移動する。 

 続けざまにバク転をして、今度は天井の真ん中ににつり下がったフックへと飛び移った。


 鎖で吊り下げられたフックの揺れを利用して、ブランコのように身体を前後に大きくスィングさせた男は、反対側の一部だけ張られた床板へと大きく飛び移る。床に着地するのを見て、莉緒がホッとするのも束の間、男は着地と同時に、まだ揺れているフックの方角へ飛び出した。

 ほぼ垂直に上がった身体から伸びる手は、揺れるフックに届くはずもなく、男の身体が下降する。


 危ない! 

 莉緒は今度こそ叫びそうになった。

 男が身体を捻ってスケートのスピンのように半回転する。

 今まで立っていた二階の床を掴み、大きく身体を揺らして、鉄筋を支える支柱へと飛び移った。


 スルスルと降りる途中で柱を蹴って空中に踊り出した男が、目にもとまらぬ横捻りとバク転を組み合わせた技を繰り出し、スタッと着地した。

 わぁっと歓声が上がり、真ん中にいる男をめがけて、隅の方から十人ほどの男たちが拍手をしながら駆け寄ってくる。


「奏太、さすがだな!」

「すごかった! ウルトラ級の技の連発だ」


 口々に賞賛を受けて照れる男の顔に焦点が合う。まさかと思ったが、重力を感じさせない技を繰り出していたのは、莉緒の知っている奏太だった。

 Tシャツを変えていたのと、高所での素早いパフォーマンスに気を取られたせいか、奏太だと気づかなかったのだ。

 何これ? サーカスみたいと思ったとき、ふと水野アンディーの言葉が頭をよぎった。


『パルクールって街中にあるものを忍者みたいによじ登ったり、途切れることなく走り回ったりするスポーツですよね?』


 確かあの時、莉緒は新見所長が普段何をしているのかを知りたくなって、ケンディーに質問をした。


『大学の仲間たちとパルクールを楽しんでいます』


 ケンディーは新見研二をコピーしているはずなのに、弟の奏太がパルクールをしているってどういうこと? 

 兄弟で同じ趣味を持っているということなのだろうか? 

 莉緒はこんがらがりそうになる頭を抑え、フラフラと後ろに下がった。

 工場の建物を回り込んで門の外へ出ると、一目散にバス停を目指す。何かおかしなことが起きているのではないかという不安に、胸が苛まれた。


 こんなときは甘いものでも買って帰って、部屋でじっくり気持ちを整理する方がいいのかもしれない。確か駅前に洋菓子店があったはず。

 ふと、出がけに牧田アンディーに無茶振りをしたドーナツのことを思い出し、スマホで店の場所と時間を確認する。既に十時を回っていた。


 残念。三十分以上早く並ばなければ、十時半から販売される限定ドーナッツは買えないと口コミに書いてある。普通のを買って帰るしかない。

 有名チョコレート店とコラボしたドーナッツは、色や形がきれいで美味しそうだ。女の子の好きが一杯詰まってる。まるで新見研二所長のように……

 悔しいけれど、手に入らないところまでが同じだ。


「フンだ。外見が飾ってあったって、中身はいつも食べてる庶民的な味のドーナッツなんだから、がっかりなんて……」


 悔し紛れに呟いた言葉が、途中でつかえた。

 何かが引っかかる。外見は洗練されているドーナツの中身が、庶民的な味であるのことのどこがいけないんだろう? 

 何だかミステリー系のゲームをやっている気分になってきた。

 具体的に言えば、写真のどこかをクリックして謎を解くカギを集め、次々とその先の部屋へと進んでいく脱出ゲームみたいなもの。隠し方が上手いものは何度見たって分からないし、ここは間違っていないと思い込むといつまで経っても解けはしない。


 ほんの少しの違和感に、もしかしてというインスピレーションを受けて、隠された場所や全体像が鮮明になるときがある。

 莉緒の中で、まさにその時に感じる緊張感が高まっていた。

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