第8話 奏太の秘密 1一3
莉緒が新見の家に滞在して三日目の朝を迎えた。
新見は名目上の休暇を取ってはいるが、ラボにも出かけているようだし、あまり莉緒と過ごすことはない。
珍しくダイニングでコーヒーを飲んでいるのを見つけて話しかければ、弟の奏太とケンディーの改良点を話してくると言って姿を消すし、奏太がいるときには莉緒の相手を任せて自分の部屋にこもり、ロボット工学に関する論文をまとめているようだ。
「そんなに避けなくったっていいのに」
新見所長は兄の拓己との仕事上の関係もあるし、歳が離れすぎているのも原因なのかもしれないが、自分のことを女性としてではなく、妹としてしか見てくれないのは残酷なほど分かっているつもりだ。
一人取り残されたダイニングで、莉緒はかなり落ち込みながら、自分用にコーヒーを入れてリビングへと運ぶ。
「ケンディーがずっと相手をしてくれれば満足なんだけどなぁ」
アンディーに比べるとずっと人間らしいケンディーのどこがいけないのか、一、二時間も経つとケンディーは休息が必要になり、入れ替わるように苦手な奏太が階下に降りてくる。
せめて弟の奏太が新見所長に似ていれば、仲良くなれたかもしれないのにと少し残念に思う。
それにしても、初対面のあのお辞儀は最悪だった。
アンドロイドのケンディーだって、あんな風に、風を切るような無様なお辞儀はしない。こっちにまで風圧がきたほどだ。
人間ってつくづくファーストインプレッションは大事だと感じた。
じゃあ、水野と牧田に扮したアンディーを受け入れられるかというと、そうでもない。
「お兄ちゃんから見れば、研究ばかりに精を出して、彼がいない歴イコール実年齢の妹が心配だったのは分かるよ。でも、大事な実験を利用して、本当のお見合いさせるなんてやっぱり納得いかないよ」
だって、好きな人以外に考えられない自分には、上司の機嫌を取るために婚約者候補を承諾する男なんて、味気なく感じるんだもの。
独り言ちながらも、アンディーの具合を確かめるために、仕方なく水野と牧田を、半日交代で体現させることにしたのだが、コピーなのに、どちらも莉緒本人ではなく、バックにいる兄の羽柴拓己社長を意識しているところが丸わかりで癪に障る。
例えばおやつに出された焼き菓子を食べていた時に、水野アンディーが発した一言。
『莉緒さんは、このお菓子がお好きなようですね? 社長もお好きでしたら、ここを出た後に、水野本人に伝えて社長宅に送らせて頂きたいのですが』
途端に味気なくなった焼き菓子を何とかお茶で飲み下し、愛想笑いで兄は辛党ですと答えたら、じゃあ甘いものは止めましょうと言って、塩辛い土産物の相談をされた。もちろんとってつけたように、莉緒さんが甘い方がよろしければ、この甘いお菓子も忘れずに送りますとは言われたけれど。
牧田に至っては、口下手なだけに、根回しや物を包んで言うことをしない。
『莉緒さんは素晴らしいですね』
おや? 牧田は自分を見てくれると思いきや‥‥‥
『より人間に近い人工皮膚を開発され、社長の新プロジェクトに貢献されたことが羨ましいです。私も半年以上前に新しい企画を練って上司に提出したのですが、お忙しいのか羽柴社長からはお返事が頂けなくて‥‥‥同じ技術者としての莉緒さんの意見を聞かせて頂けないでしょうか。もし、良さそうなら、社長にお口添え頂けると嬉しいのですが』
そう言って、語り始めたのが人に影響するある物質だった。
だいたい、外観と生活をコピーしたアンドロイドが、牧田の脳内にある企画をペラペラしゃべれるはずがない。最初から兄に売り込むつもりで、ビデオに向かって講義を垂れたことを想像したら背筋が寒くなった。
莉緒に説明する前に、メモ用紙はないかと聞かれたので、ダイニングにある電話台の上に置いてあったメモ用紙を取って来て、アンディーに渡した。
すぐに説明が始まったものの、牧田の元絵が下手なのか、アンディーの機能が悪いのか、大きな〇の上に二つの△の耳をつけた絵は、△同士がくっついてリボンのように見える。頭から直接伸びた棒のような前足はハの字に広がっていて、ワンピースのようだった。
あのメモ用紙は、確か、奏太がアンディーの資料にするからと、持っていったっけ‥‥‥
妹を味方につけることができれば出世は硬いと信じている様の二人が、虎視眈々と婿の座を狙う様子に、莉緒は自分が兄という本体についてくる、ちゃちなおまけのように感じて嫌な気分になった。
「結婚したら、私の役目は終わったとばかりに、好きなことしていていいからと放っておかれそう。でも、兄が仕事だと言えば、休みの日でも喜んでお供するんだろうな」
ちょっといじけた気分になって、アンディーたちにあたってみたくなった。わざと水野と牧田アンディーに難題を押し付けて、これを解決できたら兄が喜ぶだろうと暗に匂わせてみる。
ところが、どちらも俄然やる気を見せるので、最初のうちこそ苛ついたものの、途中から彼らがどれだけ兄に忠実なのかを目にする度に、単純にすごいと思うようになった。
アンディーの性格分析機能の正確さを確かめるために、本人たちに会ってみたいとさえ思い始めた。
「おはようございます。莉緒さんは早起きなんですね」
ノーブランドのポロシャツとジーンズ姿の牧田アンディーが、新聞を片手にリビングに入ってくる。何でも電子で済ませるようになりつつあるが、牧田は紙の新聞がいいらしい。まだ七時を回ったばかりの静かなリビングに、ガサガサと新聞紙をめくる音が響いた。
もう少し一人でいたかったなと思いながら、莉緒がテーブルを挟んでソファーに座る牧田をチラリと見た時、紙面から目を離さず牧田が言った。
「何だか物騒な事件が相次いでいるみたいですね。行方不明者が出たとか。しかもその道では名前が知られている人ばかりらしいですよ。脳神経外科医に、大手のシステムエンジニア。こんな人たちが一気に消えるなんておかしいと思いませんか?」
急に問われて驚いたものの、莉緒は確かに変だと思いつつ返事をする。
「そうですね。何か引っかかる気がするのだけど、何かしら」
莉緒の言葉を聞いたアンディーの細い目が見開かれた。期待した回答を得て嬉々としているのがよく分かる表情をしている。本当に生きた人間みたいだ。
感嘆している莉緒に、牧田アンディーは昨日の話の続きを始める。
こんな早朝から延々と牧田の講釈を聞かされると思うと、何としてでも逃げ出たくなった。
だって、菌などの侵入を防ぐため、門番の役割をする白血球に、まんまと入り込んだ寄生虫が、殺されるどころか白血球をトロイの木馬にして脳まで進む話は、すごいと思うし面白いけれど、白血球をどう操るのか、抑揚のない声で知らない物質の名前を上げ連ねていかれると、まるで呪文をかけられているように思えて怖いのだ。
こんな時はずるいけれど兄という護符に頼るに限る。
牧田の忠誠心が本当なら、寄生虫の仕組みを利用した自分の研究の話の最中でも、例え無理難題をふっかけられたって、そちらを優先するだろう。
「そういえば、甘いものが苦手な兄に、唯一例外のスイーツがあるんです」
「えっ? それは何ですか? ぜひ教えてください」
案の条、アンディーが引っかかった。
外部の人間と会うのが仕事で外見にも気を使っている水野と違い、内部でプログラマーをしている牧田は、着るものからして流行などにはあまり感心がなさそうだ。
それを承知で有名なチョコレート店とドーナツショップがコラボしたドーナッツの話をする。心の中でお兄ちゃん嘘ついてごめんねと呟きながら。
最初ためらいを見せた牧田アンディーは、すぐに困惑の表情を引っ込めてスマホで検索を始めた。
「莉緒さん、待っていてください。新見博士へ外出の許可をもらってきます」
言うが早いか、アンドロイドだとは思えない足取りで、二階にいる新見の元へとスタスタと歩いていってしまう。
実験中のアンドロイドは行動を家の中だけに限られている。止める間もないほど速攻の行動で、莉緒は唖然として見送るしかなかった。
兄ではなく、莉緒が食べたいと思っていたドーナッツは、とても人気があり、売り出し時間の前に並ばなければ手に入らないと聞く。早ければ一時間前から並ぶらしい。
スマホで検索すれば、待ち時間とか、長い列を作って並ぶのが女の子ばかりであるという情報も得られたはずで、いい大人の男がその列に加わるとしたら、相当の甘党か、彼女のために勇気を出した猛者だろう。
ちょっと悪いことしたかなと思っていると、ティーテーブルに影が差し、腕組みをした奏太が不機嫌な顔で莉緒を見下ろしていた。。
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