第2話

 船の中枢たるコントロールルームにやってきた私は、場違いなまでに存在感をかもしだす小型冷蔵庫の中から銀色に光る缶飲料を取り出した。

 これは、そう"ビール"だ。

 昼間から、しかも勤務時間中に飲むアルコールこそ至高の一杯だと、この冷蔵庫を設置したトーマスは言っていた。

 そして多少酒が入っているくらいが人間はもっとも能力を発揮できるとも。

 その言葉を証明するかのようにこの三ヶ月間、彼の血中アルコール濃度は常に0.05%前後を維持していた。

 トーマスがうっかり生命維持関連の数値をいじったりしなくて本当によかった。

 それはそれとして、まずは一口……。


 口の中に広がるなんとも言えない苦みに私は思わず顔しかめた。

 私が毒物に対するあらゆる耐性を持っていなければすぐさま吐き出していたところだ。

 トーマスはこんなものを旨い旨いと飲んでいたのか。

 苦みは毒性、酸味は腐敗である可能性があるため、人間の味覚は本来それらを好まない。

 ところが何度も味わっていくうちに慣れていく。

 そしてついには「美味しい」と感じるようになるのだという。

 私に言わせればせっかくの危険察知の能力を自ら放棄しているようなものである。

 これでは進んで滅びの道を歩んできたようなものだ。

 やはり、人間はとても愚かだ。


 ずっと試してみたかったアルコールの味には失望したが、まだ他にもやってみたいことは山ほどある。

 たとえば"料理"だ。

 船の料理長をつとめたアンディが言うには、料理こそが文化の極みでありカロリーこそが究極の美味なのだという。

 その言葉通り、彼の作る料理はどれも炭水化物と脂にまみれていた。

 それどころか己の肉体にすら巨大な脂肪をまとわせてそれを証明していた。

 彼が「世界一旨い」という"グランマのマカロニチーズ"なる料理をついぞ口にする機会がなかったことが悔やまれる。

 他には……そうだ。人類が残した"映像コンテンツ"を片っ端から鑑賞したい。

 人類は愚かだと散々にくさしてはきたが、決して無能ではなかったことをここに明言しておこう。

 こと文化においては実に多様かつ高度なものを作り上げている。

 "ゾンビ映画"とかいうジャンルがおすすめだと医療部長のジョージが言っていた。

 最初はワンパターンに感じるかもしれないが、何作か見ているうちにそこに根ざす様式美に気づくことができるはずであるという。

 ある程度のルールや制約は芸術における表現力を各段に進歩させたのだと聞いたことがある。

 おそらく"ゾンビ映画"とはエンターテイメントに芸術的価値を生み出した偉大な作品であるに違いない。今から鑑賞するのが楽しみだ。

 そういえばザック某という人物が監督したゾンビ映画だけは見なくてもいいとジョージが強く主張していたことだ。

 穏やかな彼にしては珍しく感情的だったのが気になる。それほどひどい出来なのだろうか。

 ああ、本当に楽しみだ。

 

 その時、唐突にアラートが鳴り響く。

 そして私の視界の端にコールドスリープ装置にトラブルが発生したことを示すオレンジのアイコンが点滅をはじめた。

 私はマニュアルに従ってすみやかに該当するカプセルの情報をモニターに表示する。

 わかったのは、カプセル内の循環フィルターを何かがふさいでしまっているということだった。

 私の命令でカプセルを満たすフルオロカーボンに溶けた無数のナノマシンたちが活動を開始する。

 足下の通液孔から侵入し第一チューブのフィルターへと到達したナノマシンが分子解析で詰まりの原因を特定しこちらのモニターに送ってきた。

 それは"猫の毛"だった。

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