第4話

1990年代、株と不動産のバブルは終った。祭と宴の後のように日本経済は静かに疲れ切って21世紀を迎えようとしていた。最近では株や不動産などと騒ぐ人も少なくなくなり業界の人もすっかり成りを潜めてしまった。

  21世紀では全てがデジタルの世界に移行しようとしていた。証券会社もネット証券会社が次から次へと表れてきた。僕はというとかろうじて元金くらいまで回収して首の皮一枚で生き残っていた。素人の僕がさんざん株まみれになって生き残れたのは奇跡としかいいようがなかった。僕はここ十数年間心身ともに疲れ切っていた。何をやってきたんだろうと自問自答しながら次第に株の世界から離れていった。幸いに生業は順調に続いていたので僕の生活は決定的なダメージを受けることはなかった。

数年後、僕はようやくバブル時代を客観的に見られるようになった。多くの反省、多くの経験、これらは間違いなく僕の人生に大きな影響と教訓を与えた。

最近では株や経済のことも客観的冷静に接することができるようになっていた。

僕は休日は図書館に通うようになっていた。これからは株のことを自分の意思で学びなおし、真剣に取り組もうと決めた。金融工学やら経済学やらと株に関係する本を貪欲に読み漁った。

株を離れてから約5年がたっていた。巷ではすっかりネット証券の時代になっていた。時々、僕もネット証券のサイトをのぞき隔世を感じた。株の世界が全く別物に感じられた。新しいチャレンジが僕を誘惑して奥深く眠っている何かに火をつけようとしている。ネット証券の世界は膨大な情報量にあふれている。それらを利用してい意思決定していくのはすべて自分の意思である。これからの株や投資は20世紀とは別物だ。僕は「よし」という気持ちになってきた。

 それから、いろいろなネット証券を検索してQ証券にたどり着いた。情報量が充実していてコスパに優れていた。数年間の勉強の成果もあって株の基礎知識は大体マスターしていた。しかしどんなに勉強しても株で勝てる本などないということは分かった。やはり膨大な情報量を駆使して自分で決断していかに利益を確保し、損失を減らすかである。僕は数年間あらゆる投資手法にチャレンジしてみた。結局のところ結論はシンプルであった。安く買って高く売るだけのことだった。ただ僕の場合は個別の会社の株ではなく大局的な指数の売買のみである。つまりETF(上場投資信託:日経平均)の売買である。会社と違って個別要因に左右されないし倒産もない。基本的には上昇志向である。しかし年に数回はおお下げをする、その時買って戻り売りをする。大抵は年に数回の売買で2~3割のパフォーマンスはある。上げ下げ時のタイミングは標準偏差の分析ツールにて9割の確率で判断をする。これは僕の狩猟的株式投資の1手法である。もうひとつの手法は農耕的手法で年間の果実(配当)を頂くことである。利回りのいい会社は意外とある。株主優待と合わせると5%~10%の会社は結構ある。株や投資に偏見を持っている御仁には気が付かないだろうが、これからは投資の時代と国家が銘を打っている。投資家には優遇税制を与えて国策にまでしようとしている。つまり国策に売りなしだ。僕、ずぶしろからバブル時代を生き抜いたきた老獪な面々になりつつある。



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ずぶしろ投資家君 小深純平 @estate4086

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